最上義光の意外な逸話6つ!「鮭様」と呼ばれていた⁉おすすめの本もご紹介

更新:2021.12.18

最上義光は山形藩の初代藩主ですが、なかなか現代までその業績や人となりは伝わっていません。テレビなどの影響で狡猾な人物だと思っている人もいらっしゃるかもしれません。今回はそんな義光について、実像が分かる本をご紹介します。

ブックカルテ リンク

山形藩を一代で築いた、最上義光とは

最上義光は1546年、山形城主・最上義守の嫡男として誕生。1570年頃から父・義守との仲が悪くなってきていましたが、一旦和解し家督を譲られ、義光は第11代当主となります。1574年に再び関係が悪化し、義守救援のため伊達輝宗が出兵してきたものの、義光はそれを退け、伊達氏から完全に独立することに成功しました。

まだまだ家臣さえも従わない者がおり、国の統治も全くできていない状態の義光。家中法度を整備したり、最上氏の権威回復のために戦を行ったりしながら立場を確立していきました。1588年、妹・義姫の子である伊達政宗が、義兄の大崎義隆を攻撃した際には、義隆に付き政宗を破っています。その後豊臣秀吉に羽州探題に任命されました。

秀吉政権の元では、1590年に小田原征伐に参戦し、24万石の安堵を受けました。そして秀吉に従い戦に参加していきます。しかし1595年に秀次に謀反の疑いがかけられた際、義光も嫌疑をかけられ、義光は秀吉から家康へと心が傾いていくことになったのです。

1600年、家康が上杉に対して行った会津征伐が始まります。義光ら奥羽の将軍たちも家康につき、米沢城を攻めるために最上領内に集まりました。しかし会津へ向かっていた家康は、上方で挙兵した石田三成に対するため引き返します。奥羽の諸将もまた自分の領土へ引き上げ、義光は上杉と講和しようとしたものの上手くいかず、最上家単独で上杉と戦うことになりました。

上杉2万余の兵に対して、義光3000余という戦い。結局関ヶ原の戦いで石田三成が敗れたことをきっかけに、上杉軍は撤退します。その結果論功行賞で、家康から山形県全土と由利郡57万石の領有を認められ、出羽山形藩の初代藩主となりました。

江戸幕府になってからは、義光は領内で善政を尽くし、領内を復興させました。商人から年貢を免除したり、用水を整備したり、港を活用して流通を盛んにしたりと、藩財政を潤わせます。その後1611年頃から病がちになり、1614年69歳にて亡くなりました。幼い頃より体格が良く戦上手でしたが、調略による敵の切り崩しも得意としていました。文化人としても優秀で248句も連歌を残しています。

最上義光の意外な逸話6選!鮭、兜、家臣にまつわるエピソード

1:幼少期の名前は「白寿丸」だった

戦国時代の元服は15歳で成人で、彼はこの時まで「白寿丸」という名前で過ごしていました。ちなみに義光の「義」とは、時の将軍・足利義輝の「義」の字から与えられたものです。

2: 最上義光の兜は、織田信長から譲られたものだった

義光が愛用した兜は「三十八間金覆輪筋兜(さんじゅうはちけんきんぷくりんすじかぶと)」というもので、織田信長から授かったものです。慶長出羽合戦(1600年)の際、直江兼続軍により鉄砲で頭を狙われましたが、この兜のおかげで命が助かりました。

3: 怪力の持ち主だった

最上義光は家臣と力比べをした際、1人で約50貫目(約190kg)の石を持ち上げたそうです。この石は「義光公の力石」と呼ばれ、現在も山形市内に残っています。

4:常に最前線で戦った

当主でありながら数々の戦で戦陣を切って戦ったという記録が残されています。彼が敵陣に単騎突撃をかけ、見事首を取って自陣に返ると、参謀は涙ながらに「御大将がするべき振る舞いではない」と指摘したそうです。

5:「鮭様」というあだ名で親しまれた

義光は「鮭様」などと呼ばれてしまうほど鮭が大好きでした。大宝寺氏との戦いに勝って庄内地方を手に入れた時も、鮭がたくさん獲れるとのことで大変喜んだそうです。贈り物やお土産としてもいろんな相手に鮭を送っています。実際、鮭は戦国時代では高級魚でした。

6:無駄な血を流さないために、悪役を買って出た

戦国時代では、騙す・裏切るなどの行為は特に珍しいことではありませんでした。またトップの人間だけを手にかける事で、他に無駄な血が流れることを避ける武将もいたといいます。義光もその武将の1人でした。

彼は敵対関係にあった谷地城主の白鳥十郎に、自分が危篤状態だという嘘の知らせを流し、引き連れて来た家臣たちは庭で待たせ、1人で部屋にきた十郎を殺しています。一見卑怯なエピソードですが、この事件で亡くなったのは十郎のみで、その後十郎の家臣たちは義光の下でそれなりの高位につけらました。

予約で初版売り切れ。最上義光の実像が分かる本

まずおすすめしたいのは人物叢書の『最上義光』です。義光はテレビの影響もあり、ずる賢い、策謀家といった悪いイメージがありました。本書では、そういったイメージから抜け出し、史実を丁寧に追いながら生涯をまとめています。最上家が改易した後には、義光を英雄視しているものもありますが、そちらも極力排除し事実のみを書き出しています。義光について知りたければ、まずこの1冊と言える作品です。

著者
伊藤 清郎
出版日
2016-03-11

義光について悪い印象しかなかった人も、素晴らしい人物だと信じていた人も、本書からは義光の実像が見えてくることでしょう。義光が亡くなってから割とすぐに改易されてしまったので、最上家の史料は少なくなっています。そんな中から細かく史料を検討し、義光の領国支配の様子や合戦について述べてあることから、義光の生涯が手に取るように分かるのです。

他の本ではあまり知ることができない、最上家の修験道の話も書かれており、義光は信仰心も厚かったことに気付きます。最上家の改易後に、家臣たちがどこに仕官したかという一覧や、伝説化された義光とはどんなものだったのかなど見どころが盛りだくさん。地図や年表、写真も充実しており、この1冊があれば最上義光だけではなく、戦国時代の東北地方の様子や地方政治の在り方をも知ることができます。

最上義光の活躍を知り、イメージ一新

悪役としての最上義光を否定し、正しい義光像を作り上げた『家康に天下を獲らせた男 最上義光』。数少ない一次資料や軍記物を検証して、義光の実像に迫ります。

「最上義光を見なければ、東北大名の動きは理解できない」(『家康に天下を獲らせた男 最上義光』より引用)

と著者が言うとおり、上杉景勝や伊達政宗の動きも義光との関係から語られなければ気付けないことがあるということが、はっきりと分かることでしょう。

著者
松尾 剛次
出版日

最上氏の歴史から義光の生涯に渡って詳しく論述されている中で、義光は名門意識が高く、羽州探題にこだわっていたことが読み取れます。また文化人としても活動も多く書かれており、義光を多面的に知ることができるでしょう。

しかし、なかなか家族には恵まれません。家督を巡る争いがいつも起こってしまいます。善政を敷き、領民には慕われていたにもかかわらず、なぜ家族とは上手くいかないのかと不思議に思うほどです。義光が一代で築き上げた山形藩。結局義光が亡くなった後、10年もたたずに改易され領も没収、大名ではなくなってしまうことにやりきれなさを感じてしまいます。義光の評価を見直すことができる作品です。

旧家臣が書いた軍記物

最上義光の一代記である『最上義光物語』は、「最上物語」「最上記」とも言われるもので、1634年に原本が書かれたと考えられています。最上家の旧家臣が、武蔵国葛西でまとめたものです。読みやすく現代語訳されていますので、ぜひ1度読んでみてください。

著者
出版日

義光がどのように領土を広げ、どんな人物だったのかということが鮮明に読み取れます。軍記物なので誇張された部分もあるかもしれませんが、本作品で描かれるのは、智仁勇の三徳を兼ね備えており、近隣のものは皆従ったという義光。英雄視されていた様子が見えてきて、こんな義光もいたのだと面白く読むことができます。

本書では慶長出羽合戦についても詳しく、少ない人数で上杉に立ち向かった様子が劇的に描かれています。後半部分には、上杉側の資料「最上合戦記」も記載。これは長谷堂合戦を扱ったものですので、上杉側から見た合戦はどのようなものだったかも分かり、両面から見た戦の様子にひきつけられることでしょう。

家族、領民思いだった、明るい人情家の最上義光

『北天に楽土あり:最上義光伝』で描かれる義光は、明るく健全な人物です。そこには狡猾で裏切りを繰り返し、陰謀を企むといった姿はありません。戦よりも詩歌の方が好きにもかかわらず、領民のためには手を汚すこともいとわない義光。強豪相手に戦を続け、領土を広げていきます。そんな魅力的な義光の生涯を読むことができる1冊です。

著者
天野 純希
出版日
2015-10-09

穏やかで優しい性格ながら、伊達や上杉と戦い、戦国時代を生き抜き領土を拡大していった義光はやはり凄いとしか言いようがありません。戦国大名まで上り詰め、善政を敷いて領民に慕われるということは、なかなかできることではないでしょう。

しかし周りの人はどんどん亡くなっていってしまいます。特に義光の娘・駒姫の最後のシーンから始まりますので、その悲しさが本書全体を通して感じられるのです。家族を愛していたにも関わらず諍いが絶えない様子からは、家族に恵まれれば全く違う最上家の未来が待っていたのだと思わずにはいられません。読みごたえたっぷりで、義光の魅力にはまってしまうことでしょう。

いかがでしたか。ほとんど知られていない最上義光について知り、魅力を発見することができたでしょうか。東北の戦国時代についても詳しくなれますので、ぜひ楽しんで読んでみてくださいね。

  • twitter
  • facebook
  • line
  • hatena
もっと見る もっと見る