文学の面白さと読み方が分かる入門本おすすめ5選

更新:2021.12.20

文学と聞くと、難しいもの、とっつきにくいものという印象はないでしょうか。しかし、ここで紹介する本は、そのような印象が変わるような面白い本ばかり。本の解説を通して、文学的な面白さの精髄を探っていきます。

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文学の意味とは何か?

文学を読む時、考えるべき事は、主人公の気持ちがどのようにかわっていったのか、という事や、作者はこの作品を通して何を訴えたかったのか、という事です。著者は、文学に対するこのような考え方に対して一理ある、と説明。その他に幅広い読み方をしていく事も大切だ、と述べています。このように、文学について初歩から分かりやすく説明していくのが本書『超入門!現代文学理論講座』です。

著者
蓼沼 正美
出版日
2015-10-05

上記のように、文学の基本的な役割は、そこに表れている感情の機微を察する事であり、作者の意見を読み取ることである、といえるでしょう。しかし、作者の感情を推察する事に何か意味があるのか、と疑問に思うかもしれません。そして、文学のこのような側面が、他の学問と比べて、日常の役に立たないという見方もあります。

確かに、文学には、工学や法律、経済学のような、より良い社会をつくる専門的で技術的な知識はありませんので、その点において、役に立たないといえるでしょう。しかし、人の意図を読み取る、感情の機微をとらえるという文学の意味を考えた時、そこには人と接する時の大切な要素がある事が分かります。

例えば、会社の人間関係でも、相手の気持ちを理解し、適切なコミュニケーションをとるために必要なのは、文学的な素養。また、文学を通して社会問題を学び、問題について見識を深めるという事も、文学のもつ重要な役割であるといえるでしょう。

このように考えた時、文学は、役に立たない学問なのではなく、実際的な知識というよりも、むしろ人間関係や社会という日常の土台となる部分をつかさどる学問であることが分かります。

また、本書の中には文学の理論を取り扱った記述も多く、著者は、様々な文学理論を紹介していきます。そして、その中のひとつが、H・R・ヤウスの「期待の地平」という概念。期待の地平とは、私達が本を読む上で何を期待して、何を判断していくかという部分を予測する手法です。

著者はこの期待の地平について解説。私達が作品に対して、何を基準にして期待するかというと、作者についての今までの知識の積み重ねであり、作品に対しての情報であり、本の装丁であり、端書きやタイトルです。これが、期待の地平の一つ目の捉え方です。

そして、これらが、本を読む前の期待である一方、私達は本を読んでいる間にも期待をする点がポイント。例えば、私達は、物語を読み進めていくうちに、こうなるのではないか、ああなるのではないか、と予測をしながら読んでいきます。このように、読者が作品を読むうちに様々な期待を膨らませていく事は、期待の地平の二つ目として表わすことができるでしょう。さらに考えれば、その発展系として期待を裏切るという手法である「どんでん返し」があるのだ、と分かります。

このように、読者が自身の中に物語を作り上げる上では、様々な反応があるのに対し、期待の地平では、読者の間に物語進行上の共通認識が形作られていくという点がポイント。一方では、ひとつの物語に対して様々な感想が生まれるのに対して、他方では、ひとつの物語について読者の中に共通認識がつくられる、という物語構造の二重性は、面白い部分がありますね。

その他にも、著者による『羅生門』の読解は唸らせられるものがあり、子供の頃何となく『羅生門』を読んで、怖い話だった、という感想しか持っていない人は、著者による解説を一読することをおすすめします。

なぜ面白いかを分析、文学の手法を探る

文学の面白さを理論から読み解いた名著が、この本『はじめての文学講義』。作品の面白さはどのようにして生まれるのか、という点を追求し、文学の手法を細かく分析。普通に読むだけでは気付かないであろうポイントを明確にすることで、優れた視点を提供します。

著者
中村 邦生
出版日
2015-07-23

例えば、著者が説明している手法のひとつがダブルインパクトです。これを説明する例として、著者は、太宰治の『富嶽百景』を例示。ダブルインパクトという手法を分かりやすく解説します。

まず、頭の中で富士山を思い浮かべてみてください。多くの人は、画面一杯に大きく映る富士山の姿を思い描くのではないでしょうか。これが、普通に思い浮かべる富士山です。

では、道に咲く月見草の向こう側に富士山が見えるような景色はどうでしょうか。これを思い浮かべようとすると、手前にある月見草と富士山との間に遠近感が生まれ、とたんに面白い構図になるのではないか、と思います。

このように、遠くの富士山と近くの月見草の対比、という構図を用いることで、平面的だった描写に立体感が生まれるという手法があり、著者は、これがダブルインパクトであると言及。このような手法は、文章を通じて、読者に視覚的な印象を与える上で大変効果的です。

著者は、このように、文学上に存在する様々な手法について説明。一度本書を読めば、普段、何気なく読んでいた文章の中に、様々な仕掛けがあった事が分かるようになるでしょう。文学のもつ面白さを、構造の上から把握したい人におすすめしたい一冊です。

文学の面白さを味わい尽くせる名著

70もの作品が掲載され、その面白さを綴っていくのがこの本『高校生のための文章読本』。本文を解説と共に読むことによって深い理解が得られるような仕組みとなっており、優れた解釈の数々も見所です。

著者
出版日

また、作品を考察する事を通して、人生を豊かにしていく事ができるという点も、おさえておくべきポイント。例えば、掲載されている清水邦夫の『部屋』という文章も、鋭い一面から物事を捉えた面白い作品です。

清水邦夫は、昔の家には普段「使わない部屋」があった、と説明。黴臭いその部屋は、長患いの病人、伝染病にかかった病人などを態よく押し込めたり、しくじりをやるとその部屋に閉じ込められるのではないか、という恐怖を与えるものだった、と指摘します。

そして、現今の家は、普段「使う部屋」ばかりであり、子供が、便所や階段で恐怖心を感じることもなくなった、と述べます。そのようにして「使わない部屋」がなくなり「使う部屋」ばかりになった今、人々は不思議な余裕のなさに悩まされている、と指摘。使わない部屋のもつ役割について論じます。

本書では、荘子の「無用の用」という考えを例示して、清水邦夫の考えを補強。何もないことが、逆にひとつの意味を形成するという概念は、なかなか面白い考えですよね。普通に考えれば、普段使わない部屋は、無駄で必要のないものであると考えられそうですが、実際にはそれが必要なものであるという事実は、物事の不思議な側面を表しているといえるでしょう。

また、ここで述べられている現代的な余裕のなさは、一般的に考えて、昔あった余裕のなさが、形を変えて表れただけなのではないか、と捉える事もできます。

この点について、使わない部屋があったような昔は、物質的な余裕がなく、食べ物にも困る事が多くあったという事がポイント。つまり、余裕のなさが物質的な側面で表れ、日常生活に常に付随していたのだと思います。そして、使わない部屋のない今は、食べ物に困る事は減り、変わりに、より高次な欲求である精神的な余裕に視点が移ってきただけなのではないでしょうか。

精神的な余裕や満足感とは、常に満たされるものではありませんので、どうしても時々は不満や、いらだちなどの余裕のなさが表れてしまいます。そのようにして、昔は常に隣り合わせで日常的だった欠乏や余裕のなさという概念が時々しか出てこなくなった結果、その存在が非日常のものとして際立って感じられるようになったのではないでしょうか。

このように考えた時、現代社会は、不思議な余裕のなさを内包している、と捉えるのではなく、確かな豊かさを持っていると捉えた方が、的を得ているではないかと思います。そして、そのように考えた時、人生の豊かさに思い至るのではないでしょうか。

この書籍では、人間の感情の面白さ、世界の不思議、些細なことに表れる人間の内面の奥深さを的確に捉え詳しく解説します。良質な作品が多数紹介されていますので、興味のある人は是非読んでみてください。

己を見つけ、他者を見つけ、作者を見つける

文学作品を読んでいると、登場人物の性格に触れ、自分にはこのような側面はないだろうか、と内省することがあります。そして、自分というもの、社会というものをより正確に把握する上で役に立つ作品も多くあります。このような点に焦点をあてたのが『高校生のための小説案内』。本書では、文学作品の解説を通して、表現の可能性、ものの見方について説明が繰り広げられていきます。

著者
出版日

「「文学」に接しているうちに、私たちはふとそこに自分の姿が映し出されていることを意識することがある。また、自分の知っている人間が映し出されていると感じることがある。「文学」は人々の自意識をめばえさせ、まわりの人間(社会)をみる目を研ぎ澄ます力をもっている。」
(『高校生のための小説案内』から引用)

このように、読者が、小説を通して自身を内省する事がある一方、作者の精神性を小説に垣間見ることもあります。小説に、著者の思いが反映されると考えた場合、良い小説には、著者の良い側面が表れているといえるでしょう。普段から人々の悲劇と悲惨を題材にする作家が、悲劇的な小説の最後を円満にしたり、人々の良い側面を捉えたりする小説を書く事があります。私達は、そのような小説に出会った時、著者の意外な人間性に思い至るのではないでしょうか。

例えば、芥川龍之介は、悲観的な作品を多く執筆し、最後には自殺までしています。そのような点に彼の性格の一面が表れている、といえるでしょう。しかし、そのような彼も、『杜子春』という有名な作品の中で、意外な一面を見せます。彼は、原典では、仙人になれなかった杜子春が失意嘆息して終わるという結末だった部分を、どういうわけか心暖まるハッピーエンドに書き換え、作品として紹介。悲劇を円満な物語へと変更しています。

どのような理由で、結末を変更したのかは分かりません。しかし、このような点に、悲観的な芥川龍之介の普段見せることのない美しい側面が、表れているのではないでしょうか。このようなエピソードに出会った時、私達は人に宿る人間性の不思議に思い至ると共に、彼の中の良心の一端に触れたような、意外な一面を知ることができます。

文学作品を読むことには、自分の中の新たな性格に思い至る側面があり、他者を理解する手助けになる側面もあり、作者の心情に思い至る面もあり、そこから多くの事を学べる優れた性質があります。本書は、40あまりの作品の解説を通して、様々な人間が描かれ、色々な考えが展開される良書。一度読めば必ず新たな発見があるような名著ですので、気になる方は、是非手に取ってみてください。

批評から文学を読み解く

批評というと難しくとっつきにくいものという印象があるかもしれません。しかし、本書は簡単に分かりやすく批評を説明。この点において『高校生のための批評入門』は誰が読んでもすぐに理解できる、優れた書物であるといえます。

著者
出版日

批評とは、考える事で自分と向き合う行為であり、様々なものの捉え方、考え方を示す行為です。本書では、51編の作品を通して、ものを考える力を育成。こういった考えができるのか、といった驚きから、このように考えると面白いのではないか、という興味をそそられるものまで、余す所なく文学を楽しめる良書です。

例えば、例を挙げると、J・グルニエの『一匹の犬の死について』という文章が記載されており、それを批評する問題が添えられています。

「近親が病人に、子供が老人に、ある看病人が患者に、というふうにつくされるあの親切が私は好きだ。枕の位置を変えることは大したことではない。しかし、ほかにしてあげられることが何もない時には?人は自然に(神に、とは私は言わない)少しずつ寿命を縮めるという労をとってもらい、その上で可能な程度、すなわちほとんど無にも等しい程度で、自然に逆らうわけである。この《ほとんど無にも等しいこと》が私を感動させる。」
(『高校生のための批評入門』から引用)

ここで記されている「ほとんど無にも等しいこと」とはなんでしょうか。本書では、それを「死の迫っている病人に対して、ほとんど絶望的で、何をしても有効ではないということがわかっているのに、それでも、その病人が生きている限り、人間としての手を打つ事」であると説明。患者に治療を施し、手術をして、できうる限り自然の寿命に逆らう行為がこれにあたります。困難な手術にも絶望することなく挑む医療従事者の態度には、心を動かされるものがあります。

その他に「ほとんど無にも等しいこと」を考えてみると、何があるでしょうか。例えば一例を挙げると、患者に付き添うという行為が挙げられます。病気で伏せっている患者の側にじっと寄り添い、手を取り、一緒の時間を過ごすような行為も、病気の回復という点では、ほとんど無に等しい行為です。

しかし、一日中病院で寝たきりの患者の元に見舞いに行き、ちょっとした会話をしたり、手を取り励ましたりする事は、とても大切な事ではないでしょうか。

このように、医療者視点から、患者の家族視点から、と多方面から文章を捉え解釈を展開していくことも、批評の大切なポイントであり、小説の解釈を展開する上で重要な要素であるといえるでしょう。

このように、批評という行為は、検討していくと奥深い世界に行き着く、とても豊潤なものであることが分かります。本書は、多くの面白い題材に満たされた優れた書物ですので、上記のような考えに興味を持ったならば、是非手にとってみてください。

このようにして文学を考えてみると、様々な技術、思想があることが分かります。ここで紹介した本は、前知識がなくても読める面白い本ばかり。文学に興味があるけれど、何を読んでいいか分からない、という人は、ぜひ手に取ってみてください。

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