海外、国際化、グローバル人材……「国際社会」の多様な切り口を考える

海外、国際化、グローバル人材……「国際社会」の多様な切り口を考える

更新:2021.12.1

すでにアジアやヨーロッパに限らず日本の結構マニアックな漫画まで翻訳され、輸入されていることはみなさんご存知かと思いますが、台湾で驚いたことのひとつに、なんとコンビニエンスストアにもボーイズラブ漫画が並んでいる点があります。バンドデシネやアメリカン・コミックなど、海外にも多くの「漫画」に類する文化があり、こうした作品から影響を受けた日本の作家が多いように、日本の漫画もまた海外に大きな影響を及ぼしているのでしょう。

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もうすぐ4月になりますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか? これを書いている現在、私は春休みを使って台湾で研究しています。すでにアジアやヨーロッパに限らず日本の結構マニアックな漫画まで翻訳され、輸入されていることはみなさんご存知かと思いますが、台湾で驚いたことのひとつに、なんとコンビニエンスストアにもボーイズラブ漫画が並んでいる点があります。バンドデシネやアメリカン・コミックなど、海外にも多くの「漫画」に類する文化があり、こうした作品から影響を受けた日本の作家が多いように、日本の漫画もまた海外に大きな影響を及ぼしているのでしょう。

そんなわけで、今回のテーマは「国際社会」です。私たちが気軽に使っている「海外」「グローバル化」「国際的」といった言葉が一体どういった側面から解釈されているのか、漫画を読みながら検討してみましょう。

今も昔も存在する「グローバル化」。であれば、その違いとは

著者
大河原 遁
出版日
2004-01-05
現在、私達の身の周りには「国際化」「グローバル化」といった言葉があふれていますが、私たちは社会がどうなることをもって「グローバル化」したと言えるのでしょうか? 輸入した食材を食べること、海外の映画を見ること、SNSで外国語を使ってコミュニケーションすることは、すべて「グローバル化」の賜物とも言えます。だとしたら、とくに今、殊更騒ぐことでもないのでは……とお思いの方もいらっしゃるでしょう。「グローバル化」の簡単な定義は、ヒト、モノ、お金、情報が国境を超えること、またその量が増加すること、ですから、「いつから」と定めるようなものではないことも確かです。

ナポリに住む織部悠は、どんな無茶な注文でもこなしてしまう凄腕の仕立て屋。基本的には一匹狼ですが、フィレンツェに本部を置く新興のカジュアル服ブランド・ジラソーレ社や、ミラノに本拠地を置く老舗ブランド・ベッツォーリといったグローバル企業と提携し、イタリアの外で仕事をすることも多く、舞台はイギリスやフランス、スイスなど多岐にわたります。これはもちろん、ペッツォーリやジラソーレといった企業が海外に支店を持っており、ハリウッド映画とのタイアップを行ったり、各国のセレブを顧客に抱えているためです。そういった意味では真っ当な「現代のグローバル化」を体現する漫画といえるわけですが、この漫画がグローバルなのは、そのためだけではありません。

この漫画の魅力の一つに、これでもかとばかりに繰り出される紳士服のウンチクがありますが、これを読むと、「グローバル化」が企業の海外進出やそれに伴うビジネスマンの移動といった現代的な現象だけでなく、紳士服が発展した経緯や、職人の技術の伝播といった古典的ともいえる事象にまで及ぶことがわかります。

カジュアル全盛のこの時代における紳士服や、この漫画で度々出現する「エレガンテ」や「粋」といったフレーズは、少し古臭いもののように感じられるかもしれません。しかし、「グローバル化」という現象そのものがどう質的に変化したのかを検討する上で、歴史に注意を払うことはもっとも重要な行動のひとつでしょう。歴史を形成するその時々において、どのような要因が社会を「グローバル化」させたのか、それをじっくり考える上で、『王様の仕立て屋』は非常にいい題材を提供してくれます。

依存から自立へ。その中で得られ、また失われるもの

著者
新井 英樹
出版日
2010-12-15
寒村で老いた父母とともに住み、パチンコ屋に務める42歳の男・岩男は、あるきっかけから何やら怪しい国際結婚の仲介会社をつてに、フィリピン人の少女・アイリーンを娶(めと)ります。保守的な農村を体現する存在である母・ツルにとって、日本語もままならない外国人の「嫁」の出現は受け容れられるものではありません。ツルはアイリーンを陥れ、目の前から消そうとするためにあらゆる謀略を尽くします。

結婚式の当日、「娘をいくらで売ったんだ」と言われたり、交際の経緯を聞かれて「300万積んで嫁にしたっス」と主張するような結婚は、そのままフィリピンと日本の経済格差と搾取という関係を「アイリーン」と「岩男」に投影したかのようです。実際にアイリーンは、言語も分からない日本の寒村で、母屋とは別の小屋に寝泊まりしなくてはならず、差別的な言葉を投げつけられ、命さえ狙われてしまいます。それでもなお岩男の妻として生きなければならない、彼に依存せざるを得ない生活を送っているのです。

結婚仲介業者に登録するフィリピンの女性たちは後を絶たず、会員の申し込みは常に殺到状態。その中で結ばれた岩男とアイリーンは、東洋最大のスラム「スモーキー・マウンテン」でゴミを拾いながら生計を立てる人々を目にします。当たり前ですが、岩男がアイリーンに対して金銭的な援助をしても、こうした人々の生活状況が良くなるわけではありません。途上国の経済発展は先進国の経済に依存しているため、途上国の低開発もまた、彼らを支配する先進国による搾取や収奪に原因がある――途上国と先進国の経済発展をこのように連続して捉えた理論を「従属理論」と呼びますが、「岩男に依存せざるを得ないアイリーン」の姿は、まさにそれを体現しているかのようです。

しかし一方で、実際に新興国が台頭してきたという実態などの点から従属理論は批判を受け、世界を「中心・周辺・半周辺」から分析する世界システム論などにその分析枠組が引き継がれていきます。アイリーンもただ他者に依存するわけではなく、彼女なりに「したたか」に、「だいたい幸せ」に日本で生きていきます。移民や国際結婚、人々の偏見や差別を克明に描いたこの作品は、それだけでも国際社会の問題点が見えてくる良作ですが、少し離れて見てみることでより多くのことに考えを巡らせられます。

制約こそが文化を作り出す

著者
["梶川 卓郎", "西村 ミツル"]
出版日
2011-08-09
フランス料理のシェフ・ケンが戦国時代にタイムスリップし、織田信長の料理人になる――という、設定だけを聞くとどこかにありそうな物語ですが、「食」という日常性の高いトピックがダイナミックな物語のトリガーとなっていて、壮大な物語や歴史物が苦手な方にもおすすめできます。とりわけ、「制約」が上手に効いているため、アイディアの奇抜さや伏線が映えていて、演出面でも際立つ作品です。

ケンは食材をいかにして調達するか、既存の調理道具がない中でいかにして調理するか、食材をいかに保存するかという工夫を通じながら、戦国時代なりのフレンチを実現させます。その中では、戦国時代において食べてはいけない食材は何か、戦の際に食べられて精のつくものは何か――という時代特有の配慮も欠かせません。この作品は単に、「西洋」料理を「東洋」で作る、というだけでなく「現代の」料理を「過去で」作るという、時間と空間、二重の点で異なる文化の受容と伝播を描いているのです。

これと同様の問題は、現代の私達にも十分見られるものです。日本で食べる外国料理と本場で食べる料理の違いに驚いたことのある人は多いと思います。また、ユニークな日本料理、例えばカリフォルニアロールに代表される、日本ではあまり見たことのないような寿司を世界各地で見たことのある人も多いことでしょう。こうした不思議な日本料理は、単に人々の嗜好だけが作り出すのではありません。宗教的な配慮や、その国々の職人制度、輸送技術といった構造的な側面が作り出すものでもあります。文化の受容に内在する環境やテクノロジー、制度といった構造的側面を、一見特殊な舞台設定でうまく見せてくれる作品です。

また、もう一点注目すべきは、ケンの柔軟性でしょう。生き死にがかかっている戦国時代なので、当たり前といえば当たり前ですが、彼は「正統なフランス料理」にこだわることなく、様々な技法、材料を組み合わせながら料理を作り上げます。目の前の人々のニーズに合わせながら出来る限りの最善を尽くし、人が生きるための料理を作るケンは、異文化に適応し、いいところを享受しながら自分なりのアウトプットを出し続ける、最強の「グローバル人材」とも言えるかもしれません。

異質な他者を理解することの難しさ、ともに生きることの意外な簡単さ

著者
冨樫 義博
出版日
2010-09-17
「現在地球には数百種類の異星人が行き交い生活している 気づいていないのは地球人だけなのだ」――こうしたモノローグから始まるこの漫画は、多種多様な宇宙人たちが織り成す事件に巻き込まれる地球人との「異文化交流」をめぐるトラブルによって成り立っていますが、読み手をハラハラさせつつも、全体的に非常に落ち着いたトーンで進んでいきます。狂言回しの役割を果たす主人公・バカ王子がもつ間が抜けた雰囲気のせいか、全体に冷めたムードのキャラクターが多いためでしょうか、すごく感情移入できるようなお話では決してありませんが、彼らの「交流」をどこかから傍観している気分になれます。

「宇宙人」を描いていますが、異質性をもった他者、異文化の中に生きる他者、またそれに対峙した人々のすがたを少しリアルに(そして少しヘンテコに)書くという点では、異文化理解を考える上でも興味深い素材かと思います。例えば、暴力的とされる異星人同士が衝突しないのは、その土地固有の文化(なんと「野球」)があるためだったり、ある人々が持っていると言われている特徴と、実際にその行動を見た印象が全く違っていたり。あるいは、大人よりも子供のほうが、異質性をもつ他者に対する反応が素直で、身構えていなかったりするといったこともあります。

『HUNTER×HUNTER』や『幽☆遊☆白書』といった作品にも強く見られる特徴ですが、この漫画は「悪役」が定められていません。「悪役」として描かれていても、それなりに合理的な目的があり、冷静な目で見ると主人公側が侵略者であったり、倫理的に問題がある行動をしていたりすることも少なくありません(とくに『幽☆遊☆白書』は、初期の設定をひっくり返すような真実が結末近くで分かったため、驚いた人もいたのではないでしょうか)。

『レベルE』は、ある状況の中では「善人」が「悪人」になってもおかしくない、そうした状況をより遠くから描いているように思います。近年、異質な存在への寛容性や理解といった主題は、社会科学の研究を行う上でも注目されています。その中で私たちは、どうしても「こういう文化の中で育った人々だから」「彼らは少数派だから」という見方を捨てられない瞬間があるのではないかと思います。そうした中で、「いい」「悪い」存在を勝手に頭の中で定めないために、自分たちも含めた社会を俯瞰する、その方法のヒントを与えてくれます。

ただ生きているだけで苦労するから、国際移動はおもしろい

著者
ヤマザキ マリ
出版日
2010-07-13
代表作『テルマエ・ロマエ』など、異文化や異なる社会に対する感性が豊かに発揮されているヤマザキマリの作品群。その一方で、北海道の地方都市を舞台にした『ルミとマヤとその周辺』など、ローカルな社会を情感豊かに綴った作品群も魅力的です。おそらく著者自身のキャリアや生い立ちに基づく「ローカル」と「グローバル」を繋ぐ作品が、『涼子さんの言うことには』。母親の命により、14歳の主人公・ルミは夏休みに母親の友人を訪ね歩きながら、ヨーロッパの周遊旅行を行うことになります。もちろん、ホームシックあり、トラブルありで、彼女の旅はなかなかうまくいくものではありません。

この作品は、驚くほど「普通」です。おそらく情報量の詰まった強烈な異文化体験を追体験したい人なら、著者の別作品を読まれたほうがいいでしょう。ただ、旅先で触れ合うドイツやイタリアの人々は、外見こそ違えど、私達とあまり変わらない感性を持った人々として描かれており、ルミの戸惑いや苦労も常識で考えられる範疇のものです。おそらく本作品に出てくる人々を全員日本人として描いたとしても、それほど違和感なく受け取られるでしょう。しかし、この作品は世界のどこにでもいるような人々との、どこにでもあるような心温まる交流を描くことによって、いつもと違う空間と時間を過ごす彼女の「旅」が内在的に有している異質性を際立たせているのではないでしょうか。

この作品が描いているものは、『レベルE』で描かれるような異文化体験の前の段階としての、自己目的化された移動です。どこかに行くこと、誰かに会うことが目的なのではなく、宿泊、公共交通機関を通じた移動、食事、買い物といったひとつひとつが、すでに目的なのです。その中で、ルミは絵葉書ひとつ買うにも苦労し、言葉の通じなさに苦労し、時差ボケで眠り、通信費がかかるため母親とは短時間の電話ですませます。ひとつひとつは淡々としていますが、こうした要素こそが移動を形成しており、確かに彼女の「冒険」を作り上げているのです。特に確固たる目的はないが、移動の過程で得られる経験、そして自分の生活圏の中にいてはできない体験こそが涼子さんがルミにさせたかった「旅」なのではないかと思います。

「国際社会を捉え直す」という観点から見た5冊、いかがだったでしょうか?あえて今回は、具体的な国や地域にフォーカスするのではなく、技術の伝播や観光、対人コミュニケーションなど、国際社会一般に見られる現象をいかにして考えるべきかという観点から漫画を選んでみたつもりです。海外に行かなくても、異言語を学ばなくても、私達が国際的でありえることが分かってもらえればいいなと思って選びました。次回もぜひお楽しみに。

この記事が含まれる特集

  • マンガ社会学

    立命館大学産業社会学部准教授富永京子先生による連載。社会学のさまざまなテーマからマンガを見てみると、どのような読み方ができるのか。知っているマンガも、新しいもののように見えてきます。インタビューも。

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