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特集!あの人の本棚
203.

安田 峰俊   (ルポライター)


その強烈な人たらし術 「連載 シャープを飲み込んだ男・郭台銘伝」 第五回

安田 峰俊
シャープと鴻海科技集団(以下、鴻海)は、2016年4月2日に共同会見を行なった。内容は、鴻海によるシャープへの出資である。シャープの買収は連日話題になっていたため、鴻海の名も多くのひとの記憶に残っただろう。

だが、1974年に創業され、わずか一代、たった40年で時価総額約4.3兆円になった鴻海という会社、そしてその創業者であり現会長の郭台銘(かくたいめい)について、いったい我々はどれほど知っているだろうか。

この今回、10月に発売されたばかりの『野心 郭台銘伝』(プレジデント社)から、郭台銘という男と鴻海という会社の真の姿を、一部見ていこう。
その強烈な人たらし術 「連載 シャープを飲み込んだ男・郭台銘伝」 第五回

『野心 郭台銘伝』(プレジデント社)


強烈な人たらし術

現在まで、鴻海のパソコン製造部門の最大顧客となっているデルとの受注契約を締結した経緯については、伝説的な逸話がある。

1995年、同社の創業者でCEOのマイケル・デルが、当時爆発的な発展を続けていた中国広東省の経済特区・深圳を視察した。郭台銘は、この際に市の高官らが出席して開かれた歓迎会の場に紛れ込み、紹介者に頼み込んでデルが中国を離れる前の数時間を自分たちに譲らせたのである。

このとき、郭はデルの空港行きを故意に遅延させ、翌日のフライトを待たざるを得ない状況に追い込んだと伝えられている。

「大変申し訳ございません。ところで、深圳空港がある宝安区の龍華には弊社の工場がございます。明日、空港までお送りする道すがら、少しご覧いただけませんか」

おそらく、郭はマイケル・デルにこんなセリフを繰り返したことだろう。

イチかバチかの開き直りだが、叩き上げの経営者である郭は、ひとたび口説き落としたいと考えた営業相手には異常に愛想がいい。当時のデルはわずか30歳の若さで、柔軟性に富んでいたことも幸いした。結果、郭はデルの説得に成功し、彼の予定に自社見学のスケジュールをねじ込むことで強引にコネを構築してしまう。

もっとも当初、デルは郭の熱意には感心したものの、技術力の低い中国工場での大量生産に不安を隠さなかった。対して郭は、受注の決定前にもかかわらず採算を度外視してアメリカに工場を造らせ、デルの不安を解消することにした。

そのおかげで鴻海は、最終的にはデルからの大口の受注に成功したのである。

似た話はソニーのゲーム機、プレイステーション(PS)シリーズの受注についても伝わる。当時、郭は製造の委託が決定される以前からPS専用の技術者を自社で大量に採用し、勝手に開発センターと工場を建設して、ソニーへの強烈な売り込みをおこなったとされている。

ソニー側はこの熱意にほだされる形でPSシリーズの製造を鴻海に任せた。

「1元のカネで100元を稼ぐのはバクチ、1元で10元を稼ぐのは投機だ。1元を用いて5角(0.5元)を稼ぐことこそ、投資と言うのだよ」

後年、郭台銘はある台湾誌の取材を受けてそんなことを言っている。

確かに鴻海の創業以来、彼の行動には一攫千金の大儲けを狙うような傾向は薄く、最初は赤字か薄利しか望めなくてもカネを出す。むしろ彼の非凡さが際立つのは、リスクを取ることに対する異常な勝負度胸のよさだ。

創業初期に手持ち資金の大部分を投入して自社の金型工場を造って以来、郭は「将来稼げるかもしれない10元のために、前もって9.5元をつぎ込む」ような、かなり際どい出資をしばしばおこなっている。

そもそも、ある出資が「バクチ」か「投機」か「投資」かを厳密に区分できる客観的な基準はない。そのため、ワンマン型のリーダーである郭本人がそうであると言い張る限り、彼自身の理解では、どれだけ大胆な出資案件でも「投資」となる。

ただ、そんな賭けの的中によって、従来の鴻海の拡大が導かれたのも事実だった。

「実のところ、かつて手を出したファイバー分野への投資や、近年の中国市場でのネット商店の展開など、郭さんの『投資』が大コケしたケースも少なくありません。ただ、結果論から言えば全体の7~8割は、郭さんの見込みは当たっているのです」

前出の林宏文はそう話している。いかにも華人系企業の経営者らしい結果オーライの行動(第5章参照)とはいえ、郭の「投資」もしくは「バクチ」の期待値は決して悪くない。

「シャープと鴻海は、いずれもグローバル企業だ。今回の件は買収案件ではなく、投資案件なのである」

2016年春、郭はシャープの買収についてもそう強調してみせた。

3888億円を投じたこちらの「投資」の結果は、吉と出るか凶と出るか? その答えを握るのは、郭本人の確信がどこまで継続するかのみだと言ってもいい。

野心 郭台銘伝

『野心 郭台銘伝』 安田 峰俊

自己認識とのギャップ

「基本的に、俺たちはみんな皇帝に対するようにうちの社長に接しているよ」

一方、台湾誌『商業週刊』は2002年にそんな従業員の声を伝えている。

鴻海はいつの間にか中小企業ではなくなり、グループの従業員数は当時すでに5万人規模に達していた。だが、規模がどれだけ大きくなろうと、会社の方向はすべて郭一人の意思によって動き続けた。

「皇帝」という表現は冗談交じりだとはいえ、「独裁為公(公の為に独裁す)」を公言する郭が、周囲からそう見られるようになったことは想像に難くない。特に中国共産党の専制体制に骨の髄まで慣れ切った中国工場のワーカーたちにとって、絶対的な権力を持つ「皇帝」の支配に従うことは、日々の仕事のなかでむしろ一種の安心感を抱かせるものですらあった。

皇帝、梟雄、独裁者――。
もっとも、カネと権力の行き過ぎた集中と個人崇拝は、こうした物騒な言葉とともに独り歩きしていく郭の外面と、ファストフード店でハンバーガーや牛丼ばかり食べている一人の台湾人の中年男との間に、大きな溝を作りはじめてもいた。

「私のことを皇帝であると呼ぶ者がいる。知らんよ、そんなことは。(略)私がどの皇帝に似ているというのだ? 知らんよ!」

2005年、郭は台湾の経済誌『今週刊』の取材を受けた際、開口一番にそう話している。

「私は皇帝などではなく、イモっころなのだぞ。年末の忘年会でも、イモやらサンタやらの仮装をするだけで、皇帝の格好なんてしたことがない。多くの報道は私を偉大に描き過ぎているのだ」

忘年会の仮装のくだりは郭台銘なりの下手なジョークなのだろう。ちなみに、郭は2015年にも、かつてのシャープの堺工場であった傘下企業・堺ディスプレイプロダクト(SPD)の忘年会の席上で、日本人社員を前にサンタ帽をかぶってカラオケを披露している。

ただ、メディアについての感想はおそらく本心だ。彼が引き続き語った以下の話も、私自身の周辺取材に照らして考える限り、やはり真実に近いだろうと思える。

「私は1カ月に1万台湾元(約3万4264円)も使わない。いまの携帯にはストラップすらも付けていないし、カバンも人からの貰い物。腕時計も使いきれていない。私はあまり物質的な楽しみを好む性質(たち)ではないんだ。(略)これが本当に、本当の私の姿なのだよ」

郭台銘は1974年に鴻海を創業して以来、人生の時間のほぼ100%を仕事に投入し、1日に16時間働く生活を何十年も続けてきた。同時に、他者の立場や多様な価値観を慮る視点に欠けたところがある彼は、自分の働き方を基準にして部下たちにも同様の労働量と責任感を担うことを求め、彼らを限界まで酷使してきた。

結果、会社はいつの間にか30万人以上(2005年当時)の人間を抱える「帝国」に変貌し、郭自身もアラブやヨーロッパの小国の君主に匹敵するほどの権力と財力の持ち主になった。

――ただし問題は、ここまで絶対的な存在に変わった郭本人の自己認識が、みずからの巨大さにまったく追いつけていないことであった。

「彼はいつまで経っても、自分が安定した大企業の経営者であるという意識を持っていない。創業中の会社を担っているつもりなんですよ。鴻海の社風が独裁的に見えるのも、この点ゆえなのです」

『今週刊』の林宏文が私に語った、郭についての人物評だ。コーポレート・ガバナンスなどどこ吹く風で、周囲に猛烈な働き方を要求するワンマン経営も、生産ラインを放り出すやくざな従業員と怒鳴り合っているような、立ち上げ直後の町工場の経営者の振る舞いであれば仕方のない話だ。

だが、郭はこの創業当時の感覚のまま、21世紀のグローバル市場まで走り続けた。彼を「皇帝」たらしめたのは、こうした彼自身の気質と自己認識のギャップの結果にほかならない。

しかし、2000年代もなかばに入り、郭台銘の目の前にこの矛盾を突き付ける事態が起こる。それは「皇帝」に非ざる一人の人間としての彼が、この世のなによりも大切にしてきたはずの家族や一族に関係する大きな悲劇であった。

野心 郭台銘伝

『野心 郭台銘伝』 安田 峰俊
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プロフィール

安田 峰俊
安田 峰俊
ルポライター

1982年滋賀県生まれ。ルポライター、多摩大学経営情報学部非常勤講師。立命館大学文学部(東洋史学専攻)卒業後、広島大学大学院文学研究科修士課程修了。在学中、中国広東省の深圳大学に交換留学。一般企業勤務を経た後、著述業に。アジア、特に中華圏の社会・政治・文化事情について、雑誌記事や書籍の執筆を行っている。著書に『和僑』『境界の民』(角川書店)、『「暗黒・中国」からの脱出』(文春新書)の編訳など。

ライターについて

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hontoビジネス書分析チーム

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丸善・ジュンク堂も同グループであるため、この2書店の売れ筋(ランキング)から注目の書籍を見つけることも。小説などフィクションよりもノンフィクションを好むメンバーが揃っています。

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安田 峰俊
ルポライター

1982年滋賀県生まれ。ルポライター、多摩大学経営情報学部非常勤講師。立命館大学文学部(東洋史学専攻)卒業後、広島大学大学院文学研究科修士課程修了。在学中、中国広東省の深圳大学に交換留学。一般企業勤務を経た後、著述業に。アジア、特に中華圏の社会・政治・文化事情について、雑誌記事や書籍の執筆を行っている。著書に『和僑』『境界の民』(角川書店)、『「暗黒・中国」からの脱出』(文春新書)の編訳など。

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