ゲイに対する偏見を憂う。ジョージ・マイケルが教えてくれたこと

更新:2021.12.15

ジョージ・マイケルの死を通じて、社会に根強く残るゲイに対する偏見を憂います。「ジョージ・マイケルは、ゲイ・セックスは恥ずかしいことじゃないと教えてくれました」

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「僕を認めない人たちに認めてもらう必要はない」

ゲイであること、そしてカミングアウトすることに話題が及ぶ度、多くが濫用する便利な言葉があります――「いいほうに転ぶよ」。そこから出ておいで、人生はきっといいほうに転ぶから、と彼らは言います。社会は君を受け入れてくれる、愛に溢れるコミュニティが君を待っているさと。実になんとも牧歌的だし、実際、それは夢物語でしかないのです。

1998年、ビバリー・ヒルズの公園で男性とわいせつ行為に及んだとして、おとり捜査官に逮捕された際、ジョージ・マイケルにしてみれば、謝罪し、自らの行為と自身とを切り離し、罰金を払って社会奉仕活動を行ない、もう二度としませんと約束するのは、ごくごく簡単なことでした。けれど、彼は拒びました。

「同性愛を嫌悪する人たちに作品を売りたいとは別に思わない」と、マイケルはインタビュアーのオプラに堂々と語りました。「僕を認めない人たちに認めてもらう必要はない」

残念ながら、多くはマイケルの人生をいいほうに転ばせないことにご執心でした。右派のマスコミは偽道徳主義と同性愛嫌悪をむき出しにした非難報道を垂れ流しましたし、マイケルの性生活はコラム記事や誹謗中傷の格好の的になったのです。

この先、僕らはまた、タブロイド紙が一斉に彼をなじりまくる様を目にするでしょう。早すぎる死を招いた“まずい生き方の選択”を責める記事が溢れる可能性があります。

でも、よく考えてみてください。彼は数多のパートナーと性交渉をした。大麻の楽しみに密やかに浸っていた。そして間違いなく、麻薬をはじめ、さまざまな脱法薬物を試してきた。それはセレブにお約束のロックな生き方でしかありません。なのに、同性愛者だというだけで、マイケルの生き様は公開討論の俎上に載せられているのです。その死を悼む代わりに、早くも“ゲイ”非難が始まっています。

メッセージはシンプルです――そうするしかないのなら、仕方ない、ゲイでいろ。ただし、少なくとも我々一般人と同じように生き、同じように愛せ。ジョージ・マイケルは拒びました。そしてそうすることで、僕のような若いゲイの男性のために、自分の性生活やセクシャリティを恥じないでいられる礎を築き、いまだ同性愛嫌悪が渦巻く世界を、多少でも生きるのがつらくない所にしてくれたのです。

これまで生きてきて、2人の男性があるいはセックスをするに至る可能性について、たとえば学校の性教育の授業ではいっさい教えられなかったし、テレビでもそれを描いたものはおろか、ほのめかす言葉さえほとんど見たことも聞いたこともありません。ゴールデンタイムにゲイの男性が登場することはあったかもしれないけれど、そのセクシャリティは往々にして、子どもの目にもあまりに単純化されて見えたし、くだらない冗談の種にされている気がしてならなかったです。

そして、ゲイ・セックスがごく稀に語られるときはいつも、下品と俗悪まみれでした。ゲイであることを売りにするコメディアン、ジュリアン・クラリーのことは大いに尊敬していますが、彼だってちゃんとした性教育はしてくれませんでした。そして間違いなくこれが、僕らの多くを悩ませる内存化した同性愛嫌悪、つまり、僕らのセクシャリティに付いて回る否定的イメージの一つの発生源となっているのです。

マイケル自身もほぼ確実に、これの被害者でした。自身のセクシャリティと折り合いを付けるまでに、彼は24年もの歳月を要しましたし、初めての恋が実ったのは30歳を目前にしてのことだったのです。

希望と刺激に満ちたメッセージ

このせいで、カミングアウトしないゲイもいれば、“マスク・フォー・マスク(マスク=マスキュリン。ゲイはマスクとフェム/フェミニンに大別される)”文化に、つまり超マッチョな男性はマッチョの理想に適う男性にしか興味を示さない世界に、安らぎを見出すゲイもいます。そして僕も含めた大半のゲイは、同性愛の肉体的側面を恥じる思いを若い頃から心の奥底に植えつけられます。これが、心の病の扱いにおける厳然たる不平等という、僕らのコミュニティを現在に至るまで苦しめる問題の原因とも言われているのです。だからこそ、ジョージ・マイケルが自身の性生活について謝ることも覆い隠すことも拒んだのは、希望と刺激の源にほかなりません。

昨晩、YouTubeにアップされていた彼のインタビューに耳を傾けながら、僕は日々経験する同性愛嫌悪を思わずにはいられませんでした。ちょうど2週間前にも、彼氏とロンドンの中心街を歩いていたら、手をつないでいるというだけで、通りすがりの男性に殴りかかられたのです。

同性愛嫌悪を経験したことのある人なら誰でも、この恐怖と不安は身に染みてわかると思います。ごくごく普通の愛情表現をするのに周囲に目を配ることを余儀なくされ、いたる所で潜在的危険を感じさせられるのが、どんなにつらいことか。

ジョージは人前で手をつないだだけじゃない。外に出ていき、セックスをしました。その行為自体は彼の存在理由と言えるようなものではなかったのかもしれませんが、それが象徴するものは、昔も今も僕の胸を激しく揺さぶりつづけています――外に出るんだ! 誇りを持て! そして、象牙の塔で安穏としている方々、つまり、ゲイであること自体はいいが、公衆トイレで相手漁りをするのは常軌を逸していると、したり顔で言う皆さんには、そもそもどうしてそんなゲイ文化の一側面が誕生したかを考えて欲しいのです。それは、あまりにも長い間、僕らがパートナーを探すと、外で公然とそれをすると、たちまち捕まって犯罪者扱いされてきたからに相違ないからです。

ジョージ・マイケルはきっと、カリフォルニアの独房の中で、手錠をはめられたまま座り、その皮肉を痛感していたに違いないでしょう。

Photo:(C)WENN / Zeta Image
Text:(C)The Independent / Zeta Image
Translation:Takatsugu Arai

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