育ちの食べもの【真舘晴子】

育ちの食べもの【真舘晴子】

更新:2021.12.2

ある二冊の本を読んでいたら、いくつか覚えている味を思い出した。 それらは決して特別美味しいわけではなく、色味もあざやかではない。 それでも寄り添う気持ちがある。 恥ずかしかったり、嬉しかったり、誰かと一緒にいた思い出とともに。 今とは違うそのときを鮮明に思いだせる味。

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著者
武田 百合子
出版日
著者
種村 季弘
出版日
1985-12-01

ヴェネツィア炒め

小学生のときの晩ご飯としては、「ヴェネツィア炒め」が一番多く登場した。私は父と姉との3人暮らしをしていたので、夜は姉と2人きりのことがほとんどであった。そのため夜のキッチンには、父の作っていったおかずが置かれていた。

その時の私は「ヴェネツィア」というのが場所なのか物なのか、ニュアンスを表す言葉なのか何なのか、いまいち分からない小学生だったのだけれど、とにかく、キッチンのフライパンの蓋の上にはたいてい付箋に父さんの似顔絵と「ヴェネツィア炒め」の文字が書かれていた。

その炒め物がどんなものかというと、細かな決まりはなく日によって具材はさまざまだった。ピーマン、豚肉、ほうれん草、牡蠣、ムール貝……。父が栄養のことを考えて作る炒め物であったとは思う。たまにすこし偏りがあった気がしなくもない。

ただひとつ、彼の「ヴェネツィア炒め」には決まりごとがあった。それは味付けを「オイスターソース」でするということ。

なぜかと言うと父は貝が好きだからだ。

ヴェネツィアでは貝がよく採れるのかどうかは知らない。それでも私は「ヴェネツィア炒め」育ちだ。

お昼ごはんがお弁当の小学校に通っていた。しかし毎日の母さん父さんの負担を思ってか、お昼用のパンかおにぎりを買ってくることも許されていた。コンビニ以外でという決まりだった気がする。

なので自分がお弁当ではない日の朝は、小学校までの道にあるパン屋さんやおにぎり屋さんなどでお昼ごはんを調達してきていた。また、お昼になった時間に学校を出て小学校の一番近くにあるパン屋さんにお昼ごはんを買いに行くことも出来た。

小学生の私たちはそれらの行為を「買いパン」と呼んでいた。何故その名前になったかは知らない。

なので当たり前のように「今日買いパンだから、買ってくね」とか「わたし今日買いパン忘れてた!」だとかの会話を通学路の途中でも日常的にしていた。

今思い出すとその響きは「海パン」にしか聞こえず、「買いパン」の存在を知らない周りの大人たちは、通学路で女の子までもが海パンを買うことを不思議に思ってたのではないかなと、思う。

そして父のつくるお弁当はたいていが「ロックン・ロール弁当」だった。言わずもがな、お弁当の上の付箋には父さんの似顔絵と「ロックン・ロール弁当」の文字があり、中の具材はさまざまで決まりがない。

あるお昼の時間、いつものようにお弁当の蓋を開けたら、白いご飯の上に海苔で切ったビキニと「SUMMER」の文字が配列されていたときは流石に静かに蓋を閉じたけれど、私はそのあとバンドをしているし、やっぱり「ロックン・ロール弁当」育ちみたいだ。

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