私の可能性を拡張するノンフィクション――暴力・貧困・障がい

私の可能性を拡張するノンフィクション――暴力・貧困・障がい

フランス哲学を専門としていたはずだったのだが、次第に文献をどれだけ深く掘り下げたとしても、そこにはリアルな世界がないことに違和感を感じるようになった。

私が自閉症の子どもたちと毎週交流することになったのは2003年だったが、とくに2010年から看護師のフィールドワークをするようになったことで病や障がいが身近なものになりものの見方も大きく変化した。

あたりまえのことだが誰もが死ぬ。

そして私たちの生死は社会のさまざまな文脈の中でその意味を決定される。

2014年からは虐待当事者の母親のグループワークにも関わるようになり、今度は貧困と暴力が身近なものになってきた。

世界中で戦争が行われているわけであり貧困や暴力に苦しむ人は数え切れないほど多いわけだが、日本においてもそれは例外ではない。私自身が陥るかもしれない近所に暴力も貧困もある。

書物はそのような世界のリアルさを深く感じさせる装置でもあり、同時に一見救いの見えない状況に置かれていたとしても人間がポジティブな力を持つことも教えてくれることを、フィールドワークを経験したことで発見しなおすことになった。

風俗で働く沖縄の少女たち

上間陽子の『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版, 2017)は、沖縄の性風俗で働く若い女性たちに寄り添った記録である。

貧困そして親やパートナーからの「病院送りされるレベルでの」(p. 78)暴力が遍在する社会において、かなりの数の10代の女性たちが性風俗を足場にして生き延びていく。レイプそして、出産や人工妊娠中絶、ある人は子どもを捨てる経験をし、ある人はシングルマザーとして水商売で自立していく道を選び、風俗から足を洗って看護師になる女性も登場する。誰かがつながってくれていたときに女性たちは生き延びることができる。

キャバクラの同僚である友人美羽に、DVのSOSを翼が求める場面を引いてみる。

美羽に「ごめん、(悠を)保育園送ってほしい」って(電話をかけたら)、「なんでか?」って。……美羽は気づいてるから。「おまえ、くるされた(=ひどくなぐられること)のか?」って。〔…〕まず、顔、見に来て、見たときに「はっ?」みたいな。「ひどくないか、ちょっとやり過ぎじゃないか?」って。
〔…〕翼の受けた傷は全治一か月の重傷で、マスクをしても顔の傷を隠すことができないものだった。美羽はそれから毎日、外に出られなくなった翼の代わりに、朝になると悠を保育園まで連れて行き、夕方になると夕食の買い物をして保育園に悠を無明けに行き、翼と一緒にご飯を食べる生活を一か月続ける。(p. 83)
著者
上間陽子
出版日
2017-02-01
ときには上間自身が少女の出産に立ち会うために夜中の高速を飛ばして分娩台に駆け付ける。

何世代も続く貧困と暴力が描かれるなかで本書が陰鬱な印象を残さない理由は、誰かが手を差し伸べること、そして著者が逃げずに少女たちと向き合い続けること、そして少女たちに驚くべき生命力があることであろう。

釜ヶ崎の日雇い労働者

貧困と暴力は特殊な地方都市で起きる自分とは関係のない出来事などではない。

貧困が大きく問題になる大阪市西成区で、MY TREEという虐待にかかわった母親たちの回復プログラムに参加するようになって、「貧困と暴力がどこにもあるものであり、多くの大都市では見えにくくなっているだけだ」ということを私自身も実感した。

生田武志の『釜ヶ崎から 貧困と野宿の日本』(ちくま文庫、2016)は、西成区の釜ヶ崎(あいりん地区)で学生時代から日雇い労働者を経験し、野宿者支援をしながら労働と貧困の問題を考察し続けた著者によるフィールドワークの記録である。
著者
生田 武志
出版日
2016-01-07
日雇い労働者までも自ら経験している研究者は少ないであろう。

西成に暮らす日雇い労働者や野宿者の貧困が、本人の「怠惰」に由来するものではなく経済状況や社会制度のなかでちょっとしたはずみでうみだされていく仕組みが丁寧に描かれている。

そこには労働者を雇用する側の論理、(保険証を持たない「行路」の人を診察する)医療システム、消費者金融、(福祉や職安といった)行政などさまざまなアクターが複雑に絡み合う中で貧困が(すぐ近所で、そして私もあなたもひょっとしたはずみで陥るかもしれない簡単な仕組みで)生産されていくのである。

目が見えず耳が聞こえず

3冊目は少し視点を変えてみたい。

自閉症の子どもたちと交流してから障がいを持って生きる人たちの世界が、生活を制限し差別をはじめとしたさまざまな困難を生み出すだけでなく、常に私の知らない可能性を開くことに驚かされてきた。

障がいは同時に人間がもつさまざまな隠された力を現実化する。

生井久美子の『ゆびさきの宇宙 福島智・盲ろうを生きて』(岩波現代文庫、2015)を取り上げてみよう。

本書は9歳で全盲になり18歳で両耳が聞こえなくなり盲ろうとなったのちに大学を卒業して、現在は東京大学教授である福島智に綿密な取材を重ねた記録である。
著者
生井 久美子
出版日
2015-02-18
両眼を摘出した闇の世界で完全な無音を生きる福島は、しかし指で手に点字を打つ指点字によって点字通訳者を介して周囲の人とコミュニケーションを取り大学では講義をしゼミを指導する。

指点字によるコミュニケーションを母親とともに創り出していく過程も驚くべきものであり、指点字通訳者との間で生み出される濃密な関係は声と視覚の人間関係では生まれないものであろう。

「生きること自体が、この世に生を受けた人間として、もっとも重要な仕事だと思います。」(p. 221)、「『生きること』ができていれば、『人生というテストでもう九〇点』」(p. 279)という言葉は、福島が経験してきた困難そして病や自殺で命を失ってきた彼の友人たちを思うときに際立った重さを持つであろう。
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