「小塚さんて休日何してるんですか?」「座ってます」「えっ?」【小塚舞子】

晴れた休日はドライブにでも行って……という空想をする

仕方なくベッドから起き出すと、部屋の中が何だかポカポカと暖かい。外は晴れ。のんびりと穏やかな青空は、きっと窓から見える景色よりずっと奥の方まで続いている。

よし、今日はドライブにでも行こう。行き先は車の中で考えよう。美味しいコーヒーをテイクアウトして、好きな音楽をかけて、少し窓を開けて、このゆるやかに暖かい風とコーヒーの匂いを感じながら……。

という妄想を、今日も自宅のリビングの定位置に座りながらモクモク考えている。いつも同じ場所にじっと座っているものだから、カーペットはそこだけがペッタリとしていて、座り心地もよくない。

ハタチ過ぎの頃、ラジオ番組の中で「休日は何をしていますか?」と訊かれて、「座っています」と答えた。座り続けて十数年。出不精が治らない。

ひとりでドライブに出かけたいと思う。冒頭でも書いた通り、あてもなく、ただ車を走らせながら考え事をしたり、ラジオや音楽を聴いたりすることに憧れる。電車やバスに乗って出かけることもできるが、車の中という私的空間がいいのだ。

誰にも気を使わず、個室に入りながら移動ができる。そう考えると、車とはなんと素敵な乗り物なんだろう。独り言を言っても、大声で歌っても、鼻をほじってもいい(それは見られるか)。

出不精だが、外には出たい。しかし家でひとり、ぼんやりするのが一番リラックスできる……となると、休日を一番充実させるには、ひとりでドライブするしかない。もう一度言うが、個室に入りながら移動ができるのだ。

しかも座りながら。しかし、それは絶対に叶わない。免許がないのだ。以前の記事でなくしたと騒いでいたのは、十代の頃になぜか取得した原付バイクにしか乗れない免許証で、それも超ペーパードライバー。今はエンジンのかけ方すらわからない。

車の免許はずっと欲しかった。子供の頃は18歳になったら免許を取るものだと思っていたし、実際にその年齢になってからも、いつか取ろうとぼんやり考えていた。友人たちが次々に免許を取っては、グングン運転技術があがっていくのが羨ましかった。今でももちろん免許が欲しい。しかし、何か余程のきっかけでもない限り、私が車を運転することはないだろう。ひとりで優雅にドライブできる日はこないだろう。

車の運転ができる人は全員、天才だと思っている。なぜあんな狭い道を、どこにもぶつからずに進めるのかがわからない。カーブを、そのカーブに沿ってハンドルを回せるのかがわからない。

ただ歩いているだけで、人にぶつかったりするのに。自転車に乗っていても、車幅(?)がわからず電柱なんかにハンドルやペダルの端っこをガリッとやってしまうことだってあるのに。決められた白線の中を、なめらかに運転できる人は皆、すごい。

不便な現実を受け入れるためには「諦める」方がよっぽど健康的だ

というわけで、私は運転など絶対にできないと思っているから、免許を取らないのだ。駐車なんて地球がひっくり返っても無理だと思う。後ろを振り向きながらハンドルを動かせば右なんだか左なんだかわからなくなりそうで、想像するだけで震える。

ミラーなんて見ようものなら、反転しているのやら何なのやらわからなくなって、パニックを起こすに違いない。最近見かけるバックモニターが出てきたときは、「これなら私にもできるかも!」と、免許取得への道が少し拓けたような気がして心躍らせた。

が、そもそもこれはどこにカメラが付いているのかと考えているうちに余計恐ろしくなってしまった(友達にあれこれ説明してもらったが、私のアナログ脳では理解不能だった)。しかし、わりとと言うか、実はかなり好きな移動手段がある。それは飛行機。

ぎゅうぎゅう詰めのエコノミーでの長距離移動も好きだ。(そもそもエコノミーしか乗ったことないけど)決められた席にきちんと座って、皆前を向いて空を飛ぶ。同じ目的地に向かって。その時間は限られたことしかできない。

最近ではWi-Fiのついている飛行機もあるそうだが、基本的には外部と連絡を取ることはできない。自由に動き回ることもできない。映画を観るか、音楽を聴くか、持ち込んだ本を読むか、ひたすら眠るか。

あとは、特に海外の航空会社だと愛なく配られる機内食をボソボソ食べるくらい。後ろの方に座っていたりすると、フィッシュかチキンかの選択肢も与えられず、小さなテーブルの上で何かこぼしたりしないか四苦八苦しながら食事をする。謎の魚も、歯が溶けそうになるくらい甘いデザートも、それしか食べるものがない空の上ではごちそうに思える。

なぜこんな不便な乗り物が好きなんだろうと考えてみた。「個」を感じられる場所なんてトイレくらいだというのに。でもなぜだか、隣に乗っている人が知っている人でも知らない人でも、ほとんど気にならないのだ。大きくても小さくても。イケメンでもおじさんでも。がーがーイビキをかいていたってイヤホンをしてしまえば別に構わない。神経質なはずの私が、イライラしない。

それはきっと「諦めている」からだろう。飛行機とはそういうものだと諦めて乗っているから、何が起きても大して気にならないし、そういうものだとのんびり構えていられる。

何とも寂しい答えになってしまったが、贅沢な環境を望んでイライラするより、最初から諦めている方が健康的なのではなかろうか。飛行機に乗り込んだその瞬間から、もう何時間もここから動けないものなのだと諦める。すると、その限られた空間を楽しもうと、脳が勝手に切り替わる。

何でもそういう風に考えられれば人生に随分ゆとりができそうだ。絶対においしいはずだと思って食べたカレーが美味しくないとがっかりする。でもある程度のものだろうと諦めておけば、美味しくなくても「まあこんなものよね」と思えるし、美味しかったら数倍の感動を生む。

いいことに気が付いた。これからは諦めよう。悲しい宣言ではない。楽しむために諦めるのだ。いや…待てよ。免許を諦めていたら一生ひとりでドライブを楽しめない。憧れである個室での移動はできない。でもまぁいいか。ドライブを諦めて家で見たテレビが面白いかもしれないし、電車の窓から見える景色をゆっくりと眺められる。あまり期待せず、流れていく時間に楽しみを見つけよう。

諦めることで楽しむことも、想像することもできる2冊

著者
平野 啓一郎
出版日
2016-04-09

「諦め」というワードで浮かんだのはこの本でした。諦めることも肝心ですが、もっと長い目で見ると諦めなければ何かが変わる。とても苦しく感じる内容でしたが、諦めずに読み切った時の清々しさったら……。

著者
よしもと よしとも
出版日
1996-05-01

スピッツの名曲「青い車」のタイトルにちなんだこの作品。あの曲をかけてドライブするのに憧れていました。作中には小沢健二さんの曲も流れてきます。私と同世代か少し上くらいの青春こじらせ組の方はぜひ……。

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