5分でわかるチェルノブイリ原発事故!対応や影響、今現在の状況などを解説!

更新:2021.11.17

1986年に発生し、福島原発事故とともに「レベル7」という最悪の原発事故として知られる「チェルノブイリ原発事故」。世界各地に放射能汚染が広がったほか、今なおさまざまな被害をもたらしています。ここでは事故の概要や影響、事故後の対応と現在の状況などをわかりやすく解説していきます。おすすめの関連本も紹介するので、ぜひご覧ください。

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チェルノブイリ原発事故とは。いつどこで起きたのか概要をわかりやすく解説

1986年4月26日に発生した「チェルノブイリ原発事故」。「国際原子力機関(IAEA)」が策定した「国際原子力事象評価尺度(INES)」でもっとも深刻な「レベル7」に分類されていて、2011年3月に日本で発生した「福島原発事故」と並んで史上最悪の原発事故のひとつとされています。

事故が発生したチェルノブイリ原発は、ソ連(現ウクライナ)にある原子力発電所。事故発生当時、チェルノブイリ原発には4つの原子炉がありました。そのうちの4号炉が実験中に制御不能に陥り、炉心溶融(メルトダウン)の後に爆発、大量の放射性物質をまき散らす事態となったのです。

事故発生直後、ソ連は事態の隠蔽を図り、対策は後手に回りました。その結果、周辺住民の避難は遅れ、多くの人々が被ばくする結果となっています。

また高レベルの放射線によってロボットの使用が困難となり、事故処理には不十分な防護しかしていない兵士や労働者を投入。その結果多くの人々が放射線障害におかされ、多数の犠牲者が生じることとなったのです。

チェルノブイリ原発事故による犠牲者数は諸説あり、正確な数は明らかになっていません。しかしいずれにせよ、原発事故史上最悪の人的被害をもたらしたといわれています。

たとえば国連が2005年におこなった推計によれば、事故による犠牲者数は4000人余りだそう。ただしこの推計は過少であると批判もされていて、実際の数はさらに多い可能性もあります。

2000年におこなわれたチェルノブイリ原発事故の14周年追悼式典の発表によれば、事故後に投入された兵士と労働者86万人中、5万5千人はすでに亡くなっているようです。またウクライナ領内だけでも、約350万人もの人々が被ばくしたとされています。

また、事故によって放出された放射性物質は北半球全域に拡散。ソ連だけでなく世界各地に放射線汚染をもたらしました。さらにチェルノブイリ原発の半径30km以内は2019年現在でも居住を禁止されているほか、各地に「ホットスポット」と呼ばれる高濃度汚染地域が点在しています。これらの地域の周辺では、今なお癌や白血病など放射線由来と考えられる病気が増加しているとも指摘されているのです。

このことから、チェルノブイリ原発事故による被害者は最大で数百万人規模、犠牲者の数は間接的なものも含めると数万人に達すると考えられています。

チェルノブイリ原発事故後の対応。石棺とは

 

先述したとおり、チェルノブイリ原発事故発生後、事態収拾のため多くの兵士や労働者が動員されました。彼らが放射性物質の拡散を防ぐために作ったのが、事故が発生した4号炉を覆う建造物「石棺」です。

コンクリート製で、1986年6月に建造を開始した後急ピッチで作業が進められ、同年11月に完成しました。「石棺」により、放射性物質の封じ込めに一定の成果が挙がったといわれています。

しかし「石棺」はあくまで応急処置であり、その耐用年数は30年ほどしかありませんでした。そのため事故発生から30年以上が経った現在では、「石棺」の崩壊も懸念されていて、新たな対策が求められています。

また「石棺」は、放射性物質を封じ込めただけで、内部に残された核燃料や汚染物質はそのままです。その結果隙間から流入した雨水が汚染され、周囲の土壌への放射能汚染が拡散し続けている問題も生じています。

そこで進められているのが、「石棺」をさらに巨大な建造物で覆う「シェルター構築計画(SIP)」というもの。後ほど詳しく紹介します。

 

チェルノブイリ原発事故の影響は?「赤い森」とは

 

事故の結果、チェルノブイリ原発の周囲は高濃度の放射能によって汚染されました。特にチェルノブイリ原発から半径10kmの地域は汚染が著しく、周辺の松は放射性物質を取り込んで枯死したそう。この枯死した松が赤茶色に見えたことから、原発周辺の森は「赤い森」と呼ばれるようになったのです。

その後ソ連政府は、汚染除去作業として枯死した松を伐採。汚染された表土もあわせて削り取り、地中深くに埋めています。また住民たちもこの区域から避難して、チェルノブイリ原発の半径30km圏内から人が消えることとなりました。

しかしチェルノブイリ原発事故の発生から時間が経つと、「赤い森」には再び樹木が生い茂り、多くの野生動物が暮らす空間に変化しているそうです。2006年に公表された「チェルノブイリ・フォーラム」作成の報告書には、現在の「赤い森」の様子を「皮肉なことに、退避区域は生物多様性の聖域と化している」と記されているほど。

その一方で異論も存在します。汚染が深刻な地域ほど奇形の動植物が多く確認されていて、通常の数倍の大きさに達する植物や、突然変異の動物が確認されているようです。また「赤い森」の周囲に生息する動物の数は増加しているものの、これは外部から動物が流入しているだけで、むしろこの地域の出生率は他の地域よりも低いという研究も存在します。

いずれにしろ、チェルノブイリ原発周辺の自然環境は、原発事故をきっかけに大きく変化してしまったといえるでしょう。

 

チェルノブイリ原発事故のその後。今現在はどんな状況なのか

 

チェルノブイリ原発事故の直後に作成された「石棺」は耐用年数を迎えようとしていて、新たな対策が必要とされています。そこで推進されたのが、「石棺」をさらに巨大な建造物で覆う「シェルター構築計画(SIP)」です。

これは「石棺」の周囲を幅275メートル、長さ162メートル、高さ108メートルのシェルターで覆い、100年単位での放射性物質の閉じ込めと、将来的な「石棺」の解体を目指すというもの。

計画は当初の予定より大幅に遅れたものの、シェルターは2010年に建造が開始され、2016年4月に完成を迎えました。その後2016年11月29日に油圧ジャッキによって「石棺」の上に移設され、現在に至ります。

今後は、シェルターによって「石棺」の崩壊に備えるだけでなく、遠隔操作されたロボットなどを駆使して内部の原子炉を解体することが目指されています。ただ残念ながら、現在の技術水準では内部の放射能を除去することは不可能だそう。これからも膨大な時間がかかることが予測されている状態です。

 

ノーベル文学賞を受賞した作者が描く関係者の声

著者
スベトラーナ・アレクシエービッチ
出版日
2011-06-16

 

本書は、チェルノブイリ原発事故を体験した人々へのインタビューをもとに書かれたドキュメンタリーです。消防士や軍人、労働者といった事態収拾に関わった人だけでなく、強制移住させられた人々やこの地に戻ってきた人々など、さまざまな立場の人の生の声が描き出されています。

語りを通じて、史上最悪の原発事故といわれるチェルノブイリ原発事故が、人々に何をもたらしたのかを感じることができるでしょう。文章は淡々と書き綴られていますが、読者もまた「チェルノブイリとは何だったのか」と深く考えさせられることになります。

またチェルノブイリ原発事故は、2011年に福島で起きた事故と無関係ではありません。本書の内容を日本の状況と重ねあわせると、また違った見方をできるでしょう。

 

チェルノブイリ原発事故と福島原発事故を考える絵本

著者
中澤 晶子
出版日
2016-03-02

 

絵本形式で、文体も小学校中学年くらいからひとりで読める作品。しかし読んでみると、子どもだけでなく大人も深く考えさせられるような内容です。

物語は、チェルノブイリと福島の牧場で可愛がられていた「まる」と「もも」と名付けられた子豚の視点で語られていきます。どちらも原発事故の結果、それまで暮らしていた人々に置き去りにされてしまうのです。

あくまで創作の寓話ですが、チェルノブイリ原発事故によって何が起きたのか、事故が私たちに与えた影響を考えるきっかけになる一冊です。

 

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