幽霊を見たくて頑張る芥川賞作家の不穏エッセイ『私は幽霊を見ない』

更新:2025.3.26

藤野可織は2013年に『爪と目』で第149回芥川龍之介賞を受賞した女流作家。殺人事件誘発体質の天才女子高生探偵トランジと、彼女の記録者兼親友を自認するピエタの異色バディが活躍する推理小説、『ピエタとトランジ』 がセンス・オブ・ジェンダー賞の最終候補作にノミネートされたことでも注目を浴びています。 今回はそんな藤野可織が幽霊とコンタクトを目論み、彼等を見ようと奮闘するユーモアエッセイ『私は幽霊を見ない』の魅力をネタバレレビューしていきます。

都内在住の小説漫画好きwebライター。特にホラー・ミステリー・ハードボイルド・ヒューマンドラマを愛する。 好きな作家は浅田次郎・恩田陸・東山彰良・いしいしんじその他。 YouTubeチャンネルのシナリオや読書メディアで執筆中。お仕事のご依頼ございましたらTwitterのDMからどうぞ。
泡の子

『私は幽霊を見ない』の簡単なあらすじと登場人物(ネタバレあり)

本作は芥川賞作家・藤野可織の風変わりな日常と、彼女が知人友人から蒐集した心霊体験や怪談をミックスした、シュールでスケアリーな個性派エッセイ。

語り手の「私」(=藤野可織)は生まれてこのかた幽霊を見たことがないにもかかわらず重度の怖がりで、エッセイのネタ集めを兼ね、仕事の関係者や友人に怖い話を聞いて回るのをライフワークにしていました。

幼稚園の頃は「おばけが来る」と聞かされては怯えてべそをかき、小学校の頃は通学路で猫の轢死体を目撃する都度気味悪がり、一を百に膨らませて怖がる「私」の才能はどんどん開花していきます。

ある日のこと、仕事を終えて帰宅した父を玄関に迎えに出た「私」たちは当惑します。父の服に調理器具のお玉が引っ掛かっていたのです。

通りすがりの悪戯にせよ皆目意味がわからず、突然の珍事の出来に家族一同困惑。最大の疑問は当事者の父に全く身に覚えがないことでした。

帰りに立ち寄ったスーパーの調理用品売り場にも同じ商品は見当たらず、もったいないからと二度ほど灰汁取りに使ったのち、正体不明のお玉は処分してしまいました。

以降も「私」の周囲では不可思議な出来事が連続します。

電車内で見えざる誰かと話している利用者、咄嗟に幽霊の爪を噛みちぎった女性、想像上で飼っているエア猫。大学の先輩の上司の首を絞めていたのは、懐かしのアイドル・桜田淳子似の少女の霊で……。

主な登場人物

  • 「私」=藤野可織 幽霊が見たいのに見れない既婚の小説家。非日常的な体験はそこそこしている。心霊体験のインタビューが趣味。エア猫を飼っている。

幽霊は瞬きをしない?背筋がぞっとするエピソード

著者の藤野可織は2013年に『爪と目』で第149回芥川龍之介賞を受賞した作家。代表作は他にキスガエコミカライズした『ピエタとトランジ』『青木きららのちょっとした冒険』『おはなしして子ちゃん』『ファイナルガール』『ドレス』など多数。

今村夏子や小川洋子に通じるフェミニンな感性と、シスターフッドを軸にした作劇に定評があります。

本著は藤野可織が上梓した初エッセイにあたり、幽霊を見たくても見れない作家の「私」の日常と、人から聞き集めた心霊体験を収録しています。

インタビュー対象は元同級生・大学の先輩・作家仲間・担当編集・専門学校の生徒と多岐に亘り、ドライなユーモアと実話怪談の不穏さが理想的な配合でブレンドされているのが大きな魅力。

単なるエッセイと油断すると冷や水を浴びせられるような戦慄が待ち受けている為、普段から目を皿にして掘り出し物を探している、実話怪談好きにも自信を持っておすすめできます。

藤野可織の生い立ちが綴られているのもファンには嬉しい点。

出だしは必ず「私は幽霊を見ない。」で始まるものの、非日常的事柄に対するアンテナが人一倍鋭い彼女が語り起こす幼少の記憶は、通り一遍な霊の目撃談にも増して不穏なトーンを帯びて心をざわめかせます。

たとえば「私」が通っていた小学校。そこは昼なお薄暗く複雑な構造をした建物で、飼育小屋で飼っていたウサギはたびたび野犬に嚙み殺され全滅し、通学路には車に轢かれた猫の死体が干乾びていました。

怖いのは、建物だけではなかった。京都市市内の中心近くに位置するにもかかわらず、飼育されていたうさぎは野犬に襲われてたびたび全滅した。私はあたりで野犬など一度たりとも見たことがなかった。うさぎたちはなにか別のものに殺されたのではないかと疑ったが、先生も級友もみな野犬のせいだとしか言わなかった。もっとも、私は野犬どころかうさぎの死体も、血の一滴も見なかった。いつも登校時間ぎりぎりに登校していたので、私の前にあるのはひん曲がったコバルト色の柵と、たっぷり水をかけられてねずみ色に変色したからっぽのうさぎ小屋だけだった。

そのかわりに、野良猫の死体なら登下校中によく見た。車に轢かれ、お腹から中身をあふれさせているのが、アスファルトの上に長々と伸びていた。片付けられるまでの二、三日は、それらの死体が乾いていくのを横目で見ながら黙って歩いた。てのひらに乗るほどの小さな子猫の死体は、人が片付ける必要はなかった。からすが空き地の草むらに引きずっていった。

子供心に一生モノのトラウマになりかねぬ体験ですが、著者は「怖い」「悲しい」「可哀想」などのウェットな感傷は交えず、事後の経過を記録する観察者の目線で淡々と描写しています。

この温度差にヒヤッとしませんか?

なにか別のものとは何なのか。

本当にそんなものがいるのか。

とりとめない空想が育む不安を「私」と共有する読者の脳裏には、うさぎの死体や血が綺麗に処理された、廃墟のような小屋のイメージが立ち上ってきます。

怖い話自体も粒ぞろい。帰宅した父親が出所不明のお玉を引っ掛けていたエピソードは、遅効性の面白さと不気味さがこみ上げてきて秀逸。そんな得体の知れないもの即処分……するかと思いきやちゃっかり使っているあたり、怪異に動じない図太さ……もとい、あっけらかんとした達観が透けていて素敵です。

エア猫を愛でる「私」と瞬きしない幽霊

幽霊を見たいと願い続けているのにちっとも報われず、妄想ばかり上手になった「私」の奇行はどんどんエスカレートしていきます。その代表例がエア猫。

ところで、私には想像上のペットがいる。猫だ。エア猫。私は家でその猫を抱いたり、撫でたり、膝に乗せたりして過ごしている。ときどき、エア猫が私のパソコンのキーボードの上でぐっすり寝ているので、仕事ができなくて困る。

エア猫のメリットは一円もお金がかからず、ダニ・埃アレルギー持ちの「私」でも思い切り可愛がれること。対するデメリットは……。

私のエア猫は見えないしあたたかくないしやわらかくないし重さもないし鳴かない、私が忘れると消える。消えてしまう。私はエア猫をかわいがりたいときは、エア猫のことしか考えてはいけない。そんなのってないと思う。本やテレビや仕事に集中するといなくなってしまって邪魔ひとつしてくれないなんて、ひどい。実に猫らしくない。

ひとしきり嘆いたのち名案を閃いた「私」は、猫の霊に寝込みを襲われた林さんの話をヒントに、野良猫のたまり場となっている近所の駐車場に出かけていきます。目的は勧誘。

「あのな、死んだらな、うちに来いひん?」

「私のマンション、あっち。死んだらいつでもおいで。かわいがるから。私のパソコンの上で寝てもいいから」  

ご覧の通り大変独特な感性の持ち主。猫に語りかけている現場を見られたら不審者扱いはされないまでも変人認定は免れず、彼女の存在自体がアンタッチャブルなホラーと言えます。そんな「私」だからこそ非日常の磁力が働いて、怖い話を持ち寄りたくなるのでしょうか。

たとえば「私」の先輩の上司が高校生の頃に体験した話。寝苦しさにうなされ目を開けると、掛け布団の上に中学生位の全裸の少女が乗っかり、両手で首を絞めていたそうです。

その霊が昭和のアイドル・桜田淳子似の可愛い子だったと聞いた「私」は、「高校生の男の子やったら……(中略)全裸のかわいい女の子に馬乗りになられたら、それが幽霊でも多少はうれしいもんなんでしょうか」と口を滑らせ、今のはセクハラだったと猛反省。

すると先輩が「まあ上司、これはちょっとエロ入ってるけどなってうれしそうに前置きしてから話してくれはったから……」とフォローしてくれました。

ここまでなら笑い話で済むのですが、最後の一文がとても怖い!

「それで、そのときはじめて、幽霊ってまばたきしいひんねんなって知ったんやって」

他にも「後ろから首を絞めてきた幽霊の爪を噛みちぎったら、口の中で白い糸くずのかたまりに変じた女性の話」など、興ざめな脅かしとは無縁なフラットな語り口で、諧謔と恐怖を掛け合わせたエピソードを紹介していきます。

エッセイと実話怪談両方楽しめる欲張りな一冊、ぜひ手に取ってください。

『私は幽霊を見ない』を読んだ人の反応や感想

『私は幽霊を見ない』を読んだ人におすすめの本

藤野可織『私は幽霊を見ない』を読んだ人には今村夏子『あひる』をおすすめします。

本作は善意を欺いて日常を蝕む、不穏な兆しを描いた短編集。表題作『あひる』では老いた両親が飼い始めたあひる目当てに小学生たちが通ってくるものの、ある事件が起こります。藤野可織のシュールな世界観が好きな方は、登場人物のエゴで替え玉に仕立てられたあひるの行く末を見届けてください。

次に紹介するのは江國香織『都の子』

本著は江國香織の瑞々しい感性が光る日常エッセイで、幼い日の記憶の断片や好きなものへの想いが、ノスタルジーをかきたてる透明な文章で綴られていきます。藤野可織の文体と質感が近いので、ぜひ読んでください。

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