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特集!あの人の本棚
206.

安田 峰俊   (ルポライター)


13人連続自殺(未遂)事件の衝撃 「連載 シャープを飲み込んだ男・郭台銘伝」 第八回

安田 峰俊
シャープと鴻海科技集団(以下、鴻海)は、2016年4月2日に共同会見を行なった。内容は、鴻海によるシャープへの出資である。シャープの買収は連日話題になっていたため、鴻海の名も多くのひとの記憶に残っただろう。

だが、1974年に創業され、わずか一代、たった40年で時価総額約4.3兆円になった鴻海という会社、そしてその創業者であり現会長の郭台銘(かくたいめい)について、いったい我々はどれほど知っているだろうか。

この今回、10月に発売されたばかりの『野心 郭台銘伝』(プレジデント社)から、郭台銘という男と鴻海という会社の真の姿を、一部見ていこう。
13人連続自殺(未遂)事件の衝撃 「連載 シャープを飲み込んだ男・郭台銘伝」 第八回

『野心 郭台銘伝』(プレジデント社)


13人連続自殺(未遂)事件の衝撃

「フォックスコンは決して絶望工場などではない!」

2010年5月、郭台銘は記者たちに取り囲まれるたびに苛立った声を上げた。
同年1月23日の早朝に発生した19歳(当時。以下同)のワーカー・馬向前(ばこうぜん)の飛び降り自殺を皮切りに、5月27日までの125日間に13人の中国人従業員がフォックスコン龍華工場の敷地内で自殺を図ったのだ。

そのうち死亡したのは10人である。最後の1人が手首を切った他は、いずれも飛び降り自殺だった。年齢的には、全員が事件の発生時点で17~25歳の「八〇後」や「九〇後」ばかりだった(図表参照)。

底知れぬ男の正体

同年の3月末から、フォックスコン工場のワーカーと思われる人物がネットの匿名掲示板上での告発文の発表を始めていた。やがて4月7日に18歳の女性ワーカーが6人目の自殺者となったあたりから、中国の現地メディアも並々ならぬ事件として注視するようになった。

当初は批判記事を突っぱねていた鴻海側も、やがて欧米や香港・台湾のメディアまでもが騒ぎはじめたことで沈黙を続けるわけにはいかなくなった。だが、郭と鴻海の対応は鈍いうえにどこかピントがズレていた。5月10日の夜、フォックスコンの工場内に僧侶を3人呼んで「皆の心を静めるため」の法要をおこなわせたのである。

彼らは郭の父親の故郷である山西省の霊山・五台山(ウゥタイシャン)の高僧で、郭の直々の命令で呼ばれたそうだが、現代中国の若者が抱く悩みは読経では解決しない。この「対策」は中国のネット上で嘲笑されたうえ、法要の翌日に24歳の女性ワーカーが宿舎の9階から飛び降りて死亡したことで、郭の面目を丸つぶれにしただけに終わった。

「私たちの99.99%の従業員は非常に正常で、非常に楽しく、秩序だっている」

その後も自殺とメディアのバッシングが続き、郭台銘は5月26日に深圳の龍華工場内で開いた記者会見で「社会や従業員の家族にお詫びする」と3度頭を下げて陳謝した。工場内に記者団を案内した際に発したのが上の言葉だ。

だが、この日の夜から翌朝にかけても、工場内で23歳の男性が飛び降りて死亡し、25歳の男性が手首を切り重傷を負った。結果、翌日の台湾証券取引所における鴻海の株価は10.8%も下落する。

従業員の離職が相次ぎ、中国のネット掲示板上にはフォックスコン工場のワーカーを名乗るユーザーの告発文が大量に掲載された。香港の週刊誌は、龍華工場の敷地はかつて現地の農民が間引いた赤ん坊の亡骸を遺棄した場所で、「鬼頭潭(グワイタウターム)」と呼ばれる人食い沼があった呪いの土地なのだと書き立てた。

また、中央政府の温家宝(おんかほう)首相(当時)や深圳市政府もフォックスコンを名指しして改善の指示を下した。郭と鴻海にとってはこの世のなによりも重要な存在である、アップル・デル・HP・任天堂・ソニーなどの大口の顧客たちも、相次いで真相の究明や労働環境の改善を申し入れてきた。

鴻海は、創業以来最悪の社会的批判に晒されたのである。

野心 郭台銘伝

『野心 郭台銘伝』 安田 峰俊

❋URL(リンク先)は、http://honto.jp/ebook/pd_28120575.html?cid=eu_hb_bizb03_058

私自身にもカウンセラーが必要だ

もっとも、鴻海の社会的責任は否めないものの、情状酌量の余地もあった。なぜなら、13人の自殺(未遂)者のうち過半数は、明らかに労働環境とは直接関係がなさそうな動機で死を選んでいるからだ。例えば以下のようである。

・2人目の20代男性:持病により恋人が作れず自殺(残業代を盗まれたからという説も)。
・3人目の17歳女性:仕事が覚えられず生活費が尽き「生きることに疲れて」自殺未遂。
・5人目の18歳女性:恋人とけんかの直後に自殺。
・7人目の24歳男性:歌手や公務員になる夢が叶わず人生に絶望して自殺。
・8人目の24歳女性:中絶手術を受けた直後に自殺。
・10人目の21歳男性:恋人が別の男性と結婚して自殺。
・11人目の19歳男性:人生の「理想と現実のギャップに悩み」自殺。

時期を見ると、5~7人目以降はネットやメディアで話題が沸騰してから自殺している。

一般的に、メディアが不用意に大々的な自殺報道をおこなうと、若者を中心に後追い自殺が起きやすくなる(ウェルテル効果という)。これを防ぐため、自殺をセンセーショナルに扱わない、目立つ見出しを付けない、手法や場所を細かく紹介しない――というのが、先進国における一般的な自殺報道のルールだ。だが、煽情的な記事のためには生き馬の目をも抜きかねない中華圏のメディアに、この手の人道的な配慮は望むべくもない。

傍若無人で失言が多い郭台銘の個性や、私生活上のスキャンダル(第7章参照)に加え、普段から秘密主義的で記者泣かせの企業である鴻海は、もともとメディアから実態以上に悪く書き立てられやすい。連続自殺の拡大は、人間味に乏しい鴻海の社風を反映する一方で、一種の報道災害の側面があったのも確かだった。

「郭さんは当時、かなりのダメージを受けて本気で悩んでいたようです。『なぜ、こんなことになったのだ』と」

流暢な日本語で取材に応えてくれたのは、龍華工場で生産をおこなう鴻海の主要系列会社、フォックスコン・インターナショナル(現FIHモバイル)で2009年までCOOを務めた、元グループ高級幹部の戴豊樹(たいほうじゅ、ベン・ダイ)だ。

東京大学で博士号を取得した彼は、1997年に郭のヘッドハンティングを受けてトヨタ自動車グループから移籍して以来、一時はフォックスコンの携帯電話製造のシェアを世界第1位に導く黄金時代を築いたが、やがてノルマの未達成が続いた責任を取って退社を選んだ。郭や鴻海の凄さと怖さの双方を誰よりもよく知る人物だが、その彼をしても連続自殺(未遂)事件の背景については批判的だ。

「例の自殺は、恋愛や人生の悩みなどの個人的な動機を持つ人も多い。もしも、仮に死にたくなるほど仕事内容が自分に合わないと感じたなら、無理をしないで辞めればそれでいいはずじゃないですか」

そのほかにも、台湾新北(シンベイ)市の鴻海本社の近所にある、郭の行きつけの道教の廟(信仰施設)・土城順聖宮(トゥチェンシュンシェンゴン)の関係者の証言もある。この施設については後述(第7章参照)するが、多忙な郭が仕事を離れてリラックスするときに立ち寄るお気に入りの場所だ。

「連続自殺事件が発生中のある日、うちにやってきた郭さんはお堂に籠もりきりで、何十分も小声で神様に話しかけ、祈っていた。表情は真剣で、非常に苦悩しているように見えた」

郭は職務の「執行」においては限りなく冷淡で非情な判断を下せる独裁者だ。だが、完全にプライベートな空間では伝統的な価値観を重視する信心深い人物で、彼独自の基準では良心や優しさといった人間的な感情も持つ(第7章参照)。

5月26日の記者会見ではこんなことも言っている。

「昨晩は一睡もできなかった。横になって数分もするとなにか話したいことが頭に浮かび、ベッドから飛び起きた。ストレスは本当に大きく、自分もカウンセラーが必要だと思う」

「ここ数カ月、私が最も怖いのは夜間に電話を取ることだ。またなにか大変な事態が起きたのではないかと怖くなるのだ。どんな従業員に間違いがあったという話も、私は望まないし、そうしたことをもう聞きたくはない」

郭台銘は「失言王」とあだ名されるほど空気を読まない人物だけに、謝罪会見にややふさわしくない率直過ぎる物言いだが、他者の死を前に心のバランスを失った様子は見て取れる。工場に僧侶を呼んだ話からもわかるように、(実際の効果はともかく)彼は彼なりに事態を憂慮して解決を望んでいた。

――ただし問題は、現場における事態の収拾のさせ方であった。鴻海の社内体制は極めて独裁的で抑圧的だ。管理職に就く部下たちは、世の中や会社全体をよりよく変えていくことよりも、郭や上司から不祥事の責任を追及され、譴責(けんせき)を受けることのみを極度に気にしている。

結果、工場内において取られた自殺防止対策は極めて姑息なものとなった。

野心 郭台銘伝

『野心 郭台銘伝』 安田 峰俊

❋URL(リンク先)は、http://honto.jp/ebook/pd_28120575.html?cid=eu_hb_bizb03_058

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プロフィール

安田 峰俊
安田 峰俊
ルポライター

1982年滋賀県生まれ。ルポライター、多摩大学経営情報学部非常勤講師。立命館大学文学部(東洋史学専攻)卒業後、広島大学大学院文学研究科修士課程修了。在学中、中国広東省の深圳大学に交換留学。一般企業勤務を経た後、著述業に。アジア、特に中華圏の社会・政治・文化事情について、雑誌記事や書籍の執筆を行っている。著書に『和僑』『境界の民』(角川書店)、『「暗黒・中国」からの脱出』(文春新書)の編訳など。

ライターについて

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hontoビジネス書分析チーム

本と電子書籍のハイブリッド書店「honto」による、注目の書籍を見つけるための分析チーム。

ビジネスパーソン向けの注目書籍を見つける本チームは、ビジネス書にとどまらず、社会課題、自然科学、人文科学、教養、スポーツ・芸術などの分野から、注目の書籍をご紹介します。

丸善・ジュンク堂も同グループであるため、この2書店の売れ筋(ランキング)から注目の書籍を見つけることも。小説などフィクションよりもノンフィクションを好むメンバーが揃っています。

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安田 峰俊
ルポライター

1982年滋賀県生まれ。ルポライター、多摩大学経営情報学部非常勤講師。立命館大学文学部(東洋史学専攻)卒業後、広島大学大学院文学研究科修士課程修了。在学中、中国広東省の深圳大学に交換留学。一般企業勤務を経た後、著述業に。アジア、特に中華圏の社会・政治・文化事情について、雑誌記事や書籍の執筆を行っている。著書に『和僑』『境界の民』(角川書店)、『「暗黒・中国」からの脱出』(文春新書)の編訳など。

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