難しい古典を現代語で解説、ちくま新書現代語訳シリーズのおすすめ本5選

更新:2021.12.20

今古典を読もうとすると、昔の言葉遣いが分からずに戸惑ってしまう人も多いのではないでしょうか。そんな悩みを解決するのが、古典の現代語訳シリーズ。ここでは、有名な古典を現代の言葉で説明した良書を5冊紹介。昔の偉人たちの教えを学んでみましょう。

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優れた人物とはどのような人か

論語の中には、ありがたい言葉がたくさんあります。その言葉は、現代の社会にも通じる優れた見解であり、そこからは多くの事を学ぶことができます。そのような論語において、おさえておくべき言葉を平易に解説したのが、この本『現代語訳 論語』。本書を読めば、論語の要諦を簡単に知ることができます。

著者
齋藤 孝
出版日
2010-12-08

例えば、次のような言葉は、現代にも通用する卓見であるといえるでしょう。

「君子は、発言が良いからといってその人物を抜擢しない。(君子は、人と言とを混同しない)」
(『現代語訳 論語』から引用)

何かを判断するとき、その人の話す言葉は大切なものですが、それが上辺だけのものであると、その人の評価にはなりません。実際にそれを行動に移し、実践することで初めて世間に認められます。孔子は、それを人と言とを混同しない、と表現したのでしょう。

そして、実際に行動しても、それを体現できなくては意味がありません。孔子もその事をふまえ、次のような言葉を残しています。

「仁の徳を持たない不仁者は、貧しく厳しい環境に長くいると道を外れてしまうのでよくない。仁の徳と一体になった仁者は、環境にかかわらず、人を思いやる仁の境地に居つづける。」
(『現代語訳 論語』から引用)

何か目標を立ててそれを維持し続けるのは、思うより大変。人は、貧しく厳しい環境に長くいると、どうしても気持ちがすさんでしまうものです。そして、何かと理由をつけて、その不実を正当化してしまう事も。苦しいときに愚痴をこぼしてしまう、という事は、誰もが経験したことがあるのではないでしょうか。

しかし、苦しい状況でも弱音を吐かず、いつも誠実な人を見かけると、いい人だな、とその性格のよさに思い至る事があります。孔子は、このような人物を、優れた人物であると考えたのでしょう。

本書を読めば、孔子の優れた考えに触れる事ができ、心を感化されるものがあります。優れた人格者とはどういった人か興味のある人は、ぜひ本書を手に取ってみてください。

論語と算盤の関係

『論語と算盤』の著者である渋沢栄一は、現在のみずほ銀行、帝国ホテル、東京証券取引所、キリンビール、東京ガスなど、多種多様な企業の設立に関わった実業家です。幕末期は、徳川慶喜の幕臣として仕え、晩年はノーベル平和賞の候補にもなっている優れた人物。彼は、論語と算盤の関係性から、実業界と道徳について論じており、それを現代の言葉で分かりやすく説明したのが『現代語訳 論語と算盤』です。

著者
渋沢 栄一
出版日
2010-02-10

「ソロバンは論語によってできている。論語もまた、ソロバンの働きによって、本当の経済活動と結びついてくる。だからこそ論語とソロバンは、とてもかけ離れているように見えて、実はとても近いものでもある」
(『現代語訳 論語と算盤』から引用)

商売とは、いかに競い合い、相手より大きな利益を上げるかしのぎを削るという、倫理や道徳とは遠い存在であり、道徳を扱った書物とは、何の関係もないように思えます。しかし、渋沢栄一は、不道徳やうそに根付いた商才などは、決して本当の商才ではない、と指摘。むしろ、本当の商才とは、競い合いながらも、道徳と離れられないものである、と考え、論語が商売に役立つという考えを示しました。

確かに、不道徳なあやしい商売をしている人とは、商談を結びたくないですし、商談で嘘をつかれたら取引関係にも悪影響を及ぼすでしょう。そのように考えたとき、一見離れた存在のように思われる道徳の書である論語と商売の二つが、実は近いものであることがわかります。

渋沢栄一は、この他にも、机上の空論と実地との違いも取り上げ、実際の事業が、考えていた事とどれほど異なるかについて指摘。これを、地図を見る事と、実際に歩いてみる事は違う、という観点から説明します。

地図だと、様々な場所を一望できますが、空気感や景色などは、実際に歩いてみなければ分かりません。川の流れを目の当たりにし、山の高さを仰ぎ見、森の豊かさを感じ、都会のきらびやかさを楽しむには、実際に歩いてみる必要があるといえるでしょう。

先ほど紹介した『現代語訳 論語』にあった言葉も、実はこれと似ています。

「君子は、発言が良いからといってその人物を抜擢しない。(君子は、人と言とを混同しない)」
(『現代語訳 論語』から引用)

口当たりのいい言葉は、誰でも発言することができます。しかし、それを実行できる人となると、どうしても少なくなります。毎日一時間英会話をする、と目標を立てても、それを実行するのは、目標を立てる事とは別問題。予定表で英会話のスケジュールを見た時、簡単そうに見えても、実際に毎日一時間英会話をすると、仕事の関係で時間がとれなかったり、遊びに行って英会話をする時間がなくなったり、その大変さが分かります。

この机上の空論と実地との関係を、孔子は、言と人で表わし、渋沢栄一は、地図と実際の世界で表わしました。

自身の言葉に責任を持ち、それを実現するために努力することは大切な事であるといえるでしょう。そして、商売についても、それを道徳まで高めた時、または、思い描いた事業を達成した時、それは本当に優れた成果になるのだと思います。

日々の生活にひそむ学問とは

福澤諭吉といえば1万円札で有名ですが、彼の書いた本を読んだことのある人はどれくらいいるでしょうか。『学問のすすめ』は、学ぶ姿勢を大切にする事を説いた明治時代の本で、それを今読んでも分かりやすいように解説したのがこの本『現代語訳 学問のすすめ』。

著者
福澤 諭吉
出版日
2009-02-09

では、そこにはどのようなことが書かれているかというと、例えば次のような言葉があります。

「実生活も学問であって、実際の経済も学問、現実の世の中の流れを察知するのも学問である。」
(『現代語訳 学問のすすめ』から引用)

私達が、学問として考えるのは、本を開いて勉強することであると思いがちです。しかし、福沢諭吉は、普段の生活や世の中の流れを読むことも学問であると指摘。これはどういうことでしょうか。

例えば、普段人と話すときでも、どういった具合に人と話せば人付き合いが上手くいくか、上手く話している人からコツを学び、それを取り入れる事があります。これも、人付き合いというある種の学問を学んでいることになるのでしょう。

また、勉強をする事は、自身を向上させ優れた人物になる事であるのに対し、実生活で病人を介護し、料理をつくり、寝坊せずきちんとした生活を送るという行為も、自身の精神を鍛え、人として優れた人物になっていくという点において、学問であるといえるでしょう。

特に、料理は、材料を切る手順をどうするか、何を優先してつくるか、などといった効率を考える必要があります。そのような部分を突き詰めることは学問ですし、オリジナル料理をつくるとき、どうすれば美味しい料理ができるか研究することも学問です。

料理における学問では、初めに、どうすれば美味しくなるか、オリジナル料理の全体像を予測。実際に調理してつくってみて、その予測がどうなるか、仮説を論証するという行為があります。これなどは、研究室で行われる学問と似たところがあるといえるでしょう。

このように、日常にある学問を探っていくと、普段の生活が、多くの学問的な要素に満たされていることがわかります。これが、福澤諭吉の述べる、日常での学問なのでしょう。

また、『学問のすすめ』が勧める学問とは、空理空論ではなく、社会の役に立つ実用的な学問。実地から離れた空論と実地での考えの相違は、前述の渋沢栄一も、地図を使った喩えを用いて指摘しています。例えば、いくら机上で大言壮語を唱えていても、それを実際の行動で活かせないと意味がないように、実地に活かせる学問でないと役立つ学問とはいえません。

学問は、その他にも、学ぶ事を通して世界を知り、自身の成長を果たすという役割もあり、社会にとっても自分にとっても、有益なものであるといえるでしょう。

この本は、書物を勉強することだけが学問であるとは限らず、日常の中に学ぶべき事はたくさんあるという点に気付かせてくれる優れた一冊。気になる人は、ぜひ手に取ってみてください。

縁が人を人にする

仏教の経典である般若心経を現代の言葉で紹介したのが、本書『現代語訳 般若心経』。内容は少し難しいですが、この本からは、仏教の教えの基本を学ぶ事ができますし、著者の優れた意見から仏教を取り巻く考え方を学ぶ事もできます。

著者
玄侑 宗久
出版日

例えば、著者は、物事を大きな流れの中で考えた時の捉え方を、次のような語句で解説。

「自性という固定的実体がない、全ては関係性の中で変化しつづけている、ということを空性と表現したのです。」
(『現代語訳 般若心経』から引用)

大きな物の流れで見た時、自分というものの小ささを知ることができれば、過剰に肥大した我という概念も、適切に収まるようになります。仏教では、このように考えて人々を安らかな境地へと導く事に力を注ぎ、優れた死生観を示しています。

また、気をつけるポイントとして、

「「全体」とは、常に部分の総和以上のなにかですし、仏教ではその「全体性」のほうを先に見つめ、そしてそこに溶け込みつつ関係している「個」を認識しました。」
(『現代語訳 般若心経』から引用)

と述べている点に注目。確かに、一人一人の人を集めて集団を形成しても、そこには部分の総和以上の関係性が生まれます。例えば、ある人が隣の人と仲良くなって友人になったとしたら、そこには関係性が生まれます。それは、集団全体から見たら取るに足らない小さな絆ですが、それは単なる集団を部分の総和以上にするでしょう。

また、一人一人が集団を形成して一方向へ力を発揮する行為は、単なる部分の総和ですが、そこに友情や信頼関係、仲間意識が生まれると、その力は単なる部分の総和よりも強力な力になります。

仏教では、縁起という全体の概念を先に見出し、それを個に還元して考えたのでしょう。すると、個に影響を及ぼす縁起が、個をより大きな全体性へと導いていることが分かります。

このように、個が個と関係して全体に及ぼす影響は、単なる部分の総和以上であるという考え方は、個をより人間らしく捉える上で、大切な思想です。

この他にも、興味深い考えが多く、著者は、鴨長明の方丈記や、ハイゼンベルグの量子力学などにも、仏教の考えの片鱗が表れている、と説明。このような記述に興味を持った人は、ぜひ本書を手に取ってみてください。

歴史をみて人を学ぶ

『史記』は、紀元前一世紀頃に司馬遷によって書かれた中国の歴史書です。それを現代語で分かりやすく解説したのが、この本『現代語訳 史記』。作中では、史記に登場する歴史上の人物を紹介することによって権力を司ってきた人々の性格を考察。歴史的事実を通して人間の本質を探っていきます。

著者
出版日
2011-02-09

そして、『史記』の中には、色々な人間が描かれている点が注目に値するポイント。弁舌によって出世する者、戦争の才能によって出世する者、復讐者、王を補弼(ほひつ)する道化の役割、書物でそれを記す文学者など、ここには古代中国で活躍した様々な人間が描かれています。

そのような権力の周辺に登場する人物たちを考察することも面白いのですが、『史記』にはその他にも面白い面があります。著者は、それを次のように解説。

「史記の面白さの一つは、同じ事件をさまざまな方向から描き出している点にある。」
(『現代語訳 史記』から引用)

例えば、このような手法が使われたエピソードとして、劉邦が欲に目をくらませず財宝に手をつけなかった、という逸話があります。劉邦が侵略した都市の財宝を収奪しなかったので、彼が敵にとって優れた人格者として映ったのに対して、『史記』の別のエピソードでは、実際は財宝を収奪しようとしたところを臣下に止められてそのままにしておいた、と書かれている点に注目。『史記』における敵方の記述を読めば、劉邦の優れた側面をうかがい知ることができる反面、別の記述を読めば、それとは異なる側面を知ることができます。

ここが、『史記』を読むことの面白さである、と著者は説明。このような点に、物事を様々な角度から見る手法の、優れた技術と面白さが表れています。

また、その他に面白いエピソードとして、高祖(劉邦)と将軍韓信のエピソードがあります。

「高祖「わしなどはどれだけの兵に将軍たる能力があるだろうか。」
韓信「陛下はせいぜい十万の兵の将たるに過ぎません。」
高祖「そなたはどうだ」
韓信「多ければ多いほどよろしゅうございます。」
高祖は笑っていった。
「多ければ多いほどよいというのに、どうしてわしのとりこになったのかな。」
韓信「陛下は兵に将たることはできませんが、よく将に将たることがおできになります。だからこそ、わたしは陛下の虜になったのです。」」
(『現代語訳 史記』から引用)

将の将たる能力という発想は、なかなか面白い考えですよね。ここでの高祖の会話にも、彼の人柄が出ていると思います。この他にも、本書には面白いエピソードが数多くあって読みごたえは十分。

呉越同舟、臥薪嘗胆、国士無双、四面楚歌といった言葉の由来となった物語、それが『史記』です。歴史の中に登場する様々な人物の色々な物語に興味がある人は、ぜひ本書を手に取ってみてください。

昔の言葉で書かれた本を現代語で読む事ができると、助かりますよね。ここで紹介した本は、優れた書籍ばかりですので、気になる本があったらぜひ手に取ってみてください。

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