5分でわかる『銀河鉄道の夜』!本当の幸せを求めた少年たち【あらすじと考察】

更新:2021.12.7

1934年刊行の文圃堂版全集にて初出した宮沢賢治の代表的な作品『銀河鉄道の夜』。派生作品は数多く、これまで数度にわたり映画化やアニメーション化、演劇化された他、プラネタリウム番組が作られているほどの名作です。あらすじやセリフなどから、作品の意味を解釈していきます。大人から子どもまで、広く読みつがれている本作。この記事を通して、宮沢賢治の世界観を覗いてみてください。

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まずは、小説『銀河鉄道の夜』の登場人物を解説!

 

本作には、さまざまな登場人物が出てきます。

主人公の「ジョヴァンニ」はいじめられっ子で、常に孤独を感じている少年。彼の母親は病気がちで、その母親との生活を支えるために朝と昼に仕事をしています。彼の父親は北の海へ漁に行ったきりしばらく帰ってきておらず、ラッコの密漁をしたことで警察に捕まったという噂もあって、同級生からからかわれています。

そして、重要な登場人物がもう1人。それが「カムパネルラ」です。彼はジョヴァンニの親友として描かれています。他の同級生とは違って、ジョヴァンニをからかったりするようなことはありません。実際、ジョヴァンニの父と彼の父は小さい頃からの友達で、まさに2人は小さい頃からの幼馴染といえます。

 

著者
宮沢賢治
出版日
2011-04-15

そして、いじめっ子として登場するのが「ザネリ」という人物です。彼はジョヴァンニをいじめており、ジョヴァンニに「お父さんから、ラッコの上着が来るよ」などと言い、それに続いて、同級生のみんなも彼をからかいます。

ザネリは午後の授業で質問に答えられなかったジョヴァンニを見てくすっと笑うなど、嫌な人物として登場します。しかし物語の終盤で、川に落ちてしまったところをカムパネルラが身代わりとなることによって助けられます。

最後に紹介する登場人物は、「鳥捕り」です。ジョヴァンニが銀河鉄道に乗車する際に出会いました。彼は、鳥を捕まえて売る商売をしています。他にも女の子と男の子、その家庭教師の青年が乗車してきます。彼らは皆、乗っていた船が氷山に衝突して沈み、気がつくと銀河鉄道に乗っていたのです。

『銀河鉄道の夜』前半【あらすじ】

 

主人公であるジョヴァンニは、クラスでいじめの対象となっています。

彼のお父さんは漁に行ったきり、長年家に帰ってきません。ラッコを密漁して警察に捕まったという噂まであります。そのせいで、彼は学校でいじめられているのです。

さらに、お母さんは病気で寝たきり。そのため彼は小学生であるにも関わらず、家計を支えるために活版印刷所に働きに出ています。

そんななかでも、親友で幼馴染のカムパネルラだけは彼を気にかけてくれました。

星祭の夜。仕事を終えたジョヴァンニが牛乳を取りに広場に行ってみると、カムパネルラが来ていました。声をかけようとするジョヴァンニに対して、ザネリとクラスメイトたちは彼をからかい、それに耐えられなくなった彼は丘へ向かいます。

するとなぜか目の前に鉄道が現れ、気がつくとその列車に乗車しているのでした。その中にはびしょ濡れになったカムパネルラがいました。彼と久しぶりに一緒にいられることを嬉しく思い、2人は話を始めます。そのまま列車はどんどんと銀河へと進んでいくのです。

 

考察:日常の描写から見えてくるもの

物語の前半部分は、本作のなかでも現実に即した描写が多くなされている部分です。

主人公たちのクラスの先生が次のように言って、この物語は始まります。

「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、
乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものが
ほんとうは何かご承知ですか?」
(『銀河鉄道の夜』より引用)

この授業では銀河の概念に対する丁寧な説明がなされており、銀河がこの物語の中で重要なモチーフをなしているのだとわかります。しかしながら、これがどのようなものか、授業の中でジョヴァンニは手を挙げても、はっきりと意見を述べることはできません。

さらに物語の序盤では、彼の生活の状況についても克明に描かれています。お母さんが病気であること、そのために彼はかなり忙しい生活を強いられていること、ザネリなどのクラスメイトから日常的にいじめられていることなど。

そんななかでも、物語の重要な人物であるカムパネルラだけは彼をからかったりしません。しかし物語を読んでみると、最近あまり話していないのだということがわかります。

考察:ジョヴァンニの孤独が表すもの

 

学校でのジョヴァンニの様子が描かれている第1章では、彼は毎日仕事が大変で疲れていたり、自信なさそうに振る舞っていたり、そのせいでザネリ達から日常的にからかわれたりしています。彼は同級生たちと同じように生活ができず、仲間はずれにされていて孤独だったのです。

それでは、彼が働いている仕事場ではどうだったのでしょうか?生活のために一生懸命に働く彼に対して、大人たちは冷ややかでした。つまりジョヴァンニは仕事場でも孤立しており、孤独だったのです。

無意識のうちにそんな孤独を受け入れていたジョヴァンニでしたが、物語の後半にあることがきっかけで、本当の幸せを求めて生きていくことを決意します。しかしながら、最終的にカムパネルラを失うことになる彼は、それらを求めていくことについて絶望を感じるようになるのです。

序盤では、人との関係性をうまく築くことが出来ずに孤独を感じていた彼ですが、後半では本当の幸せを求めるようになります。しかし、だからこそ、そのせいで孤独を感じるようになるのです。

 

『銀河鉄道の夜』後半【あらすじ】

 

列車に乗車したあと、ジョヴァンニはカムパネルラと一緒に旅をします。

白鳥座の停車場に着き、そこでの20分の停車時間の間、2人は列車を降りてプリオシン海岸に行きました。ここで彼らは、牛の先祖の骨を発掘している大学士と会って話すことになりますが、時間が来たので再び列車へ戻っていきます。

戻ってしばらく乗車していると、商売人である鳥採りが乗車してきました。彼は鳥を捕まえて標本にし食べると言います。2人はそれを食べさせてもらいますが、どう考えてもお菓子としか思えません。鳥採りは列車から突然姿を消して河原で鷲を捕まえると、いつの間にか列車に戻ってきているのでした。

そのまま列車に乗っている2人の元に、ある観測所の近くで車掌が切符を切りにやってきます。そこで、ジョヴァンニが持っている切符は、どこにでも行ける通行券であることがわかります。

その後列車には6歳くらいの男の子、12歳くらいのお姉ちゃん、そして彼らの家庭教師をしている青年が乗車してくることに。途中でサソリの火が見え、女の子がサソリの話を始めます。

そんな話をしているうちに、列車はサウザンクロス駅に到着。女の子、男の子、青年はそこで降りてしまいました。そしてそこで話していると、カムパネルラの姿もいつの間にか見えなくなってしまったのです。

ジョヴァンニが目を開くと、そこは元いた丘の上でした。彼はお母さんのことを思い出し、急いで家に向かいます。

その途中で彼は、川の橋に人だかりが出来ていることに気付きます。そこにいたクラスメイトであるマルソに事情をきくと、川に落ちたザネリを助けたカムパネルラが見つからなくなってしまったのだと言うのです。

 

考察:カムパネルラの懺悔とは?

物語後半でカムパネルラは突然、次のように言います。

「おっかさんは僕を許してくれるだろうか?」
(『銀河鉄道の夜』より引用)

ここで彼は、ザネリを助けるためとはいえ、自分が死んでしまったことをお母さんが許してくれるかどうかについて懺悔しているのです。さらに、次のようにもカムパネルラは続けます。

「僕はおっかさんが本当に幸いになるのならどんなことでもする。
だけど一体どんなことがおっかさんの幸いなんだろう?」

「誰だって一番よいことをしたら幸いなんだね」

「だからおっかさんは僕を許してくれると思う。」
(『銀河鉄道の夜』より引用)

実はカムパネルラのお母さんはすでにこの世にはいません。このように彼は自分が死んでしまったことに対して、生きている父にではなく、天上にいる母に対して懺悔しています。つまり、自分は天上にいるお母さんのところに行く、ということを暗示しているのです。

彼は、ザネリの犠牲となって死んでしまいました。結果として彼は、お母さんと同じところに行くことになり、そのことを懺悔しているのです。

考察:「ほんとうの幸」とは?

この物語の一節にカムパネルラの台詞として、「ぼくはおっかさんが、本当に幸せになるなら、どんなことでもする」というものがあります。この台詞により物語の後半で、ジョヴァンニは本当の幸せとは何だろうかと悩むようになります。自分も本当の幸せを実現したいと考えるようになるのです。

では、この台詞のなかでいわれている「本当の幸せ」とはどのようなものでしょうか?

本当の幸せは、『銀河鉄道の夜』全体を貫く重要なテーマです。実際本書では5つの場面で、本当の幸せについて計11回も言及しています。そのためジョヴァンニが本当の幸せとは何かを意識する、心の成長物語としても読むこともできるのです。

物語の後半で、自分の命を犠牲にしてまで他の人の幸せを願うサソリが出てきます。そのサソリから話を聞いた後で、ジョヴァンニは次のように言います。

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、
どこまでもどこまでも一緒に行こう。
僕はもうあのさそりのように本当にみんなの幸(さいわい)のためならば
僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」
(『銀河鉄道の夜』より引用)

つまり彼は、他の人の幸せのために生きるべきであるということを悟ったのです。本書の中で宮沢賢治が描こうとしている本当の幸せとは、人のために生きることだったのです。しかしそんななかで、カムパネルラは死んでしまいます。ここでは人のために行動した、彼の迷いなき自己犠牲(=死)が描かれているのです。

ジョヴァンニは銀河鉄道で旅をしてから、いろいろな人に出会い、少しずつ本当の幸せについて考えるようになります。物語の最後、彼はカムパネルラとともに本当の幸せを探しに行こうという決意をします。しかしその瞬間、カムパネルラは消えてしまうのです。

そして銀河鉄道から現実の世界に戻ってきて、彼がすでに死んでしまっていたことを知ることになります。人のために生きる決意したものの、現実として友人が死んだことを目の当たりにして、あなただったら、どう思うでしょうか?

考察:ジョヴァンニとカムパネルラの旅の結末。生死の対比が意味するものとは?

 

本当の幸せを追求した2人ですが、旅の終着は別々の場所でした。ジョヴァンニは現実の世界に戻り、一方カムパネルラは消え去ってしまうのです。

2人が別れる直前、カムパネルラは「本当の天上」を見て、そこに彼の母の姿を見ます。しかしジョヴァンニには、それが霞んで見えません。これは生者として、彼にはまだ地上でなすべきことがあるということを表しています。

ここでは、ジョヴァンニの生とカムパネルラの死が対比されています。つまりカムパネルラの死を経験することによって、ジョバンニは本当の幸せ、生を謳歌する決意が出来たのです。

 

小説が苦手な方は、画集もおすすめ!

 

「字を読むのが苦手」「なかなか本を読む時間はない」という方には漫画版や画集がおすすめ。そのなかでもまずは、朗読画集版を紹介します。

 

著者
["エムナマエ", "青木 裕子"]
出版日
2004-06-27

 

美しい声優さんによる朗読と本作をイメージして描かれた絵で、『銀河鉄道の夜』の世界観を楽しむことができます。

音声と絵画という2つによってイメージを掻き立ててくれるのが魅力的。きっと宮沢賢治の描く世界観をより具体的に感じさせてくれるでしょう。本書は、小さなお子様にも絵本感覚で読み聞かせることができますよ。

 

気軽に読みたい方には、漫画版がおすすめ!

 

次に紹介するのは、漫画版です。こちらは気軽に読み進めることができるのが魅力。ざっくりとあらすじを知りたいという方にもおすすめですよ。

スピード感をもって読めるので、時間の無い方でもサクサクと読めます。

 

著者
ますむら ひろし
出版日
2001-07-01

 

本作は、人によってさまざまな解釈ができる物語です。そのため、このような読み方が正しいというものはありません。自分にとっての解釈がある、それが『銀河鉄道の夜』なのです。

原作でも、画集でも、漫画でも、まずは自分が読みやすいと思うものから読み始めてみてくださいね。

 

最後に、セリフから伝わってくる『銀河鉄道の夜』の世界観をネタバレ考察!

著者
宮沢賢治
出版日
2011-04-15

 

列車に乗車した最後の場面で、船の沈没事故で亡くなった男の子、女の子、青年が降り、2人きりになった彼らは次のような会話をします。

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、
どこまでもどこまでも一緒に行こう。
僕はもうあのさそりのように本当にみんなの幸のためならば
僕のからだなんか百ぺん灼やいてもかまわない。」

「うん。僕だってそうだ。」

カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。

「けれどもほんとうの幸せは一体何だろう。」

ジョバンニが云いました。

「僕わからない。」

カムパネルラがぼんやり云いました。


「僕たちしっかりやろうねえ。」

ジョバンニが胸いっぱい新らしい力が湧くようにふうと息をしながら云いました
(『銀河鉄道の夜』より引用)

この部分は、本当の幸せを追求していくことをジョヴァンニが表明している部分です。物語序盤の彼は、学校の授業でさえ自分の意見をいえるような人間ではありませんでした。しかしここでは、本当の幸せを追求することを力強く表明しています。さらに旅から現実の世界に戻り、カムパネルラの死を知った彼は次のように描かれています。

ジョヴァンニはまるで鉄砲丸のように立ちあがりました。そして誰にも聞えないように窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもう咽喉いっぱい泣きだしました。もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。

本当の幸せをカムパネルラと一緒に追求することを目指したにもかかわらず、彼の死によって、それが叶わなくなってしまったジョヴァンニは泣き出してしまいます。ここにきて彼は、本当の幸せについて1人で考える孤独、そしてその悲しい事実に向き合うことの難しさに気づくのです。

 

『銀河鉄道の夜』は、誰でも一度は名前を耳にしたことがあるはず。しかし子どもの時に読むのと大人になってから読むのとでは、その印象もまったく異なるはずです。実際、大人になってから宮沢賢治作品の魅力に気づくという方も少なくありません。

本作の原作を読むことが難しく感じる場合でも、漫画版などで読むこともできます。ぜひもう一度、銀河鉄道の夜を読んでみてはいかがでしょうか。

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