名作SF漫画『イティハーサ』の魅力をネタバレ徹底考察!

更新:2021.11.11

『イティハーサ』は王道のSFファンタジーでありながら、珠玉のラブストーリーでもある贅沢な作品。 舞台は1万2000年前の古代日本。「目に見える神」の威神によって平和だった暮らしは壊され、人々の運命は大きく動くこととなりました。

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名作『イティハーサ』の圧倒的な世界観をネタバレ考察!

 

水樹和佳(現在は「和佳子」に改名)による大作ファンタジー『イティハーサ』。タイトルはサンスクリット語で「歴史」を意味し、古代日本の神々と、水樹らしい美しく魅力的な登場人物によって織りなされる壮大な物語です。

本作を語る時にどうしても話題に出てしまうのが、漫画雑誌「ぶ~け」のこと。本作は1986年から10年以上連載を続け、看板ともいえる作品でしたが、同誌の都合により打ち切りになってしまったのです。

作者は傷心のなか、2年間の空白を経て最終巻を書きおろし、2000年には優秀なSF作品が選ばれる「星雲賞」のコミック部門を受賞しました。

 

著者
水樹 和佳
出版日

『イティハーサ』の広大な物語は偶然の出会いから始まる【あらすじ】

「目に見えぬ神々」を信仰する鷹野(たかや)は、小さな泣き声に気づき、捨てられていた赤ん坊を見つけます。真言告(まことのり)という言霊の力と村の人々に助けられ、その子は透祜(とおこ)という名を付けられて鷹野の妹として育てられることになりました。

やがて彼女は、双子の夭祜(ようこ)と出会い、2つの魂をひとつに宿します。

鷹野は人であって人ではない者へと変貌し、彼の兄貴分だった青比古(あおひこ)もまた、背負った宿命の暗い過酷な道へと歩んでいくのでした。

『イティハーサ』の魅力1:古代の世界観のなかでの本格SF!

著者
水樹 和佳
出版日

 

舞台の背景となるのは、1万2000年前の古代日本。神の存在が見え隠れする世界です。

物語は大きく5つに分かれていて、第1部が「神名を持つ國」、第2部が「神名を持つ者」、第3部が「不二・天音」、第4部が「目に見えぬ神々」、そして「最終章」へと繋がっていきます。

作中には「真言告」と呼ばれる、言葉を発することで発動する不思議な力が出てきます。大きな力を使うには石の力が必要で、物を持ちあげたり病や怪我を治したりする「陽石」による真言告と、人に死や病をもたらす「陰石」による真言告があります。

つまり、真言告は使い方によって、正義にも悪にもなる力なのです。

また『イティハーサ』の世界を知るうえで重要なのが、ある伝説についてです。幻の古代大陸である「有蘇耶(アスカ)」と「無有(ムウ)」がかつて存在していて、行き過ぎた文明のため「見えない神々」に消されてしまい、その後大洪水が起こったというもの。これは覚えておくとよいでしょう。

本作では、正義とは何か、悪とは何か、さらに神とは何かということにまで迫っていくのですが、善を好む亞神と、悪を好む威神として具現化させることで、難しいテーマをひとつの娯楽大作として仕上げています。

さらに、少女漫画としての切ないラブストーリーも大きな魅力で、会えそうで会えないもどかしい気持ちや、お互いの気持ちがわかっているのにあと1歩が踏み出せないなど、王道の展開が描かれています。

 

『イティハーサ』の魅力2:人間というものをまざまざと描ききる!

著者
水樹 和佳
出版日

 

『イティハーサ』は物語のスケールにともなうようにたくさんの登場人物が出てくるのですが、それぞれの人物像や設定が丁寧に描かれていて、作品自体のベースをしっかりとしたものにしています。

主人公の透祜は、鷹野や青比古をはじめ邑人(むらびと)たちからも愛されて育ち、少々強情なところはあるものの素直で優しい性格です。

外國(とっくに)から来た威神と信徒によって邑を滅ぼされて以来、彼女の心はより強いものになっていきます。

正気を失った双子の夭祜に殺されたことで、2つの魂はひとつの身体に一体化しますが、それは過去に起きた殺戮の記憶を背負うことも意味していました。夭祜は威神の戒士(じゅうし)として育ったため、人を殺めることで快楽を感じてしまい、苦しんでいたのです。

ひとつになった透祜の心は、深い悲しみと苦しみのなかに置かれます。

透祜は、鷹野への愛だけが心の支えでした。妹としてしか扱ってもらえなくても、自分の姿に気づいてもらえなくても、その純粋な気持ちは変わりません。

一方の鷹野は、透祜のことを誰よりも愛していましたが、妹であるという一線は超えられないでいました。しかし7巻で1度だけ、彼女に対し「兄妹やめようか」と囁くシーンがあるので必見です。

また鷹野は、少女漫画の定番ともいえる記憶喪失を起こしてしまい、やがて透祜の姿さえ見えなくなるというシーンが描かれます。これは不二の山の空子都(くすと)による妖の術が原因だったのですが、彼女も鷹野を愛する者のひとりでした。

かなり女性からモテる鷹野ですが、女性として初めて好きになったのは、桂(かつら)という戒士です。少年時代は好意を寄せているからこそ、彼女のことを避けてしまい、剣術の師を一狼太(いちろうた)という別の戒士に頼んだこともありました。

その一狼太ですが、亞神の信徒でありながら威神の戒士だった過去があり、夭祜同様「殺めることの快感」から逃れることができず辛い思いをしていました。

威神に戻ってしまった際は、見境なく人を殺し始める前に自分を殺してくれるよう、青比古に頼みます。これは青比古の心を閉じさせることになるのですが、この時一狼太が彼の心に傷をつけたことが、かえって青比古をこの世に踏みとどまらせることに繋がったといいます。

青比古は、いつか狂って我を失ってしまうという血筋を引いていて、他人と距離を置いて生きていたのです。

本作に出てくるさまざまな登場人物は、それぞれに愛を抱いていますが、描かれるのはそばにいることのできるものではなく、むしろ離れている2人ほど、その愛の深さを感じさせてくれます。
 

 

『イティハーサ』の魅力3:日本ならではの価値観を追求する

著者
水樹 和佳
出版日

 

「イティハーサ」という言葉は、ヒンドゥー教の聖典とされるものを指していますが、本作の舞台は古代日本。和語や衣装、髪型、神鏡などの小道具に至るまでこだわり、作品をより親しみやすくさせています。

真言告という言霊のような力は日本語の美しさを感じさせ、まるで本当に美しい声が聞こえてくるような錯覚をさせてくれるでしょう。

最終章での、透祜や鷹野たちのやり取りも、この日本語の効果をしっかりと使っており、神との対話を演出しています。

また、「不二の山」はもちろん富士山を表し、「永遠蛇」は十和田を指しています。これらが物語のクライマックスの舞台になっているのも、読者に親近感を与えてくれる効果があるでしょう。

 

『イティハーサ』の魅力4:言葉を扱う作品ならではの名言【神々編】

著者
水樹 和佳
出版日

 

「力を求めず善にも悪にもなびかぬ者に神は必要ない!!」(鬼幽/『イティハーサ』4巻より引用)

威神たちが、傷ついて意識のない青比古を囲みながら話しているなかで、彼らのリーダーである鬼幽(きゆう)が放った言葉です。ここに神の本質が語られているとともに、青比古が凄い人物であることが実感できるシーンです。

「人は善神によってのみ救われるのではないのです」(鬼幽/『イティハーサ』7巻より引用)

鬼幽は一狼太のような者の心が、どうすれば救われるのかをずっと気にかけていました。1度は亞神の側に入った一狼太ですが、それでも心は救われることはなく、それならばいかにして救われるのかが彼のどうしても知りたい答えでした。

「人類は進化する反調和である」(目に見えぬ神々/『イティハーサ』10巻より引用)

亞神で不二を支配している天音の存在は、善でありながらも何か違和感を覚えるものでした。この言葉は亞神と威神の存在する意味に対する答えなのでしょう。

 

『イティハーサ』の魅力5:言葉を扱う作品ならではの名言【人間編】

著者
水樹 和佳
出版日

 

「これはお前の誇りだ 美しい傷だ」(青比古/『イティハーサ』3巻より引用) 

子どもの頃に威神の戒士に部族が襲われた時、顔の傷と引き換えに貞操を守った桂に対し、青比古が掛けた言葉です。傷に心の美しさをたとえるところから、作者のセンスを感じられます。

「あたしを見てよ!!見ないなら殺して」(黄実花/『イティハーサ』5巻より引用)

常に心を開かない一狼太へ放った、黄実花の言葉です。黄実花は、一狼太が殺すことでしか愛を表現できないことを知っていて、そんな彼に想いを寄せていた彼女は幾度となく自分を殺すように言います。

「天と地をつなぐ糸…きらめく透明な糸…」(夭祜/『イティハーサ』6巻より引用) 

夭祜の言葉を、鬼幽が思い出すシーンです。「天と地をつなぐ糸」とは雨のこと。とても美しい比喩であり、透祜を暗示させると鬼幽は語りました。

「話すことがたくさんある…だが一番初めに言う言葉はこれしかない」(青比古/『イティハーサ』7巻より引用)

廃人になった青比古が目覚めたとき、桂に言った言葉で、この後彼は耳元で何かを囁くのです。これは本作のラストを最高に盛り上げてくれ、それまでの辛くて切ない数々の出来事がすべて報われるような名シーンです。

 

『イティハーサ』ストーリーの見所1:鷹野と透祜、青比古と桂の行く末は?

著者
水樹 和佳
出版日

 

鷹野は透祜へ、異性としての感情を少しだけ抱きますが、それは2人の永い別れの始まりでした。

天音と鬼幽がついに正面から戦いはじめた時、鷹野は自らの信じる道を貫いて天音を消し去ります。彼女を亡き者にした鷹野ですが、生命の終わりを確実に感じていました。

鷹野を愛していた空子都ですが、もし彼が天音を消し去ろうとするならば命を落とす呪いを掛けていたのです。鷹野、透祜、鬼幽は最後の力を振り絞って永遠蛇に向かいますが……。

物語の序盤での透祜は、なんとか鷹野に見つけだしてもらいたいという気持ちがよく表れていました。しかしここで彼女は、10000年後の世界で転生をくり返すことになる鷹野を再び見つけ出してみせるという強い意志を見せるのです。

一方、人となった青比古は不二の里で桂とともに暮らしていましたが、その心は閉ざされたままでした。

ある時、桂が青比古に会いにいくと、空には夜ち王(やちおう)の姿が。「あなたはあたしの…弟…?」と思わず声をかけると、彼は優しく微笑んで青比古を指差し、「幸せに…」と言って空に戻っていくのです。

その後奇跡が起こり、廃人だった青比古は自分を取り戻しました。桂の頭を優しく撫でて愛の言葉を囁くのです。号泣する桂が印象的なシーンです。

 

『イティハーサ』ストーリーの見所2:夜ち王の目論見とは?

著者
水樹 和佳
出版日

 

夜ち王は、「目に見えぬ神々」に遣えながら、どの「目に見える神」にも属さない存在であり、善の神である亞神であろうと悪の神である威神であろうと消し去る力を持ちます。

自らを不完全な存在と語り、知識や力はあっても人としては何も知らないため、時を超えた世界で人として転生するには善と悪を刻んできた者との一体化が必要になります。そのため、透祜のような善と悪を刻み込んだ魂を求めていました。

しかし、一体化すれば今までの存在ではなくなり、夜ち王と透祜の融合体として転生することになります。しかもそれは、10000年後に唯一神が降臨し、人類が与えられる平安を拒んだ時に初めて成立する話なのです。

唯一神が降臨した時に人類が反調和の道を選べば、ご神鏡はあらゆる力を跳ね返す力を持ちますが、それを誰に渡すかを透祜はすでに心に決めていました。

 

『イティハーサ』ストーリーの見所3:見えない神の意思とは?

著者
水樹 和佳
出版日

 

「目に見えない神々」と、鷹野、鬼幽が対話したとき、衝撃的な言葉を聞くことになります。

「まず我等は神にあらず…」

彼らを表す言葉は存在せず、何かの意識のある情報体のようなものでした。人類は反調和することで進化していき、調和によって無になると語られます。つまり調和とは、亞神の天音のような平安の心を与えてくれますが、それはひとつの支配でもあり、進化を奪ってやがてはすべてを無にしてしまうのです。

10000年後の未来に唯一神と言われるものが降臨しますが、それをあっさり受け入れるようであれば、調和によってすべては無に還ります。そのために鷹野のような反調和の意思を持つものが必要で、「目に見えない神々」は亞神や威神を創りだし、世の中に争いを起こしました。

この話を聞いた鷹野は、怒りで不二の山を噴火させてしまいますが、鬼幽は「目に見えない神々」もまた人類を愛しんでいると理解します。
 

鬼幽は威神でありながら、亞神でもあります。これも「目に見えない神々」に仕組まれたことですが、それゆえに亞神では救えない魂があることに彼女は気づくことができたのです。

『イティハーサ』の伝えたかったメッセージは何だったのでしょうか。それはきっとひとつではなく、読み手の数だけ刻みつけられるものなのかもしれません。

 

『イティハーサ』の読むほどに深い物語を読んでみよう!

著者
水樹 和佳
出版日

神々と人間の対比、言葉の力など、読めば読むほどに深い内容を感じ取れる本作。1986年から1997年まで連載されていた作品ということで、知らない方も多いかもしれませんが、名作と呼ぶにふさわしい内容となっています。

重厚なテーマ、魅力的なキャラたちで彩られた作品世界は、本当にあるかのような異界を読者に見せます。ただの漫画の域を超えて読者をその中に引き入れ、夢中にさせることでしょう。

そしてそこで登場人物たちの経験を追体験することで、彼らから多くを学ぶのです。それほどに教えに満ち、実際にあるかのような世界、人物が構築されているのです。

一言では語りきれない魅力をぜひご自身で体感してみてください。

『イティハーサ』は宗教的なテーマも扱っていますが、決して偏った内容にはなっておらず、むしろ純粋にSF大作、恋愛漫画として楽しめる作品です。登場人物たちの描き方がそれぞれ本当に巧みで、彼らの繊細な心の変化が伝わってきます。ここではまだまだ書ききれないキャラクターやストーリーがたくさんあり、読めば読むほど深みを感じられるので、ぜひ1度お試しください。

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