パンツ一丁で。いや、いっそ全裸で。【小塚舞子】

パンツ一丁で。いや、いっそ全裸で。【小塚舞子】

更新:2021.11.29

要らないものを全部捨てて、旅に出てみたいと思う。煩わしい荷物は何も持たずに、パンツ一丁で。いや、いっそ全裸で。でも裸足は痛そうだから靴だけは履いていこう。全裸に靴。うん、悪くないな。めっちゃ速く走れそうだし、愉快だ。

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もっと自由に、軽やかに、全裸で。

どんな格好で行くかはさておき、こういった妄想を膨らませて日々悶々としている人は少なくないのではないだろうか。最近CMで見かける「反対側の電車に乗っちゃいました。戻り時間はわかりません!」と、会社に電話するアレみたいな。そういえば漫画「ソラニン」も芽衣子さんが勢いで会社をやめるシーンから始まる。会社をやめて、昼間っから土手で缶ビールを飲んでいる姿は、最高にキュンとした。それ以外にも、日常の中に突然の自由を手に入れるシチュエーションはあらゆる小説や映画にも登場していて、いつの時代も人々から羨望の眼差しを受けている。

かと言って、誰もが本気で会社をやめて逃げてしまいたいと思っているわけでもないだろう。私だって、仕事をやめたいわけでもなければ、日常から逃げ出したい程窮屈な生活もしていない。比較的、自由に、穏やかに暮らしている方だと思う。

それでも、何もかもを捨てて旅に出たいと考えてしまうのはなぜだろう。もっと自由に、軽やかに、全裸で。以前コラムに書いた、「とにかくどっか行きたい、旅がしたい」みたいなこととは、同じようで少し違っている。ポイントは、「全裸で」ということだ。

街を歩いているとき、何気なく周りを見渡してみると、ほとんどの人が下を向いていた。皆、スマートフォンを眺めている。電車に乗っていてもそう。前の座席に座っている人全員が、揃って同じような格好でスマホの画面をなぞっている。一様につまらなそうな顔をして。

確かに旅先の車窓でもない限り、見飽きた景色をただ眺めているのも退屈に感じるし、考え事をするにも何だか手持ち無沙汰になって、私もついついスマホの画面に目を落としていることが多い。

そう、手持ち無沙汰。年々、それを恐れるようになってきている。

だからすぐに忘れてしまうようなどうでもいいことを調べたり、もっとどうでもいいゲームをしたり、インスタグラムで知らない人の愛犬を見たりする。とくにやらなきゃいけないことがなくても、片手にはスマホを握っている。考え事をしたくても、一度その画面を見てしまえば最後。いとも簡単にスルスルといろんな情報が入ってきてそっちに夢中になってしまう。これが依存症なのか。…なんだか支配されているようだ。

きっと私だけじゃないと思う。街中で、喫茶店で、電車の中で、信号待ちをしているほんのわずかな時間で、本当に用事があってスマホを触っている人はどれくらいいるのだろう。パリッとしたスーツに身を包んだおじさんが、難しそうな顔をしてキャラクターもののパズルゲームしている姿も珍しくないし、全くの無表情であるお姉さんのスマホを触る指の動きが尋常じゃなく速いときも、やはり何らかのゲームをしているか、どうでもいいページを流し見しているんだろうなと想像してしまう。暇つぶしに、何となく触っているだけの人の方が多いように感じる。

スマホや携帯電話が普及する前の街って、どんな表情だったっけ?と思う。人々は何を見ていたのだろう。景色?誰かの顔?道路の白線?電車に揺られながら、何を考え、何を眺めていたのか。自分がどうしていたのかすら思い出せなくて、それがなんとなくこわい。

何もないことへの、ないものねだり。

スマホは便利だ。以前はiPodや、もっと昔はCDウォークマンを持ち歩いて聴いていた音楽も、スマホ本体の容量が増えてからは、それで聴くようになった。電車に乗るのもスマホひとつでピピッとやっているし、コンビニで買い物するのも、スマホに入っているクレジットカードで済ませている。本だけは、紙をめくるあの感覚が好きなので電子書籍には手を出していないが、CDはCD屋で買うことにこだわっていたにも関わらず最近すっかり音楽をダウンロードするという手軽さにハマってしまっているので、時間の問題だろう。何でもできる。あんなに小さいのに、スマホひとつあれば、なんだってできてしまうのだ。

でも・・・だから、私は全裸で旅がしたいと考える。全部捨てて。いやいや!普通に服着て、スマホだけ置いてどっか行けよ!なんてことは、自分でも思う。そもそも旅になんか出なくても、自宅でスマホの電源を切って過ごしてみればいいだけだし、わざわざ電源を切らなくても、その存在自体を気にしなければいい。そんな簡単なことが、やけに難しいのだ。

やってみようとすると、あ、そういえば明日のスケジュールって…とスマホに入っているカレンダーを見なければいけなかったり、夕飯のレシピを…とクックパッドのアプリが見たくなったりする。もはや、だれかと連絡を取るためだけの手段ではない。今も私の横に冷たく横たわるこの小さな塊が、生活の真ん中にいる。

人は便利さを求める。私も今より便利に暮らせるものがあれば、飛びついてしまう。しかし、それが当たり前になればなるほど、何もない時代の方が豊かな気がしてしまって、そこから逃げ出そうとする。

反対側の電車に乗った彼女だって、就職できたときは嬉しかっただろう。初めてiPhoneを手にしたときはワクワクした。その時の気持ちをすっかり忘れてしまっているわけではなくても、それ以前の生活が何だか恋しくなってしまうのだ。

何もないことへの、ないものねだり。手持ち無沙汰解消のためにルービックキューブでも買ってみようかな。そしたら今度はルービックキューブに支配されるのかな。

全裸で旅がしたいという理由はもうひとつあって、それはとても単純。クローゼットを支配している大量の服を全部捨てたい。片づけの本を読んでは一念発起して部屋をまるごとひっくり返し、幾度となく断捨離に失敗している悲しいエピソードも披露したいところだが、それはまたいつかにとっておこう。

今、世界中がこんなに便利になる前の暮らしに戻ったら。人々はどんな表情で、何を語り、何をするのだろう。想像する世界は、とても平和な気がして、それは私が単純すぎるからなんだろうか。

すべてを投げ捨てて旅に出たい気持ちを解消してくれる2冊

著者
浅野 いにお
出版日
2005-12-05

上にも書いた通り、芽衣子さんが会社をやめるところから物語は始まります。家には同棲している恋人の種田。バンドがやりたい、でも現実がある。悩む種田の背中を芽衣子さんが押し、躓きそうになりながらもゆっくりと前に進もうとする二人ですが、種田は交通事故で亡くなってしまいます。自由、希望、絶望、再生。人生で経験するあらゆる究極の感情が、この漫画に凝縮されています。何度読んでも、心がスッキリとする作品です。漫画なんて…と思っている方もぜひ。

著者
津村 記久子
出版日
2015-09-27

職場のおじさんが文房具を返してくれない、微妙な成績のフィギュアスケート選手を応援している…。周りから見れば、ほんの些細な出来事でも自分にとっては一大事。今日はもう逃げ出してしまいたい!なんてこと、誰にでもあるんでしょうね。「旅に出たい」のと「うちに帰りたい」のは反対の意味のようでいて、実は同じなのかなと思います。自らが望んでそこにいるとしても、そこから出られないとわかれば不安になったり。今の自分が幸せだってことに、今気づける人になりたいものです。

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