日本生まれのイギリス人作家、カズオ・イシグロ。ブッカー賞を受賞するなど、作品数は多くはないものの注目を浴びている日系イギリス人作家です。イギリスと日本の文化を背景に持つ作家の独特な雰囲気に触れてみませんか。
カズオ・イシグロは1954年11月8日長崎生まれの日系イギリス人作家です。漢字名は、石黒一雄。5歳のときに、海洋学者である父とともに渡英し、現地の学校に通います。1982年にイギリス国籍を取得しているようです。
ケント大学では英文学を学び、イースト・アングリア大学大学院で創作を学びました。
1982年に長編デビュー作である『遠い山なみの光』で王立文学協会賞を受賞、1986年に発表した『浮世の画家』ではウィットブレッド章を受章しました。また、1989年に発表した『日の名残り』では、イギリス文学界の最高峰の作品に贈られるブッカー賞を受賞するなど数々の賞に輝いています。
2017年にはノーベル文学賞を受賞しました。
『夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』には、カズオ・イシグロの5つの短編が収録されていて、すべて夫婦と音楽に関係する物語になっています。ですが、すべて夫婦が主人公なわけではありません。そして出てくる夫婦も、険悪な仲であったり、愛し合っていたりと様々です。
その作品中のひとつ、「老歌手」のあらすじを紹介します。ベネチアでいろいろなバンドに助っ人として、ギタリストをしているヤネクは、ある日母が大ファンであったアメリカの歌手、トニー・ガードナーと出会います。ヤネクは、ガードナーに話しかけたところ、彼から頼まれごとを受けます。それは、妻のいる部屋のホテルの下から、ガードナーが妻との思い出の曲を歌うというものでした。ヤネクには素敵なサプライズだと思えたものの、当のガードナーは浮かない様子でした。この夫婦の間にはどうやら秘密があるようで……?
- 著者
- カズオ イシグロ
- 出版日
- 2011-02-04
本作は、大きな山場があったり、ジェットコースターのような緩急のある話ではないものの、不思議と惹きこまれていく魅力があります。殺人事件の犯人のように衝撃的な謎ではなく、誰もが持ちうる「些細な日常のズレ」のような謎が、不思議と私たちを魅了するのです。どこにでもいるような人物が主人公になっているわけではないものの、世界中を探してみればどこかにいるのかもしれない、と思わせるような登場人物たちの姿も魅力です。
カズオ・イシグロ自身がミュージシャンを目指していた時期もあり、そのときの見聞や体験が反映されているのではないか、と思わせるような描写もあります。
登場する人物や地域、楽器などはすべてばらばらですが、すべての作品に共通するのは、ほのかな愛情が根底に流れていることです。ぜひ、お気に入りの音楽をかけながら読んでみて欲しいカズオ・イシグロの作品です。
「少なくともおれたちは信念に従って行動し、全力を尽くして事に当たった」(『浮世の画家』より引用)
作品の主人公である小野益次は、引退した日本人画家です。彼は愛国的な画風で知られています。
物語は彼の回想録です。回想は、まずは自らの徳の高さを他人に認められたエピソードから始まり、娘の結婚の話、娘婿との間に生じた軋轢、そして自らの過去の修行時代や、子どもの頃の厳格な両親との軋轢の話にまで遡ります。
小野は、そのすべての体験において自分は、自らの信念を貫いてきたというふうに語ります。己の信念の肯定が、彼の精神を少なからず支えている重要な役目を負っていることは確かでしょう。彼は自尊心の強さゆえに、自己の肯定と自らの存在意義を否定することはできないのです。
様々な回想エピソードが表れては、ザクザクと彼の信念に貫かれて処理されていきます。記憶をたどりながら、時には自らの記憶を疑いつつも、ある程度正直に、しかしそれらの回想は、小野本人にとって都合が良すぎるほど筋が通っているのです。論理的には彼のことを信用できる人物として理解できますが、あまりにも都合が良すぎて、どこか少し違和感を持ってしまいます。それこそがこの小説に陰の部分を与えており、小説に奥行きをもたらしており、物語全体の魅力を高めているとも言えるのですが……。
- 著者
- カズオ イシグロ
- 出版日
- 2006-11-01
訳者によると、「普遍的で明確なテーマを、いわば現実の陰影だけで浮かび上がらせる」とのこと。
戦時中の空気、自分たちもある種の被害者なのだ、とまでは言っていないにしても、彼の言動からそうほのめかしていることは読み取れます。もしくは、わかってほしい、という思いと、どうせわからないだろう、というあきらめを同時に抱えている彼は、戦争犯罪人と呼ばれることに対する違和感を抱えていますが、それでもなぜかそれほど孤独を感じているふうでもありません。ですが、それはなぜでしょうか?
実は、娘や孫は彼の孤独を感じ取り、彼の存在を肯定しようとしてくれているのです。彼はそうやって、身近で支えてくれている多くの人の存在によって己の存在価値を高めたままに生きていけているのです。彼の周囲の者たちは、彼の抱く罪悪感を敏感に感じ取り、無意識の内にさりげなく彼の人生を肯定しようとしてくれています。しかし彼はそれに気付いていません。そのため彼は、自分がなぜ他の多くの者と同じような自殺という道を選ぼうとしないのかわかっていないということなのです。
彼の抱く「愛国心」は誠実な愛国心であり、戦後の新しい時代の若者に期待する愛国心であり、希望的観測をもって日本の将来を見ている愛国心です。決して他を否定することで自国を称賛するような愛国心ではないように見受けられます。
『わたしが孤児だったころ』の主人公、クリストファー・バンクスは、10歳の頃に両親が失踪し、イギリスにいる伯母に育てられます。バンクスは、ずっと両親の失踪が心にひっかかっていました。そして、上海にとらわれている両親を救い出すために幼いころからの夢であった探偵になります。
- 著者
- カズオ イシグロ
- 出版日
本作は、主人公であるバンクスの一人称で進められていきます。この「一人称」が、作品全体を読む上でのキーとなってきます。語り手は、必ずしも真実を話しているかどうかはわかりません。
後半にいくにつれて、現実なのか、これは主人公の頭の中のできごとなのか分からなくなっていきます。
この奇妙な感覚こそがカズオ・イシグロの世界観なのかと思わせ、彼の力量を感じさせられる文章が魅力の小説です。
カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』の主人公は、老夫婦のアクセルとベアトリス。彼らは村で浮いた存在なのでした。そこで、離れて暮らす息子を訪ね、その村に移住しようと老夫婦は旅へ出かけます。しかし、アーサー王伝説の世界が舞台になっていて、簡単に息子に会うことはできません。剣や魔法、妖精やドラゴンが出てくる世界の冒険は一筋縄ではいきません。彼らは、無事に息子と会うことはできるのでしょうか。
- 著者
- カズオ イシグロ
- 出版日
- 2015-05-01
「冒険ファンタジー」の主人公として思い浮かべるのは、若い青年や少年であったり、少女ではないでしょうか。ところが、カズオ・イシグロは老夫婦を主人公として選びます。異色とも思えるこの組み合わせは、若者が主人公のファンタジーと変わらずに楽しむことのできる小説になっています。次々と襲い掛かる困難とどう立ち向かっていくのでしょうか。若者のように、力がレベルアップして成長していくわけではありません。しかし、この老夫婦もまた様々な問題と向き合うことにより成長していくのです。
共に旅をする仲間が増えたり、様々な困難に立ち向かったり、不思議がつまった魔法の世界を旅した終着点にはなにが待っているのでしょうか、息子とともに暮らすことはかなうのでしょうか。老夫婦の旅の終わりを見届けてください。
『日の名残り』では、ファラディ氏に仕える執事スティーブンスが前の主人のダーリントン卿と、ダーリントン・ホールで過ごした35年間を回想します。主人であるダーリントン卿と、執事であるスティーブンスの関係、好きだった女性との関係。過去と現在を往復しながら、「人生とは何か?品格とは何か?」を自問し続ける回顧録です。スティーブンスは新しい主人に仕える区切りはつくのでしょうか。
まるで、カズオ・イシグロの体験談のようなリアリティを感じさせる小説です。ダーリントン卿、ミス・ケントン、ファラディ登場人物が等身大で描かれていて読者の目の前に、人物たちがあらわれていくような錯覚を覚えます。
- 著者
- カズオ イシグロ
- 出版日
そして、ここでもカズオ・イシグロの一人称「信用できない語り手」が登場します。どのように、信用できず、読者を騙すのか考えながら読んでみることをオススメします。
ブッカー賞を受賞した作品で、ジェームズ・アイボリー監督によって映画化もされています。
1位は映画化もされたカズオ・イシグロの作品『わたしを離さないで』です。
介護士であったキャシーは、主に「提供者」の介護を引き受けることにしていました。そして、31歳になり介護士の引退を機に自分の過去を整理します。彼女自身も提供者として、ある施設「ヘールシャム」で育っているのです。
キャシーは自分が育った閉鎖的空間であるヘールシャムを回想しますが、そこには謎がありました。芸術に力をいれていたり、毎週受ける健康診断があったり。そして、施設の外の世界に関することになると、ヘールシャムの保護官たちは奇妙な態度を示します。
キャシーが青春時代を過ごしたヘールシャムの謎とは一体何なのでしょうか。そして、彼ら「提供者」とは一体何を提供していたのでしょうか。
- 著者
- カズオ・イシグロ
- 出版日
- 2008-08-22
物語はキャシーの回想シーンとして、語られるのですが、まるで知り合いの話を聞いているような錯覚に陥ります。キャシーの心情、施設で過ごしたみんなの思い出、施設と外の世界の繋がり、保護官たちとの会話、すべてにリアリティがあります。
そして、話が進んでいくごとに謎は深まります。読み終わった後に、タイトルの意味を噛みしめたくなるようなカズオ・イシグロの作品です。
枠組みにとらえることのできない世界観が、カズオ・イシグロの作品には詰まっています。作品ごとにちがう顔を見せるイシグロ・ワールドに浸ってみてはいかがでしょうか。