北条氏康にまつわる8つの逸話!北条家が誇る不敗の名将に迫る本も紹介

更新:2021.12.17

北条氏康は、武田、上杉などと戦い、勇敢で政治力にも優れていた武将です。関東を治めた北条氏の興亡、氏康の戦いぶり、民衆に慕われた政治の様子がよくわかる本を4冊集めましたので、ぜひご覧ください。

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優れた統治を行った相模の獅子、北条氏康

北条氏康は、1515年北条氏綱の嫡男として生まれました。北条氏初代北条早雲の孫にあたります。1530年小沢原の戦いで初陣、勝利し、その後も戦功をあげました。そして1541年に家督を継ぎ、北条氏第3代当主となります。

1545年山内上杉家が今川義元や近隣諸国と連合し、8万の大軍で北条家を攻めてきます。氏康は義弟の北条綱成とともに、この大軍に8千の兵で夜襲をかけて勝利しました。これを河越夜戦、河越城の戦いと呼び、勝利した北条家は、関東での主導権を得ることになったのです。

1554年武田と今川とは甲相駿三国同盟を結び、関東へ侵攻してきた上杉謙信と戦い続けることとなります。1559年には嫡子の北条氏政へ家督を譲り隠居しますが、小田原城に残って実権を握り続けました。謙信と一進一退の戦いを続ける中、少しずつ名実ともに息子に政権・軍事権を任せていきます。

1560年に桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれたことをきっかけに、三国同盟が崩れ、武田信玄が駿河へ侵攻してきます。そこで氏康は謙信と同盟を結び、信玄と戦うため駿河に出兵しました。この時氏康は実子の三郎(後の上杉景虎)を人質として上杉家へ送っています。しかし上杉との同盟はなかなかうまくいかず、後に破棄されました。

1570年ごろから病を患い、1571年小田原城にて死去。享年57歳でした。「相模の獅子」と言われるほど勇猛でしたが、政治能力にも長けており、徹底した検地を行っています。通貨を統一したり、虎の印判を作ったりと、効率よく行政を進めました。民衆から慕われた、優れた武将といえます。

北条氏康について、あなたの知らない8つの真実!

1:堅実家・北条氏康の名言

義や民を大切にすること、身分に胡座をかかず、また必要以上に謙遜しないこと、倹約に勤めることなどを書き記した「北条家5ヶ条」を、4代目当主北条氏政に伝える際「義を守って滅亡するのと、義を捨ててまで生き延びるのとでは雲泥の差もある」という格言を残したと言われています。

2:「酒を飲むなら朝にしろ」と勧めた

氏康は家臣に教訓として、酒を飲むなら「朝に飲むように」と言いました。 朝酒を飲むと1日の始まりから勢いが付くと考え、また多くても3杯までとします。夜に飲めば深酒し体調を崩しやすく、また失敗に繋がりやすい事から「酒は朝飲み大酒ではなく3杯まで」と家訓を残しています。

この事から見えてくるのは氏康自身の「酒による失敗談」です。酒が原因で夜襲を掛けられた話しがあり、また酒が原因となる家中騒動を懸念していました。それにより「酒」が原因で失敗したものには厳しい処置がくだされ、ある者は俸禄や北条家がみずから処罰すると逸話もあります。

3:「向こう傷」に自身の名前がついた武将

氏康の顔には「氏康の向こう傷」と称される2ヶ所の向こう傷があったとされています。 向こう傷は、勇猛果敢に戦い、真っ向から勝負し敵に一度も背中を見せた事が無い証拠です。逆に解釈すれば、正面突撃をされても挟撃はされていない猛将の他に策士の一面を垣間みる事が出来ます。

4:ピンチをチャンスに変える男

北条家三代目当主として家督を次いだ氏康の周りは敵ばかり、四面楚歌の状態です。主に敵対関係は駿河侵攻の際、今川家から領地を奪って怒らせますが、今川家の重臣で太原雪斎の仲介で、氏康の娘・早川殿を今川義元嫡男の今川氏真に嫁がせ、北条氏康の嫡男の氏綱に武田信玄の娘を正室に迎える事で1537年、甲・相・駿の三国同盟が締結されます。

5:大阪城に並ぶ城塞・小田原城

築城・改築の末に城塞までに拡張された小田原城。本丸まで到達するのには直線距離で3km〜4kmとされており、大阪城に肩を並べるほどの城塞でした。城周辺には武家屋敷や田畑があり、城郭都市とまではいきませんが、城塞都市だったため籠城戦になれば強固な城塞へと変貌します。

6:戦国の軍神をも破る籠城

領土拡大を繰り返す北条氏康に対して時の関東管領・上杉憲政は、越後・長尾景虎に助けを求めます。関東管領の威厳を取り戻すべく北条氏康を討伐するため、1560年出陣し約8000人の兵士を連れて小田原城を包囲しました。

北条に敵対する勢力は次々と呼応し、翌年1561年には約9万人前後までふくれあがりましたが、次第に撤退する陣営も出てきます。主な理由は「永禄の飢饉」で、兵糧が底を尽き無断で一部陣を引き払った勢力もありました。

7:小田原衆所領役帳の作成

当時、お金の概念や家臣の知行(給料)はいくら?税収はどのくらい?田畑の面積に対して穀物の穫れ高はいくら?などの情報が一目でわかるような帳簿の作成をしており、武器や弾薬なのどの在庫調整表や人事表など、小田原の内政事情を把握していたといいます。

8:蹴鞠や和歌が趣味だった

乱世の時代は裏切り、殺戮などが日常茶飯事に行われていました。その中で、和歌などの趣味をもっていた氏康は、「詠十五首和歌」などを詠みました。

北条5代のすべてが分かる!

北条早雲から始まる後北条5代の外交や軍事戦略を描き出す『戦国北条記』は、戦国時代の関東情勢がよく分かる歴史ドキュメントです。この時代の関東は、北条の他に上杉四家、今川、武田、里見といった勢力があり、小競り合いが続いていました。何となく分かりにくいと思っている人も多いことでしょう。京を中心とした戦国時代に比べれば、なかなかスポットの当たらない関東についての疑問をすっきりと解消してくれる本です。
著者
伊東 潤
出版日
2016-11-09
北条家は民のための政治を行っていたことが分かっています。戦国の世で、そのような理想を持って実行するということは素晴らしいことです。そして甲斐の武田や越後の上杉と戦い、退けるような武力も持っていた北条。本書からは、何事にもパーフェクトであった北条家の姿が浮かび上がります。

国を守り続けていくには、外交と軍事能力に長けていなければなりません。本作品はその2点に注目して北条家を語っているので、他のことに意識がそれず面白いと感じることでしょう。地図や系図も多く、関東の勢力図が目で理解できます。特に早雲が制圧した時代の関東は、ごちゃごちゃしていてなかなか概略が掴みにくいのですが、そこも分かりやすく読み取れます。

定説と著者の意見とが書かれているのも、研究本として読みやすい形態となっています。どのように北条家が栄え、そしてなぜ豊臣に滅ぼされることになったのか。北条家について知りたい人に最初の1冊としておすすめの本です。

龍と虎が出会い、絆を深める姿に感動

『北條龍虎伝』は、北条氏康と綱成の出会いから、二人が絆を深めていく様子を感動的に描く歴史小説です。祖父の早雲から父・氏綱、そして自分へと引き継がれた領土を守る氏康。氏綱のもとに引き取られた福島正成の遺児、綱成。それぞれの戦いを続けながら成長していきます。花倉の乱、三国同盟、河東の乱などを経て、河越野戦でのクライマックスで物語は終了となるのでした。
著者
海道 龍一朗
出版日
2013-09-13
北条氏康が関東の覇者としての地位を確立したのは河越夜戦での勝利に寄ります。そして、その勝利には綱成の存在が大きく関係していました。8万の大軍を迎え撃つ綱成は3千。氏康はどんな思いで救いに向かったのでしょうか。二人が築いてきた歴史を思い、胸が熱くなります。氷龍と呼ばれた氏康と焔虎と呼ばれた綱成。龍虎が共に戦うシーンは、結果を知っていてもドキドキハラハラしてしまうことでしょう。

情景描写も人物描写も上手いので、本の中に入り込んでしまうほどはまって読んでしまいます。そして心揺り動かされ、感動で胸がいっぱいになるのです。氏綱と氏康の親子関係、氏康と綱成の友情、どれもがドラマチック。偉大な祖父と父を持つことで葛藤しつつも成長する氏康を応援したくなること間違いありません。青春小説としても面白く読めるはずです。

北条家興亡から関東情勢を知る

北条早雲がなぜ、どのように関東に入り制圧していったのか、またその後北条家の関東支配の様子から滅亡までが書かれた『戦国・北条一族』。鎌倉公方や関東菅領といった中世の支配がまだ残っていた関東の情勢が、分かりやすく述べられています。北条家は結局周りからは、よそ者と思われていたことや、利根川などの地形が大きく支配に影響していたことも面白く読み取れることでしょう。北条5代それぞれの時代をバランスよくまとめてあるので、とても勉強になる本です。
著者
相川 司
出版日
2009-11-20
北条氏康の凄さが、この本からはしっかりと伝わってきます。特に注目すべきはやはり河越夜戦でしょう。綱成という勇敢、勇猛な人物を有していたことは氏康にとって大きな財産でした。綱成は8万の敵に対して、3千の軍で7か月も籠城するのです。そして氏康と綱成はともに夜戦へ打って出て、勝利を得ます。家臣を大切にする氏康軍は、兵の士気も高く負け知らずでした。

本書は、北条家に興味がある人だけではなく、この時代の関東はよく分からないと思っている人にもおすすめです。北条早雲は室町幕府に関係する人物で、伊豆の堀越公方家の内紛を抑えるように申し付けられて関東に進出してきます。関東に関係のない者が関東制圧をしようとするのですから大変です。このあたりのどのように制圧をしていったかということが詳細に書かれているので、よく分からないともやもやしていた部分がすっきりと理解できることでしょう。

笑って学べる4コマ漫画

北条家は、早雲から氏直までの100年の間、一度も内乱がありませんでした。お家争いが多いこの時代には珍しいことです。また、善政をしいて民からも慕われています。しかし、結局負け組となってしまったために、なかなか戦国時代でピックアップされることはありません。『北条太平記』は、そんな北条家の当主や一族にスポットを当て、面白く人物像を描いている4コマ漫画です。
著者
["みかめ ゆきよみ", "西股 総生"]
出版日
2016-12-17
北条家の人々はみんな個性派揃い。本書では、個性的というには飛び抜けすぎているその性格を紹介しています。北条好きの人ならば、そうそうと頷くページも多いでしょうし、北条についてあまり知らない人ならば、へえ、そんな人がいたんだと楽しく驚きながら読むことができるはずです。氏康は背中に傷がないことを自慢していたそうです。

章のタイトルを見るだけでもその魅力が分かることでしょう。例えば、第1章は新九郎のてへぺろ国盗り物語、2章氏綱の話せば長ーい国つくり、3章氏康の関東ヤンキー三国志という具合です。名前に「氏」が付く人ばかりで区別しにくいメンバーの特徴を捉えながら、きちんと史実に沿って話が進んでいきます。

途中途中に解説が加えられており、漫画からだけではない情報も得ることができます。監修は大河ドラマ「真田丸」の軍事考証を行った西股総生氏。関東情勢について分かりやすく述べられていて、すんなりと身に入ってきます。北条家の魅力溢れる1冊です。

いかがでしたか?北条家の歴史は知れば知るほど面白く、興味深い人物も多いですよね。その中でも氏康は武力にも政治力にも優れていたのです。ぜひ関東の戦国時代について、知識を増やしてみてください。

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