三浦靖冬おすすめ単行本5冊!『薄花少女』から『えんじがかり』まで傑作多数

更新:2021.12.18

静かに、静かに物語を紡ぐ三浦靖冬。主な活動の場が成年漫画誌で、更には寡作のためあまり目立つことがありませんが、その画力と巧妙なストーリーテリングの実力は並々ならぬ人です。2002年発売の初単行本をはじめとする三浦作品をご紹介しましょう。

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叙情性とエロティシズムと空想的の作家、三浦靖冬

三浦靖冬は1974年に大阪に生まれ、学生時代は友人たちとつくった同人誌サークルで漫画を描いていました。教職を志してはいましたが、1998年に『月刊アフタヌーン』の漫画新人賞「アフタヌーン四季賞」の佳作を受賞したこと、それまでの志望を断念したことが重なり、新たに漫画家を志します。

2000年にアニメーション『トラブルチョコレート』のコミカライズで商業誌デビュー。同じ頃に成年漫画誌『COMIC快楽天』の新人漫画王賞に入賞し、同誌での活動を活発化します。

主な活動の場が成年漫画誌であるので、当然描く作品も成年向けです。性描写が入ることが規則とも言える大人の男性向けの漫画を発表していくこととなります。

しかし、三浦靖冬が描く成年漫画はただ扇情的なだけのものではありません。セックスに及ぶ各人物が負う理由や心情、怖ろしいまでに過酷な境遇や抗いきれない運命の中で紡がれる物語があります。それは痛烈なほどのせつなさを伴いながら、韻文詩のような叙情性とうつくしさ、心地よさをときに感じさせます。

また、描かれる画面は描線の1本1本が丁寧に描かれて、大変緻密です。スクリーントーンは最小限に、ベタとカケアミとでつくられる光と影の描写が昭和初期~中期を思わせる世界観を、ともすればファンタジックに描き出します。こうして構築される叙情性、物語性が、いわゆる成年漫画であることを疑わせるほどです。

では、成年漫画として不出来なのではないかと言うと、決してそうではありません。緻密な描写は性描写においても同様ですし、独特のフェティシズムが作品の各所に漂います。童顔、少女体型、ときに眼鏡やおさげなどの清純な要素を湛えた女性を多く描き、性描写の露骨さとのギャップが更に強いエロティシズムを醸し出すのです。

成年漫画、つまりいわゆる「エロ漫画」でありながら文学性さえ匂わせる三浦靖冬作品ですが、もともと三浦自身に文学の素養があるらしく、複数の作品の題材として草野心平や小川未明、宮澤賢治などの作品が登場することがあります。作品だけでなく、その作品が持つ雰囲気や主題なども自作に取り入れ、換骨奪胎させた上で成年漫画として構築する妙技はほかの作家には見られない味わい深さを生み出しています。

緻密な描線・描写。周到な構成の物語。深い主題や細密な舞台の設定。そういったものたちが秀れた作品を生み出すのは確かなのですが、秀れていると同時に大変手間がかかるものでもあります。それだけに、三浦靖冬は寡作な作家です。作品の発表ペースがとてもゆっくりなのが、ファンを少し落ち着かなくさせています。

少し重く、とてもせつない。散りゆく少女の姿。

三浦靖冬はじめての単行本。「マッチ売りの少女」をモチーフに少女と少年の性と淡い愛を描く「ヨトギノクニ」など6つの読切作品を収録した短編集です。

著者
三浦 靖冬
出版日

『おつきさまのかえりみち』には、三浦靖冬が2000年から2001年にかけて『COMIC快楽天』に描いた作品が6作8本収録されています。収録作のうち「とおくしづかなうみのいろ」は前・中・後編の3編からなる中編の力作。2000年に「三浦靖冬」名義で商業デビューしてからはじめて刊行される単行本です。

両親を亡くし親戚に引き取られて街娼として働かされる少女と、その同級生の少年の間にある物理的・心理的な隔たり。そして、街娼としての少女に金を払いながらなかなか交合にまでは至ることができない少年の、少女への想い。寂しい街の片隅でのできごとを描いた「ヨトギノクニ」。

特殊な病のために「園」と呼ばれる特殊な環境でしか生きられなくなった少年少女たち。その中の一人、合歓子は絵画でしか見たことのない海を見るために園を抜け出します。それは同じ境遇にあって合歓子の「兄」として生きる木綿への想いの報われなさからの逃避の旅でもあり……。行き違い、擦れ違いながら愛が、想いが交錯する「とおくしづかなうみのいろ」など、いわゆる「エロ漫画」にしては重厚なテーマと物語を持った作品ばかりが6作、収録されています。

三浦靖冬の世界を体感するならまず読むべき作品集がこの『おつきさまのかえりみち』です。昭和初期~中期辺りを思わせるレトロな雰囲気を漂わせながら、高度な技術が発達したレトロフューチャーとも言うべき世界観。ほんの少し殺伐とした、ほんの少し陰鬱な、もの悲しい頽廃的な情景。そんな舞台で展開されるのは哀しい少女たちの爪突きと哀切の物語です。のちの三浦作品にも繋がる要素がすべて詰まっています。

『おつきさまのかえりみち』は成人指定されていないものの、収録されている作品はすべて成年漫画誌に掲載されたエロ漫画です。三浦靖冬の精緻な筆致と画力には定評があり、その筆力をもってなされる性描写はリアルで生々しく、そして哀切に満ちています。

エロ漫画における性描写はしばしば「エロ」を表現することのみを目的とした――読者の性欲を刺激することのみを眼目としたものでありますが、三浦作品の世界は決してそうではありません。他の成年漫画にありがちな「性描写にストーリーがおまけとしてついている」ようなものではなく、まず骨太の物語が構築され、その重要な要素として性描写が組み込まれています。性の要素と物語と、いずれが欠けても作品は成立しません。三浦靖冬の成年漫画はそのようにつくられていくのです。

物語に登場する人物たちの間で交わされる身体と性と想いの間にこそ物語の要点は存在し、性は生とそうでないものを克明に浮き彫りにします。ままならぬ世界でままならぬ想いを抱きながら生きる人々のせつなさ、やるせなさ。性の向こうからそれらが読者に向かって押し寄せてくる物語が集められています。

僕は今日も明日も、えんじと手をつなぐ。

小玉藍少年は社会人の兄と二人暮らしの小学生です。ある新学期、どこか遠い国から「ねこみみろぼっと」が転校してきました。「えんじ」という名のそのロボットの世話役を、小玉少年は教師から言いつけられます。「えんじがかり」になったのです。「えんじがかり」の仕事はえんじと一緒に生活をすること。中でも大切なのは手をつなぐことでした。 

えんじがかり

2011年01月05日
三浦靖冬
秋田書店

『えんじがかり』は『チャンピオンREDいちご』に4年間、連載されていました。三浦靖冬初の一般誌連載作なのですが、『チャンピオンREDいちご』は成人指定はされていないものの「フレッシュ美少女満載」がキャッチフレーズの、一部の都市では有害図書指定されるほどの性描写を許した雑誌でもあるため、純粋に一般向け漫画であるかと問われると、少々答えに迷うところではあります。

作中に特に性描写はありません。しかし、人型の「ねこみみろぼっと」である「えんじ」は主人公の小学生、小玉藍少年(通称アイコダマ)と同学年か、もう少し年下くらいの幼い少女の姿をしていて、頻繁にスカートの中が見えたり、裸になったり、水に濡れたりします。そこにエロティシズムを感じる人にはとてもエロいものと認識されているようです。

生活の中に突然現れたロボットと学校の外でも中でも生活をともにすることが、「えんじがかり」となったアイコダマの仕事です。社会人の兄と二人暮らしのアイコダマはえんじと一緒に住んで家事をしながらえんじの世話をして、えんじと一緒に学校に通います。人間と一緒に生活することでロボットは人間の社会での常識や習慣や人との関係を学ぶのです。

アイコダマが学校を終えたら同じ学校に通うえんじも一緒に帰りますが、アイコダマもたまには同級生たちと遊びたい。でも同級生の男子たちは「女連れのヤツなんかと遊べない」などと言うのでした。アイコダマたちは小学5年生、そろそろ異性を強く意識しはじめる年頃です。

遊びたいアイコダマと、アイコダマに気を遣ってしまったえんじ。えんじはそれまでつないでいた手を自ら離し、一人でアイコダマの家へ帰って、アイコダマは同級生たちと遊びます。遊んで楽しかったけれど、アイコダマはえんじが心配でなりません。

「えんじがかり」の大切な仕事の一つに「手をつなぐ」ことがあります。アイコダマはエネルギー物質を蓄積する指輪を着けていて、その手を握ることでえんじは自分の体内にエネルギーを取り込み、また、人間との信頼関係を築きます。だから、「僕がいないと」とアイコダマは思うのです。

急いで家に帰るとえんじはエネルギーが切れかけていて、何とか自分で充電しようとしていました。えんじが無事だったことにホッとしたアイコダマは思わずえんじを抱き締め、はじめて「このままずっとえんじがかりでいられたら」と思うのです。

そうして次第に「えんじがかり」であることはアイコダマの当たり前の生活の一部になり、えんじの大切さが段々と大きくなっていきます。それはもしかしたら「家族」というもの以上のものかもしれません。一方、えんじも人との関係をアイコダマとの関係の上に学び、アイコダマに対する信頼を強くしていきます。そして、えんじが知らないところでえんじのアイコダマに対する気持ちは、人とロボットの間のものというだけではなくなっていくのでした。

一緒にデパートに買いものに行ったり、海へ行ったり、花火を見に行ったり。夏の夜空に上がる花火を見て、アイコダマはえんじの手を取り、二人は手をつなぎ合って夜空を見上げます。花火が終わって、家路を辿るときも手をつないで歩きます。きっと二人はいつまでも手をつないでいるのでしょう。

漫画でありながら微妙な台詞の間を感じさせ、モノクロの画面でありながら豊かな色彩を感じさせる三浦靖冬の漫画は、風景だけが描かれたたった1コマからも、物語と風情を感じさせます。夕暮れや雨の一日や月が浮かぶ夜は、それだけでドラマティックです。何かが起きてもすんなりと受け容れられるでしょう。

そんな日常の中のドラマティックを、小さなアイコダマとえんじは日々の中に体験しています。みなさんも一緒に体験してみてください。

少女の業と男の無力と。せつなさの9編。

機械と人間がともに生きる世界で、看護師ロボット「なな」は担当する患者と同じ時間を過ごします。患者と看護師は二人三脚で治療に臨むもの。しかしその時間は永遠ではあり得ません――『とわにみるゆめ。』に登場した看護師ロボットのもうひとつの物語「ななのゆくひ。」を含む9篇の読切漫画が収録された作品集です。

著者
三浦靖冬
出版日
2005-09-30

『花喰幻燈機』は2002年から2004年の間に『COMIC快楽天』に掲載された作品が7編と、描き下ろしが1編、未発表作が1編収録された、三浦靖冬の3冊めの単行本です。

『花喰幻燈機』には次の作品が収録されています。

2冊めの単行本『とわにみるゆめ。』に登場した看護師ロボット「なな」の物語「ななのゆくひ。」、「ナーサリーライム」、「ホーム・スイート・ホーム」の3篇
生まれ故郷の離島に赴任した若い教員が見た、幼馴染みの夜千代と校長の歪んだ愛の顛末「極東ニ夜ガ降ル」前後編
八千代と小学校の或る男子生徒の束の間の関係を描いた「あめのちあめのふるまち」
淳子には自分がいなければ――そう思っていたなつみには淳子がいなければいられない弱さがあった、そんな2人の少女の物語「ゆうげには苺をたべて」
眼鏡のおさげ少女の恋敵は自転車だった……ちょっとコメディ、ちょっとホラーな「銀輪と眼鏡とアイスクリーム」
田舎道の街灯の下での一時の逢瀬「蟲燈」
『COMIC快楽天』新人漫画王賞入賞作「ことりの巣」

『おつきさまのかえりみち』、『とわにみるゆめ。』、そして『花喰幻燈機』と、三浦靖冬の初期単行本3冊に共通しているのは、ほんの少し陰鬱な雰囲気と、どうにもやりきれない境遇に置かれた人物と、それらが醸成するせつなさです。

少女や少女型のロボットたちは大人の業を背負って、理不尽とも言える世界から逃げ出すこともできず、ただ生きています。男たちはその姿を見ながらも何をすることもできず、ただ立ち尽くすか、あるいは少女に己れ自身の脆さを押しつけることしかできずにいます。世界は暗い閉塞感に満ち、それでも生きていかねばなりません。

そんな世界で交わされる身体と、微かな心。あるいは交わされることすらない孤独な心。やるせなさ。せつなさ。どの作品にも、それぞれの割合で、これらが含まれています。情交はいつも仕方がなく、束の間の拠りどころにはなっても、何も解決してはくれません。それでも交わらなければいられない者たちの物語が、この1冊には収められています。

ときどき「性描写がどぎつい」と評する人がいる『花喰幻燈機』ですが、成年漫画誌に掲載された作品を集めた本ですから、それは当然のことです。多くの人は性描写を見たくて成年漫画誌を購入するのですから、読者が求めるものを作家は提供せねばなりません。その点から言えば、精緻な筆致で描かれた上品な絵で下品ぎりぎりの性描写をして、なお漫画としてのバランスを失わない三浦靖冬の卓抜したセンスと技術は賞賛に値するでしょう。

見た目は少女、中身は数えで八十。その名は……

一人暮らしの古糸史青年の家に突然やってきたのはセーラー服姿の小学生と思しき少女です。少女は「数えで八十のハッカばあやでございますよ」と名乗りますが、古糸青年は俄かには信じられません。確かに実家にいたときにはハッカばあやが世話をしてくれたけれど……戸惑う古糸青年を他所に少女のハッカばあやは青年の世話を焼きはじめます。

著者
三浦 靖冬
出版日
2013-09-30

『薄花少女』は2013年から『月刊IKKI』で連載がはじまり、2014年末から『月刊サンデーGX』に移籍して連載が続く作品です。『えんじがかり』に続く一般誌での連載で、『えんじがかり』よりも更に一般誌寄りの内容になっています。

古糸史青年は実家を出て一軒家で一人暮らしをしています。反対された一人暮らしにもすっかり慣れて自堕落な生活です。その日も休日ということでひる近い時間まで寝ていました。そこに「いつまでねてるんですか」とセーラー服を着た少女が寝床の脇から声を掛けます。

二度寝を決め込んでいた古糸青年を布団から追い出して、少女は布団を干します。古糸青年は突如現れた見知らぬ少女に戸惑いますが、少女の方は旧知の相手に話すように青年に話しかけてくるのでした。

少女は、青年が実家にいたときに世話になった「ハッカばあや」だと名乗ります。しかし目の前にいるのはどう見ても小学校2~3年生くらいの少女で、数えで80歳の老婆には見えません。けれども折りよくかかってきた実家からの電話と少女自身のハッカばあやとしての証言で、信じざるを得なくなります。かくして、史ぼっちゃまとハッカばあやの生活がはじまるのでした。

『薄花少女』はこのような発端の、ちょっと風変わりな日常系の物語です。前作『えんじがかり』もそうだったのですが、何でもない日常の中にふと存在する風景の一部を詳細に見るような、ありふれているようで一際鮮やかな瞬間が描かれます。

一人立ちしたぼっちゃまと、まだまだお世話申し上げたいばあや。ぼっちゃまは実家を出てしまったけれど、ばあやは耐えきれずにやはり実家を飛び出してぼっちゃまの世話をしに現れます。少女の姿で。70歳ほども若返ったわけですから、身体は軽やかに動き、体力もあります。でも、少女の小さな身体では高いところに背が届かなかったり、大きな荷物は持てなかったり。

そうやって悪戦苦闘しているかと思えば、屋内のリフォームでは古糸青年よりもハッカの方がやり方に習熟していたり、姿は小学生でも魚を三枚に下ろすくらいは朝飯前だったり。80年生きた人の知恵と技術を持っていて頼もしい面もあります。少女の面と、老婆の面と、その両方をハッカは持ち合わせているのです。

その両面性がときにかわいらしく、ときに妖艶であったりして、ハッカという人物をすこぶる魅力的に描き出します。話数を重ねるごとにその魅力も重ねられ、古糸青年も少女の姿のばあやであるハッカに幼い頃からの親しみと、それとはまた別の感情を覚えるようになります。それは恋にとても似ていますが、恋と言うにはあまりにも淡い。

そのほのかに淡い名状し難い感情が、『薄花少女』という作品の核とも言えます。それは単行本の表紙画にも表れています。微かで、しかしはっきりと彩りがあり、ふうわりとやわらかい。そのような何かが漂っているのです。

三浦靖冬のカラー画は水彩とカラーインクが主に使われ、透明感のある色彩が特徴なのですが、『薄花少女』の表紙画は各巻共通して、特に淡くほのかな、ややもすれば儚げにも感じられるトーンで描かれています。書店などで書影を見かけたときに感じる第一印象、それが読者の『薄花少女』の読後感かもしれません。

ロボットは、愛する人のそばにいてもいいですか

男児のみを跡継ぎとする軍人の家系に生まれ、男装で男性として生きることを強いられ女性としての成長を抑制された少女、ミクニ。女性としての機能が抑制されたミクニの代わりに「子産みの機能」を与えられた少女ロボット、とわ。この二人を中心に展開する物語。必要とする、される。愛する、愛される。幾つもの想いは悲しいまでに擦れ違い……。

著者
三浦 靖冬
出版日
2004-03-24

『とわにみるゆめ。』は三浦靖冬の2冊めの単行本で、はじめての連載作品です。『COMIC快楽天』に2003年に連載された原稿に大幅に加筆修正が施されたものが収録されています。この作品こそが三浦靖冬の代表作であると言って差し支えないでしょう。

ロボットと人間がともに生活する世界の物語です。S-ニュータウンなる猥雑な街で廃品回収を生業とする青年ギイチは、仕事中に動かないロボットの少女を見つけ、自宅に連れ帰ります。政府の指定外区域であるS-ニュータウンではほとんど見ないロボットが何故いたのか、ギイチは知りません。ギイチの家で少女は回復し、しかし突然、その身体に異変が起こります。秘所から液体の分泌がはじまり、それはギイチがこれまで知らなかった匂いを放ちました。その匂いをかいでしまったギイチの意識は俄かに眩み、身体が異常な昂奮を示しはじめるのです。

抗い難い衝動がギイチを少女との交合に駆り立て、ギイチは乱暴なほどのはげしさでロボットの少女と交わります。「子産みのための動力」としてつくられたロボットの少女はギイチの子を身籠ってしまうのでした。別の男性の子供を得るためにつくられたはずのロボットは、予定にない男の子種を得てしまったために、帰るべきところに帰れなくなってしまいます。

のちに「とわ」と呼ばれることになるロボットの少女は、「ミクニ」と呼ばれる少女の子供を彼女に代わって産むためにつくられたのでした。「私の子宮だ」と言い、自分の手許からいなくなったロボット、とわを従卒である兵隊ロボットのジュウソウに捜索させるミクニ。彼女は男児のみを跡継ぎとする軍人の家系に生まれて男性として生きることを強いられ、女性としての成長を抑制する薬を服むことを父の命令により余儀なくされています。

ギイチ、とわ、ミクニ、ジュウソウが、それぞれの立場でそれぞれの役目、「生まれてきた意味」をまっとうしようと生きています。しかし、運命の歯車は巧く噛み合いません。少しずつずれながらお互いの想いは入り混じり、そして擦れ違ってしまうのです。

自分ではないものとして生きることを強いられながら「強き者」として立とうとするミクニ。ミクニの手を離れることで自分として生きられそうだったとわ。とわに一個の人格を見出し強い情を感じていたギイチ。常にミクニの側に控え、幼い頃から見守り続けてきたジュウソウ。それぞれが別々の複雑な運命の隘路を辿って、やがて、その行方はひとつの結末へと収束していきます。

物語の最後の最後に、とわとミクニは対面します。それは残酷なまでに悲しい結末の一瞬、手前でした。誰もが過酷な運命の旅人で、その旅の終着地は必ずしも望む場所でもさいわいなる場所でもありません。しかしそれでも、この物語をお終いまで読んだ人はきっと誰もが考えずにいられなくなるでしょう。「この物語にはこの結末しかあり得なかったのだろうか」と。

物語のもの悲しさと、描かれる画面のもの寂しさ。物語の展開の胸を締めつけるせつなさ、やりきれなさ。それ等が狂おしいまでにうねりながら混じりながら、物語の結末に辿りついた読者に怒涛のように押し寄せてきます。最終ページ近くに挿入された2枚の見開きの絵は、必見にして圧巻です。

「成年漫画」という範囲に収まりきらないのではないかと思われるほどの叙情性を帯びた文学的作品『とわにみるゆめ。』。性描写が苦手という人にも、ちょっとだけ我慢をして読んでみて頂きたい秀作です。

緻密な絵と、リアルな描写と、溢れる叙情性。そして息が詰まるほどのせつなさが、三浦靖冬の作品には常に備わっています。やさしく、静かで、せつない漫画をお求めの人には全面的におすすめできる作品たちです。作品を択ばずどなたにも何度でも読んで頂きたい三浦作品を、ぜひお手許に。

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