ややこしいの魔法【小塚舞子】

ややこしいの魔法【小塚舞子】

更新:2021.12.3

娘が一歳半になり、すっかりややこしくなった。自我の芽がちょこんと顔を出した程度ではあるのだが、ややこしいものはややこしい。面倒くさいものは、面倒くさい。日々、戦である。私は、娘と戦っているんだろうか。それとも自分自身なのだろうか。

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振り返ればややこしい

昨年末に一人で立って歩けるようになった娘の第一歩を見逃した。台所に立って洗い物だか料理だかをしていて、ふと振り返ると、真後ろを娘が歩いて通過するところだった。一体どのあたりから歩いてきたのか全くわからなかったが、中腰でバランスを取りながら懸命に歩く姿は忘れられない。これは振り返って見たもの史上、一番驚いたし素敵な光景だった。

しかしそれからというもの、振り返ればロクなことがない。カバンからアルフォートを出して食べていたり(まだ甘いおやつあげてない頃)、マッキーの太い方で床とテーブルにお絵かきしていたり(細い方でも嫌だけど)、ロフトの上から私を見下ろして笑っていたり(いつのまに登ったの・・・)。そういう時は、ほとんどの場合で背中に嫌な予感を感じている。かなりの確率で的中しているので、振り返る前に呼吸を整える必要がある。振り返り恐怖症になりそうだ。

娘と一緒にいると毎日何かしらの事件が発生する。成長と供にややこしさも日に日に増していくので、書き出すとキリがない。ちなみに今日一番ややこしかったのは、ソファーに寄りかかって立ったまま寝ていたことだ。一瞬微笑ましく、思わず写真に収めてしまったような姿であったが、彼女はう○ちをしていた。そのまま寝かせれば、お尻にペタッとくっついてしまう。立って寝ている人のオムツを替えるのは大変だった。

昨日はスーパーへ行く前に立ち寄った公園で拾った石ころを、どうしても手放したくないと泣かれた。なかなかの大きさだった上に、泥がついてそれが乾燥したのか、もしくは大きな泥そのもののような石ころだった。スーパーには持ち込めない。石ころにさようならするよう、何とか説得しようとした。

しかし説得すればするほど機嫌は悪くなり、より石ころに執着してしまう。無駄にはしゃいで機嫌を取りつつ、石ころを忘れさせようとしたが30分ほど経ったところで『もうやってられん!』とシビレを切らし、とにかくスーパーの前まで連れて行ってみようと娘を抱き上げた。娘は急に抱き上げられた反動で、小さなお手々から石ころをこぼしてしまった。

それは私の足の指に落下した。私はサンダルを履いていた。声が出た。彼女は少し残念そうな表情を見せたが、手の届かないところに行ってしまった石ころにはもはや興味がないようだった。

そういえば今日行った公園では、干からびたカナブンを持ち帰ろうとしていた。

ややこしすぎるブームたち

娘には、様々なブームが訪れる。それはリモコンだったり、私の指輪だったり、ギターのピックだったりする。どれも非常にややこしい。あまりにもリモコンを触りたがるので、諦めて渡しておくと、Amazonプライムで『ライオンキング』を購入していた。

私の指輪は、箱から取り出して自らの親指につけ、拍手をするというのが一連の儀式となっている。拍手をした際に指輪が飛んで行ったとしても、特に気にしない。そのうち失くされるのだろう。

旦那さんがギターを弾くと、飛んで行ってピックを要求する。パパお気に入りの高級ピックが特に好きで、そればかり取る。奪ったピックは、私の安物のウクレレと一緒に持ってきて、これでこれを弾くようにと押し付けてくる。弾くまで決して諦めない。下手なウクレレを弾いてやると、満足してどこかに行ってしまう。こっそり旦那さんにピックを返す。再びギターを弾き始めるパパ。飛んで行く娘。ウクレレを用意する私。

そして、最近生まれた一大ブームがある。通称『アッチ地獄』。外出自粛の期間中は、自由に公園に行くことができず、とにかく家にいたので、持っているおもちゃにも飽きてしまった。そこで私は娘を抱っこして、歌いながら部屋をただウロウロしていた。すると娘は行きたい方を指さして「アッチ!」と主張するようになった。言われた通りに進んでいけば、すぐに行き止まりになってしまうので、指をさされた方向に二歩だけ歩くことにした。するとまた「アッチ!アッチ!」と指示が飛んでくる。また二歩、「アッチ!」

・・・とやっているうちに壁にぶつかりそうになって「もう行けないよー!」と困ってみせるのを娘はたいそうお気に召した様子だった。嬉しそうにゲラゲラと笑い、また新しい「アッチ」が始まる。暇になるとアッチゲームをして遊んだ。

すると、彼女は味をしめてしまった。アッチ!とやれば、自分の行きたいところへ行ける。やがて外に出られるようになると、抱かれていても、歩いていても、ベビーカーに乗っていても、アッチ!アッチ!とにかくしつこい。声もでかい。公園の横を通過しようもんなら「アッチ!アッッッッチィ!!!!!アッチヨオオオオォォォォォ!!!!!!」と、通りすがりのおじさんも振り向くほどの絶叫。それでも無視してやり過ごそうとすると、この世の終わりみたい顔で悲しむ。甘いのはわかっているが、私はそれにめっぽう弱く、気付けば涙を溜めた娘と公園で遊んでいるのだ。そして公園の中でもまた、アッチ。

そういえば、いつのまにか公園を公園として認識できるようになっていた。いつも行っている所ならわかるが、通りすがりの知らない公園にも行きたがる。カラフルな遊具や、緑が多いところに心惹かれるようだ。このように“そういえばできるようになっていること”は多い。仕事で半日ほど娘と離れているだけで、帰ってくると何だか少し大人になったように感じる。嬉しくて寂しい、娘の成長。ややこしくなっていくのも、喜ぶべきなのか。

ややこしければややこしいほど

もう一つだけ、ややこしいエピソードを。娘は誰にでも手を振る。信号待ちで隣になったご婦人、スーパーやコンビニの店員さん、にっこり笑うと歯がなかったおじいちゃん。買い物をしていても、街を歩いていても、いつでも手を振る相手を探しているようだ。そして、一度手を振り返してもらうととにかくしつこい。相手が通り過ぎるまで、いや、通り過ぎても背中に手を振っている。それはそれでせつなく見えてキュンとするし、いじらしい姿なのだが、相手が止まっている場合はそうはいかない。

コンビニでコーヒーを買ったときのことだ。レジに行くと、彼女のお手振りが始まった。「あらあら!」と手を振り返してくれる店員さん。会計を済ませてもなお両手を振り続ける娘。私はコーヒーのカップを受け取り、娘の手を引いてコーヒーマシーンの前に移動し、カップをセットする。娘はさっきの店員さん目がけてまだ手を振っている。他にお客さんがいなかったので、店員さんも振り返してくれた。

最近のコンビニのコーヒーは美味しいが、ドリップに時間がかかる。娘は手を振り続けている。店員さんを見ると、さすがに長いなという顔をしている。しかし、やめどきがわからないのだろう。苦笑いで手を振ってくれている。ようやくちょろちょろとコーヒーが出てくる。「ちょっと、しつこいよ~」とやんわり娘を引き寄せる。私の手を振りほどき、店員さんに一歩近づく。手を振る。疲れないのか。コーヒーが出来上がる。手を振っている。蓋を閉める。手を振っている。コーヒー片手に娘を抱き上げる。もちろん外に出るまでそれは続いた。店員さんと互いに気を遣い合う、微妙な時間だった。外に出ると、店の中を指さして「アッチヨォォォォォ!」

一つ一つの出来事は小さいけれど、塵も積もれば山となり、山になったころにはどっと疲れがやってくる。全然昼寝をしない日、やけに機嫌が悪い日、べたべたと甘えてくる日。アッチ地獄にハマり過ぎた日なんて、夕方にはもうヘトヘトだ。疲れすぎて泣けてくる日だってある。

しかし、そんなややこしい娘と過ごしてたまった疲れを、癒してくれるのもまた娘だ。夜、彼女の寝顔を見ていると明日が楽しみになる。今日より少しお姉さんになった娘は、どんな成長をするのだろうか、どんな顔で笑うのだろうか。ワクワクする。朝起きれば、お腹が空いたと冷蔵庫前を陣取り、地団太踏んで怒られることがわかっていても、早く起きてほしいなと思うのだ。その日が、ややこしければややこしいほどに寝顔は可愛くなる。今だって、抜群に可愛い顔をして彼女は眠っている。

ちょっとだけややこしい短編

著者
伊坂 幸太郎
出版日
2014-11-14

「勇気は伝染するのか」をテーマに、独立した三つの物語が少しずつ重なり合っていく短編小説です。子育てに追われて、読書する時間なんてないわという方でもスルリと読めます。

途中「・・・おや?この人とこの人はつながっているのか?」と、ややこしい部分もあるのですが、それも楽しみの一つ。短時間で脳を鍛えることもできそうです。

著者
朝井 リョウ
出版日

テレビドラマ「世にも奇妙な物語」の大ファンだと語る朝井リョウさん。「シェアハウさない」や「リア充裁判」など、どれも興味をそそられるタイトルの短編は活字版の「世にも奇妙な物語」。どの話もありそうでなさそうで・・・でもやっぱり限りなく“ありそう”なお話です。現代の闇を“奇妙な話”と言いつつ、わりとストレートに皮肉っている感じが面白いです。

何がややこしいかと言うと、どの話も続きが気になりすぎるのです。いきなりバンッ!と話が終わってあのテーマ曲が聴こえてくるような。こちらもサクサク読めるので忙しい方にもおすすめです。

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