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特集!あの人の本棚
202.

安田 峰俊   (ルポライター)


「一切を呑み込む」という社名 「連載 シャープを飲み込んだ男・郭台銘伝」 第四回

安田 峰俊
シャープと鴻海科技集団(以下、鴻海)は、2016年4月2日に共同会見を行なった。内容は、鴻海によるシャープへの出資である。シャープの買収は連日話題になっていたため、鴻海の名も多くのひとの記憶に残っただろう。

だが、1974年に創業され、わずか一代、たった40年で時価総額約4.3兆円になった鴻海という会社、そしてその創業者であり現会長の郭台銘(かくたいめい)について、いったい我々はどれほど知っているだろうか。

この今回、10月に発売されたばかりの『野心 郭台銘伝』(プレジデント社)から、郭台銘という男と鴻海という会社の真の姿を、一部見ていこう。
「一切を呑み込む」という社名 「連載 シャープを飲み込んだ男・郭台銘伝」 第四回

『野心 郭台銘伝』(プレジデント社)


リスクを恐れぬ投資の連続

30歳の大阪出張以降の郭台銘に、もはや創業当初の不安げな雰囲気は見られない。郭は市場動向が変化すると従来の得意分野を惜しげもなく捨て去り、自社の方向を目まぐるしく変えていく。また、1982年の自社の工場建設や、1987年に1億台湾元(約4億5527万円)を投じた工場設備の購入に見られるように、数年に1度以上のペースで「身の丈に合わない」ように見える投資を躊躇なくおこなう。そしていずれの判断も、決定した途端におそるべきスピードで実行に移していく。

石橋を叩いて渡るような日本人の価値観から見れば、危なっかしい経営判断の連続だ。

だが、一連の投資はいずれも郭の強引なリーダーシップのもとで進められた結果、それぞれ目論見がピタリと当たり、鴻海の急成長を導くことになった。もっとも、郭のやり方は特に極端ではあるものの、こうした振る舞い自体は中華圏の経営者にまま見られる傾向であることも事実である。

〝 儒教文化をベースに持つ中華系企業は、戦略立案では事前合理性よりも事後合理性の重視、意思決定に当たってはトップダウンの色彩を見せる。家族関係のコアに「家父長」が存在し、そこに権力が集中していることに起因する。事前における綿密な情報収集・分析よりも、過去の経験や勘(直感)による「即断即決」型の意思決定が一般的である。信頼できる有能な中堅管理職が執行可能な計画に落とし込み、高い統制力を発揮することによって結果を出していく(略)〟

 (王効平「華人系企業の経営構造に対する一考察」『東アジアへの視点』第26巻1号所収。一部の句読点を筆者が補った)

2015年、「華人系企業」という着眼点から鴻海を考察する論文を発表した北九州市立大学大学院教授の王効平(おうこうへい)は、こうした指摘をおこなっている。右の引用のなかで「有能な中堅管理職」と表現されている人たちは、鴻海の場合は台湾人の高級幹部たち(第2章参照)を意味すると理解すればいいだろう。

王の分析はかなり面白い。
彼によれば、日本的な組織は新規事業を始めるときに、綿密な事前調査とリーダーたちの合議を重ねた末に判断を下して、慎重に実行に移していく(「事前合理性の重視」)。その一方で、一度動き出した事案については非常に大きな損失が出たりしない限り、その結果や当事者の責任がややあいまいにされてしまう傾向もある。

他方、鴻海のように華人的な組織の場合、家父長的なワンマン・リーダーが「なんとなく儲かりそうだ」といったインスピレーションを根拠に即決し、準備があまり十分ではない状態でもとりあえず見切り発車する。最初に決めた段階ではそれほど理論的な裏付けがなかったり、リスクが大きいように見えた行動であったりしても、結果的にお金が儲かるならば帳尻が合うのでそれで構わない(「事後合理性の重視」)という考え方だ。

当然、こうした結果オーライ型の華人経営者のビジネスは、準備不足や見込み違いのせいで失敗することも多いのだが、そうした場合は恥を忍んででも友人や親戚からカネをかき集め、捲土重来(けんどじゅうらい)を図るのが常である――。

こうした王の分析にあてはめる限り、鴻海はまさに絵に描いたような華人系企業だ。

土城の街を埋め尽くしていた、鴻海グループのややこしい名前の子会社の群れも、こうした行きあたりばったりの会社だからこそ生まれたものなのだろう。

野心 郭台銘伝

『野心 郭台銘伝』 安田 峰俊

「一切を呑み込む」という社名

ところで華人の文化と言えば、「鴻海」というあまりパッとしない社名は「鴻飛千里、海納百川」(大きな雁は千里を飛び、海はすべての川を納める) という古文調の八字句に由来している。

だが、この字句をそのまま載せた古典は見当たらず、漢文の対句としてもあまり美しくない(先に「千」という大きな数字が出て、後に「百」が来るのはバランスが悪い)ため、おそらく伝統的な中華文化についてあまり深く通じていない人が作ったオリジナルの言葉だろう。もしかすると、郭台銘本人か母親の初永真(しょえいしん)が、創業時に行きつけの道教の廟(びょう)でもらったオミクジの呪文あたりが出どころなのかもしれない。

ただし、中国ではもともと、「雁飛千里」(雁は千里を飛ぶ)、「燕飛千里」(ツバメは千里を飛ぶ)といった言い方がある。鴻海の社名を付けた人がそこまで意識したかどうかはわからないが、個人の強力なリーダーシップを肯定する「雁飛千里靠頭雁」(雁が千里を飛ぶときは先頭の一匹に頼る)という俗語もある。

一方、「海納百川」はもともと仏典の『大蔵経』などで見られる表現だが、現在の中華圏では通俗的なことわざの範疇に入る。寛容な人間性を形容して使われることが多いものの、漢字の意味の通りに解釈すれば「すべてを呑み込む」という意味に取ることも可能だ。

――世界中を飛び回り、この世の一切を腹に呑み込む。

図らずも後年の鴻海の姿をピッタリと予言した、実に恐るべき社名なのであった。

野心 郭台銘伝

『野心 郭台銘伝』 安田 峰俊
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プロフィール

安田 峰俊
安田 峰俊
ルポライター

1982年滋賀県生まれ。ルポライター、多摩大学経営情報学部非常勤講師。立命館大学文学部(東洋史学専攻)卒業後、広島大学大学院文学研究科修士課程修了。在学中、中国広東省の深圳大学に交換留学。一般企業勤務を経た後、著述業に。アジア、特に中華圏の社会・政治・文化事情について、雑誌記事や書籍の執筆を行っている。著書に『和僑』『境界の民』(角川書店)、『「暗黒・中国」からの脱出』(文春新書)の編訳など。

ライターについて

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丸善・ジュンク堂も同グループであるため、この2書店の売れ筋(ランキング)から注目の書籍を見つけることも。小説などフィクションよりもノンフィクションを好むメンバーが揃っています。

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安田 峰俊
ルポライター

1982年滋賀県生まれ。ルポライター、多摩大学経営情報学部非常勤講師。立命館大学文学部(東洋史学専攻)卒業後、広島大学大学院文学研究科修士課程修了。在学中、中国広東省の深圳大学に交換留学。一般企業勤務を経た後、著述業に。アジア、特に中華圏の社会・政治・文化事情について、雑誌記事や書籍の執筆を行っている。著書に『和僑』『境界の民』(角川書店)、『「暗黒・中国」からの脱出』(文春新書)の編訳など。

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