宮沢賢治が初めて世に送り出した詩集、『春と修羅』。自ら心象スケッチと呼んでいるように、彼自身の内面を映し出した表現が、独特の文章で綴られています。作者の原点ともいえる本作。有名な詩を中心に、読み解いていきましょう。
宮沢賢治の作品は、詩集や童話を含めて数多く残されています。しかし彼は早逝で、ほぼ全ての作品はその死後に出版されているのです。生前出版されたのは、唯一2冊だけ。童話では『注文の多い料理店』。そして初の詩集となる本作、『春と修羅』なのです。
作者の原点ともいえる詩集で、後の宮沢作品や、それにともなう彼自身の心の内面が描かれており、宮沢賢治という人物の目次のような作品といえるかもしれません。
本作は世に出たとはいえ、ほぼ自費出版のようなもの。世間からはまったく評価されておらず、わずかしか売れませんでした。しかし、その豊かな個性が気づかれ始めてからは、宮沢賢治作品は時代も国境すらも越えて、人々を魅了し続けているのです。
あまりにも独特な世界観と描写に時代が追いつけなかったという意見があるとおり、本作の言葉の数々は、かなり異質で難解。詩というのは絵画と似ていて、見る人や読む人によって受け取り方が違います。そこから読み取れるものが1つではないのが特徴です。
- 著者
- 宮沢 賢治
- 出版日
- 1999-09-25
そんな本作が象徴的に使われているのが、映画『シン・ゴジラ』の一場面。この映画の冒頭、東京湾を漂流するボートが出てきます。中は無人。残されていたのはテーブルに置かれた『春と修羅』と、折鶴が1つだけです。
このボートに乗っていたのはゴジラ誕生に深く関わりのある人物ですが、揃えられた靴から、本人は自ら命を絶ったものと思われます。
意味深で不可思議なこの場面は、ゴジラがなぜ誕生したかという謎解きのヒントとして提示されているのです。しかし、具体的な解釈は明確にされていません。どんなふうに読み取るかを、観る側にまかせているような設定なのです。
『春と修羅』の「序」で、賢治は自分の存在を1つの現象として捉えています。ゴジラの存在が何かの現象とするならば、そこに共通点を見出すこともできるかもしれません。
『春と修羅』のなかには、24歳で亡くなった妹「トシ」の死を悼む詩がいくつか見られます。この「永訣の朝」もその1つで、もっとも有名なものといえるでしょう。
死にゆく妹がふいに「雨雪(みぞれ)がほしい」と言いました。賢治は幼い頃から兄妹で使っていた椀を持ち、表に飛び出します。
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう
わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(『春と修羅』より引用)
真っ白な雪の中の情景と、みぞれを見つめながら妹への思いを溢れさせた言葉が、あまりにも悲しく美しく連なっていきます。
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あぁあのとざされた病室の
くらいびやうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまつしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
(『春と修羅』より引用)
「永訣の朝」のなかで有名なのが、「(あめゆじゆとてちてけんじや)」という一節です。「あめゆきをとってきてください」という妹の言葉なのですが、詩のなかで何度も象徴的に、効果的に使われています。
このなかの最後の「けんじや」という言葉が、「方言」の1つで意味のない言葉なのか、「賢治」に呼びかけている言葉なのかは、いまだに意見が別れるところのようです。
賢治のその後の世界観において、この妹の死は大きく関わっているといわれています。「死」というモチーフやテーマが少なくない彼の作品を思うと、確かにかなりの影響を受けたのだと感じざるを得ません。
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(『春と修羅』より引用)
この一文から始まる『春と修羅』の冒頭「序」も、難解なものとして有名です。さまざまな解釈や研究がなされてきましたが、説明してくれる当人がもういないのですから、推測するしかありません。
自分というものを「現象」としてとらえた宮沢賢治の世界観は、異質なものです。熱心な仏教徒であったということもあるのでしょうが、自分という存在や命というものを、個々の物質として捉えていないように思えます。
風景やみんなといつしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(『春と修羅』より引用)
自然の風景や人々との交流によって明滅する現象が、自分という存在なのだと言っているようです。つまりそれを表しているのが「有機交流電燈」でしょうか。
単に序文として捉えることができないのが「序」の難解さと、作者特有の宇宙観を交えた世界観なのです。
天山の雪の稜さへひかるのに
(かげろふの波と白い偏光)
まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(『春と修羅』より引用)
詩集の表題となっている詩です。有名なのが、何度か現れる「おれはひとりの修羅なのだ」という一節。
春の穏やかで美しい背景と対比するように、激しく乱れる情景が並べられ、その後に「おれはひとりの修羅なのだ」で締めくくられ、それが何度も波打つようにくり返されるのです。
「修羅」とは仏教の世界観で、六道の1つ。激しい感情や怒り、争いなど、穏やかさや優しさと正反対の意味を持つ世界として使われています。賢治は仏教徒だったので、阿修羅の持つ激しさと怒りと、それらの煩悩を制御することができない修羅の苦しみの部分も、よく理解していたのではないでしょうか。
心の乱れを表すように、詩を並べた文字列は、まるで波のようにうねうねとうねった形で書かれてい、る独特な詩になっています。
宮沢賢治が初めて小岩井農場を訪れたのは、中学2年の登山遠足の時になります。以来、何度となくそこを訪れ、花巻農学校の教師になってからも生徒たちと一緒に遠足に行ったり、非常に関わりが深い場所です。
馬車がいちだいたつてゐる
馭者(ぎょしゃ)がひとことなにかいふ
黒塗りのすてきな馬車だ
光沢消(つやけ)しだ 馬も上等のハツクニー
このひとはかすかにうなづき
それからじぶんといふ小さな荷物を
載つけるといふ気軽(きがる)なふうで
馬車にのぼつてこしかける
(『春と修羅』より引用)
難解な言葉が並ぶ本作のなかにおいて、「小岩井農場」はまるで童話を読んでいるように、穏やかな光景が浮かぶ描写が多い、長い詩です。小岩井農場で見たり聞いたりしたものや体験が、創作にも少なからず影響を与えているのではないでしょうか。
当時、敷地から駅まで走っていた馬が引く列車など、小岩井農場の美しい光景や雰囲気を知ることもできます。 彼にとって、ここは特別な思い入れがある場所。そのため、詩や童話のなかにも何度も登場しているのです。
(*おら おかないふうしてらべ)
何といふあきらめたやうな悲痛なわらひやうをしながら
またわたくしのどんなちひさな表情も けつして見遁さないやうにしながら
おまへはけなげに母に訊(き)くのだ
(『春と修羅』より引用)
「私はおっかない顔になっているでしょ?」 諦めたような悲痛な笑顔で、私のどんな小さな表情も見逃さないようにしながら、おまえは健気に母に聞くのだ。「無声慟哭」の一部分です。
「永訣の朝」とほぼ同じ時期に書かれた、妹トシの死の情景を詠んだ詩。病床の中「自分はおっかない顔をしているか」「自分は臭くないか」と母親に聞きます。その場にいながら声をかけてあげられない、賢治の心の中の声が聞こえてくるようです。
純粋な姿で死んでいく妹と、修羅の心を持ったままそこにいる自分を対とし、苦しい思いが表現されています。宗教的な結びつきでも同胞であった妹との死別。悲しみの極限を表す思いと同時に、自分自身の内面を見つめている詩でもあるようです。
妹が見つめる賢治の「ふたつのこころ」という描写に、そんな部分が表されているのかもしれません。
賢治が教え子の就職のために出かけた、サハリンへの旅を詠んだ作品群です。時期的にトシが亡くなった後のことなので、本来の用事とは別に、実質的にはトシの魂を求めての旅であったといわれています。
こんなやみよののはらのなかをゆくときは
客車のまどはみんな水族館の窓になる
(乾いたでんしんばしらの列が
せはしく遷つてゐるらしい
きしやは銀河系の玲瓏(れいろう)レンズ
巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)
(『春と修羅』より引用)
後に発表される代表作『銀河鉄道の夜』に、この旅は大きく影響をおよぼしました。『銀河鉄道の夜』のモデルは岩手軽便鉄道だといわれていますが、この詩を読むと、表現されたイメージや雰囲気が、銀河鉄道の描写を思いおこさせます。
物語の核となる内容が、慰霊の旅でもあったサハリンの旅と共通しているのではないでしょうか。
詩というのはすべてが名言の塊で、一部分だけ取り出すというのは難しいもの。ですので今回は、短くて美しい詩をそのまま抜き出してみました。
- 著者
- 宮沢 賢治
- 出版日
- 1999-09-25
雲の信号
あゝいゝな せいせいするな
風が吹くし 農具はぴかぴか光つてゐるし
山はぼんやり岩頸(がんけい)だつて岩鐘(がんしよう)だつて
みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ
そのとき雲の信号は もう青白い春の 禁慾のそら高く掲(かか)げられてゐた
山はぼんやり きつと四本杉には 今夜は雁もおりてくる
(『春と修羅』より引用)
爽やかな風景が目の前に広がる、清々しい空気感の詩です。宮座賢治の詩をテーマにした、黒井健のイラスト集の表題作にもなっています。
報告
さつき火事だとさわぎましたのは虹でございました
もう一時間もつづいてりんと張つて居ります
(『春と修羅』より引用)
最も短い詩の1つです。鮮やかな虹が目に見えるよう。いったい誰が誰に報告したのか、謎です。
電線工夫
でんしんばしらの気まぐれ碍子の修繕者
雲とあめとの下のあなたに忠告いたします
それではあんまりアラビアンナイト型です
からだをそんなに黒くかつきり鍵にまげ
外套の裾もぬれてあやしく垂れ
ひどく手先を動かすでもないその修繕は
あんまりアラビアンナイト型です
あいつは悪魔のためにあの上に
つけられたのだと云はれたとき
どうあなたは弁解をするつもりです
(『春と修羅』より引用)
電線を修理する工夫を見て連想したとされています。「あんまりアラビアンナイト型です」など、賢治特有の、独特な表現や言葉が面白いです。
『春と修羅』をめくると、私たちを魅了する美しい言葉の数々と、独自の世界観が溢れだします。この本以後、世に出るさまざまな物語や詩の原点が、そこかしこに散りばめられているようです。決してハッピーエンドばかりとはいえない賢治の物語たちは、生きる苦しみを背負った彼の修羅そのものであるのかもしれません。