5分でわかる『荘子』!作者荘周の生涯や思想、名言などをわかりやすく解説!

更新:2021.11.17

「胡蝶の夢」の説話で有名な『荘子』。道教の始祖のひとりとされる荘周の著作です。この記事では、作品の概要や「無為自然」という思想、荘周の生涯、名言などをわかりやすく解説していきます。あわせておすすめの関連本も紹介するので、ぜひチェックしてみてください。

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『荘子』とは。概要を簡単に紹介

 

戦国時代の中国・宋の思想家、荘周が執筆したとされる『荘子』。道教の文献として扱われています。

内篇七篇、外篇十五篇、雑篇十一篇という構成ですが、このうち荘周本人によって書かれたのは内篇七篇のみだそう。外篇および雑篇は、晋の時代に書き加えてまとめられました。

「蝶になった夢を見て目を覚ました後、果たして夢の中で蝶になっていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのだろうか」という「胡蝶の夢」に代表されるように、荘周の思想と自由な発想が表れている寓話が特徴。詩的な物語は翻訳をすることが難しく、また高い芸術性をもつと評価されてきました。

道教が発展していくにつれて、荘周は始祖のひとりとして崇拝の対象となっていきます。道教を国教とした唐の時代には、玄宗皇帝によって神格化され、「南華真人(なんかしんじん)」の称号を与えられました。それにともない著書である『荘子』も、『南華真経(なんかしんきょう)』と呼ばれるようになります。

『荘子』の思想「無為自然」とは

 

『荘子』における思想の基本となっているのは、春秋時代の哲学者である老子が唱えた「無為自然」です。

「無為自然」とは、他からの影響を受けずにあるがままの自然体であること、という意味。特に老子は、知や欲をはたらかせずに自然に生きることを良しとしていました。しかし彼の思想は政治色が強い側面があり、俗世間への関心が随所に現れてしまっています。

そこで荘周は、「無為自然」の考えをさらに進めて、「逍遥遊(しょうようゆう)」という境地に達しました。

「逍遥遊」とは、知を捨てたところに何にもとらわれない自由な世界が広がるとし、世俗にまったく関心をもたず、絶対的自由の精神を身につけることをすすめる考え方です。

『荘子』の作者、荘周の生涯を紹介!「万物斉同」「道」とは

 

韓、趙、魏、楚、燕、斉、秦の7大国をはじめ、多くの国々が争いをくり広げていた戦国時代。『荘子』の作者である荘周は、秦と斉が力を強めていた紀元前369年頃に、宋という国で生まれました。

その生涯について、詳しいことは明らかになっていませんが、司馬遷によって編纂された歴史書『史記』の巻63によると、漆園の管理をする役人だったとあります。

また秦の呂不韋が編纂させた『呂氏春秋』や、趙の思想家荀子が記した『荀子』にも荘周に関する文章がありますが、いずれも『荘子』の影響を色濃く受けたもの。研究者の間には、荘周は架空の人物なのではないかと考える人もいるほどです。

当時は戦が絶えない時代でしたが、荘周は俗世間から離れた場所に身を置き、「人はなぜ苦しむのか」と思索を巡らせました。そしてたどり着いたのが、「万物斉同」と「道(たお)」という考え方です。

「万物斉同」とは、「本来、この世には善悪、賢愚、醜美、然不然、自他などの区別はなく、あらゆるものが道において同じものである」とする思想で、簡単に説明すれば「分別の否定」です。荘周は、どのような判断基準も人間が考える一面的なもので、絶対的なものではないと考えました。

どのような男性を「美男」とするのか、どのような女性を「美女」とするかという基準は、時代や場所、個人によって異なる相対的なものに過ぎません。そして相対的な基準で物事を判断すると、差別や嫉妬、争い、虚栄心など「人の苦しみの元凶」が生まれると指摘したのです。

また「道」は、『荘子』のなかに「道は聞くべからず、聞けばそれにあらず。道は見るべからず、見ればそれにあらず。道は言うべからず、言えばそれにあらず」と記してあるとおり「説明できないもの」のこと。

「なぜ生物は生まれ、そしてなぜ死なねばならないのか。そもそもなぜ私が今ここに存在しているのか」などの答えは、いくら問い続けても出ることはありません。このような言葉にできない理を「道」と呼んだのです。

『荘子』の「内篇」の名言を原文と現代語訳で紹介!

 

荘周が記した『荘子』の内篇に登場する名言を、原文と現代語訳でいくつか紹介しましょう。

「且夫水之積也不厚、則其負大舟也無力」

水のかさが十分に厚く深くなければ、大きな船を浮かべることができない。

「小知不及大知、小年不及大年」

知恵の小さいものは大いなる知恵をもつものにはおよばず、寿命の短い者は寿命の長い者には到底およばない。

「至人無己、神人無功、聖人無名」

至人は自分の心にとらわれず、神人は功績にとらわれず、聖人は名誉にとらわれない。世俗を超えて高みにいる人は、自我や功績、名誉などは不要であるという意味。

「大知閑閑、小知間間。大言炎炎、小言詹詹」

大いなる知恵のある者はゆったりと落ち着いているが、知恵の小さな者はせこせことしている。偉大な言葉は淡泊なものだが、つまらない言葉はいたずらに口数が多く煩わしい。

原文、書き下し文、現代語訳が載った基本の一冊

著者
荘子
出版日

 

『荘子』の内篇について、成り立ちを説明したうえで、原文、書き下し文、現代語訳を収録した作品です。漢文が苦手な方は、成り立ちと現代語訳だけ読んでも荘周の考えを十分に理解することができるでしょう。

戦国時代という争いの絶えない時代に生まれた荘周ですが、本書を読むと彼の眼差しははるか高みにあると感じさせられます。「無為自然」をはじめとする、あるがままの姿を重視する彼の思想は、現代を生きる私たちの心も少し軽くしてくれるかもしれません。

『荘子』に込められた老荘思想をマンガで読む

著者
蔡 志忠
出版日
1994-09-14

 

可愛らしいイラストで老子や荘周の思想をわかりやすく描いたマンガです。世界各国で翻訳され、人気を博しています。

かつて戦国の時流に流されず、超然と「自由」であることを説いた荘周の思想は、もう少し力を抜いて楽に生きていいと教えてくれているかのよう。気軽に読めるので、古典が苦手な方にもおすすめできる一冊です。

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