小学生におすすめの詩集5選!子どもに聞かせたい作品

更新:2021.12.11

外部世界の刺激を素直に受け止め、自分の精神に溶け込ませていく小学校時代。そんな大切な6年間だからこそ、言葉の芸術であり、良質な日本語でもある「詩」に触れ、感性を良い方向へ伸ばしてほしいものです。豊かな心を育むおすすめの詩集をご紹介します。

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小学生の発想力を花開かせる谷川俊太郎の詩集『どきん』

最初に、この『どきん』というタイトルを目にしたとき、子供たちはどんな反応をするでしょう。好奇心の眼が大きく見開かれ、とりあえず本を手に取って近くで見てみようとするのではないでしょうか。この、たった3文字に、子供だけでなく大人も、何か心に引っかかり、思わず手を出してしまう、ちょっとした魔法のような力を感じます。

現代の詩人として代表的な谷川俊太郎が詩に込めてきた思いとはいったい何だったのでしょうか。

著者
谷川 俊太郎
出版日

「さわってみようかなあ  つるつる
 おしてみようかなあ   ゆらゆら
 もすこしおそうかなあ  ぐらぐら
 もいちどおそうかな   がらがら」(『どきん』より引用)

何かに興味を示し、好奇心のまま体が動いてしまっている子供。そんな姿が目に浮かびます。ただ、これは大人の目線。この詩を子供が読んだらどんな反応を示すでしょう……なんだか言葉のリズムが面白くって、友達と一緒に大きな声で読んでみたり、身振り手振りで言葉を表してみたり、それぞれの子供がさまざまな反応を見せてくれそうな気がします。

俊太郎は、「詩」には答えはなく、論理で組み立てられているものでもない、曖昧で割り切れないものだから、人それぞれ受け取り方が違うと言っています。

国語の教科書に『どきん』が載ってから、この詩の解釈合戦が繰り広げられましたが、俊太郎が言うように、言葉の意味を考えすぎてしまうと、詩は活力を失い、輝きをなくしてしまうのではないでしょうか。

この詩集には、子供たちが、その成長の段階で、それぞれが様々に受け止め、乾いたスポンジが水を一気に吸い取るように、その素直な感受性に染み込んでいく詩がいっぱい詰まっています。

「みちのおわったところでふりかえれば
 みちはそこからはじまっています
 ゆきついたそのせなかが
 かえりみちをせおっている
 でももどりたくない
 もっとさきへ
 あのやまをこえてゆきたい
 たとえまいごになっても」(『どきん』「みち 6」より引用)

小学校高学年になり、思考が急速に高度化し、それに戸惑いを覚える時期の子供に贈りたい詩です。

生きていくことを静かに肯定する工藤直子の詩集『あいたくて』

「わたしは
 わたしの人生から
 出ていくことはできない

 ならば ここに
 花を植えよう」(『あいたくて』「花」より引用)

サラッと書かれたような短く平易な言葉の奥には、深い思いが隠されています。詩というものは、ある意味、平易に書こうとすればするほど難しいものなのかもしれません。児童文学作家、工藤直子の詩は、平易な表現でありながら奥深さがあり、子供の心を揺さぶり感受性の花を開かせるものがたくさんあります。

著者
出版日
2011-09-28

「あいたくて
 だれかに あいたくて
 なにかに あいたくて
 生まれてきた──
 そんな気がするのだけれど
 それが だれなのか なになのか
 あえるのは いつなのか──」(『あいたくて』より引用)

心にはひだがあり、人はそこからさまざまなものを吸収していきます。子供の心のひだは柔軟で、何でも驚くほどの速さで吸収していくものです。ただその際、善悪美醜の区別はつかないことが多いため、小学生のうちは大人が厳選してあげる必要があるかもしれません。

良質な言葉に触れさせたい。そう思ったとき、工藤直子の詩は最適と言えるでしょう。子供の想像力を広げ、優しい気持ちになれるものが多いからです。

「『こころが くだける』というのは
 たとえばなしだと思っていた ゆうべまで
 今朝 こころはくだけていた ほんとうに

 ひとつひとつ かけらをひろう
 涙がでるのは
 かけらに日が射して まぶしいから

 くだけても これはわたしの こころ
 ていねいに ひろう」(『あいたくて』「こころ」より引用)

うまく言葉にできない感情を、ここまで見事に伝えられる工藤直子の詩は、素直な子供の心にストレートに届くことでしょう。

小学生の子どもの、美しいものを愛する心を育てる『花をうかべて』

29歳という若さで生涯を閉じた新美南吉。代表作でもある童話『ごんぎつね』は知っている人も多いと思われますが、南吉はその短い生涯の中で、美しい詩も残しました。それは、そこはかとなく香ってくるような美しさであり、優しさに満ちた言葉でつづられています。

著者
新美 南吉
出版日

新美南吉が優れた童話を生み出せたのは、彼が詩人だったからと言えるでしょう。優れた童話というのは、直接的な表現を用いて読み手を動かすのではなく、間接的に心に働きかける手法を取ること。彼は物語に奥行と無限の広がりを持たせることに成功しています。

言葉で答えを提示するのではなく、読み手の心が自発的に動き出すきっかけを与える「詩」は、童話と同じ地平に存在しているといえるのではないでしょうか。

「窓をあければ
 風がくる 風がくる
 光った風がふいてくる

 窓をあければ
 こえがくる こえがくる
 遠い子どものこえがくる

 窓をあければ
 空がくる 空がくる
 こはくのような空がくる」(『花をうかべて―新美南吉詩集』「窓」より引用)

一見、状況を説明しているように思えるこの詩も、ただそれだけではない余韻を感じることができます。

自分の思いと現実との溝を感じつつも、それが何なのかも分からず、まして説明などできない……そんな未成熟な小学生の時期に、新美南吉の詩は優しく寄り添ってくれるでしょう。

生命を慈しむ感受性を育む金子みすゞの詩

26歳という若さで、自ら命を絶った金子みすゞ。その生涯は、決して幸福に満ちたものではなかったのですが、だからこそ、弱いものに対する慈しみの心が芽生え、育まれていったといえるでしょう。

他を思いやる心……この大切な心を教える方法は、明確な指南書が存在しているわけではありません。教えようとして教えられるものではないからです。みすゞの詩には、共感し、受け入れ、思いやり、慈しむ心を育むきっかけになる優れたものがたくさんあります。

著者
金子 みすゞ
出版日
1984-08-30

「わたしが両手をひろげても
 お空はちっとも飛べないが

 飛べる小鳥はわたしのように
 地面をはやくは走れない。

 わたしがからだをゆすっても
 きれいな音は出ないけど
 あの鳴る鈴はわたしのように
 たくさんな唄は知らないよ。
 
 鈴と、小鳥と、それからわたし、
 みんなちがって、みんないい。」(『わたしと小鳥とすずと』より引用)

相手を妬むのではなく、認める。そして自分には、それとは違った特性があり、それを肯定する。お互いが認め合うことで、お互いの良さが見えてくる……短い言葉の中で、みすゞは見事にそれを表現しています。

自分とは違うことを理由に、排他的になってしまうことは、大人の世界ばかりではなく、子供の世界にもあります。さまざまな感情や状況が絡み、醸成されていってしまうこの排他性は、良質な思想、言葉に触れることで、覆すことができるでしょう。柔軟で無垢な思考を持つ小学生の時期だからこそ、そういうものにたくさん触れさせたいものです。

金子みすゞの詩は、そんな、人間としての大切な感情を養っていく言葉に満ちています。

「『遊ぼう』っていうと 『遊ぼう』っていう。
 『ばか』っていうと 『ばか』っていう。
 『もう遊ばない』っていうと『遊ばない』っていう。
  そうして、あとで さみしくなって、 
 『ごめんね』っていうと『ごめんね』っていう。 
  こだまでしょうか、 いいえ、誰でも。」(「こだまでしょうか」より引用)

言葉が圧倒的な力強さで生きている大関松三郎の詩集『山芋』

大関松三郎は、18歳の時に戦死しています。詩集『山芋』は、小学校在学中、恩師・寒川道夫に指導を受けながら松三郎が書いた詩を、戦後、寒川がまとめたものです。

この詩集のタイトルにもなっている『山芋』という詩を読んだとき、言葉が一つの塊のようになってぶつかってくるような、そんな圧倒的な存在感を感じるに違いありません。

著者
大関 松三郎
出版日

「しんくしてほった土の底から
 大きな山芋をほじくりだす
 でてくる でてくる
 でっこい山芋
 でこでこと太った指のあいだに
 しっかりと 土をにぎって
 どっしりと 重たい山芋」(『山芋』より引用)

何の知識もなくこの詩を最初に読んだとき、言葉が持つ生命力のようなものを感じる人も多いのではないでしょうか。ひとことで評すると「素晴らしい」という言葉しか見つかりません。そしてその後、気になってこの詩のことを調べてみると、小学校6年生が書いたものだと知り、さらに驚かされます。

「夕日にむかってかえってくる
 川からのてりかえしで
 空のはてからはてまで もえている
 みちばたのくさも ちりちりもえ
 ぼくたちのきものにも 夕日がとびうつりそうだ
 いっちんち いねはこびで
 こしまで ぐなんぐなんつかれた
 それでも 夕日にむかって歩いていると
 からだの中まで夕日がしみこんできて
 なんとなく こそばっこい」
(『夕日』より引用)

この素晴らしい出来栄えと、小学校6年生という未熟なイメージのギャップに、これは指導者との合作では……という論議もされたようです。自分の想像力の中だけで、そう思いたくなるのも、わからなくもないのですが、ただ、ここで忘れてはならないのは、合作かどうかではなく、この詩が読み手にとって、どのように影響し、生きて存在しているかどうかなのではないでしょうか。

「ちりちりもえ」「いっちんち」「ぐなんぐなんにつかれた」「こそばっこい」

心の中に染み込んできて、圧倒的な存在感を放つこれらの言葉たちは、理解しようとするより先に感ずることをする小学生の子供たちには、石ころの中にきらきら光る特別な石を見つけたような出会いになり、その後の人生の宝物になるかもしれません。

「詩」というのは、理解しようとすればするほど、味気ない言葉の羅列に思えてくるものです。ただ素直に受け止め、感じることが、真の意味での理解につながるという、不思議な魅力を持っているもの……それが「詩」なのかもしれません。

そういう意味では、素直な心の小学生の時期に「詩」に触れさせるきっかけを与えるのは、非常に重要なことではないでしょうか。言葉はいつも、生活と共にあり、一生付き合っていく友でもあります。人生において、感受性の花をきれいに咲かせるためにも、珠玉の言葉が詰まった詩集は、急速に思考が目覚めてく小学生の時から、いつもそばに置いておきたいものです。

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