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特集!あの人の本棚
13.

平野啓一郎   (小説家)


Vol 2. 「ページをめくる手が止まらない小説」はいい小説なのか

平野啓一郎
平野啓一郎さんをゲストに迎えたインタビューシリーズ。今回は、平野さんが提唱する「分人」という概念についてひもといていきます。平野さんの近年の作品に通底するこの「分人」という考え方は、人生を大きく変える可能性を秘めています。また、後半は書籍の広告でよく見かける「ページをめくる手が止まらない」という表現に、平野さんが疑問を投げかけます。
Vol 2. 「ページをめくる手が止まらない小説」はいい小説なのか

「分人」の概念で、生き方が変わる

前回は、平野さんの作品の第1期から第2期への移り変わりについておうかがいしました。そのなかで、「現実社会に対する関心も強く持っていた」というお話がありましたが、具体的にどういったことに興味をもたれてきたのでしょうか。

平野啓一郎(以下、平野) 9.11のアメリカ同時多発テロ事件は、大きかったですね。『葬送』を書いている最中に起きたのですが、この信じられないような現実に対して小説家はどういう関わりを持ちうるのか、考えざるを得なかった。ロマン主義的な美の世界に浸って、あのまま小説を書き続けることもできたかもしれません。でも、自分はそれだけではどうしても満たされない部分があったんです。

――そうだったんですね。テロについては『決壊』でも扱われています。

平野 そしてもうひとつはインターネットの登場です。グーテンベルクの発明した活版印刷による印刷革命以来の大革命が起きている、ということをひしひしと感じました。この流れのなかで、人間はどう変わっていくのかということにすごく興味がわいたんです。そこでフォーカスしたのが、アイデンティティの問題でした。「自分とはなにか」ということは、誰もが根源的に持っている問題です。でも、この社会変化と経済不況により、若い世代は社会的な承認を通じてアイデンティティを確認することができなくなってしまいました。それは今も続いている状況で、悩んでいる人はたくさんいる。僕自身にとっても切実でした。だから、アイデンティティの問題を重点的に扱おうと思ったんです。

――それを反映したのが、第3期と言われる『決壊』『ドーン』『かたちだけの愛』といった作品ですね。

平野 はい。この3作は「分人」というテーマが根底にあります。自殺の問題を扱った『空白を満たしなさい』もその流れです。

――平野さんが最近の作品で扱ってきたこの「分人」という概念について、教えていただけませんか。

平野 「分人」とは、対人関係ごとに見せる複数の顔をすべて「本当の自分」ととらえて、たったひとつの「本当の自分」がいるという固定観念から離れよう、という考え方です。人間は分割できない「個人individual」ではなく、分割可能な「分人dividual」だとする思想です。「個人」という僕達がずっと信じてきた概念自体が、近代の産物なんですよ。中央集権化の時代はよかったけれど、もうそれが限界に来ている。

――「分人」について詳しく解説した、『私とは何か ―「個人」から「分人」へ』という新書も書かれていますね。

平野 僕らは「個人」という概念を何百年も信じていたので、それを解体するのはなかなか難しい。第3期の作品を書いていた時は、「分人」という考えを伝えるために、相当緻密に、構築的にアプローチしないといけないと考えていました。文学的でふわっとした話にすると、人はすぐ自分の慣れ親しんだ「個人」というフォーマットに戻ってしまうんですよね。この第3期の作品で、新たに読者になってくれた人もいたし、分人という概念を知ることでいろいろな問題が解決された、と言ってくださった方もいました。この概念は僕にとって、猿が二足歩行をはじめて人類へ進化したように、後戻りできない思考の変化なんです。基本的には普段の生活でも、分人という単位で人を捉えています。それで、けっこういろいろな問題が整理され、生きるのが楽になりました。

――思想の根底に関わる、大きな発想の転換ですからね。

平野 「分人」という概念を伝えるために、緊密な構成の小説を書いていた一方で、文学的なイマジネーションを自由に開放したいという気持ちもふくらんでいました。もっと読者の想像の余地を残した書き方をしたくなった。読んでいる間、非現実的な体験ができるというのも、物語としてのひとつの大事な役割ですから。元々僕は、『日蝕』みたいな小説でデビューした作家ですし。とはいえ、現実と完全に無関係なところで、僕の妄想的な世界にひたってもらうというのも、今の時代が求めるものとずれている気がしました。今の気分に根ざしつつ、読む前と読んだあとでその人の何かが変わっている。そういうものをつくりたくて、最新作の『透明な迷宮』を書いたんです。

――たしかに『透明な迷宮』は、少しだけ現実とずれた不思議な世界のなかを漂うような、トリップ感のある作品でした。

「読み終わりたくない」と言われる方がうれしい

平野 あと、今作を書くときにもう一つ意識したことがありました。僕はそれを「ページをめくる手が止まらない」問題と呼んでいるのですが(笑)。

――よく書籍の広告などに書いてあるフレーズですね(笑)。

平野 そうなんですよ。いろいろなところで目にしますよね。日本にはページをめくる手が止まらなくなっている人、いっぱいいるんじゃないですか?(笑)それってちょっと気持ちが悪いなと思うようになって。たしかに『ドーン』のような入り組んだ設定の小説は、説明しなければいけない要素も多いし、世界観に入り込んでもらうためにかなり工夫を凝らしました。それこそ、次々とページをめくれるくらい、読みやすくしようと考えたんです。でも、いまは現実の世界が情報過多になって、処理しなければならない情報がものすごく増えている。その現実のタスクをこなすテンポでページをめくらせて、とにかく結末のどんでん返しに向けて一直線! というつくりは、もうそぐわなくなってきたように思います。

――うーん、たしかにそうかもしれません。

平野 僕がTwitterで見かける感想でうれしいのは「読み終わりたくありませんでした」とか「ああ、もうちょっとで読み終わってしまう!」という、ページをめくるのを惜しむような声です。本当は、こちらのほうが豊かな読書体験なんじゃないか。僕が小説を好きになっていったのは、この感覚だったんじゃないかと改めて思ったんです。すばらしい旅行に行って、「ああ、帰りたくないな、現実に戻りたくないな」と思うような気持ち。「早くゴール地点にたどり着きたい」ではなく「ずっとここにとどまっていたい」という気持ちを喚起することを、文学はもうちょっと考えなければいけないんじゃないかと思いました。

――なるほど。でもむしろ新作の『透明な迷宮』は、まさにページをめくる手が止まらないくらいおもしろくて、一気に読み進めてしまいました(笑)。

平野 ありがとうございます(笑)。そこはたしかに矛盾してるんですよね。めくりたくなること自体は、わるくないのかもしれない。ただ、目の前にニンジンをぶら下げるというか、謎を提示しては解決するということを、絶え間なく連鎖させていくような読ませ方が良くないと思うんです。自主的にどんどん読み進めたくなるけれど、「読み終わりたくない!」と名残惜しく思うような世界を提示するのがいいのかもしれません。

――話は変わるのですが、平野さんは普段、どんなふうに本を読まれているのでしょうか。

平野 そうですね、基本的には本をざっくり3つくらいにジャンル分けしています。新しいコンテンポラリーな作品、19世紀くらいまでを含めた古典的な作品、そして社会学や経済学、思想などにまつわる学術的な本。ここに、現代的な新書などが含まれることもあります。これらのジャンルの本を、同時並行で読んでいます。

――読む本は、どういう観点で選んでいますか?

平野 古典などは、次に書こうと思っている作品の参考になるかどうか、ということを考えています。以前読んだ本を読み返すこともありますね。『決壊』の時は、ドストエフスキーは勿論、カポーティの『冷血』なんかも読んでました。丁度、新訳が出てたので。『空白を満たしなさい』の時には、死者が生き返ってくる、という設定でしたから、たとえば、イエスの復活を描いたD.H.ロレンスの『死んだ男』とか、読みましたね。『透明な迷宮』の前は、ユルスナールの『とどめの一撃』の文体に浸っていた時期があります。

――そうだったんですね。

平野 昔は、本は「踏み台」のイメージでした。ある小説を書きたいと思っているときに、それに類する作品をいくつか読んでいくと、ある高さまで登ることができる。ゼロからジャンプするのは大変ですが、すでにさまざまな傑作が自分の扱おうとしているテーマにふれているので、それを使って高いところに手を届かせる、という感覚だったんです。でも今は、本にも分人の考え方を応用するようになり、踏み台というよりも互いに影響するような感じになってきました。

――本に分人の考えを応用するとは?

平野 作品をつくっているときは、その本に対応した僕の分人が生まれるんですよ。文体や思考が、その本仕様になるというか、うつってくるんです。それを自分の中にとどめつつ、また違う小説を書こうとすると、前の作品の分人の香りを含めた新しいものができていく。それはけっこう楽しい体験なんです。今は次の長編小説の構想を練っているので、それに良さそうな本をいくつか読んでいるところです。


(次回へ続く)

インタビューの一覧

プロフィール

平野啓一郎
平野啓一郎
小説家

ひらの・けいいちろう/1975年、愛知県生まれ。北九州市で育つ。京都大学法学部卒。大学在学中の1999年、『新潮』に投稿した『日蝕』により、芥川賞を受賞。2009年、『決壊』で芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞、『ドーン』でBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。著書に『葬送』、『滴り落ちる時計たちの波紋』『かたちだけの愛』『私とは何か 「個人」から「分人」へ』、『空白を満たしなさい』など。各国で翻訳紹介もされている。

ライターについて

Writer 1
崎谷実穂

さきや・みほ/求人広告、記事広告のライターを経て、現在ビジネス系のインタビューライター。ブックライターでもある。cakes、日経ビジネスオンラインなどで連載担当中。

プロフィール

平野啓一郎
小説家

ひらの・けいいちろう/1975年、愛知県生まれ。北九州市で育つ。京都大学法学部卒。大学在学中の1999年、『新潮』に投稿した『日蝕』により、芥川賞を受賞。2009年、『決壊』で芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞、『ドーン』でBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。著書に『葬送』、『滴り落ちる時計たちの波紋』『かたちだけの愛』『私とは何か 「個人」から「分人」へ』、『空白を満たしなさい』など。各国で翻訳紹介もされている。

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平野啓一郎が小さいころに読み、影響を受けてきた作品たち

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