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特集!あの人の本棚
20.

朝倉祐介   (ジョッキンゼー代表取締役)


Vol 3. 経営の基礎はすべて馬から学んだ

朝倉祐介
朝倉祐介さんをゲストに迎えたインタビューの最終回は、最初から最後まで競馬の話です。雑誌、月刊『優駿』に人生を変えられ、中学生時代は馬の血統書を読みふけっていたという朝倉さん。経営にも通じるという競馬の魅力をたっぷり語ってくださいました。
Vol 3. 経営の基礎はすべて馬から学んだ
騎手を目指していた当時の朝倉祐介さん

血統書を読んで、19世紀の馬に思いを馳せる

朝倉祐介(以下、朝倉) と、ここまでいろいろな本の話をしてきたんですが、実際のところ僕の人生を変えた1冊は月刊『優駿』ですね

――ええと、月刊『優駿』とは……?

朝倉 競馬雑誌です。

――ああ、朝倉さんは中学を卒業してから、騎手を目指してオーストラリアの騎手養成学校に入ったんですもんね。

朝倉 『優駿』はいい雑誌ですよ。記事がつくりこまれているし、写真もきれい。まあ、競馬界の『Number』みたいなものです。「夏の馬産地をめぐる」なんて特集を読むと、ワクワクしますよね! 「ああ、北海道にあるノーザンファーム行きてえなあ」なんて。

――なんだか、ここまでのインタビューとぜんぜんトーンが違いますね(笑)。もともと、競馬に興味をもったのは何がきっかけだったんですか?

朝倉 家の近所に阪神競馬場があったからです。馬を見て、乗ってみて、その魅力に夢中になってしまった。中学生のときは、馬の血統書をずっと読んでました。

――血統書!? 血統書って読むものだったんですね(笑)。

朝倉 辞典みたいなのがあるんですよ。種牡馬の血がどうやって続いているのかを延々とたどっていくのが楽しくて。「ここにネアルコの血が生きてるから、この馬はこういう特徴があるのか」とかね。あ、ネアルコっていうのは、1930年台後半に活躍した、天才馬産家フェデリコ・テシオが生産した歴史的な名馬なんですけどね。

――は、はい。

朝倉 インブリードと言って、血脈をたどると同じ馬の血が入っているもの同士をかけ合わせることが、競馬界ではよくおこなわれるんです。たとえばオルフェーブルは、父方の4代前と母方の3代前にノーザンテーストがいます。この4代前の祖先(6.25%の血量)と3代前の祖先(12.5%の血量)が共通の馬の場合、4×3のインブリードといって、その時の血量は6.25%+12.5%で18.75%になって、それは奇跡の血量と呼ばれてるんです。

――そ、そうなんですか。

朝倉 そういう血筋を見て、「この馬のきつい性格は、この祖先から来てるのか」とか、そういうことを考えるんですよ。で、さかのぼって、19世紀の馬に思いを馳せたりするわけです。19世紀のハンガリーにキンチェムっていう歴史的な競走馬がいました。すごくタフな馬だったんですがさびしがりやで、親友のネコが一緒にいないと移動しなかったそうなんです。かわいいですよね! 1930年代にアメリカで活躍したシービスケットは、小説や映画の題材にもなりました。その子孫は、日本で走ってるんですよ。

――おお、そういう今につながるストーリーがあるんですね。

朝倉 そこが競馬のおもしろいところです。血統で脈々と受け継がれるものを、長い年月をかけて追っていく。競馬ファンは、自分が応援していた馬の子どもが走りだすようになったら一人前、と言われているのですが、もう僕が子どもの頃応援していた馬の孫が走ってるんです。世代をまたいで、終わらない物語を読んでいるような感じなんですよね。

馬、騎手、調教師、それぞれにストーリーがある

――あまりにも熱意を込めて語ってくださるので、だんだん競馬に興味がわいてきました(笑)。

朝倉 でしょう? 父馬や母馬の影響で、この子どもは長距離より短距離がいいとか、芝じゃなくてダートに向いてるとか、いろいろな強みや弱みがあるんです。でも、戸山為夫という調教師は、鍛えればどんな馬でも強くできるという信念の持ち主で、『鍛えて最強馬をつくる』という本を書いています。

――そのままですね!

朝倉 この人はミホノブルボンという馬をまさに鍛えて強くして、関東馬と関西馬の強さの勢力図をひっくり返してしまったんですよ。普通は1000メートル向きの馬だと3000メートルは走れないと思われているんです。短距離走とマラソンほどの違いがあると。でも戸山さんは、それは人間で言えば、100メートル走と300メートル走くらいの違いしかなくて、鍛えることでどちらでも勝てるようになると考えていた。そしてスプリンターだったミホノブルボンに、坂路調教といって坂道を上がったり下ったりするコースを、通常3本が限界なのに、4本、5本と走らせたんですよ。そして、長距離でも勝てるようにした。

――きつそうですね……。

朝倉 あまりにもハードなトレーニングなので、厩舎のスタッフがこれ以上やったらつぶれてしまうと考えて、1本減らしたんですよ。でもミホノブルボンは、もう1本走るものだと思って、まだ行こうとする。「もう終わったんだよ」となだめて帰らせようとしたら、ミホノブルボンが泣いたんだそうです。本当に頑張り屋の馬だったんですね。

――そんなことがあるんですか!

朝倉 本当かどうかはわかりませんが、そういう逸話を聞くと胸熱ですよね。そしてミホノブルボンは見事、皐月賞とダービーで二冠を達成するんです。でも、次の年のダービーの前日に、戸山さんはガンで亡くなってしまった。『鍛えて最強馬をつくる』の出版も間に合わなかったんです。その他にも、岡部幸雄さんという騎手の『馬優先主義』、JRAの調教師である藤沢和雄さんが書いた『競走馬私論』も何度も読みました。

――競馬関連の本もたくさんあるんですね。ぜんぜん知りませんでしたが、おもしろそうです。そして、レースの裏にはさまざまなストーリーがあるんですね。

朝倉 騎手、調教師、馬……関わるものそれぞれのストーリーが折り重なってるんですよ。牧場にだってドラマがあります。現・社台ファーム代表が、アメリカからノーザンテーストっていう、名馬ノーザンダンサーの血を引いた馬をつれてきて、そこから社台ファームの勢力が一気に広がるんですよね。『血と知と地』という社台ファームの総帥・吉田善哉さんの人生を描いた作品に、その歴史が記されています。ノーザンテーストはいい種牡馬でしたが、種牡馬っていうのはけっこう博打の要素が強いんです。強いと思われている馬を40億出して買ってきても、全然走らなくて大損になったり。これはもう、ソーシャルゲームのヒットタイトルを当てるとかそういうレベルの話じゃないんですよ。人生かかってますから。

――そんな視点でソーシャルゲーム業界を見ている経営者は他にいないでしょうね……。

朝倉 ああ、僕の経営に対する考え方は、競馬で築かれたのかもしれない。本から学んだこともありますし、自分で馬を操ってわかったこともたくさんあります。やっぱり、いかに馬の潜在能力を引き出す環境をつくれるかということがポイントなんですよね。レースというのは非日常で、そこで全力を出せるようになるためには、日頃からプレッシャーを与え続けなければいけない。でも、負荷をかけ過ぎると壊れてしまう。その最大に力を発揮できるギリギリのラインはどこなのか、と常に考えていました。

――人材や組織にも応用できそうですね。

朝倉 馬によって、適切な負荷のバランスは違うんですよね。それによって、調教するときの手綱に引っ張り具合とか、手入れの時の水のかけ方とか、すべて変わるんです。馬によっても違うし、成長段階によっても違う。それって本当に、それぞれの組織や人に対してどういう環境をつくるかということと同じだな、と思いました。

――まさに朝倉さんならではの経営論ですね。馬の話へ向かったときはガラっと話が変わったかと思いましたが、ちゃんと戻ってきました(笑)。 何ごとも結びついているものですね。



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プロフィール

朝倉祐介
朝倉祐介
ジョッキンゼー代表取締役

あさくら・ゆうすけ/1982年、兵庫県生まれ。小学生の頃から競馬騎手に憧れ、中学卒業後、オーストラリアクイーンズランド州の競馬騎手養成学校に留学。しかし1年で背が伸びすぎてしまい、体重制限のため騎手の夢を諦めざるを得なくなる。帰国後、北海道浦河町で調教助手となるも、バイク事故に遭い競馬の道を断念。大学受験資格を取得できる専門学校に通い、20歳で東京大学に入学。2007年、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。2010年、学生時代に立ち上げたネイキッドテクノロジー社に戻り、CEOに就任。2011年、同社をミクシィに売却したことにより、ミクシィに入社。事業開発などを担当し、12年、執行役員経営企画室長に就任。2013年6月にCEOに就任し、立て直しを図る。2014年6月、CEOを退任し、顧問に。

ライターについて

Writer 1
崎谷実穂

さきや・みほ/求人広告、記事広告のライターを経て、現在ビジネス系のインタビューライター。ブックライターでもある。cakes、日経ビジネスオンラインなどで連載担当中。

プロフィール

朝倉祐介
ジョッキンゼー代表取締役

あさくら・ゆうすけ/1982年、兵庫県生まれ。小学生の頃から競馬騎手に憧れ、中学卒業後、オーストラリアクイーンズランド州の競馬騎手養成学校に留学。しかし1年で背が伸びすぎてしまい、体重制限のため騎手の夢を諦めざるを得なくなる。帰国後、北海道浦河町で調教助手となるも、バイク事故に遭い競馬の道を断念。大学受験資格を取得できる専門学校に通い、20歳で東京大学に入学。2007年、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。2010年、学生時代に立ち上げたネイキッドテクノロジー社に戻り、CEOに就任。2011年、同社をミクシィに売却したことにより、ミクシィに入社。事業開発などを担当し、12年、執行役員経営企画室長に就任。2013年6月にCEOに就任し、立て直しを図る。2014年6月、CEOを退任し、顧問に。

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