世界で確固たる評価のあるポール・オースターですが、日本でも支持が高く、2000年代以降は更に認知を広めています。若い頃苦労したオースターの、人生についての深い思索は、作品を通して、様々な世代の心に響いてきます。おすすめ5作品のご紹介です。
ポール・オースターは1947年生まれ、ニュージャージー出身の、アメリカの小説家・詩人です。ニューヨークやブルックリンをベースにした小説を多く書いています。
大学卒業後、転職を繰り返しながら、作家を目指し、1970年代は詩や評論などを書き、1985年から小説家の道が開け、一躍アメリカ現代文学の急先鋒として、世界に名を知らしめます。ニューヨーク三部作と呼ばれる、デビュー作『ガラスの街』と、『鍵のかかった部屋』、『幽霊たち』は、オースターを一気に有名にしました。
1990年代は映像化作品の脚本の仕事が増え、2000年代に入ってからは小説を続々と刊行、日本語訳も出版されています。デビューするまでに下積みを重ねたオースターは、まさに力を蓄えた花が開くように、新しい世代の上質な作品を出し続けています。
自身の経験や人生に対する視点が随所に折り込まれたオースターの作品は、挫折を経験した人、生きる意味を見失っている人、若い人には特におすすめです。
学生のマーコは、通っている大学の近くであるニューヨークにアパートを借り、一人で住んでいます。部屋からは、中華料理屋ムーン・パレスのネオンサインが窓いっぱいに見えています。
マーコは、母と二人で育ちましたが11歳のときに死別し、伯父だけが唯一の肉親でした。20歳のとき、親友のようだったその伯父も亡くなってしまいます。
そして現実から逃避するように、伯父の残した大量の蔵書を読みふけります。やがて、生活が苦しくなり食べることすらままならず、意識も朦朧としていた時、ある女学生と出会うのでした。
- 著者
- ポール・オースター
- 出版日
- 1997-09-30
主人公が冒頭から危機的状況に陥るのですが、この作品の書き口には悲壮さがなく、どんな時でもユーモアと皮肉があります。正論を振りかざすことがない書き口で、嫌味がありません。
人生の面白さと悲しさの両方が描かれる、青春小説です。オースター作品のなかでも比較的明るく、落ち込んでいる時にもおすすめです。
マーコは、生死が危うい時でさえ、自分を客観的に、斜に構えて見ていますが、そのせいで悲劇的な現状もしなやかに受け止めています。降りかかる不幸を、まるでサバイバルゲームでもするかのように冒険する生き方は、読む人の肩の力を抜き、生きづらさを少し解消してくれるのではないでしょうか。
ブルックリンに住むネイサンは、60歳を前に失職、離婚、闘病し、自暴自棄の怠惰な日常を送っていました。娘だけが会いに来て、何か目的を持つよう、忠告します。そこでネイサンは、自分の半生のあらゆる失態を、「人間の愚行の書(ザ・ブック・オブ・ヒューマン・フォリーズ)」と名付けて綴っていくことにしました。
甥のトムは、大学を首席で卒業しますが、23歳で母を亡くし、妹は未婚のまま出産したのち失踪し、いまは一人で生きています。ネイサンと7年ぶりに会ったトムは、古本屋で働いており、二重あごの肥満体となっていました。そんな二人は、再会してすぐに強いシンパシーを感じます。
そしてある日二人の前に、消えた妹の娘ルーシーが現れます。ルーシーはネイサンに、陰惨な過去を告白します。
- 著者
- ポール オースター
- 出版日
ネイサンもその甥も、高望みせず平凡な幸せを望んでいましたが、その夢さえも頓挫してしまいます。しかも、順調だったあとに転落するのは余計に辛く、そこからどうやって人生を立て直し、幸福を見出せるかはネイサンたちの目下の課題です。
しかしネイサンは、会社勤めでは出会えなかったような、様々な人びとと知り合い、特に幼いルーシーのためにも落ち込んではいられない立場になったことで、人生を主体的に進みだします。特に後半のストーリーは、読み進めるほどに目が離せなくなり、結末も意外です。孤独だった人びとが出会い、少しずつ運命をともにしていく様子は感動的です。
私たちがそれぞれ汚点として抱えている過去の失態というのは、実は大したことじゃないのではと思える一冊。一度立ち止まって人生を振り返りたい大人に、おすすめの作品です。
ジンマー教授は、妻子を事故で亡くし、今は一人で暮らしています。大学で映画の研究をしており、無声映画の時代に活躍した、映画俳優ヘクター・マンついて本を出したことがありました。ヘクター・マンはまだ若いうちに突然失踪して、60年近く経ったいまは、彼を覚えている人も少数です。
ある日ジンマーのもとに、ヘクター・マンが会いたがっているという、夫人からの手紙が届きます。まだ生きているとは信じられないでいると、数日後、夫人の遣いだという女性が、自宅で待っていました。
- 著者
- ポール オースター
- 出版日
- 2011-09-28
家族を亡くし絶望していた主人公に、更なるいくつかの不幸が追い打ちをかけ、それでもまた前を向いて生きていくことができるのか。ほかの登場人物たちも、何かを喪失して、そして何かをつかみ取ろうとします。打ちのめされてしまった時、人生の指南が欲しい時などに、小さなヒントをくれる物語です。
オースターの作品は、読んでいて映像が目に浮かぶことが多いですが、なかでも、この作品内の映画の描写は、まるで実際にその映画を観ているかのよう。その意味では、最近読書から遠ざかっているという人にもおすすめです。執筆の前に映画作りを体験したことが作品に転換されています。
主人公ジンマーなどの名は、『ムーン・パレス』の登場人物から名づけられており、それぞれ別人物ですが、この2冊は緩やかに関連しています。
35歳の作家クインは、妻子を亡くし、今は一人、ニューヨークの小さなアパートメントの一室で、ミステリーを書いて暮らしています。
ある夜クインは、ある探偵を探しているという間違い電話を受けます。興味を持ち、依頼主に会ったクインは、自分がその私立探偵ポール・オースターであると偽ります。依頼主の女性が引き合わせた男は、幼年時代、父親から受けた壮絶な仕打ちから、精神に傷を負っていました。依頼は、その父が再び近付かないよう、見張ってほしいという内容でした。
クインの、ターゲットを尾行する日々が始まります。
- 著者
- ポール オースター
- 出版日
- 2013-08-28
ミステリー小説風に始まり、一気に読ませます。かと言って、本書ではなにか事件が解決するわけではありません。
探偵に扮した主人公クインは、ターゲットを探っているうちに、やがて自分という存在があやふやになってしまいます。クインが探っていくのは、むしろ自分自身という、不思議な物語です。孤独な作家であるクインは、名前もペンネームなら、作品もフィクションで、探偵というのも嘘ですし、依頼主やターゲットに名乗るのも偽名、そして住まいを失ったことで、いつの間にか、自分が自分である根拠がぼやけていきます。
自我というものがいかに曖昧か考えることができます。透明感のなかに少しずつ霧が出て、ついに視界は完全に白く包まれてしまい、読後には強い余韻が残る、非常に美しい作品です。
日本独自編集のエッセイ集です。オースターの小説を読んでもっと著者を知りたくなったら、こちらがおすすめです。
オースターの子供時代、両親のこと、仕事を始めてからのことなどを赤裸々に告白しています。昔のことをこれだけ詳細に覚えていることには驚かされます。その意味で、キャリアに悩む若手社会人や、現在夢を見つけ追っている最中の方にはとりわけおすすめです。
オースターという人物について、これ一冊だけでもかなり知ることができます。何より、幼い頃から物の見かたの開けていたオースターの人生回顧は、まるで小説のようで、読み物としてとても面白いです。
- 著者
- ポール オースター
- 出版日
- 2007-12-21
短いエッセイが並んでいますが、どれも面白い話で、まるで物語のようです。オースターのほかの小説と、ギャップなく読むことができます。
オースターの周りで起きた、沢山の小さな出来事の積み重ねが、創作の糧になっていることがわかります。本当は、近い出来事は誰の身にも起こっていて見過ごしているだけなのかもしれませんが、オースターにはその一つ一つをずば抜けて鋭く見る目があり、かつ記憶にとどめる力があるのでしょう。
9.11考、ニューヨーク考などを読むと、アメリカの問題点を把握しながらも、愛情を持っていることが伝わり、オースターの人となりも垣間見えます。人間の愚かさを描きながら、同時に人間への愛情も感じる、彼の小説作品にも通じるものがあります。
どれも面白く読めてしまうものばかりですが、実はさりげなく人生の大事なことも教えてくれます。押しつけないけれど、読み手が求めれば汲み取ることのできる、オースターはそんな柔軟なスタンスを持っています。傑作を続々発表する、話題のポール・オースターからは、これからも目が離せません。