嵯峨景子の『今月の一冊』|第三回は『ウェブ小説30年史』|少女小説に関係する根深い問題とは

更新:2022.7.28

少女小説研究の第一人者である嵯峨景子先生に、その月に読んだ印象的な一冊を紹介していただく『今月の一冊』。第三階となる今回は星海社様から2022年6月22日に発売された『ウェブ小説30年史 日本の文芸の「半分」』です。女性向け小説に関わりの深い、ケータイ小説の部分を中心に紹介していただきました。

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 「嵯峨景子の今月の一冊」も気がつけば3回目になりました。日々さまざまな本をチェックし、毎月これは!と思う一冊をセレクトして紹介する。とても楽しくかつやりがいのある仕事に取り組める喜びを、改めて噛みしめています。願わくば、この連載が末永く続きますよう……。

 今回紹介するのは2022年6月発売の、飯田一史『ウェブ小説30年史 日本の文芸の「半分」』(星海社)です。本書は、ウェブ小説(の中でも書籍として刊行された作品)の歴史を、出版産業史やコンテンツビジネス的な視点から分析・解説した一冊。1990年代というパソコン通信の時代から、2022年現在の最新動向までを詳細に紐解いた、他に類を見ない労作に仕上がっています。

著者
飯田 一史
出版日

 500ページ超えという読み応えのある内容かつ、1980円と新書としてはやや高めの価格ではありますが、小説や出版産業、コンテンツビジネスに関心がある人にとっては必須の資料といえるでしょう。本書はmonokakiの連載「Web小説書籍化クロニクル」をベースにしているので、まずは無料で読める連載版からというのもお勧めです。

 著者の飯田一史は、『ウェブ小説の衝撃 ネット発ヒットコンテンツのしくみ』や『いま、子どもの本が売れる理由』(筑摩書房)、『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの?』(星海社)、『ライトノベル・クロニクル2010ー2021』(Pヴァイン)などの単著があるライターで、「現代ビジネス」等のウェブメディアでも活躍しています。

 ウェブ小説は巨大な市場を築いているにもかかわらず、その歴史を扱った書物はこれまでほとんど刊行されることはありませんでした。そんな中で、飯田はビジネス的観点からウェブ小説に注目し、継続的な発信を続けてきた唯一の書き手といってよいでしょう。私は2016年に『コバルト文庫で辿る少女小説変遷史』という本を上梓しましたが、執筆にあたり、『ウェブ小説の衝撃』には大変助けられました。「小説家になろう」や「E★エブリスタ」などのネット上の小説投稿プラットフォームや、ボカロ小説、そしてケータイ小説とスターツ出版など、少女小説の歴史を考えるうえでもウェブ小説の動向は見逃せません。

 

 ウェブ小説の膨大かつ詳細な歴史が詰まった『ウェブ小説30年史』は、読む人によって興味を惹かれる箇所や、刺さる要素が異なる本だと思います。私は女性向け小説の歴史に関心があるので、ケータイ小説まわりの分析(とりわけスターツ出版に関連する記述)が印象に残り、今回はこの要素を中心に紹介します。

 ケータイ小説のはしりとなったのは、2000年にYoshiが「iモード」上の自分のサイト「zavn」で連載した『Deep Love アユの物語』という作品です。本作は自費出版の後、2002年にスターツ出版から商業出版され、シリーズ累計200万部を超えるヒット作となりました。元予備校講師だったYoshiは、女子高生への取材をベースに、援助交際や性暴力、薬物やエイズが登場する『Deep Love』を執筆しています。Yoshiが読者層よりも上の世代の男性であったのに対して、2005年から起きる第二次ケータイ小説ブームは、Chacoの『天使がくれたもの』や美嘉の『恋空』(いずれもスターツ出版)のように、若い女性が実話と謳って執筆した作品が中心となりました。小説の発表形式も、小説投稿サイトの「魔法のiらんど」へと移り変わります。

 2000年代に若い女性を中心にブームを巻き起こし、巨大なマーケットを築いたケータイ小説。けれどもその内容と形式が文芸関係者や批評家などに酷評され、ヒステリックな批判が噴出したことはよく知られています。今年の2月、『ユリイカ2022年3月臨時増刊号 総特集=瀬戸内寂聴』に寄稿した私は、瀬戸内寂聴が「ぱーぷる」名義で発表したケータイ小説『あしたの虹』に関する論考を執筆しました。この時にケータイ小説に向けられた当時の批判を改めて読み直し、なんともいえない苛立ちを覚えました。

 

 飯田は『ウェブ小説30年史』の中で、ケータイ小説がなぜあれほどバカにされたのか、その理由を次のように考察しています。

 「ミソジニー(女性嫌悪、女性蔑視)が加わっていたからだ。10代女性が好む小説やそうした作品を手がける(主に女性の)作家を軽んじるのは、差別意識のあらわれと言うほかない。男性中心、年長者中心の文芸や一部サブカルチャー界隈の規範とは異なる価値観で動くものゆえに、ケータイ小説はことさら攻撃された。」(p.117-118)

 

 この文を読んだ瞬間、先ほど書いた私自身のもやもやの理由が明確になり、まさに我が意を得たりという思いがしました。そして、ここで指摘されている点は、私がテーマにしている少女小説にもかかわってくる根深い問題だと感じています。

 飯田はまた、ウェブ小説というジャンルの発展の中でケータイ小説が果たした意義を的確に論じています。たとえば、Yoshiが登場した2000年頃から、ウェブ小説はそれまでの出版界が無視していた需要を次々に掘り起こしていく。『Deep Love』は改行や三点リーダ「……」の使い方が独特で、また小説の地の文に作者が登場して自説の展開を始めるなど、従来の小説では常識外れとされるスタイルで執筆された作品でした。けれどもスターツ出版が、出版業界の常識よりも読者のニーズを重視したことが、2000年代以降のウェブ小説書籍の躍進を支えているとの指摘は重要です。また、2000年代のケータイ小説ブームが、その後の2010年代に起こる「小説家になろう」を中心としたウェブ小説書籍化の流行に先行する同型のムーブメントであったとの指摘にも頷かされました。

 多くの人のケータイ小説に対する認識は、第二次ケータイ小説ブームで止まっていることでしょう。けれどもそれ以降、スターツ出版は2007年から「ケータイ小説サイト 野いちご」を、より大人の読者を対象とした姉妹サイト「Berry’s Cafe」を2011年から運営し、同サイト発の作品を書籍として刊行し続けています。2021年12月期には、TikTok上で紹介された作品がヒットする所謂「TikTok売れ」と、コミカライズ事業の成功で、第一次・第二次のケータイ小説ブームをも超える過去最高の営業利益を達成しました。スターツ出版は一時の流行どころか、ウェブ小説書籍化の歴史において一貫して重要なプレイヤーであり続けているのです。『ウェブ小説30年史』の中では、第二次ケータイ小説ブーム以降のケータイ小説業界の動向や、スターツ出版の現状を紹介しており、さまざまな示唆を与えてくれます。

 


 

 今回はケータイ小説を中心に『ウェブ小説30年史』を紹介しましたが、これは本書に登場する膨大な要素の一つにすぎません。「ウェブ小説書籍化」というパッケージはいかに登場し、勢力を拡大してきたのか。『ウェブ小説30年史』では、中国や韓国など海外の動向にも言及しながら、巨視的な視点から論じられていきます。ともすれば軽んじられがちなジャンルの意義や広がりを丁寧に整理する、日本の文芸史を語る上で見過ごされてはならない一冊といえるでしょう。

著者
飯田 一史
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