青い暴走2

転校していくハルカを止めることもできず、最後に何かすることもできず、無力さを痛感するトオルが出した結論は。
ハルカと話さないまま、1日が過ぎ、2日が過ぎ、1週間が過ぎた。
ヒロタカと澄香ちゃんは、俺とハルカの間で何かがあったことには気がついているようだった。
ハルカが自身の転校を発表したのは、転校の当日の帰りのホームルームだった。
理由は想像できる。涙の送別会とかそういうのはハルカが嫌いなものだからだ。嫌いというか苦手なものだからだ。
澄香ちゃんは帰りのホームルームの後、ハルカの元に駆け寄った。
「トオル、知ってたのか?」
ヒロタカは俺の席まで来て聞いてくる。
「うん」
「そっか」
ヒロタカは複雑な表情をする。納得がいった半面、納得がいかないような顔。それでいて、しょうがないとも思っている顔。
俺は口を開かなかった。否、開けなかった。
澄香ちゃんとヒロタカがハルカに声をかけている。
はじめは、ハルカを遠巻きに見ていた生徒たちもひとり、またひとりと教室から姿を消した。
ハルカは澄香ちゃんと演劇部に挨拶に行くことになったようだ。
ヒロタカと俺だけが教室に残される。
ヒロタカは俺になんと声をかけるべきか迷っているようだ。
「ごめん、ヒロタカ。今まで黙ってて」
「それはいいって。里中さんが言わなかったってことは、言って欲しくなかったってことでしょ?」
「それはそうだと思うけど」
ヒロタカだって、ハルカの友達であったはずだ。澄香ちゃんだって。
「じゃあ謝ることないよ」
廊下はいつもの放課後だ。どっかのクラスのバカが騒いでいる。
ハルカと澄香ちゃんはスクールバッグを置いていったから、きっと戻ってくるだろう。
俺は何も喋らなかった。
ヒロタカは黙って隣に立ってくれている。
ハルカに愛してるって言いつづけてきたけど、そもそも、愛とかなんなんだろ? 正直、今まで色々考えてきて、でも、愛してると好きの違いもわかんなくて、なんとなく好きの最上級みたいに思ってて、愛してるっていう言葉を使ってて。
俺はハルカのことを愛したいと思って愛してるって言葉を使ってたわけじゃなくて、ハルカのことを無茶苦茶好きになって、気がついたら愛してるって思って、愛してるって言葉を使ってた。
愛してるって言葉の中に、相手の幸せを願うって意味があったとして、でも、俺とハルカはもしかしたら、これからもう二度と会わないかもしれなくて、それでも幸せになって欲しいと思うのはどうなのだろう? だって、相手が幸せになったかどうかすらわかんないわけだよ。それってただの自己満じゃないの? 相手が幸せかどうかもわからない中で、もしかしたら俺がハルカの幸せを願っている時に、ハルカは死ぬほどツライ思いをしているかもしれなくて。
それって何か意味があるのだろうか? 究極のところ、愛って無意味なんじゃないだろうか? だって、俺がハルカを愛したからといって、ハルカが幸せになるとは限らないわけで。つまるところ、愛っていうのは、相手のために愛するんじゃなくて、自分のために相手を愛するものなんだ。愛さざるをえないから愛して、愛することができれば自分が幸せを感じられるから愛するんだ。愛するって言葉はエゴのかたまりなんだよ、実際。
ハルカと澄香ちゃんが教室に戻ってくる。
「里中さん、また会える機会があったら」
「うん」
ヒロタカの言葉にハルカが頷く。
「後悔すんなよ」
ヒロタカはそう言って、教室を出て行く。
澄香ちゃんも自分のスクールバッグを持って後に続く。
「また明日」
ハルカではなく、俺だけに向けられた澄香ちゃんのセリフ。
「また明日」
俺も同じ言葉を返す。
……後悔すんなよ、か。
そうだよな。このままじゃ、絶対後悔するよな。
でも、何をすればいいのか、俺にはわからないんだよ、ヒロタカ。
エゴと自己満で構成されている俺の愛だけど、俺がハルカを愛している事実に変わりはなくて、ハルカに幸せになってもらいたいと思っていることも事実で、そのことを伝えたいとも思ってるんだ。それはわかってるんだけど、どうやって、どんな言葉で伝えればいいのか。どうやったら伝えられるのかがわからないんだ。
俺に考えられる最高の言葉は結局、「愛してる」で、「愛してるよ、ハルカ、幸せになってくれ」、これ以上の言葉はあるのだろうか? 全然伝わっている気がしない。
「気使わせちゃったね」
ハルカはいつになく優しい声で言う。
「うん」
「澄香とかに転校のこと言わなかったんだ?」
ハルカが自分の机のイスを引きながら聞く。
「言わない方がよかっただろ?」
「まぁね」
そう言って、ハルカは自分の席に座る。
「この学校に通うのも今日で最後か」
「学校自体に未練はそんなにないだろ?」
「そうでもないよ。3年半通ったからね」
いつになく饒舌なハルカ。
「ハルカと出会ってから1年半か」
「……1年半、無駄にさせちゃったね」
「……何言ってんだ?」
「私なんか好きになるから」
「俺はハルカを好きになったこと後悔してないよ。今だって好きだし。ハルカが韓国に行った後だって、きっと好きだし。ハルカが大学になったら戻ってくるから待ってろって言うなら待ってるし」
「そんなこと言わないよ」
そう言って、ハルカは笑う。
「むしろ言えよ。待ってるから」
「……きっとその頃には私のこと好きじゃなくなってるよ」
「そうかもしれないよ。でもさ、それって大前提の話じゃん。むしろ、好きじゃなくなるかもしれないから、今好きっていう気持ちに意味があるんじゃん。ずっと好きなんていう保証があったら、そんなもの価値ないよ。好きなのが当たり前ってことじゃん? 違うんだよ。当たり前じゃないんだよ。ハルカと出会ったのだって当たり前じゃないし。俺はハルカ以外の人を好きになれないって思うくらいハルカのことを好きになったのだって、当たり前じゃないんだよ。きっとすごい偶然に偶然が重なるかなんかして。すごいことなんだよ、きっと。だからさ、このまま会わなくなるとか悲しいじゃん」
「でも、しょうがないんだよ」
すべてを突き放すようなハルカの声。
俺の言葉は届かないと思う。思うというか、たぶん事実として届かない。届いていない。
「ねぇ」
ハルカの声に顔を上げる。
「傷ついたり、傷つけたり、そんなことばっかでも、人と接していくべきだと思う?」
「思う」
「主に、人を傷つけたんじゃないかと思うことが多いんだけど」
「それでも、人と接するべきだと思う。というか、人っていうくくりが間違い。そりゃ、俺だって、話したいやつ、話したくないやついるし。でも、間違いなく言えるのはハルカとは話したいし、遊びたい」
「傷つけられても?」
「傷つけられても。というか、傷つけ合うことなんて大前提で、そりゃ、深く付き合えば付き合うほど傷つけ合うようになるのは当たり前で。ようは、傷つけられたとしても、傷つけられる価値があるやつと深く付き合うべきだと思う。傷つけ合わないような付き合い方しかしないような人生はつまらないと思う」
「じゃあ、私の人生はつまらないね」
「だからさ、俺だったらいくら傷つけても大丈夫だから。保証とかできないけどさ。もしかしたら何か見つかるかもしれないじゃん」
「……私、榎本のこと、嫌いじゃなかったよ。無駄にアツイとことか。たまにうっとうしかったけど」
「たまに?」
「ごめん、結構頻繁に」
おれとハルカの笑い声が、ふたりだけの教室にむなしく響く。
「きっと、榎本は私がいなくても大丈夫だよ。きっと、他にいい相手が見つかるよ。いつか、私も傷つけ合いたいって思える相手が見つかればいいけど」
ハルカは完全に俺の手の届かないところに行ってしまったようだ。
俺はできる限りの笑みを浮かべて言う。
「大丈夫。ハルカならきっと見つかるよ。でも、変な男に引っかかるなよ?」
「榎本みたいな?」
「そう、俺みたいな」
俺がそう言うと、ハルカはイスから立ち上がる。
「何かあったら電話しろよ。時差とか気にしなくていいから」
俺なりにせいいっぱい考えた別れの言葉。ささやかな願いに、チープでつまらない軽口を添えて。
「うん」
ハルカは俺のつまらない言葉にもツッコミをいれない。
「じゃあ」
ハルカがこれ以上俺の知らないハルカでなくなる前に、俺の方から別れを告げる。
ハルカは一瞬固まり、次の瞬間見たこともないような最高の笑顔を見せて、教室を出て行った。
……終わった。全部終わった。結局、何もできなかった。
なんだか、笑えてくるな。一緒に帰るのもなんか違うなと思って、ひとり教室に残ったんだけど。いつまでここにいればいいんだろう? 余裕をもって20分くらいかな? 中途半端な時間に出て、下校途中でハルカに会ったら気まずいし。
ってか、気まずいとか、結局俺自分のことばっかじゃん。そんなやつの言葉なんて届かなくて当然だよ。
結局、俺にできることなんか何もなかったみたいだ。俺はただ愛してるってバカみたいに繰り返してただけで、何もハルカのためにできてなかった。
俺がハルカを愛しているという事実も、いつか愛していたという過去に変わってしまうのだろうか? いつの日か、いつの瞬間か、ハルカを愛することができない瞬間が来るのだろうか?
わからない。もしかしたら、いつの日か、そうなってしまうかもしれない。
でも、ハルカが教室を出て行った後でも、俺にできることは何もないとわかった今でも、ハルカのことを愛しているのは間違いないんだよ。
それがたとえ自己満であったとしても。
自己満? エゴ? 上等じゃん。
愛っていう自己満のために生きて、笑いながら死んでやる。
俺はスクールバッグをつかんで、教室を出る。
走る、走る、走る。
昇降口まで来るも、ハルカの姿はない。
下駄箱を確認する。ハルカは昇降口を出たようだ。下駄箱はからっぽになっている。
ローファーを速攻で履いて、走る。
俺以外に下校している生徒はいない。
スクールバッグが俺の背中ではずむ。
ひとりで歩くハルカが見える。
「ハルカ!」
俺はハルカのところまで聞こえるように大きな声で叫ぶ。
ハルカは校門の手前で立ち止まり、振り返る。
近づいていく。もっと速く。
足が空回りする。ローファーが片方脱げて飛んでいく。俺は勢いよくこける。
最後まで決まんねぇな。
顔を上げて見ると、ハルカは笑っていた。
俺もつられて笑う。
大丈夫だ。まだ俺の声が届く距離に、ハルカはいる。
俺はありったけの気持ちを込めて叫ぶ。
「一緒に帰ろ」
1月1日からは「青い暴走」シリーズ第3部「ロマンティックが終わる時」の連載を予定しています。 引き続きよろしくお願いいたします。
青い暴走2
2014年11月07日