ありきたりじゃないビートルズの写真集5冊[Part.3]

ありきたりじゃないビートルズの写真集5冊[Part.3]

更新:2021.12.13

ビートルズ時代の代表的な写真集の中から、個人的に引っかかりのあるものを計10冊、2回に分けて紹介してきたが、今回はそのパート3となるソロ編。ビートルズ時代に比べると写真集の数はそれほど多くはないが、4人それぞれにまとめられているので、自ずと私的な色合いの強いものが増えている。そんな中で、70代半ばになった現在もまだライヴ活動を続けているポール・マッカートニーやリンゴ・スターよりも、40歳でこの世を去ってしまったジョン・レノンの写真集が圧倒的に面白い。山あり谷ありの人生を歩んだ証、なんでしょうね。

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ヨーコに土下座するジョン

ジョン・レノンと言えばニューヨーク。イギリスを捨てたと言って怒る人もいたみたいだが、ドラッグ以上に刺激的なニューヨークの街は、ジョンの生き様にもハマったに違いない。有名人である辛さを感じなくて済む居心地の良さもあったはずだ。ジョンのそんなニューヨークでの生活をまとめたのが、ロック・フォトグラファーとして最も著名な一人でもあるボブ・グルーエンによる本書だ。

ジョン・レノン ザ・ニューヨーク・イヤーズ

2005年10月09日
ボブ・グルーエン 撮影
小学館
ジョンとヨーコの長年の友人でもあっただけに、レコーディングや唯一のコンサート(72年の「ワン・トゥ・ワン」)など、二人に密着した写真はもちろんのこと、ハウス・ハズバンド時代のジョンの子育ての様子までしっかりカメラに収めている。ヨーコの『無限の大宇宙』(73年)のレコーディングでのミック・ジャガーとのセッションの様子もいいが、中でも見ものはジョンの「土下座」写真。なぜジョンはヨーコに「あいすません」と謝ったのか。映画『ジョン・レノン、ニューヨーク』を観れば、その理由がわかります。本書刊行時に取材をした際、ボブ・グルーエンは「70年代後半にダコタ・ハウスにジョンといた時にポールが訪ねてきたんだけど、シャッターを押そうという気持ちは全く起きなかった。でも撮っておけばよかったかな(笑)」と語っていたのが印象的だった。

「失われた週末」を楽しむジョン

土下座してヨーコに詫びを入れたジョンは、しかし73年秋にヨーコと別れてしまう。その時に、二人の秘書だったメイ・パンをジョンにあてがってロサンゼルスに行かせちゃうヨーコもすごいと思うが、ジョンの言う「失われた週末」は75年の初めまで続くことになる。そして幸運なことに(と敢えて言うけど)、メイ・パンは、「失われた週末」の時の写真をたくさん撮っていたのだ。

ジョン・レノン ロスト・ウィークエンド Instamatic Karma

2008年11月15日
メイ パン 撮影
河出書房新社
ジョンとポールのソロ時代の唯一のツーショット写真(この時に撮られて公表された写真は3枚ある)はこうして生まれた。もちろん本書にも掲載されているが、ジョンがヨーコとしばらく離れてみて良かったのは、ポールやリンゴだけでなく、ニルソンやキース・ムーンなど旧知のミュージシャンとの新たな交遊関係が築けたことだ。半面、悪かったのは酒とドラッグに溺れたことだが、この「失われた週末」があったからこそ名盤『心の壁、愛の橋』が生まれたのだから、人生どこで何が起こるかわからない。同じく本書刊行時に取材をした際、メイ・パンは「別居時代にジョンとヨーコは会話を交わすこともなかったと言われていたけど、ひっきりなしに電話で話をしていたわ(笑)」と語っていたのが印象的だった。

ジョンの子育て日記

ジョンとヨーコがヨリを戻した直後にヨーコが妊娠。ジョンと同じ誕生日(ジョンの35歳の誕生日の75年10月9日)に息子ショーンが生まれたのだから、これまた人生何が起こるかわからない。そして5年に及ぶジョンのハウス・ハズバンド時代が始まるわけだが、その“主夫”時代をまとめた写真集もある。76年にジョンとヨーコのアシスタントになった西丸文也による本書もまた、別居時代に匹敵するかそれ以上の内容だ。

ジョン・レノン 家族生活

1982年12月26日
西丸文也 撮影
角川書店
リンゴのアルバム『リンゴズ・ロートグラヴィア』(76年)の中ジャケットに、箸を持つジョンの写真が掲載されたあとは、たまに日本にやってきて軽井沢で過ごしたり記者会見を開いたりした時の様子が雑誌に掲載されるぐらいで、音楽活動はもとより、どこでなにをやっているのかさっぱりわからない状況だった。そんなジョンの“精悍な姿”を久しぶりに見たのは80年夏。『ロッキング・オン』に掲載された写真だった。『ダブル・ファンタジー』レコーディング中の、髪を後ろにひっつめた細身のジョンは、まるで別人のようだった。本書は、ジョンがミュージシャンに戻るまでのその“空白の5年間”をまとめたものでもある。爪楊枝を上手に使う様子や、小野家の人々との記念写真など、日本滞在時の写真も満載された内容は、大袈裟じゃなく、ひとつひとつが目に焼き付くほど刺激的。ファンじゃなくても必見だろう。1990年11月に小学館から出た改訂版もいいけど、衝撃度の強さで初版を選んだ。

表紙は『マッカートニー』裏ジャケのパロディ?

続いてポールの登場。ポール・マッカートニーと言えばリンダ、である。67年5月にビートルズの『サージェント・ペパーズ~』完成記念パーティで再会してから2年後に二人は結婚。ビートルズ解散後、ウイングスを結成したポールは素人のリンダをバンドに引き入れ、リンダが98年に56歳で亡くなるまで、長年連れ添った。60年代にリンダは、ローリング・ストーンズやザ・フー、キンクス、ドアーズ、ジミ・ヘンドリックスなどを撮影する“カメラウーマン”でもあったので、その腕を活かし、76年に最初の写真集『Linda's Pictures: A Collection of Photographs』を刊行。その後もポールがらみの写真集を多数発表している。

MATEY FOR EIGHTY

1979年12月01日
Linda McCartney 撮影
MPL Communications
そうした中で、ふつうなら、上記の写真集か『Photographs』(82年)、『Linda McCartney's Sixties』(92年)、『Light from Within: Photojournals』(2001年)をまず挙げるところだが、ここでは79年に出た本書を紹介することにした。理由はいくつかある。まず、ビートルズ専門店『Get Back』が82年12月8日に高田馬場にオープンしたその初日に“ジャケ買い”したものだということ(4260円は安くはなかったけど)。息子ジェイムズ(当時2歳)と一緒に写る、アルバム『マッカートニー』の裏ジャケを思い起こさせる体裁も良かった。何より、写真付きのカレンダーという体裁が素晴らしかった。この手のシリーズは78年以前にもあり、中でも76年度版『Linda's Pix For Seventy Six』(ジョンとリンゴも登場)はウイングス・ファン必携だ

ノートにギターの絵ばかり描いていたジョージ

マーティン・スコセッシによるジョージの伝記映画『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』の姉妹編として刊行された写真集。この連載の2回目「ビートルズのメンバーの性格分析ができそうな5冊」で紹介したリンゴの写真集『Photograph』(2015年)と同じく、幼少の頃からビートルズ時代も含め、ジョージ版「想い出のフォトグラフ」の数々が楽しめる。
著者
オリヴィア・ハリスン
出版日
2011-11-11
「勉強が嫌いでノートにギターの絵ばっかり描いていた」。ジョージのそんなエピソードはビートルズの伝記本のあちこちに出てくるが、ほんとにそんな絵ばかり描いていたことが本書を読めばわかる。やんちゃな10代の若者が、東洋思想に惹かれ、シタールを学び、徐々に老成していくさまが、数々の写真とともに綴られているので、同じく2回目に紹介した『ジョージ・ハリスン自伝―I・ME・MINE』と本書があれば、ジョージがどんなことを考えながら、ミュージシャンとして、人として生き抜いたかが実感できるはずだ。本書の“ぶっとび”写真は、日本とフィリピン公演直後の66年7月にインドで撮影されたビートルズの4人のくつろぐ姿。こういう写真が何十年も経ってから出てくるのだからたまらない。69年のワイト島フェスティバルの時にボブ・ディランとテニスに興じる写真も微笑ましくて最高だ。

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