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特集!あの人の本棚
274.

麓 幸子   (日経BP執行役員、日経ウーマン元編集長)


働く女性にとって、今がチャンス!日経ウーマン元編集長に学ぶ『新時代をつくる女性のキャリア戦略』

麓 幸子
2016年に『女性活躍推進法』が施行された。これに対し「働く女性にとって、今がチャンス!」と語るのは、日経ウーマン元編集長で日経BP社の執行役員である、麓幸子さん。

麓さんは日経ウーマンの創立メンバーとして活躍され、プライベートでは2児の母。女性の就職差別が当たり前だった時代に同社に入社し、子育てをしながら、これまでどのようにキャリアを築かれていったのか、お話を伺った。
働く女性にとって、今がチャンス!日経ウーマン元編集長に学ぶ『新時代をつくる女性のキャリア戦略』

「女は25歳を過ぎたら売れ残り」女性差別に対する怒りが原動力だった

日経BP社に入社した理由は、”女性差別に対する怒り”からでした。私が就職活動をした1980年代は、「女性はクリスマスケーキ」と言われていました。つまり、24歳までは価値があるけれど、25歳を過ぎたら売れ残りだと言われた時代。短大卒だったら若くていいけれど、4大卒の女は扱いにくいという風潮がありました。そのため、4大卒で地方出身のアパート暮らしというだけで、どんなに優秀な女性でも就職が厳しかったのです。今では信じられないですよね。

女性は結婚して家庭に入って、子供を産むのが当たり前。でも女性だって働きたいし、やりがいのある仕事をしたい。なんでこんなに女性が生きにくい世の中なんだろう。就職活動はそういう思いからのスタートでした。

しかし日経BP社では、日経ウーマンの前身である『パーソナル』という雑誌を発行していました。当時若い女性向けの雑誌といえば、ファッションや美容に関する雑誌しかありませんでしたが、『パーソナル』は女性の生き方や社会問題を考える雑誌でした。

そこで日経BP社に興味を持ち、早速OB・OG訪問に行ったところ、私より2~4つ年上の女性達がイキイキと活躍されていました。私もこういう働き方をしたいと思い採用試験を受けたところ、無事合格。そして希望が通り、『パーソナル』の編集部に配属されました。

日経ウーマン創刊とともに妊娠

26歳の時に日経ウーマンが創刊されたのですが、私はその立ち上げメンバーとして編集に関わりました。女性のキャリアをメインコンテンツとした、今までにない全く新しい女性誌に携われることは、シビれるような快感でしたね。読者の方々からも「こんな雑誌を待っていました!日経ウーマンに出会えて、私の人生が変わりました」という感謝のお手紙がたくさん届き、非常にやりがいを感じていました。しかし創刊号を作っている時に、妊娠が分かりました。もちろん、想定外でした。

世の中はバブルでまさに華やかな時代。世の中もこれから、自分のキャリアもこれからという時に、想定外の妊娠。夫婦とも東北出身で頼る実家もない。どうやって仕事と育児を両立できるのだろう…と、不安でいっぱいでしたね。

キャリアはいつだって、リカバリーできる

でも55歳になった今、あの時に産んで本当によかったなと思うのです。なぜなら、キャリアはいつでもリカバリーできると分かったからです。だからもし、あの時迷っていた自分に会えたなら「仕事は何とでもなるから、平気だよ」と言葉をかけてあげたい。20代後半で2人産んだので、今は子供達も大人になり独立しています。私は50代にして24時間自分の自由な時間ができました。それで50歳で大学院にも通うこともできたのです。

私は子供を持つのも持たないのも、その人そのカップルの自由だと思いますが、もし、いつか子供を産みたいと考えているのであれば、早めに子供を作るという選択肢を考えるのもよいかなと思います。

また女性は結婚をすると、パートナーによってライフスタイルが変わることも少なくない。「夫の転勤に一緒についていくべきか、別居婚をして仕事を続けるべきか」と悩んでいる女性達に相談されることも、多々あります。

そんな時私は、どうしても辞めたくない仕事だったら別居婚でもいいだろうし、もし迷っているならばパートナーについていってもよいのではないかとアドバイスしています。なぜならキャリアは本人の努力によっていかようにもなるし、新しい環境だからこそ、新しいキャリアを付加することもできると思うからです。

意に沿わない異動は、新しい自分の可能性に出会える

長男を出産後、主婦向けの雑誌の編集部に復帰し、その後再び日経ウーマンの編集部に戻りました。しかし29歳の時、2人目の妊娠が分かったタイミングで、今度は雑誌編集部ではなく企画出版部門に異動になりました。企業のパンフレットなどを制作する部門です。私はこの内示を受けた時、号泣しました。「日経ウーマンという働く女性のための雑誌を作っているのに、妊娠をきっかけに異動させられるなんて」という思いで、涙が止まりませんでした。

しかし、これまた、今考えると、この異動が私のキャリアには良かったということが分かります。記者というのは「いかに売り上げを上げるか」ということは考えません。しかし企画出版部門では違います。クライアントから発注があり、いいものを作ればまた依頼がきて、売上が上がる。みんなで工夫して原価を下げれば、利益率が上がる。そんなビジネスのイロハを学べたことが良かったのです。またそんなことを面白いと思う新しい自分に出会えたと思いました。

私は雑誌を作りたくて当社に入社したので、雑誌の編集部から離れることはショックでした。ところが自分の意に沿わない異動によって、色々な新しい体験ができ、新しい自分の可能性を知りました。そしてビジネスはこんな風に作っていくんだ、ということを学べました。その渦中にいる時は分からなかったけれど、あの経験があったからこそ、今、会社の経営の一端に携わる職務をやれているのだと思います。

ビラを200枚配って、ベビーシッターを探した

2人の子供を抱えながら、どうやって仕事と子育てを両立されたのかと、よく聞かれるのですが、色々工夫しながら今までやってきました。

私は秋田出身、夫は岩手出身。両親のサポートも難しく、しかもどちらもマスコミ勤務で忙しかったので帰宅も遅い。例え認可保育園に入れたとしても、当時は夕方6時までしか預かってもらえなかったので、ベビーシッターさんにお願いしないといけませんでした。

その頃はスマートフォンもありませんでしたし、パソコンも普及していなかったので、ベビーシッター募集のビラを200枚作って近所のお宅に配りました。するとたった一人だけ、引き受けてくださる方が見つかりました。そのベビーシッターさんには、夕方6時に子供達を迎えに行っていただき、夜10時まで自宅で預かっていただきました。「そんな遅くまで子供を預けるなんて可哀想だ」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私たちにはそれ以外方法がなかったのです。

子供達が大人になった今、当時のことを聞くと、やはり寂しかったと言います。しかし楽しいこともあったよと言うのです。ベビーシッターさんには、うちの子供達より年上のお子さん達がいたので、そのお兄さんやお姉さんに可愛がってもらったよと。

私は幸いにも、信頼できるベビーシッターのご家族に出会えたというのもありますが、この寂しさというのは、全面的に悪いものではない。心のひだを作ってくれる、大切なものだったのかもしれないと、大人になった子供達の言葉を聞いて思いました。

両親のサポートが難しかったからこそ、子供に一生懸命向き合えた

時には都内に実家があり、ご両親がサポートしてくれる他のワーキングマザーを見て、羨ましいと思うこともありました。でも今は、実家が遠くて良かったと思っています。

なぜかというと、子育てが大変だった時期、児童心理学の先生に取材する機会がありました。その時に「子育ては時間の長さではなく質。いくら接する時間が長くても、お母さんがテレビばかり見ているなど、子供と心理的な結びつきがなければダメ。少ない時間でも一生懸命、子供達と接するということが重要だ」と教えてもらいました。

私の場合は都内に実家があると、たぶん頼りきりになって子育ても疎かになっていたでしょう。そういう意味では、実家が遠かったお陰で、いろんな方からサポートを受けなから自分たち夫婦で一生懸命子育てをしました。それが、今となってはよかったなと思っています。

「母親はこうあるべき」は思考の歪み

もちろん育児をしながら働き始めた頃は、大変葛藤がありました。大きな特集の担当になった時も、100%仕事ができません。子育てを夫に任せ、子供が目覚める前に家を出て、子供が寝た後に家に帰るという生活を続けた時期もありました。記者としての仕事も果たしていないし、お母さんとしての役割も果たしていないと苦しみました。子供に対して罪悪感を持ってしまい、家の中にあるガラス戸に物を投げて割ってしまったこともあります。それぐらい追い詰められていました。

でもある日、同じようにマスコミ勤務の夫は、私と同じように罪悪感を感じるだろうかと考えました。子供に対して「パパが働いていて、ごめんね」と思うだろうかと。思いませんよね。その時に気づいたんです。ダメな母親だと思い込み、苦しめていたのは、自分自身だということに。「母親はこうあるべき」という「すべき」という考えは、思考の歪み。もう自分を苦しめるような考え方をするのは止めよう、そう思えた時、気持ちが少し楽になりました。

夫にも家事育児をシェアすることは、家族の幸せに繋がる

それから夫にも、家事育児に積極的に参加してもらうようにしました。それまでやっぱり遠慮があったんですね。「夫に迷惑をかけちゃいけない、自分が家事も育児も全部やればいい」と。しかし、そんなのできっこないのです。だからある時、夫に家事育児を一緒にやってほしいと、話しました。

日本女性は、自分だけが我慢して、家事育児をすればいいと思いがちですが、それは美談でも何でもありません。むしろ夫が家事育児をする機会を奪っている側面もある。家族の幸せを阻害しているという面もあるわけです。

また我慢して自分だけ家事育児をやることで、「なんで私だけ、こんなにやっているの?」と夫婦関係も悪くなる。さらに親子関係という視点で見ても、子供が小さい時に母親ひとりで育児をすると、父親と子供の関係ができにくくなるという面もあります。

だから、どんどん夫に家事育児をシェアしましょうと言いたい。これは『お手伝い』ではありません、もっと能動的に家事育児に関わってもらう『シェア』です。だって二人で産んだ子供ですからね。

そして女性は男性に対して、「言わなくても分かってほしい、察してほしい」と思いがちですが、男性は言わなければ伝わりません。「あなたには、これとこれをしてほしい」と交渉して、夫を巻き込むのが大切だと思います。

その際には、いかに自分にとって仕事が大事であるかも伝えましょう。熱く語りましょう。私にとって仕事は大事なもの。だからあなたにも育児にどんどん関わってほしいと。もし夫が「育児は母親がやるもの」と思っているなら、その古い価値観を今様にバージョンアップしてもらいましょう。大丈夫。あなたを愛して結婚した相手なのだから、絶対耳を傾けてくれます。

特に今の若い男性は、古い世代の男性と違って、育児をしてみたいとか、仕事だけの人生は嫌だと思っている人が多い。20代の男性の8割は育児休暇の取得意向があるというデータもあります。若い世代には、新しい家族像を自分達で作っていただければと思います。

100%フルに働けなくても、信頼を積み上げればキャリアアップできる

そうやってベビーシッターさんにサポートいただいたり、夫にも家事育児をシェアしながら、仕事を続けました。もちろん子供を二人抱えているので、100%フルに働くことはできませんでしたが、与えられた仕事は一つ一つ丁寧にやっていこうと思いました。

そして40歳の時、日経ウーマン編集部に異動しました。出たり入ったりで、数えたら4回目の日経ウーマンへの異動でした。その後41歳で副編集長に、44歳で編集長に就任しました。

また日経ウーマンの編集長になったタイミングで、人生をかけて成し遂げたいミッションを持ちたいと思い、改めて自分の原点を思い返しました。そもそも日経BP社に入社したのは、女性が生きにくい社会を変えたいという思いから。そこから、「働く女性の笑顔を増やす」「働く女性が生きやすい、働きやすい社会づくりに寄与する」ということを自分の人生のミッションにしました。これは、日経ウーマンの編集部でも共有し、事業ミッションにしました。

その後、50歳の時、編集長から一つ上の職位である発行人に昇格。3つの媒体の責任者となりました。そして現在は執行役員として一つの研究所を担務しています。

働く女性にとって、今がチャンス!枠をはずすことが、キャリアの扉を開ける

2016年には女性活躍推進法という法律もでき、今、働く女性にとって大きなチャンスが訪れています。しかし、そのチャンスに対して、尻込みする女性も多い。

それはなぜかというと、過去の私がそうだったように、「女性は~すべき」「母は~すべき」と無意識のうちに自分を枠で縛ってしまっているからだと思います。無意識なので自分が枠に囚われていることにさえ、気づいていないということもあります。

ではどうやったら、そこから自由になれるのか。人は知らない事に対して、それ以上想像ができません。だから色々な人に会って話を聞いたり、本を読んだり、セミナーに行くなどして、多様なキャリアパスがあることをまずは知ること。そして自分自身の大いなる可能性を信じることが大切だと思います。今は千載一遇のチャンス。これからの日本の女性達には、この自分で自分をがんじがらめにしている枠を捨てて、どんどんチャンスを活かしていただきたいと思います。

『働く女性のためのキャリアの教科書 仕事も私生活もなぜかうまくいく女性の習慣』 麓 幸子
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プロフィール

麓 幸子
麓 幸子
日経BP執行役員、日経ウーマン元編集長

1962年秋田県生まれ。1984年筑波大学卒業。同年日経BP社入社。2011年12月まで5年間日経ウーマン編集長。2012年よりビズライフ局長に就任、日経ウーマンや日経ヘルスなどの媒体の発行人となる。2016年より現職。同年、法政大学大学院経営学研究科修士課程修了。内閣府や林野庁の有識者委員や経団連21世紀政策研究所研究委員を歴任。筑波大学非常勤講師。

◇主な著書
『就活生の親が今、知っておくべきこと』日本経済新聞出版社 2011
『なぜ、女性が活躍する組織は強いのか?』編著、日経BP社 2014
『企業力を高める―女性の活躍推進と働き方改革』共著、経団連出版 2014
『女性活躍の教科書』編著、日経BP社 2016
『仕事も私生活もなぜかうまくいく女性の習慣』日経BP社 2017

ライターについて

Writer 13
鮫川佳那子(さめこ)

NY在住ライター/ニューヨーク女子部♡主催。青山学院大学フランス文学科卒業後、サイバーエージェントに入社し広告制作・メディア編集・イベント企画運営に携わる。2015年より夫の海外転勤で渡米し、現在はニューヨークの新聞をはじめ様々な媒体でコラムや、海外で活躍する日本人のインタビュー記事を執筆。またNY在住の20~30代女性が約400名所属するコミュニティ「ニューヨーク女子部♡」を主催し、イベント企画運営も行っている。

プロフィール

麓 幸子
日経BP執行役員、日経ウーマン元編集長

1962年秋田県生まれ。1984年筑波大学卒業。同年日経BP社入社。2011年12月まで5年間日経ウーマン編集長。2012年よりビズライフ局長に就任、日経ウーマンや日経ヘルスなどの媒体の発行人となる。2016年より現職。同年、法政大学大学院経営学研究科修士課程修了。内閣府や林野庁の有識者委員や経団連21世紀政策研究所研究委員を歴任。筑波大学非常勤講師。

◇主な著書
『就活生の親が今、知っておくべきこと』日本経済新聞出版社 2011
『なぜ、女性が活躍する組織は強いのか?』編著、日経BP社 2014
『企業力を高める―女性の活躍推進と働き方改革』共著、経団連出版 2014
『女性活躍の教科書』編著、日経BP社 2016
『仕事も私生活もなぜかうまくいく女性の習慣』日経BP社 2017

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