5分でわかる明治維新!いつ何が起きたのか、流れをわかりやすく解説!

更新:2021.12.10

江戸幕府への倒幕運動から、明治時代初期までにおこなわれた一連の改革を「明治維新」といいます。中央集権国家として生まれ変わった日本政府はさまざまな西洋文化を取り入れましたが、いつ何が起きて、どのような流れで改革はおこなわれたのでしょうか。この記事ではわかりやすく解説するとともに、おすすめの関連本もご紹介していきます。

ブックカルテ リンク

明治維新とは?簡単に解説

19世紀後半に日本で起こった近代化への一連の改革を「明治維新」といいます。改革の始まりの時期と終わりの時期については諸説ありますが、一般的には1853年のペリー来航を発端とし、明治政府による近代国民国家の基礎ができあがるまでを指しています。

浦賀沖にペリーがやって来た際、江戸幕府は絶賛鎖国中でした。外国との貿易や文化の流入を制限していたにも関わらず、開国を求めるアメリカに屈し、「日米和親条約」を締結してしまいます。さらにイギリスやロシアとも不平等条約を結ぶことになり、当時の武士や民衆たちの間には不満が蔓延。倒幕思想が強まっていきました。

そんななか、天皇を中心とした政府の成立を目指す薩摩藩と長州藩が同盟を結び、1868年に新政府軍(倒幕軍)と旧幕府軍が争う「戊辰戦争」が勃発。約260年間続いた江戸幕府が滅亡し、日本は新しい明治時代へと進んでいきました。

「富国強兵」「殖産興業」「文明開化」を3大スローガンに掲げ、諸外国に追いつくための改革に身を乗り出します。

ではここからは、流れをくわしく見ていきましょう。

明治維新の流れ①討幕運動

鎖国状態が続いていた江戸時代の日本ですが、1853年にペリーが現れてアメリカと不平等条約を結んだことから、攘夷思想や国防意識に拍車がかかるようになります。

また、当時の大老だった井伊直弼が幕府に反対する者を処罰する「安政の大獄」を起こし、後に白昼堂々暗殺されたことを受け、幕府の権威は失墜。反幕府思想も蔓延していきました。

そんななか、敵対関係だった長州藩と薩摩藩が同盟を結んだことで、倒幕思想がいっきに強まります。15代将軍・徳川慶喜は自ら政権を返還する大政奉還をおこない、その後発令された「王政復古の大号令」によって、江戸時代は終わりを告げました。

明治元年にあたる1868年には、旧幕府軍の残党と、薩摩藩・長州藩を中心とした新政府軍によって「戊辰戦争」が引き起こされます。これに新政府軍が勝利したため、その後の日本では同政府が政権を握ることとなりました。

明治維新の流れ②中央集権化。天皇は東京へ

戊辰戦争に勝利した明治政府は、天皇と中央拠点を京都から東京へ移動させ、天皇を中心とした中央集権国家をつくりはじめます。

しかし、時代が変わったとはいえ、260年以上も続いた幕府体制を変えることは簡単ではありませんでした。早急に各藩に対する権力を強め、明治政府が実権を握る必要があったのです。

そこで1869年に開始したのが「版籍奉還」です。各藩が所有している領民の籍を天皇に返還させる政策で、すべての土地と民は天皇のものだと示しました。薩摩藩主と長州藩主が率先して変換すると、ほかの藩もこれに倣います。

しかし依然として藩政を継続していたため成果は得られず、結果的にこの政策は失敗となりました。

すると1871年には「廃藩置県」を実施。全国の藩を廃止して、中央が管理する県と府に置き換えるもので、知藩事(旧藩主)には「華族」という身分層を与えます。知藩事の代わりに府には「府知事」、県には「県令」を中央から派遣しました。

中央集権化をはっきりと示す政策に批判が起こることが考えられたため、明治政府は軍事力を背景に一挙に断行します。

また明治天皇は、天地神明に誓約する形式で「五箇条の御誓文」を打ち出しました。 国家全体の方針を示すもので、骨子は「開国和親」と「公儀世論の尊重」の2つ。開国して他国と仲よくしよう、世間一般の人々の考え方を尊重しようという内容です。

翌日には江戸幕府の法令を記してあった札が撤去され、代わりに「五榜の掲示」を立てます。

こうして明治政府は、着実に政治の実権を握っていくようになりました。

明治維新の流れ③政府がおこなった政策は?

ここからは、明治政府がとくに力を入れていた政策を5つご紹介します。

北海道

ほとんど開発されていなかった蝦夷地を開拓し、1869年に北海道と改名しました。当時のロシアに対する国防対策、豊富な石炭の取得、不平士族の兵力の削減が目的にありました。

札幌に開拓使を設置し、1874年にはロシア軍対策のため屯田兵も設置します。屯田兵は不平士族が軍人として生きる道にもなり、結果として兵力を削ぐことにも繋がりました。

また、国内産業用の石炭を運ぶため、幌内炭鉱から小樽港までの間に鉄道を完成させます。

貨幣・金融

通貨制度を再整備する余裕がなかった政府は、幕藩時代の銭貨や藩札を利用しながら通貨不足の解消に乗り出します。当面の資金として発行されたのが、不換紙幣の「太政官札」や「民部省札」というものです。

その後金本位制を導入し、国際通貨としても通用するよう1871年に制定されたのが、「新貨条例」です。

日本の新しい通貨単位として「円・銭・厘」を採用し、貿易が滞りなくおこなえるようにしました。ちなみにこの時「円」という名前を提案したのは、大隈重信だったそう。

さらに貨幣制度の統一を図りたかった政府は、アメリカに倣って「国立銀行条例」を制定。1879年時点で全国に153もの国立銀行が設立され、一定の条件のもとで紙幣発行の権利が与えられました。

兵制・軍制

富国強兵を目指していた明治政府にとって、軍備の充実は不可欠。政府が集め、政府が養い、政府のために戦う軍隊の存在が求められていました。

そこで1872年に出されたのが「徴兵告諭」です。しかし庶民が血税一揆を起こすなど問題が発生し、うまくいきませんでした。

翌1873年には「徴兵令」を施行。「四民平等・国民皆兵」を掲げ、徴兵の対象は20歳以上の男子とし、士族を問わず採用するようにします。近代的な軍隊を育成したかったため、剣で生きてきた武士の身分を優遇することはしませんでした。

宗教政策 

1868年に制定された「神仏分離令」は、日本古来の考え方であった神仏習合を制度上否定し、神社と寺院を区別するというもの。

仏教の排除を意図したわけではありませんが、神道国教化を目指し、神道による教育を根付かせようとしました。しかし寺院や仏具を破壊する運動が活発化してしまい、キリシタンへの圧力も強くなったため、神道一本化の計画はとん挫しました。

地租改正

土地問題と租税問題を同時に解決する政策が「地租改正」です。

まず1871年に、江戸時代に禁止していたもののほとんど守られていなかったため、「田畑永代売買禁止令」や「田畑永代勝手売買禁令」を廃止。土地所有者には地券を発行し、土地の私的所有権を認めました。

さらに1873年には「地租改正条例」を発表し、土地所有者には地価の3%を現金で納めさせるようにします。しかし農民一揆が各地で激化したため、税率を2.5%に引き下げました。

明治維新の流れ④改革の結果、何をもたらした?

封建制度は中央政権へ、鎖国は開国へと変化するなか、大きく変わったのは生活様式と身分制度です。

「ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする」というフレーズは誰しも聞いたことがあるのではないでしょうか。西洋文化を積極的に取り入れたことで、庶民の生活が一変します。

たとえば、当時の日本ではメジャーでなかった肉を食べる習慣が拡散し、初めてのパン屋さんもこの時期に開業。ちょんまげではなく「ざんぎり頭」という髪の毛を短く刈り上げたヘアスタイルが流行して、洋服や靴なども日本流にアレンジされながら広まっていきます。

また、身分制度がなくなったことも大きな変化だといえるでしょう。「士農工商」が存在し、生まれたときから身分が決められ、武士の娘が農民に嫁ぐことはほとんどありえなかった江戸時代ですが、「四民平等」という考えが広まり、誰でもさまざまな職業に就けるようになります。

これには、下級武士だった西郷隆盛や大久保利通が、明治維新後に国の要職を司ったことが大きく影響しているでしょう。

しかし近代国家を目指して日本が成長する一方で、政府への悪口や批判を許さず、自由な発言ができないよう取り締まりも厳しくしていきました。

明治維新の中心人物を紹介

伊藤博文

日本最初の内閣総理大臣になった政治家。長州藩出身で、松下村塾の塾生です。1863年からおよそ1年間イギリスへ留学し、海軍施設や工場などを見学。あまりの国力の差に驚き、開国論者となりました。

下関戦争の計画を知り、回避させるために急いで帰国するも失敗。戦後の和平交渉に高杉晋作の通訳として同行しています。

明治時代になってからは、新政府の参与や外国事務局判事などに就き、井上薫や大隈重信とともに改革に尽力しました。「大日本帝国憲法」の起草の中心となり、1885年に初代内閣勝利大臣に就任しています。

ちなみに無類の女好きと知られていて、留学中でも戦時中でも女遊びに興じていたそうです。

西郷隆盛

薩摩藩出身。大久保利通や木戸孝允とともに維新の三傑のひとりに数えられています。ただ彼が頭角を現したのは、36歳頃とやや遅め。

1864年の「蛤御門の変」などで長州藩と犬猿の仲になりますが、その後勝海舟の説得もあり、坂本龍馬の仲介のもと1866年に「薩長同盟」を締結しました。その後も薩摩藩の倒幕派を主導し、江戸城の無血開城に尽力します。

明治時代に入ってから陸軍の初代大将を務めました。そのほか地租改正や太陽暦の採用などさまざまな業績を残しています。

鹿児島に戻ってからは私学校の設立など教育方面に注力。しかし生徒によって反乱軍が組織され、西南戦争で先頭に立つこととなり、追い詰められた結果49歳で亡くなりました。

身長は約181cm、体重は約108kgと大男だったそうです。

大久保利通

薩摩藩出身。西郷隆盛の幼馴染であり、弟分でもありました。政治家に必要な強い意志と実行力だけでなく、柔軟な思考も持っていたそうです。

倒幕運動時には、徳川慶喜の大政奉還を受けて、岩倉らとともに王政復古を断行。新政府では参与に任命されています。その後は版籍奉還、廃藩置県などを決断し、礎造りに多大な貢献をしました。

八男一女の子供を育てる子煩悩な一面があったそう。また私財を投じて国のために尽くしたため、亡くなった際は借金まみれだったといわれています。

勝海舟

幕府の役人である一方で、倒幕の流れにも理解を示した勝海舟。政治に関わるようになったのは、1853年にペリーが来航した際に幕府が海防意見書を町民にまで広く求め、彼の意見書が認められたことがきっかけでした。

語学堪能だったため、1855年には長崎にある海軍伝習所の1期生として入門。1860年には軍艦「咸臨丸(かんりんまる)」を操縦して日本人初の太平洋横断に成功します。その後「海軍と言えば勝海舟」といわれるほど実力を伸ばしました。

大政奉還がおこなわれた後は、新政府と徳川家をつなぐ交渉役を担います。なかでも西郷隆盛と交渉して江戸城を無血開城にもっていったのは、彼の偉業として有名でしょう。徳川慶喜と朝廷の和解にも尽力しました。

江戸経済から学ぶ改革の本質

ここからは、もっと明治維新について詳しく知りたい方におすすめの書籍を紹介していきます。

著者
上念 司
出版日
2016-04-09

江戸時代の経済体制や幕藩体制が、明治時代に大変動したその大きな流れを記した一冊。当時の庶民の生活水準や、幕府の政策を資料で見てみると、時代劇などで描かれているイメージとはかけ離れていることがわかります。

明治維新は、外国からの圧力だけでなく、国内の経済状況が政治体制についていけなくなったことも大きな原因だと著者は分析。また、実は江戸時代こそ高度な資本主義経済を展開していたと主張しています。

江戸の新たな側面を知ることができ、そこからどうやって明治維新に繋がっていったのか、理解することができるでしょう。

対談形式で読む日本の核心

著者
["猪瀬 直樹", "磯田 道史"]
出版日
2017-11-16

作家であり元政治家の猪瀬直樹と、歴史学者の磯田道史の対談本。

天皇の地位の確立からはじまり、朝廷と武家の二大支配、戦国大名による中央集権化……日本がさまざまなに形を変えてきた流れを2人が解説していきます。

経済的な側面は磯田が解説し、猪瀬が多くの著作を根拠に語りあうさまは刺激的。多量な知識を一気に得ることができます。

対談形式で言葉も硬すぎないため、スラスラと読み進めることができるでしょう。

明治維新とテロリスト

著者
原田 伊織
出版日
2017-06-15

吉田松陰の神格化、「勝てば官軍」という本当の意味、明治維新の検証など、日本の未来への教訓として活かしてほしいという著者の感情がダイレクトに響く一冊。

本書は、「徳川幕府の体制が悪であり、明治政府は善である」という歴史観にメスを入れています。当たり前ですが、人や立場によって歴史の見え方は違うもの。また既成の考えに疑問を抱くことも重要なことだといえるでしょう。

「テロリスト」という過激な言葉を使っていますが、歴史は勝者によって作られるものだということを確認し、多角的な歴史認識が必要だと考えるきっかけになるのではないでしょうか。

イギリス人から見た幕末と明治維新

著者
["アーネスト サトウ", "Satow,Ernest Mason", "精一, 坂田"]
出版日

1862年の「生麦事件」や「条約勅許問題」などの紛争を体験したイギリスの青年外交官と、通訳として活躍したアーネスト・サトウの幕末日本回想録。GHQから焚書指定されていた一冊でもあります。

イギリス人の青年は、攘夷思想が蔓延する危険な状況のなか、自らの目で明治維新までの流れを見ていました。

反幕府派でなおかつイギリスと直接交戦した薩摩藩や長州藩を好意的に見る一方で、動乱の真っただ中にいる日本全体の様子も冷静に観察しています。第三者の目線が正直に綴られている本書は、歴史的にも貴重な資料であるうえに、読者にも幕末の新鮮な印象を与えてくれるでしょう。


明治維新は単なる政治改革ではなく、当時の世界情勢に対応するための日本全体の変革です。欧米列強とならぶ大国へと成長する出発点ともいえる当時の奥深さを、今一度知ってみるのはいかがでしょうか。

明治維新を引き起こした歴史上の人物についてもっと詳しく知りたい方は、こちらの記事をご覧ください。

明治維新を引き起こしたのは誰だったのか?中心人物15人を考察! 

明治維新を引き起こしたのは誰だったのか?中心人物15人を考察! 

明治維新は260年あまり続いた江戸幕府を倒し、新しい時代を切り拓いた革命であり、日本は政治や経済、社会的にも大きく変わり、近代化と西洋化への道を進んでいきました。今回は、日本を明治維新に導いた本当の立役者は誰だったのかを探っていきます。

明治時代の人々の暮らしについて知りたい方は、こちらの記事がおすすめです。

5分でわかる明治時代の暮らし!服装や食事、文化などを解説。年表も

5分でわかる明治時代の暮らし!服装や食事、文化などを解説。年表も

黒船の来航があり、鎖国体制が崩れたことで江戸幕府は崩壊し、新しい政治が必要となりました。そこから誕生した明治時代の世は、今もつづく日本国家の原点といえるでしょう。この記事では、激変する時代の主な出来事や文化をわかりやすく解説し、おすすめの関連本もご紹介します。

  • twitter
  • facebook
  • line
  • hatena
もっと見る もっと見る