知っておきたい教育勅語!概要と目的、12の徳目、問題点などを解説!

更新:2021.11.15

戦前、国民道徳の基本原理とされていた「教育勅語」。戦時中は軍国主義の教典として利用され、終戦後に廃止されました。この記事では、概要や「12の徳目」の具体的な内容、発布された目的、問題点などをわかりやすく解説していきます。あわせて理解を深めることができるおすすめの関連本も紹介するので、ぜひご覧ください。

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教育勅語とは。発布や廃止など概要を簡単に解説

 

1890年10月30日に明治天皇の勅語として発布されたもので、1948年6月19日に廃止されるまでの約60年間、近代日本の道徳教育における最高規範とされていたものです。正式には「教育ニ関スル勅語」といいます。
 

当時は、明治維新から約20年が経ち、前年である1889年に大日本帝国憲法が施行され、日本が近代国家としての体裁を急速に整えていった時期でした。

形式的には、明治天皇から、内閣総理大臣の山県有朋と文部大臣の芳川顕正に対して下された勅語ですが、実際に起草したのは、法制局長官や文部大臣を歴任した井上毅(いのうえこわし)や、儒学者の元田永孚(もとだながざね)らです。
 

全文315文字の短い文章ながら、天皇を国父とする家族国家観による愛国主義と、儒教的道徳を基本とする教育の根本が込められています。学校教育を通じて国民に広く浸透し、天皇制の支柱となっていきました。特に戦時中は天皇の御真影とあわせて神聖視され、学生は暗唱することが求められたそうです。

1938年に「国家総動員法」が制定されると、本来の趣旨や目的から外れ、軍国主義を正当化する教典として利用されるようになりました。

太平洋戦争が終結すると、GHQは教育勅語を国家神道の「聖書」とみなして排除しようとします。その後は「教育基本法」が定められたこと、主権在民を基礎とする「日本国憲法」が施行されたことなどから、衆参両院で失効が確認され、1948年6月19日に廃止となりました。

教育勅語の内容「12の徳目」とは?

 

軍国主義の正当化に利用された歴史などから、マイナスのイメージがある教育勅語。昨今では、学校教育のなかで活用することに対しても否定的な意見が主流です。

ただ具体的にどのようなことが書いてあるのかを知っている方は少ないのではないでしょうか。ここでは、教育勅語の内容である「12の徳目」について紹介していきます。

1【孝行】……親孝行をしましょう。

2【友愛】……兄弟、姉妹は仲良くしましょう。

3【夫婦の和】……夫婦は仲良くしましょう。

4【朋友の信】……友達は互いに信じあって付き合いましょう。

5【謙遜】……言動を慎みましょう。

6【博愛】……広く、すべての人に愛の手を差し伸べましょう。

7【修学習業】……勉学に励み、手に職をつけましょう。

8【智能啓発】……智徳を養い、自分の才能を伸ばすことに努めましょう。

9【徳器成就】……人格の向上に努めましょう。

10【公益世務】……世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう。

11【遵法】……法律や規則を守り、社会の秩序を守りましょう。

12【義勇】……正しい勇気をもって、国のために真心を尽くしましょう。

「12の徳目」は儒教的な道徳にもとづいていて、古くから日本に根付いていた考え方です。現代に生きる私たちから見ても、違和感のない内容ではないでしょうか。

教育勅語が発布された目的は?

 

教育勅語が発布された目的は、廃止された理由を考えるとよくわかります。

太平洋戦争が開戦する前のアメリカは、日本との戦いは数ヶ月程度で終わると考えていました。しかし実際には3年8ヶ月という長期戦となります。戦後に日本を統治したGHQの最大の使命は、「日本が再びアメリカの脅威にならないようにすること」でした。

当時の日本は、1868年の明治維新で封建制を転換し、急速に近代化を遂げていました。1905年には「日露戦争」で大国ロシアをも撃破。さらに第一次世界大戦を経て、世界の5大国に名を連ねるほどの存在になっていたのです。

GHQは、日本人の国民性の高さこそ日本の強さの秘訣で、その根源にあるのが教育勅語とそれにもとづいた教育であると結論付けました。

そしてそれこそが、教育勅語が発布された目的でもあったのです。

1854年にペリーが来航し、鎖国が解かれると、日本は欧米諸国との国力の差を痛感します。とにかく西洋のものを真似し、取り入れようとする人が続出。なかには英語を公用語にしようと言い出す人もいたそうです。

この状態に危機感を抱いたのが明治天皇でした。闇雲に西洋化する風潮を押しとどめ、日本に古くから根付いている考え方を教育の基礎とするよう、教育勅語を作ったのです。

技術面では西洋の進んだ知識を取り入れつつ、精神面では日本人であることを失わない、いわば「和魂洋才」を目指しました。

教育勅語の問題点

 

教育勅語の内容や目的を見てみると現代にも通ずる部分がありますが、「正しい」とする人はほとんどいないのが現状です。その核となっているのが、「12の徳目」の最後、「義勇」でしょう。

原文には「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と記されています。

問題があるとする人の多くは、これを「国が危うい時は天皇の国のために戦いましょう」と訳し、戦争を想起させる、または軍国主義の復活に繋がるとして反対しています。

ただ当時は天皇が主権を握っていた時代だということを鑑みると、そこまで不思議ではないのではないでしょうか。現代で主権を握っているのは国民なので、天皇の部分を国民に置き換えればわかりやすいと思います。

また「扶翼スヘシ」を「戦う」とすることについても、戦時中は「国家総動員法」を正当化する根拠としていましたが、「扶翼」のもつ本来の意味は「助ける、手伝う」ということです。

つまりこの徳目を現代風に解釈すると、「非常事態には勇気を出して奮って国民を助けましょう」となります。たとえば災害などが起きた際に、多くのボランティアが駆けつけることや、被災者を助けることなどは、まさにこの条項を体現しているといえるでしょう。

教育勅語の最大の問題点は、このように解釈しだいで意味が大きく変わってしまうことだといわれています。

井上毅の業績から考える

著者
伊藤哲夫
出版日
2011-10-18

 

教育勅語の作成にあたって、起草者の井上毅が掲げた7つの条件がありました。

天皇と政治を切り離すこと、信仰の自由を妨げないこと、哲学上の理論に触れないこと、政治的な思惑を排除すること、不偏不党の教育方針を示すこと、消極的な言葉を使わないこと、宗派の争いを助長しないことです。

これらの条件にもとづいて作られた教育勅語は、君主の言葉でありながら国民に押し付けるものではなく、宗教や政治に関わらず誰でも受け入れられる内容となっています。西洋文明の急速な流入と急激な近代化のなかで、ないがしろにされつつある日本人らしさや伝統的価値感を守ろうと、教育勅語は作られました。

本書は、井上毅の業績を中心に、教育勅語の意義と果たした役割を紹介する内容になっています。現代では積極的に語られることが少ないからこそ、知られざるエピソードが満載。賞賛するわけでも功罪を述べるわけでもなく、公平な立場で事実を述べている一冊です。

教育勅語は危険思想?

著者
倉山 満
出版日
2014-10-28

 

教育勅語は軍国主義を正当化するなど危険思想を育むものだとするならば、その反対をいけば正しいということなのか、と問いただす斬新な視点から書かれた作品です。

親に孝行してはいけない、兄弟姉妹仲良くしてはいけない、夫婦は仲良くしてはいけない、友人を信じてはいけない……これが正しいとはとても思えません。

教育勅語に記されている内容自体は、ごく当たり前の道徳内容です。作られた目的や廃止された原因を知らずに、なんとなく「危険」と思っている人が読むと、目から鱗が落ちるでしょう。

逆説的に語っているからこそ本来の内容がよくわかる一冊です。

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