西郷隆盛の知っておきたい6つの事実!自殺未遂に写真嫌い!?愛犬の名前も

更新:2021.12.15

幕末から明治維新にかけて活躍した、維新の三傑のひとり西郷隆盛は、その類い稀な才覚と人望で今でも人気の高い偉人です。2018年のNHK大河ドラマにも選ばれました。上野公園の銅像としても親しまれています。そんな永遠のリーダー像として輝いている彼の生涯と、意外な逸話、さらにおすすめの関連本を紹介していきます。

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西郷隆盛とは。維新の英雄から反逆者へ

 

西郷は、明治維新を成し遂げた薩摩藩の中心人物のひとり。現在の鹿児島県に位置する薩摩藩内で生まれ、藩主・島津斉彬(しまづなりあきら)に見い出されます。藩内の重臣として、動乱の藩政を治めました。

坂本竜馬を仲介として長州の桂小五郎らと盟約した薩長同盟を皮切りに、討幕派の急先鋒として「戊辰戦争」を起こし徳川幕府を追い詰めていきます。幕臣勝海舟との密談により江戸城を無血開城させ、遂には、その勢力を一掃し明治の新しい時代を作り上げました。

明治新政府では参議や陸軍大将など要職を務めますが、征韓論と言われる武力制圧での朝鮮外交の方針に異を唱え辞職。故郷薩摩へ帰ることになります。

薩摩に帰った後、西郷を慕い集まった旧士族たちの、新政府への反感を制御するために私塾を開校します。当時、明治維新の礎として戦った後、身分も仕事も無くなった旧士族たちは、新政府への反感が相当強く、西郷はこの一触即発の状況を憂い、農業や教育へ目を向けさせようとしました。

しかし遂には塾生が新政府へ反旗を翻し、挙兵します。西郷はその事実を知ると反乱軍へ合流し、大将として自らも武器を取り九州各地を転戦しますが新政府の圧倒的な軍備の前に敗走。鹿児島県城山で自刀し、その生涯を終えました。

反逆罪の汚名を着た西郷ですが、後に赦免され、その功績を称える有志たちにより上野公園に銅像が建てられます。そしてその姿は100年以上親しまれ、現在に至ります。

 

西郷隆盛の生涯を年表でわかりやすく紹介!

 

・1828年(0歳)

薩摩国薩摩藩(現在の鹿児島県)の下級武士、西郷吉兵衛隆盛の長男として生まれる。

・1844年(16歳)

薩摩藩の郡奉行である迫田利済(さこたとしなり)に仕え、郡方書役助(こおりかた かきやくたすけ)を務める。

・1851年(23歳)

島津斉興が隠居し、島津斉彬が薩摩藩主になる。

・1852年(24歳)

伊集院須賀と結婚

・1853年(25歳)

ペリー来航

・1854年(26歳)

島津斉彬に仕えはじめる。江戸への参勤交代にもついていった。斉彬は1858年に亡くなってしまうが、西郷はその遺志を継ぐことを決意。

・1864年(36歳

「禁門の変」。薩摩藩を率いて長州藩と戦い、勝利。

・1866年(38歳)

幕府に対する強硬論が強まる。坂本龍馬の仲介で、幕府から朝敵とされていた長州藩と「薩長同盟」」を結ぶ。

・1868年(40歳)

戊辰戦争開戦。
勝海舟と会談し、江戸城無血開城。倒幕に成功。

・1871年(43歳)

岩倉使節団がヨーロッパ諸国へ派遣。留守政府を任される。

・1873年(45歳)

対朝鮮問題をめぐり、「征韓論」を唱えるも大久保利通や木戸孝允と対立。西郷は政府要職を辞職。故郷の鹿児島へ帰る。

・1874年(46歳)

鹿児島県に私学校を設立。

・1876年(48歳)

廃刀令が出される。武士の特権を奪われたとし、私学校生が激怒。

・1877年(49歳)

私学校生が政府と対立。「西南戦争」が勃発。西郷は自刀。

 

西郷隆盛についてあなたが知らない6つの事実!写真嫌いだった!?

1:入水自殺未遂した事がある

幕政改革をしようとした西郷は徳川幕府より厳しい追及を受け、これを恐れた薩摩藩は西郷隆盛の名を西郷三助と改名させて追放しました。移送される途上の1858年11月16日前途を悲観して入水自殺を図りましたが、一命を取り留め薩摩藩は西郷を奄美大島に潜居したそうです。 

2:3人の妻がいた

最初の妻は24歳、妻の須賀が21歳の時でしたが、結婚後、西郷が抜擢され江戸勤務になりました。当時の西郷家は大家族でしたが下級武士の為貧しく、見かねた須賀の実家が介入して2年で離婚。2番目の妻愛加那23歳とは西郷が31歳の時、奄美大島に流され潜居している時に結婚。薩摩藩の島津制度により奄美大島を離れる時妻子を連れ帰る事ならず。3番目の妻、糸21歳、西郷37歳の時、糸は大家族の西郷家を守り3人の子供に恵まれました。

3:ダイエットに挑戦していた事がある

鹿児島が養豚の盛んな土地であったこともあり、西郷は脂身の付いた豚肉と、甘い物も好物でした。1873年頃は肥満を治そうとしてドイツ人医師に治療を受けたり、趣味の狩猟でも野山を駆けるなど、自主的なダイエットに励みました。  

4:2度流刑にあっている

1度目は奄美大島に潜居させられた時、2度目は寺田屋騒動後その責任を取らされ徳之島へ遠島になり、更に沖永良部島に遠島された時です。いずれの場合も西郷の人望から助け援助する人がいて再起しています。  

5:写真を1枚も残さなかった!

西郷の顔を撮影した写真は一枚も見つかっていません。現存して巷に残っているのは、肖像画と銅像だけですが、これが本当の西郷の顔か否かは定かではないようです。西郷の肖像画は多々ありますが、一番有名な肖像画は、顔の上半分は弟の西郷従道、下半分は従弟の大山巌の顔をモデルにしたと言われています。明治天皇が西郷に肖像写真を提出するように求めましたが、写真撮影が嫌で提出されなかった説もあります。

6:西郷隆盛の愛犬ツンは雄?雌? 

西郷は犬が好きで多頭飼いしており、そのなかでもお気に入りだったのがツンだと言われており、雌犬でした。西南戦争の時も数頭の愛犬をつれて戦場に行きましたが、西郷が自害する前に全ての愛犬の首輪を外して逃がした逸話もあります。 

英雄の足跡からみる明治維新史

本書は時代小説家・池波正太郎が描いた西郷の伝記的小説。幕末から維新、西南戦争での最期まで、動乱の幕末を、彼の目をとおして見ていきます。

維新の三傑のひとりである西郷隆盛は人情味に溢れた政治家として描かれ、片や三傑のひとりで同じ薩摩藩重臣の大久保利通は少し冷たくも見える合理的な政治家として描かれています。いずれが良い悪いではなく、双方が理想の政治家像として比較される構図は現在の政治家を考えると興味深い考察です。
 

著者
池波 正太郎
出版日
2006-03-25

「『西郷な、情操のはげしい、豊潤な男だけに。十六、七のころにまなんだものの中でも、禅がもっとも強く、あの巨きな躰の中にしみこんどるんだ』子どものときから兄弟のように手をつなぎ合って成長した西郷と大久保である。大久保にしてみれば余人には悟り得ぬ場処で西郷隆盛を凝視していたのであろうか」(『西郷隆盛』より引用)

明治維新後、袂を分かつことになりますが、幼少から国を憂い、政治家として切磋琢磨していく2人の数奇な運命と押し寄せる時代の波。彼らの生き方や、歩んだ道に引き込まれる作品です。西郷の生涯を知る作品として一気に読める名作だといえるでしょう。

名言から読む西郷隆盛

本書は西郷が旧庄内藩士らに語り説いた名言をまとめ、その人物像に迫る山田済斎による本です。また、彼が愛読していた「言志四録」は佐久間象山らを輩出した佐藤一斎の教えで、その中から西郷が選んだものをまとめた南州手抄言志録も記載。さまざまなエピソードも交えその偉大な人物の実像に迫ります。

文章は当時の言葉で書かれ、また西郷の言葉は薩摩訛りのまま書かれています。その独特の言い回しに西郷の人柄が滲み出ている文脈です。
 

著者
出版日

「『先生煙草が無かことなりもしたから、少し給はんか』と懇請しければ、翁は、『さうや、そいなら、善か品を呈げんなら』と言いつゝ、やをら身を起して、背ろの袋戸棚より上等刻煙草を取り出し、封を切り、大部分を鷲掴みにして与えける。」(『西郷南洲遺訓―附・手抄言志録及遺文』102Pより引用)

部下に対して上等な煙草をいとも簡単に分け与える姿に、無欲で大きな懐の人物像が浮かび上がります。

本書に書かれた古文を読み解くことで、西郷隆盛という人間の器の大きさや、上に立つ者の姿勢を学び取ることができます。リーダー論としても第一級の資料でもある本作品は、手元に置いて何度も読み返す人生の指針にもなり得る作品です。
 

西郷隆盛の言葉から人生の教訓を得る

本書は、西郷の遺訓をまとめた西郷南洲翁遺訓を現代語に書き換えた本です。人生の教訓やビジネスマンの上司としてのあり方などを学べる作品です。

西郷の死後、旧庄内藩士が生前聞いた言葉などを、彼を師と慕う有志がまとめたものが「西郷南洲翁遺訓」です。原作は明治23年になりますので、古文で書かれていたものを現代風に書き換えています。世紀の偉人、西郷の言葉が現代に蘇り、人生の教訓が学べる本です。
 

著者
長尾 剛
出版日
2005-12-02

「お国の政治の真ん中に立って仕事をするというのは、これは『人の仕事』ではありません。『天の仕事』です。」(『話し言葉で読める「西郷南洲翁遺訓」 無事は有事のごとく、有事は無事のごとく』より引用)

西郷が考える政治家、リーダー像は現代にこそ必要な哲学だと思います。

本書は、上に立つ者の心構え、政治とカネの問題、人生の道標、日々暮らしの心得といった群に分けた構成で、ビジネス論、リーダー論に留まらず、人の生き方を綴っています。西郷のような無欲、公正な生き方をするのは難しいことですが、心に留めているか否かは、これからの人生を変えることに繋がるかもしれません。彼の言葉から座右の銘を探すのも面白い読み方、本との向き合い方だと思います。
 

偉人が生きた時代を綴るノンフィクション

本書は幕末の偉人で永遠のヒーロー西郷隆盛の生涯をたどったノンフィクション作品です。

タイトルの命もいらず名もいらずは西郷が江戸城無血開城を成し遂げた際に、幕府側の勝海舟、山岡鉄舟に語ったとされる言葉で、西郷の遺訓としても有名な言葉です。その無欲無私の精神は現代でも数多くの政治家や松下幸之助などの経営者が引用している教訓です。

坂本龍馬、木戸孝允、高杉晋作、大久保利通、板垣退助、勝海舟、山岡鉄舟など幕末から明治にかけて影響力のあった登場人物も魅力的に書かれていて、西郷との関係のみならず明治維新への系譜の資料としても読み込める作品です。
 

著者
北 康利
出版日
2013-05-28

西郷隆盛は本名ではなく、明治維新後の戸籍登録の際に、従者が父親の名前と間違って申請したエピソードなど、西郷の細かいところを気にしないおおらかな性格が垣間見られます。実は弟の従道も申請時に役人が聞き間違えて登録していて、おおらかさは家系なのかと、ほのぼのとさせてくれます。そんな人間味あふれるところも西郷の魅力なのでしょう。

著書や自画像さえも残さず、遺訓や伝説に溢れ、謎に包まれた彼を知る資料として、読んでおくべき本と言えます。
 

西郷隆盛と西南戦争

本書は西郷が西南戦争へ突き進んだ経緯を、様々な史料から解説し、その政治的解釈をまとめた本です。

幕末の唯一無二の存在であり、明治維新の立役者だった西郷は、自らが作った明治政府に反旗を翻し、国内最後の内戦とされる西南戦争へと突き進んでいきます。そこにはどんな考えがあり、何が彼を動かしたのか。著者は長年の幕末史の研究から、その結論を論じます。
 

著者
猪飼隆明
出版日
1992-06-19

無欲無私の漢とされる西郷が望んだ未来は、天皇を中心にした民主主義国家の樹立だと筆者の猪飼隆明は言います。当時討幕の雄藩を中心として一部のものによる占有的な政府が独裁政治を行っていました。

この政府が唱える征韓論(武力で朝鮮半島を支配する)に真っ向から反対したのが西郷でした。どんな立場や地位であっても常に慈愛精神からくる発言、行動をする彼は、少なからず欲を持つ人間からは理解できない傑物だったようです。

 

明治政府に反論し職を辞した後、鹿児島で不平士族を集つめ教育や開墾による政策を進めますが、遂には士族たちの明治政府への反感が爆発し西南戦争が開戦します。西郷隆盛は自ら望んだ開戦ではなくても、その長として責任を全うし、敗戦後、自刀して果てることになります。

天皇の忠君としての自分が、その天皇の逆賊として討たれることは、西郷にとっては無念だったと思いますが、その自己主張よりも責任を負うことを選んだ西郷の最後は、今の時代でも通じるリーダーとしての責任の取り方だと思います。責任ある地位にある人には読んでほしい一冊です。

 

 

西郷隆盛は西南戦争で逆賊の汚名をきされながら、以後も大衆に絶大な人気のあった人物です。現在に至るまでの、その遺訓や生き方は多くの政治家や経営者が手本としています。西郷の魅力を読み解くことでリーダーとしての心構えを学ぶことができます。

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