親鸞を知れるおすすめ本5選。浄土真宗の宗祖となった人物

更新:2021.12.20

親鸞は浄土真宗の宗祖と言われていますが、実は史料が少なく、その人物像や人生についてはあまり知られていません。そんな中でも彼を多面的に知れる本を集めましたので、思想や人となり、生き様をぜひ感じ取ってください。

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浄土真宗の宗祖、親鸞とは

親鸞は1173年、日野有範の長男として京都に生まれました。1181年9歳の時に叔父の日野範綱と共に京都青蓮院に行き、慈円和尚のもとで得度し、「範宴(はんねん)」と名乗っています。その後比叡山で20年間不断念仏の修行に励みました。

しかし比叡山では悟りを得ることはできず、1201年に山を下り、聖徳太子建立の京都・六角堂に100日参籠を行いました。95日目の夢で聖徳太子のお告げを受け、東山の吉水にいた法然を訪ねています。100日間通い続けた後に法然の弟子となり、本願を信じて念仏を続けました。

法然から「綽空」(しゃっくう)の名を貰った彼は、仏教の教えをよく聴聞し、学問を深めていきます。そして法然に認められるようになり、『選択本願念仏集』の書写と、法然の肖像画を書くことを許されました。この頃三善為教の娘、恵信尼(えしんに)と結婚したとされています。しかし妻や子供に関しても諸説あり、はっきりと分かっているわけではありません。

1204年法然の吉永教団は既存の仏教団体から非難されるようになり、1207年後鳥羽上皇により専修念仏が停止されます。法然の門弟の4人が死罪となり、法然と親鸞を含む門弟7人が流罪となりました。これを承元の法難と言います。この時から彼は「愚禿親鸞」(ぐとくしんらん)と名乗るようになり、非僧非俗の生活を始めました。非僧非俗とは、国が決めたような僧侶ではなく、俗人でもないという言葉で彼の語として知られています。

1211年に赦免された後は、1214年から関東へ行き、茨城県の「小島の草庵」「大山の草庵」「稲田の草庵」を起点として布教を続けました。1224年浄土真宗の教えを書いた『教行信証』を著しています。20年ほど関東に滞在して教化を行い、60歳過ぎに京都へ戻りました。『浄土和讃』『高僧和讃』『愚禿鈔』などを著し、1263年に入滅しました。

親鸞にまつわる逸話

 

1:19歳のとき、夢の中で聖徳太子から「お前の寿命は、あと10年」と告げられる

彼は、9歳のとき得度(出家)して、比叡山へ入山し修行を始めました。 出家して10年後の1191年、19歳のときに、大阪の磯長にあった聖徳太子廟にて、3日参籠(さんろう)したと伝えられています。参籠(さんろう)とは、寺に一定期間こもって祈願することです。

祈り続けて、2日目の真夜中に、聖徳太子から夢告がありました。 「そなたの命は、あと、10年なる。命終わると同時に、清らかな世界に入るであろう。よく信じなさい、深く信じなさい、真の菩薩を」と。 19歳で「お前の寿命は、あと10年」であると言われたのです。これは大変なショックだったようです。

2:浄土宗から、新たな宗派である浄土真宗を作ったわけではない

 

法然(浄土宗)は、「南無阿弥陀仏」の念仏のみ唱えることで極楽浄土できるとしていました。 親鸞は、念仏から信心を取り出して、信じる心によって極楽浄土できると言いました。 つまり、彼は法然の教えをそのままに、表現を変えただけなのです。 それ故に、彼は浄土宗を発展させて浄土真宗を作ったわけではありません。浄土真宗の名称は、彼の死後に門弟たちがつけたものです。

3:「私に弟子はいない」と言っていた

彼のそばには、弟子のような人達が大勢いたのですが、本人は「私に弟子はいない」と語ってしました。 すべては、仏の救いによるものなのに、「私の弟子だ」とか「師に背き、他人に念仏する者は、浄土へ往けない」などと言うのは、傲慢であると考えていたのです。

4:生前に、死体は鴨川に流せと言っていた

1263年1月16日、90歳に入滅(死去)しました。 本人は生前に「私が死んだならば、この体は鴨川(京都の川)に流して魚の餌にせよ」と遺言していました。 とはいうものの、遺族や門弟たちは実際にそうすることができず、墓を建立したのです。

 

親鸞と、妻や女性にまつわる逸話

1:赤山明神にて、美しい女性から詰問される

26歳のとき、京都から比叡山延暦寺へ帰る途中、赤山明神にて、ある美しい女性から話しかけられました。 「私を深い悩みから救うため、比叡山に連れて行って下さい」と頼まれたのですが、当然女人禁制なので、断りました。

すると女性は、「お釈迦様は、すべての生き物に仏性があると言われているのに、何故女だけはこの山に入れないのですか。それに鳥や獣のメスは山にいるのに、何故人間のメスは入ってはならないのですか」と鋭く反論し、去っていきました。 この出会いと問答が、親鸞が後に妻帯するきっかけの一つになったのです。

2:性欲に苦しんだ青年時代に女犯(戒律を破り女性と肉体関係を持つこと)

磯長での聖徳太子の夢告から、10年が過ぎました。 寿命が終わると予告された29歳のとき、六角堂(紫雲山頂寺)へ参籠します。 祈りの中、観音菩薩(聖徳太子の化身)が現れて、 「そなたがこれまでの因縁によって、たとえ女犯があっても、私(観音菩薩)が玉女という女の姿となって、肉体の交わりを受けよう」と言われました。 女性と肉体関係を持っても良い、つまり妻帯を許可されたのです。

3:師である法然の理論(僧侶の妻帯は可)を実践した

彼の師である法然は、生涯不犯でした。つまり妻帯していません。しかし、浄土宗(法然)の理論としては、僧侶の妻帯を認めていました。 彼はその理論を実践し、妻帯したのです。

また、彼は 師である法然の教え(浄土宗)を絶対的に信じていました。『歎異抄』によれば「法然上人に騙されて、念仏して、地獄に落ちても後悔しない」とまで言い切っていたのです。

 

 

親鸞の名言を『歎異抄』で読む

親鸞はいくつもの名言を残していますが、今回は厳選して『歎異抄』に書かれているものをご紹介します。

「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」

この名言は、「善人でさえ浄土へ生まれかわることができる。ましてや悪人は、なおさらだ」と説いたことから「悪事を働いても極楽浄土へ行ける」と放言したと誤解されがちです。

しかし真意は、自分は悪人だと思っている人ほど罪の自覚があるので、過ちを改めることができるのだ、ということです。

「さるべき業縁の催せば、如何なる振舞もすべし」

「さるべき業縁」とは、「避けることのできない縁」という意味で、「縁があれば、誰でもどんな行為でもしてしまう可能性がある」ということを述べています。

これだけだと想像がつきづらいかもしれませんが、たとえばニュースで酷い事件が流れた時、「これは自分とはまったく関係のない世界のことだ」とどこか他人事のような目で見てしまうことはありませんか。

親鸞は、仮に殺人や、もっと想像のできないほどむごたらしいことでも、どうにもならないきっかけや避けることのできないきっかけがあると、誰しもがそのような行為をしてしまう可能性があると言っています。

人間はそれだけ罪を犯す可能性があるし、どんなことでも他人事ではない、ということです。 
 

親鸞の本当の教えを知って欲しい

『歎異抄』は、親鸞の弟子、唯円がまとめたもので、彼の言葉を簡単な文章で読むことができます。仏教書の中でも良く知られている『歎異抄』。彼の死後、その教えがだんだん彼がいた頃とは異なってきていることを嘆いた唯円が、改めて教えを編纂したのです。難しい内容ですが、この岩波文庫版は、現代語訳とシンプルな解説が付いていて、理解しやすいです。

著者
金子 大栄
出版日

「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」(『歎異抄』より引用)

という悪人正機説で有名な親鸞の言葉も、『歎異抄』に書き記されています。聞いたことはあるけれど、その本当の意味は何かと問われるとなかなか正しく答えられないような言葉の答えが、本書の中にあります。

ただただ必死に念仏すれば阿弥陀様の本願を得られるということが示され、彼が言う「他力本願」についても知ることができるでしょう。難しい言葉が並びますが、一人一人の心に迫るフレーズが必ずあるはずです。これからの人生に活かしていってください。

五木寛之の親鸞講義

五木寛之による講義「人間・親鸞をめぐる雑話」を書き起こした本書。講義なので、分かりやすく簡単な文章で書かれています。宗教者にしては珍しく自分のことを全く書き記していない彼は、謎の部分が多い人物です。そんな彼はどんな人生を送ったのか、どのように思想は形成されたのか、そして人物像などを語っていきます。面白く引き込まれる一冊です。

著者
五木 寛之
出版日
2016-03-17

親鸞について語っていながら、キリスト教と歎異抄の話になったり、蓮如やブッダが登場したりと、講義ならではの面白さが続きます。それが読者を飽きさせません。遠い人である彼を、少し身近に感じられる本と言えるでしょう。実は悩みぬいた生涯を送ったことも分かります。

悪について深く切り込んだ概念を持っていた親鸞。本書でも悪について語られています。人間が元々持っている悪の部分、悪の自覚についてなど、今までになかった考えを彼は見いだしました。豆知識のような話も多いので、タイトル通り初めて彼に触れる人にぴったりです。

晩年の親鸞の思想を知る

本書は、戦後の日本に影響を与えた思想家であった吉本隆明が親鸞について語った本です。宗教、思想の話なので、内容が難しく理解しがたいところも多いかもしれません。しかし何度も読み返すことによってその凄さが分かってくることでしょう。法然と親鸞の違い、彼はどのような考えにたどり着いたのか、その時代背景などに関して著者の意見が語られていきます。

著者
吉本 隆明
出版日

本書では彼が流刑生活の後、生涯行った非僧非俗の精神についても触れられています。自分は「僧」だという思い上がりが、結局は「俗」に結びついていると悟った親鸞。こう考えると僧ではない人が俗人、という図式は成り立ちません。そして彼は「非僧」と「非俗」は並び立つものだとするわけですが、文字にすると分かりにいものです。頭で理解するのではなく感じ取るものが思想なのでしょう。

「知」に関する話、「悪人正機説」についてなど、彼のことを深めていく話が続きます。晩年までは無名でありながら、現代までその思想が息づいている親鸞をもっと知れる本です。

浄土真宗はどのような道を辿ったのか

浄土真宗がどのように発生し、そして分裂していったのかについて詳しく知ることができる『浄土真宗とは何か』。彼が生きていた時代は、呪術も普通に使われていた時代でした。法然は呪術を否定しましたが完全に排除することはできず、親鸞もまた同じです。そして彼の唱えた「他力」も、子孫や弟子に伝わっていくにつれ、徹底されずに「自力」が登場してくることになります。

そういった自力と他力の揺れが、浄土真宗の派閥を作り上げることに繋がりました。難しい宗教用語もなく、分かりやすく浄土真宗について解説されている本です。

著者
小山 聡子
出版日
2017-01-17

本書では彼の思想について、家族の中でも考えが違っていたことを追求しており、面白く読むことができます。妻は死装束をまとっていたり、長男は呪術信仰へ傾いていったりと、親鸞が苦悩する様子が伝わってくることでしょう。

浄土真宗を作り上げた蓮如もまた、現世利益を説くことで信者を集め、親鸞の思いとは違ってきているのです。このように揺らぎつつも現代まで生き残り、多くの信者がいる浄土真宗。ぜひ勉強してみてください。

親鸞のドラマティックな人生を一気読み

本書は、親鸞の半生を壮大に描く全6巻の歴史小説です。悩み、苦悩していく彼は人間味に溢れており、どんどん読み進められます。底辺を生きる人々と出会い、救うためにはどうしたらいいのか……。多くの人々との出会いと共に、その思想は形作られていきます。彼の成長物語に感動することでしょう。

著者
五木 寛之
出版日
2011-10-14

小説であることや、親鸞の生い立ちがはっきりわかっていないことから、フィクション部分が多くあるのは当然で、それが本作品の魅力です。しかし彼の思想に関しては本筋を捉えた内容になっており、要所要所でしっかりと分かりやすく教えてもらえます。物語の中で登場してくるので、理解しやすいでしょう。

また宗教観以上に彼の生き方、人物像を中心としているので、彼の常に迷い続けた人生を身近に感じとれます。迷いの中から生まれた、常に念じる心というものが、親鸞が大切にする根本たるものです。彼のドラマティックな人生に引き込まれ、全6巻の大作ですがあっという間に読了できることでしょう。

親鸞とその思想について少し理解できたでしょうか。宗教の話は難しく理解しにくいですが、さまざまな書籍に触れて考えを深めてもらえると嬉しいです。

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