歴史上の人物を、人間臭さあふれるタッチで描き、数多くの歴史小説を執筆してきた上田秀人。今回は戦国時代を背景に、数々の武将のかっこいい生き様、散り際を描いた名作5選を紹介します!
上田秀人は、大阪府内で歯科医院を開業する傍ら、小説を執筆しています。戦国時代~江戸時代の武家などを背景にしたものを中心に、シリーズものを含め時代小説や歴史小説を多く手がけています。上田秀人の小説に現代を背景にしたものはありませんが、描く人物像は現代を生きる私たちにも共感できるものがあり、どんどん引き込まれること必至です。
物語は、織田信長、豊臣秀吉に仕えた武将、荒木村重を主人公にして進んでいきます。村重は、自身が主君になる前から、どのようにして荒木家を守っていくべきか、父にしっかりと教えこまれます。村重は、武将として生まれたからには天下を望むのが当たり前だと思っていましたが、父の意見は違いました。
「決して天下を望むな。荒木ていどではとても届かぬ」
(『傀儡に非ず』から引用)
父の教えにより、村重には物事を冷静に見る目が養われていきます。
- 著者
- 上田 秀人
- 出版日
- 2016-03-09
ここで作品タイトルの意味を説明しますが、“傀儡”とは、“操り人形”のことです。現代を生きるわたしたちにも、世の中の操り人形になっているのではないかと思うことが、日々あるのではないでしょうか。
乱世を生き抜くためには、力のある者にすがるしかない。村重は織田信長にすがることを決めます。信長の余力となっても、村重は決してつけあがることなく、信長のことを冷静に見ていました。信長は天下人となる素質は持っていますが、器が小さく、我慢ができない性格。しかし同時に信長も、村重が自分に忠誠心がないことを見抜いていました。
物語の最後では、信長が村重の立場や考えを巧みに利用した、ある計画を持ちかけます。その計画により、村重は大きな決断を迫られることになりますが......。
黒田官兵衛は、本領である播磨(現在の兵庫県南西部)を手にかけようとしている織田信長に、なんとか本領安堵の確約をもらおうと考えます。そして信長の寵臣である豊臣秀吉のもとへ。
信長を直接目の当たりにした官兵衛は、その魅力に取りつかれます。主君、小寺政職と自分の間にはない、信長と秀吉の嘘偽りない信頼関係。あっさりと愛用の太刀をくれる信長の潔さ。
- 著者
- 上田 秀人
- 出版日
- 2013-11-01
次々とやってくる合戦、そして裏切りについて、疾走感あふれながらも戦での策略は実に細かく描かれていきます。官兵衛の策略は実に思慮深く、人間の生来の弱みをついてくることから、人の心理を操ることに長けた人物であると分かります。そして突然訪れた、本能寺の変による信長の死。明智光秀の裏切り。主君を失い、茫然自失となる秀吉を、官兵衛は信長の天下統一の目標を思い起こし、励まします。
官兵衛の底知れぬ努力により、ついに全土統一を成し遂げた秀吉。しかし、官兵衛は秀吉の行動に違和感を抱きます。信長の目標は、南蛮諸国による日本への侵略を防ぐために日本を統一して戦をなくすことでした。しかし秀吉は明や朝鮮にも軍を進めていました。いわゆる侵略です。
本来であれば信長のもとで最期まで活躍し、信長が日本を統一した様子を見たかったであろう官兵衛。しかしそれは秀吉によって取って代わり、結果違うものを目の当たりにすることとなります。
仕えていく人物、ついていく人物によって全く様相を変える現実。誰かが誰かの考えを全てくまなく理解することは不可能であると、改めて気づかされます。そして、作品タイトル『日輪にあらず』の意味とは......?
ストーリーは、織田信長の家臣、竹中半兵衛の視点を中心として描かれていきます。半兵衛は信長の言動や信長の周囲の人々、世間について、とても冷静で的確に分析していきます。
信長は、天下を統一し、戦をなくすには、自身が神になるのが近道であると考えていました。
「簡単なことだ。きりしたんの神が起こした業を余が再現すればいい。死からの復活すなわちいえずす・きりすとの再臨よ。さすれば、きりしたんの信者どもは、余を神と崇めよう」
(『天主信長 我こそ天下なり』から引用)
- 著者
- 上田 秀人
- 出版日
- 2013-08-09
しかし信長のこの考えで、本能寺の変が引き起こされることとなります。
この作品の注目すべき点は、信長の周囲の人間がどれほど信長を恨み、怖がっていたか、それが半兵衛の分析とどうつながってくるかというところです。信長は天下統一に必要であれば誰であろうと関係なく殺すような人なので、信長の周囲の人間は恐怖に抑えつけられているような状況です。
現代の日本では戦がありませんが、国外では戦争をしている国がたくさんあります。戦争をなくすことは本当に可能なのか。これはいつの時代になっても誰もが考えるべきテーマです。
クライマックスは、信長が徐々に死へと近づいていく様子がとても臨場感あふれるタッチで描かれていきます。
なぜ信長は殺されたのか。その謎は、ぜひ読んで確かめてみてください。
物語は、主人公が格上の家柄である立花家に婿入りするところから始まります。負け知らずの名将、戸次道雪の娘誾千代(当時15歳)と、宗茂(当時13歳)の婚姻。これから誾千代との夫婦生活が始まると宗茂は期待に胸を膨らませますが、その思いは粉々に砕け散ります。誾千代の冷たい態度。いざとなったら宗茂の生家、高橋家を捨てるという道雪の軍学。このことから、宗茂は自分が人質として養子に選ばれただけであると悟ります。
- 著者
- 上田 秀人
- 出版日
- 2012-11-22
自分ひとりのために兵を死なせるわけにはいかないと、宗茂は自裁する気に。しかしそれは、家臣竹迫統種により阻止されます。
「よろしいか。殿が一目も二目も置かれる身になられればよいのでござる。(中略)そうなれば、殿は人質ではなく、真から立花家の当主となられるのでござる」
(『弧闘 - 立花宗茂』から引用)
それから宗茂は変わります。この作品の注目すべき点は、主人公が立花家に婿入りしてからの“孤独”とどう闘っていったかという点です。高橋家は滅び、城が陥落。すれ違う妻誾千代との夫婦関係。そして、自分の意思に反する朝鮮への侵略。宗茂は朝鮮での戦いに心身を削っていたいらだちから、家臣にあたってしまいます。そのときの周りの反応は、かつて宗茂が婿養子として立花家にやってきたときのようなよそよそしいものがありました。
「殿よ。我らをお頼りくだされ。お一人でお抱えになられるな」
(『孤闘 - 立花宗茂』から引用)
一人で立花家を背負い込み、主たる者とはどのようなものなのか、己と向き合う宗茂。宗茂は孤独から抜け出すことができるのか。この作品は、戦国武将の人間味を掘り下げた数少ない作品でしょう。
伊達政宗は、5歳のときに患った疱瘡により右目が見えなくなります。さらには腫れにより、目玉は眼窩から大きくはみ出し醜い顔立ちとなり、政宗は母から容姿での差別を受けるように。政宗は次第に嫌がられる顔を隠すように、ずっと下を向いたまま、声を出さないおとなしい子へと成長しました。あのような気弱な性格では戦で活躍できない。誰もがそう噂する中、父の輝宗だけは違っていました。その人並み外れた容貌を敵を威圧する手段にしようと考えたのです。
- 著者
- 上田 秀人
- 出版日
- 2014-11-14
政宗には、彼が幼いころから仕えている寵臣、片倉小十郎がいます。2人は奥州制覇を夢にまい進していきますが、輝宗の死により政宗は心を入れ替えます。そのときの2人のやり取りがとても印象的です。
「鬼についてきてくれるか」
「殿が鬼になられるならば、我ら家臣一同修羅となってみせましょう」
(『鳳雛の夢』から引用)
まさに鬼のように、降伏した兵のみならず、女子供まで撫で切りにする所行をしていく政宗。しかし、なぜだかそれを卑劣な行為だと思えないところにこの作品の魅力があります。その理由は、政宗と小十郎との固い絆です。政宗の行いに同意しながらも牽制してきた小十郎。政宗にとって小十郎はまさに腹心であり、小十郎にとって政宗は絶対的な主です。まさに上司と部下とはこうありたいと思える関係性です。
政宗と小十郎により、奥州制覇は実現するのか。この作品は、歴史にあまり興味がない人でも必読の一冊です。
歴史上のできごとを小説として表現していますが、全く堅苦しいものがありません。歴史上の人物でも人間臭さを持たせて描いていることで、単なる歴史のできごとではなく、現代にあるドラマのように読むことができる親しみやすさが魅力です。ぜひ上田秀人のドラマの世界に、どっぷりと浸かってみませんか。