【第16回】バターみたいな軟膏の話

【第16回】バターみたいな軟膏の話

更新:2021.12.4

叫び出したい葛藤が皮膚の下で痒みに変わる。 ちくちくとふつふつと皮膚に痒さが立ち、首のうしろや顎のあたり、唇の下、まぶた、膝の裏、背中、胸、肘、手首、いろいろなところへ気ままに浮き上がっては熱をちらしていく。 しばらくすると体のところどころに火傷のような赤い模様とランダムな鳥肌がぷつぷつと浮いてくるので、これ以上わたしがわたしの皮膚をかきとらないようにぬるいシャワーを浴び、優しくなだめるように透明の軟膏をぺたぺたと塗る。 外出先ではできるだけ傷つけないように患部をじっと押さえてみたり、手でぱんぱんと叩いてみたりもする。 痒みはしれっとやって来て、わたしを散々ぶちのめした後にふっと、いやなこともいいことも、最初から何にもなかったのですという顔ですっと消え、目がさめた頃にまたわたしを殴りに来る。

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わたしはわたしをこれ以上えぐらないために、爪をいつも短く切っている。

物心ついた頃から会社と結んだ契約の中にあるこの身体は、わたし個人のちょっとした苛立ちで引っ掻いて傷ものにしてはいけない。

けれどわたしはわたしの皮膚から剥がせない、皮膚はわたしの全部ではないけれど、この皮膚はわたしそのものでもある。悔しいけれどこの痒みもわたしなのである。

毎日洗って拭いて軟膏を塗ってと皮膚の世話をし続けるのも、いろんなことの区別がおぼろげになり、たわんだ皮膚ごとわたしを看取るのも、突き詰めればわたししかいない。

皮膚科医というのは、診察をして症状を抑える薬を処方することはできるけれど、なぜこうなっているか、原因そのものについて明確に言うことはできないらしいと聞いた。

このわたしが何をしたのだ、というのは起こっている皮膚の痒みとか皮膚そのものにとって意味のある問いかけではないし、わかったところでどうにかなるものかはわからない。

それなら、いいこともわるいことも自分のものにして生きていくしかない。

暑さにかぶれる季節が過ぎてまた秋がきた。この時期は乾燥で肌が粉を吹く。

わたしは26歳になった。

ということはもうすぐに年末がきて年始がくる、まだ見えない時間がどんどん流れて、

私はあっという間に柔らかい肉のたるみと皺と白髪に包まれながら、おぼろげに自分を看取る日へどんどん近づいていく。

子供の頃、風呂を上がってすぐのほかほかの皮膚に母が軟膏をさするように塗り込んでくれた。

とびひでただれた肘や膝のうらが白い軟膏で塗り固められ、真夏の夜に自分の身体からバターに似たにおいがしたことを思い出す。母の手はいつもすごく必死だった。

肌が弱いまま大人になったが、風呂上がりには自力で薬を塗れるようになった。

お腹が空けばちょうどよくバターを乗せたトーストを作ることだってできる。

1300Wの熱で3分焼かれて、ところどころかさかさになったパンの真っ白な肌にバターがすべりながら溶けたしみは濃い味がして、パンはじっとりと湿ってすごく美味しい。

まふりと食んだ瞬間に香る小麦の甘い匂いやバターのしみを舌でざりざり撫でるときのことを思うとうっとりする。

この文章を書いている間もわたしの手はわたしの皮膚をかき続けている。

いま、まだここで熱を持っている赤い模様や焦げ目のようなかさぶたは、意識と皮膚の境がおぼろげになる頃どうなっているのだろう。

著者
["谷崎 由依", "酉島 伝法", "佐藤 究", "深緑 野分", "林 由紀子", "前田 司郎", "吉野 仁", "我妻 俊樹", "石川 美南", "斎藤 見咲子", "中山 俊一", "メアリー・エリザベス・カウンセルマン", "ホルへ・ルイス・ボルヘス", "大滝 瓶太", "北野 勇作"]
出版日
2018-10-13

文学ムック「たべるのがおそい vol.6」に掲載された谷崎由依さんのディストピア小説「野戦病院」では、一人の女性の身体が、病や日々の生活、そして契約書の先にいるだれか達によって大きく揺さぶられる。

ものごころついた頃からわたしの身体はわたしのものであり、同時にわたしだけのものではない。順調に成長し老いていくだけではないこの身体はどこまでが自分のものだろうかと見つめ直したくなる小説だ。

撮影:石山蓮華

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  • 電線読書

    趣味は電線、配線の写真を撮ること。そんな女優・石山蓮華が、徒然と考えることを綴るコラムです。石山蓮華は、日本テレビ「ZIP!」にレポーターとして出演中。主な出演作は、映画「思い出のマーニー」、舞台「遠野物語-奇ッ怪 其ノ参-」「転校生」、ラジオ「能町みね子のTOO MUCH LOVER」テレビ「ナカイの窓」など。

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