新渡戸稲造にまつわる逸話7つ!5千円札の肖像の『武士道』を書いた教育者

更新:2021.11.9

新渡戸稲造という人物は、かつての5千円札の肖像でおなじみですが、東京大学や京都大学で教鞭をとり、第一高等学校の校長として、明治期の日本の中枢で働いた多くの青年たちに影響を与えた人物でもあります。今回は、そんな新渡戸が書いた本などを紹介します。

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『武士道』を通して日本の精神文化を世界に拡めた、新渡戸稲造

新渡戸稲造は1862年に岩手県盛岡で生まれました。9歳の時に東京にいる叔父の養子になり、勉学に励むこととなります。そして東京英語学校を経て、クラーク博士で有名な札幌農学校(現在の北海道大学)の2期生として入学、在学中にキリスト教の洗礼をうけています。

札幌農学校を卒業後、東京帝国大学へと進みました。入学の面談で「札幌農学校を出たのに、なぜ帝大で勉強しようと思うのか」という質問をされた時は「太平洋の橋となりたい」と応えたそうです。こうして彼は日本とアメリカ、西洋の文化の架け橋となることを決意するのでした。

その後アメリカの大学で英語の習得に励みます。この時に出会ったアメリカ人女性のメアリーと結婚しました。

帰国した新渡戸は札幌農学校の教授に赴任します。この時期に、生まれたばかりの長男を亡くして深い悲しみを経験しますが、子供の死をとおして聖書の「侮られ、人に捨てられる」という真の意味を理解し、より一層信仰を深くしていきました。

体調を崩した新渡戸はメアリーとともにアメリカへ渡り、静養中に『武士道』の英語版を出版。日本の精神文化を世界に紹介しました。

知っておきたい!新渡戸稲造にまつわる7つの事実

1:国際色豊かな人物でありながら、古武士のような文化人

岩手の武家の子どもとして生まれ、5歳の時に袴着の祝いで短刀を腰に付けさせられた経験があり、この時に武士の子供であることを実感したそうです。この経験が後の新渡戸の原点となります。 

2:クリスチャン教授としてクラーク博士の精神を受け継いだ

札幌農学校の教授として赴任した新渡戸稲造は、数分間の黙祷をおこなった後、講義を開始したそうです。そんな彼の真面目な態度とドイツ帰りの新しい知識により、彼の講義は常に満席でした。

3:著作『武士道』をとおして、日本の精神文化を諸外国に紹介した最初の人物
 

彼は、妻のメアリーや、ドイツに滞在中に知り合ったド・ラブレー教授からの、日本人の道徳観の疑問に応えるため、日本人の精神を伝える文書をを執筆する決心し、『武士道』を英語で出版します。その後、世界10ヶ国語に翻訳され、出版されました。

4:台湾総督府の製糖局長として、台湾に製糖を定着させた農政家

当時の農商務大臣からの台湾総督府での仕事の誘いや、後藤新平からの招聘により、台湾での製糖産業の新興に成功して、台湾を世界5大生産地にしました。

5:文筆家でもあった

「実業之日本」「婦人世界」などの一般雑誌にもよく寄稿し、ベストセラーとなった『修養』『自警録』『世渡りの道』など、多くの青年たちの人生の指針となった著書を持つ文筆家でもあります。

6:国際連盟事務次長として、国際平和のために活躍した外交官

国際連盟の事務次長だった新渡戸稲造は、国連の普及活動に全力を尽くし、ヨーロッパ各地で演説会をおこないました。また、国際知的協力委員会の幹事長を務め、アインシュタインやキュリー婦人たちと仕事をし、現在のユネスコの礎を築くことに尽力しました。

7:大阪毎日新聞社の顧問として、「英文毎日」に珠玉の文章を寄せた警世家

国際連盟事務次長を辞任して帰国した後、太平洋問題調査会の理事長に就任。この調査会と「英文毎日」をとおして、軍国主義にひた走っていく日本に警告を出し続けました。
 

世界10ヶ国語に翻訳された『武士道』

新渡戸稲造は日本の精神文化を西洋の人々に伝えるにあたって、日本古来より伝わっている、固有の文化である「武士道」を解釈することで理解してもらおうと考えました。

武士の成りたちから始まり、戦うことが専門だった武士たち自身が、お互いを律するために自然と「フェアプレイの精神」が求められるようなったこと、そのなかで、自然と「武士道」という崇高な道徳が生まれたことを説明しています。

そして、それまで日本の文化を知らなかった西洋人に「武士道の価値観とキリスト教を対比するにあたっては、新渡戸が懐疑の末にキリスト教信仰をもつに至ったことが、大きく役に立っている」などと、自身の体験をもとに、武士道的価値観が、西洋的価値観の根底にあるキリスト教思想といかに共通するかを書いています。

著者
新渡戸 稲造
出版日
2005-08-02

新渡戸稲造はドイツ留学中に、ド・ラブレー教授からベルギーに招かれ1週間ほど滞在しています。その際、教授は「なぜ日本の学校では宗教の教育をしないのか?宗教教育をなくして、どのように道徳教育をしているのか」と尋ねられ、即座に答えることができなかったそうです。

このような経験から、新渡戸は日本の精神文化を伝えることが大切だと考えるに至りました。

本作の魅力は「東洋の小さな島国」という認識しかなかった西洋の人々に、「武士道」をとおして日本の精神文化を伝え、理解させたことでしょう。

1895年に初めて英語版が出版され、世界10ヶ国語に翻訳されるベストセラーになりました。

明治期から昭和にかけて何度も版を重ねた『修養』

新渡戸稲造は本書の総説で「いかに逆境に陥っても、その中に幸福を感じ、感謝の念をもって世を渡ろうとする。それが、僕の説かんとする修養法の目的である」と、この本を出す意義を述べています。

第1章「青年の特性」から、最終章である第17章の「迎年の準備」に至るまで、人が生きていくうえで大切なことを記しています。

著者
新渡戸 稲造
出版日
2002-07-01

たとえば第2章で、凡夫と聖人については「凡夫は志は立っても、なお絶えずぐらついて動く。非凡の人は何事に会しても動かぬ」と立志するうえでの凡人と非凡人の違いを説いています。

さらに、青年が志を立てるうえでは、名や利を求めないで、任務が何なのかを見たうえで決意してもらいたいと説いているのです。

今から100年も前に日本人の精神文化を世界に知らしめた『武士道』の作者、新渡戸稲造の世紀を超えて読み継がれている実践的な人生論です。

論稿がまとめられた一冊『新渡戸稲造論集』

本書には、新渡戸稲造が書いた論稿が掲載されています。

その中身はというと、「我が教育の欠陥」「教育の目的」など、現在の教育界が真摯に耳を傾けるべき内容がずらりと並んでいるのです。

この他にも、「道はいずこにありや」から最終項の「太平洋問題京都会議・開会の辞」まで40もの記事が掲載されています。

著者
出版日
2007-05-16

農学者、教育者、国際人として日本や世界に大きく貢献した新渡戸稲造が各地で行なった講演の論集です。

本の中身は、「教育論」、「人生論」、「デモクラシー論」、「国際関係論」と大まかに4つに分けられており、その内容は現代にも通じるものがあります。

新渡戸稲造から現代人におくる助言『逆境を越えてゆく者へ』

この本は、新渡戸稲造の『修養』や『自警録』のなかから「苦難の時をいかに生きるか」をテーマに厳選してまとめられた本です。明治・大正に生きた人々に大きな影響を与えた彼の文章は現代においても、まったく色褪せることはありません。

人生をいかに生きるべきか、いかにして困難を乗り越えていくのか、そのために日々どんな心持ちで暮らすべきかが書かれています。また、若者にだけではなく色々な世代に向けて、修養の心構えなどを温かい目線でもって説いているのです。

著者
新渡戸 稲造
出版日
2016-01-15

人生の逆境に立ち向かう人々へ、新渡戸稲造からのアドバイスが書かれている本書。具体的な助言が書かれているので、挫けそうになっている人にぜひ読んでいただきたいです。

新渡戸稲造の逸話や彼の著作をご紹介してきました。100年経ったいまでも、作品からは現代人にも通じる言葉がきっと見つかるでしょう。

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