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ゴドーを待ちながら (白水Uブックス)

ゴドーを待ちながら (白水Uブックス)

作者 サミュエル ベケット
出版社 白水社
出版日 2013年06月18日

「『ゴドー』に接して、人はむしょうにおしゃべりになりたがっている自分を見出す。[…]無数の解釈が生まれ、すれちがい、ゆらめき、消尽されてゆく、その過程がまさにこの作品を観たり読んだりする経験の実体にちがいないのだ。[…]「ゴドーを待つ」という、あるようなないような枠組(大いなる物語)は、過去と未来のあいだに宙吊りにされたこの現在あるいは現代の瞬間を生き生きとさせるための仕掛けにすぎないのかもしれない。」(本書「解題」より)

田舎道。一本の木。夕暮れ。エストラゴンとヴラジーミルという二人組のホームレスが、救済者・ゴドーを待ちながら、ひまつぶしに興じている──。不条理演劇の代名詞にして最高傑作、待望のペーパーバック化!

レビュー

私はラーメンを食べるたびに、「サミュエル・ベケット」という言葉を思い出す。というのは、私がこの『ゴドーを待ちながら』を読んだとき、衝撃を受けた余り、彼とこの作品のことしか考えられず、そのままラーメン屋に行ってしまったからである。
この作品は不条理演劇の代表格であるのだが、やはりその評判に恥じず中々強烈な内容である。まずこの劇は二幕構成となっている。そしてヴラジーミルとエストラゴンという二人の男を中心に物語は「展開」するのだが、しかし展開しない。途中ポッツォやラッキーなどといった登場人物が登場して会話をしていくなどして物語は進んでいくのだが、全く話にまとまりがなく、起承転結も勿論存在しないのである。つまり内容が展開していかない。漫然として第一幕は終わるのだが、その後の第二幕は詳細は違えど、その進み方は同じである。
だが、この劇は繰り返しに主眼を置いていて、それ故に彼らの動きは実は計算ずくであるといえるのだ。特に注目してもらいたいのは第二幕の終盤、この時二人は自殺について考える。明日首を吊ろう。ただしゴドーが来れば別である。何故なら私達は救われるからだ。そういう話を二人はする。これは第一幕ではなかった。しかし最後、彼らはどこかへ旅立つことを宣言するも、その場を離れず、ただ立ち尽くすまま終わりを迎える。この点は第一幕のセリフもト書きも一言一句同じである。これはあくまで私の考えではあるが、彼らはこの劇を繰り返す存在としてそこにいるのである。これはこの劇が忠実に行われなければならないというベケットの意思を斟酌すると、劇はぜんまいを回せば動くオルゴールであり、彼らはそこでループする音に合わせて踊る人形なのである。つまり彼らは予定説のように既に行動が決定しており、そして彼は超次元的な存在に気づくことなく、シナリオに従い続ける傀儡なのだ。
そのように考えると、私は自分達も実はそうなのではないか、と思いを馳せる。それは私達以外にも別の存在がいることを示し、それ故に孤独ではないのだということを知るからである。

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