マーク・トウェインのおすすめ名作5選!少年から大人までが楽しめる作品

更新:2021.12.16

あらゆる冒険物語は、マーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』から始まった。そう言っても過言ではありません。ユーモアたっぷりに、生き生きと子どもたちを描いたお話は今も世界中で読み継がれています。大人が読んでもとっても面白い、その魅力とは?

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アメリカの国民的作家、マーク・トウェイン

マーク・トウェイン(1835~1910年)はアメリカ生まれの作家。小説だけではなく、旅行記、エッセイなど多くの著書をのこしました。代表作は『トム・ソーヤーの冒険』『ハックルベリー・フィンの冒険』『王子と乞食』『不思議な少年』『人間とは何か』『ハワイ通信』などです。いくつか聞き覚えのあるタイトルがあるのではないでしょうか。

マーク・トウェインは4歳の時、ミズーリ州のハンニバルというミシシッピ川沿いに一家で移り住みました。それが『トム・ソーヤーの冒険』『ハックルベリー・フィンの冒険』の舞台となったところであり、マーク・トウェインの原点です。その頃の友人を何人も、物語のモデルにしたと彼自身が『トム・ソーヤーの冒険』の前書きで述べています。

彼は成長すると、兄の始めた新聞出版の仕事を2年間手伝います。その後、17歳のときには、印刷工になるためセントルイスに転居。後には蒸気船の水先案内人などの職につきます。やがて南北戦争が始まり彼も従軍するのですが、それもまもなく除隊。それから後は新聞記者として働きながら、小説を書き始めます。そして1876年、マーク・トウェインが40歳を過ぎたころ『トム・ソーヤーの冒険』が評判を呼び、一躍流行作家となるのです。

次々小説をヒットさせ、生涯にわたって人気作家であり続けたマーク・トウェインの作家人生ですが、私生活のほうでは晩年、借金や家族の病気など、苦労が絶えなかったといいます。その不遇の時代に、彼の作風は一転し、『不思議な少年』『人間とは何か』など、悲観的に人間をとらえた作品をのこしています。

それら数多くの作品で、アメリカでは今なお絶大な人気を誇るマーク・トウェイン。流行作家から国民的作家にのぼりつめたといえます。初期の明るく楽天的な冒険ものから、晩年に行き着いた独特な人間論。そんなマーク・トウェインの作品の中から、今回は代表的な5つを紹介していきます。

おさえられない冒険心、好奇心『トム・ソーヤーの冒険』

トム・ソーヤーは母を亡くし、弟シッドとともにポリー伯母さんにひきとられて暮らしています。トムはポリー伯母さんの手にあまるわんぱく少年。ポリー伯母さんはイタズラをしたトムにお仕置きしようとしますが、トムの方が一枚うわて。伯母さんの裏をかいて首尾よく、逃げ果せることもしばしばです。

ある日、イタズラをした罰として、トムは家回りの塀のペンキ塗りを伯母さんに言いつけられます。トムは頭をめぐらせ、友だちを騙して全てやらせてしまいます。そして、ゆうゆうと遊びにゆくのです。勉強嫌いでも、頭の回転は人一倍早いところにはあきれるばかり。

また、ある時トムは、何か面白いことはないかと考えた末、突如、海賊になろうと思いつき、親友である浮浪児のハックたちを誘って家出をします。真夜中家を抜け出して、ミシシッピ河をイカダでジャクソン島へと渡るのです。村ではトムたちが溺れ死んだと思って、大騒ぎになっているのですが……
 

著者
マーク・トウェイン
出版日
1953-10-30

トムは大人がダメだということをします。それはただ、本能のおもむくまま、新しいことがしてみたいという好奇心、今ある生活を変えてみたいという冒険心がおさえられないだけなのです。ジャクソン島へわたったのも、海賊ごっこがしたかったから。話にきく海賊の生活をしてみたかったからです。

そもそも海賊になりたいと思ったきっかけは好きな女の子にそっぽをむかれたという寂しさ、伯母さんに叱られて自分は愛されてないんだという落ち込み、そういった子供らしい思い込みなのでした。海賊として生活したら、身も心も自由になれると思ったのですね。そして実際、トムたちはサバイバル生活を楽しみます。

トムを見ていると、我慢なんて無縁です。冒険心、好奇心を満たすことがトムにとって一番なのですね。突拍子もないアイデアでいっぱいの、トムの冒険エピソードひとつひとつに、心が浮き立つこと間違いなしです。マーク・トウェインの代表作の一つですので、ぜひ読んでみてください。

本当の自由を求めて。イカダの上の友情『ハックルベリー・フィンの冒険』

父親の長い行方知れずの間、宿無しとして暮らしていたハックルベリー・フィンという少年。後家のダグラスおばさんに引き取られ、今では立派な家に住み、多少の窮屈を感じながらも学校に通わせてもらっています。

そんな生活にも馴染みはじめた頃、ハックは父親が村に戻って来たことを知って驚きます。ハックはこの父親が心底こわかったのです。父親は飲んだくれで乱暴もの。そんな父親から逃れることを決意するハック。豚の血と、斧にはりつけた髪の毛で、自分が殺されたように偽装し、逃亡します。そして、やはり自由を求めて主人から逃げてきた黒人奴隷のジムとジャクソン島で出会い、ともにミシシッピ河をイカダで下る冒険が始まります。
 

著者
マーク・トウェイン
出版日
1959-03-10

マーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』の中にも出てきた、浮浪児ハックルベリー・フィンの冒険と成長をえがいた物語です。ハックは逃亡生活の途中で自分のこと以上に、ジムがこの先、自由になれるよう心をくだきます。黒人奴隷であるジムは他人の所有物とされていますが、ハックにとっては大切な友だちです。奴隷制度と自らの意志の間で悩むことになるのです。ジムとの間に生まれた友情が、彼を思慮深く大きく成長させたのです。

物語は終始ハック自身が話しているという形をとっていて、読者はハックの「おいらは……」と話す言葉に、直接耳を傾けているような気がします。それがとても読みやすいのです。マーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』が好きなら、こちらもきっと気に入るはず。

天使という名の悪魔にほんろうされる人間『不思議な少年』

16世紀のオーストリア。ある村に「サタン」という名の天使がやってきます。「サタン」は美少年。しかも魔法を使ってあらゆる物を生み出します。動物だって、小人だって、作り出せないものはありません。テオドールたちは一瞬にして「サタン」に惹かれ、とりこになっていきます。

ある時サタンは通りかかった、村のピーター神父の財布に大枚の金貨を入れます。そのため泥棒と疑われ投獄される神父ですが、もちろん身に覚えはありません。次にサタンがしたことは、神父の罪をはらすことでした。けれども、無罪になったことを「サタン」はピーター神父に知らせません。罪がはれない絶望のあまり、ピーター神父は狂人となってゆくのです。そんなサタンのやりかたに憤慨するテオドールですが……
 

著者
マーク トウェイン
出版日
1999-12-16

このお話は、一見ファンタジーのように始まります。しかし実は、人間とは罪深い生き物だということを語るために、天使「サタン」が登場したのです。「サタン」は人間の真似をしているに過ぎないのです。人間は、自分たちでは道徳心や良心を持っていると思って生きているけれど、一皮剥がせば悪魔なのだと「サタン」は言っているのです。獣より、良心を持ってむごいことをする人間のほうがより悪い存在というわけです。「サタン」に翻弄される人間は哀れです。

マーク・トウェインも人が悪いですね。美少年を登場させて、読者を物語にひきこみ、そして人間の正体をあばきたてるのですから。これまでの楽天的な冒険物語とは対照的ではありますが、一読の価値ありです。

伝説のアーサー王にとりいったアメリカ人『アーサー王宮廷のヤンキー』

19世紀、アメリカのコネティカット。軍需工場の現場監督である喧嘩っ早い「わたし」は、ある日同僚と喧嘩になり、金槌で頭をガンと殴られて失神。気がつけば6世紀のイギリスにタイムスリップしていました。はじめは夢かと疑う「わたし」ですが、騎士に発見され捕虜としてキャメロットの城に連れて行かれ、投獄されます。そこは、アーサー王と円卓を囲む騎士たちの宮廷だったのです。

紛れもなく中世に生きていることを理解した「わたし」は、すばやく気持ちを切り替えます。みはりの小姓を味方につけ、キャメロットのボスになろうと決意します。その為の策として、まずは史実として知っていた日蝕の知識を利用、この世に真の暗闇を出現させるとアーサー王に言います。もし成功したら、王の側近の地位を約束してほしいのだと……

著者
マーク・トウェイン
出版日
2009-12-25

「ヤンキー」それはアメリカ人を呼びあらわす俗称。コネティカットの「ヤンキー」が、現代の科学でもって民衆の度肝をぬき、魔法使いや教会、騎士などのあらゆる権威とわたりあいます(多少ずるい方法ですが)。そして徹底的に破壊しようとするのです。

6世紀のイギリスに、より発展した未来のアメリカの文化や考えを持ち込もうとした「ヤンキー」ですが、彼はイギリスの歴史を塗りかえることができるのでしょうか。爆薬の技術、新聞の発行、電信電話事業、「ヤンキー」が進める改革に宮廷人たちはさぞ驚いたことでしょう。

アーサー王伝説自体が架空のお話なので、そこにタイムスリップするという二重の虚構がおもしろいですね。タイムトラベルものが好きな人には特にオススメの1冊です。城や塔、お姫様や巨人、騎士といった道具だてはまるでゲームの中のようでもあり、ゲーム好きな人も好きなマーク・トウェインの1冊かと思います。

わたしたちは環境に支配されながら生きている『人間とは何か』

冒頭は、次の文から始まります。

「老人と青年が話していた。老人は、人間とは畢竟機械にしかすぎぬと主張した。青年の見解は反対であった。」(『人間とは何か』より引用)

マークトウェインの本作は、老人と青年の対話形式になっています。

老人は言います。人間は遺伝性、生息地、交際関係などの外敵諸力によって動かされる自動機械である。みずから創りだすものなんてゼロである。また人間は知覚だけをおこない、知覚されたものを結合するのが頭脳という機械である、と。それを聞いた青年は、それは老人の独断にすぎないと言い返します。しかし老人はことごとく、青年の言い分に反証してゆくのです。老人の頭の中には、不動の岩のように固い論理ができあがっているのです。

著者
マーク トウェイン
出版日
1973-06-18

人間が外側から動かされる機械であって、自分の意志でまったく動いていないなんて、何とも頼りなく希望のない考えなのでしょう。自分の手で未来を切り開いているという実感はわたしたちの幻想で、わたしたちは外的な力に抵抗するべき方法を持たないのでしょうか。考えさせられます。

青年の反論は、すべてわたしたちの疑問を代弁します。本当に人間が機械なんかであるのかと。しかし、老人の人生経験と説得力ある言葉に呑み込まれていきます。確かに、思うように生きられない、その原因を外に見つけようとしたことは誰にもあるのではないでしょうか。人間即機械までとは思わないまでも、マーク・トウェインの考えには、一理あると思わせるものがあります。

これは自由で奔放な子どもを描いた作家の最後に行き着いた人間論として、興味深く読めるのではないでしょうか。また、この機会に「人間とは何か」を考えてみるのもいいかも知れませんね。

子どものころ、マーク・トウェインの冒険小説にワクワクした思い出をお持ちの人は、再び手にとってみてはいかがでしょう。新たな発見や面白さに気づくことと思います。また、あなたが大人でマーク・トウェインの初心者なら、現実の生活をしばし忘れて冒険の世界にどっぷり浸ることができることでしょう。

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