イタリア文学者である須賀敦子は、イタリアでの暮らしを描いた随筆や、翻訳本を多く世に残しました。今回は、須賀敦子が織りなす美しく流れるような作品を、ランキングでご紹介していきます。
女は結婚し、家に入ることが当たり前だった時代に、イタリア文学者やエッセイストとして活躍した須賀敦子。生前出版されたエッセイはわずかながら、時代を超えて多くの人から愛され続けている作家です。
須田敦子は兵庫県の裕福な家庭で生まれます。その後両親の反対を押し切って聖心女子大学へ進学後、慶應義塾大学院へ進み、パリやローマへ留学します。ローマでは「自分の背後にある日本文学を知ってほしい」という思いから、夏目漱石や森鷗外、谷崎潤一郎などの日本文学をイタリア語へ翻訳する活動を始めます。
その後、須賀敦子はローマからミラノへ移り、3歳年上のジュゼッペ(ペッピーノ)・リッカ氏と出会い、結婚。しかし結婚からわずか5年後、夫・ペッピーノが急逝してしまいます。夫の死から4年後、須賀敦子は日本へ帰国し、帰国後は大学講師をしながら、数々のイタリア文学の翻訳を行います。そして帰国から20年後の62歳の時、イタリアでの思い出をつづったエッセイ『ミラノ 霧の風景』を出版。須賀敦子の第一作でありながら、女流文学賞と講談社エッセイ賞を受賞します。その後次々に出版したエッセイ集は、どれも高い評価を得ました。しかし1998年、須賀敦子はデビューからわずか8年で心不全により69歳でこの世を去ります。
生前に発行されたエッセイ集は5冊のみでしたが、没後には未完の作品や須賀の人生について描かれた本が出版され、さらに2014年に須賀の展示会が開かれた際には、カタログが増刷されるほど人気のイベントとなりました。このように没後もなお、須賀敦子の作品は時代を超えて多くの読者に愛されているのです。
須賀は、当時は当然のように求められていた「女性らしい生き方」にとらわれず、イタリアや日本で翻訳家やエッセイストとして活躍しました。ここでは優美で流れるような文章に乗せて、須賀敦子の力強い人生が感じられる5作品を紹介いたします。
須賀敦子のデビュー作であるこの作品。イタリアで過ごした13年間を振り返り、出会った多くの人々やかけがえのない日々を回想する短編集です。講談社エッセイ賞と女流文学賞を受賞したこの作品は、格調高い文章で読者をミラノの美しい世界へ引き込んでいきます。
「乾燥した東京の冬には一年に一度あるかないかだけれど、ほんとうにまれに霧が出ることがある。夜、仕事を終えて外に出たときに、霧がかかっていると、あ、この匂いは知っている、と思う。十年以上暮らしたミラノの風物でなにがいちばんなつかしいかと聞かれたら、私は即座に『霧』とこたえるだろう」(『ミラノ霧の風景』より引用)
ミラノの霧について書かれた冒頭。ミラノの風物として須賀敦子が挙げた「霧」という存在から、ミラノの土地の魅力が少しずつ伝えられていきます。そしてこの作品では霧の中からぼんやりと思い出が現れるように、私たちの頭の中にも須賀の過ごしたミラノの世界に少しずつ浸っていきます。
- 著者
- 須賀 敦子
- 出版日
例えば「セルジョ・モランドの友人たち」というエッセイは、須賀敦子がイタリアに住んで最も身になったという、モランドやその友人との思い出が描かれています。友人と呼べるほど須賀とモランドは親しくありませんが、モランドが日本文学のイタリア語訳を依頼したことをきっかけに、須賀がキャリアを築くきっかけになったと述べられています。
他にも友人や少女時代の知り合いなど、あらゆる人々が魅力的に描かれています。だからこそ、哀しいエッセイさえも、読み終わるとほんのりあたたかい気持ちが残ります。デビュー作とは思えない、みずみずしく完成された須賀敦子の作品です。
この作品は、イタリアへ留学した須賀敦子が、ミラノのコルシア書店の仲間として受け入れられ、そこで出会った仲間たちとの日々をつづった作品です。コルシア書店は教会の物置を改造して作られた小さな書店。本の販売だけでなく、出版や講演、ボランティアなども行い、狭い世界にとらわれずに議論を交わせる場として、あらゆる知識人が集う場でした。須賀敦子にとって2作目であるこの作品は、コルシア書店の仲間たちがまるで自分の古い友人のように錯覚するほど、当時の生活が優美かつ丁寧に描写されています。比較的読みやすく、美しい文章がしっとり染み渡るように感じる作品です。
特に印象的だったのが、「家族」という短編。書店の仲間の娘ニコレッタは、父親がユダヤ人であるため、ドイツ人の男性ベルトと結婚を母親から反対されます。ニコレッタはユダヤもドイツも関係ないと自分に言い聞かせ、ベルトとの結婚を決意します。しかしドイツ人のベルトの何気ない一言から、自分がユダヤの血を持つものだと思い知らされ、根深く残るナチスの傷跡に苦しみます。こうしたユダヤ人とドイツ人の根深い人種の壁などは、日本ではなかなか感じ取れない大きな課題です。そうした重くて根深い苦悩や葛藤を、須賀は繊細な文章で私たちの心に訴えかけてきます。
- 著者
- 須賀 敦子
- 出版日
また書店で出会った仲間たちは、時が経つにつれて、或る者は変わってしまい、離れ離れになり、亡くなってしまいます。「共同体」という理想を夢見て集った仲間たちが、それぞれの人生を生きるためばらばらになってしまうのです。しかし須賀敦子は「昔はよかった」という口調で語るのではなく、ばらばらになった現状を前向きにとらえています。
「若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う」(『コルシア書店の仲間たち』より引用)
仲間から離れ、「孤独」を味わう心細さや、「孤独」になったからこそ感じられる仲間の大切さが、須賀敦子の優しい語り口から伝わってきます。非常に読みやすく、懐かしい友人に会いたくなるような作品です。
「あなたはこうちゃんにあったことがありますか。こうちゃんってどこの子かって。そんなことだれひとりとしてしりません」(『こうちゃん』より引用)
主人公「わたし」は読者に対し、「こうちゃん」について語りだします。気づくと「わたし」のそばにいるこうちゃん。こうちゃんがどこから来て、いったい何者なのか――多くの疑問を読者に与えながら、物語は進んでいきます。
こうちゃんは不思議な少年です。美しい自然の中で、繊細なこうちゃんは楽しそうに笑ったり、時に「わたし」にすがって泣いたりします。気が付くとわたしのそばにいるこうちゃんに、「わたし」も読者もどんどん惹きつけられていきます。
- 著者
- 須賀 敦子
- 出版日
- 2004-03-11
「こうちゃん、灰いろの空から降ってくる粉雪のような、音たてて炉にもえる明るい火のような、そんなすなおなことばを、もうわたしたちはわすれてしまったのでしょうか」(『こうちゃん』より引用)
こうちゃんが自然の些細な変化に目を向け、喜んだり悲しんだりする様子は、日常の忙しさに気を取られ、見失っていた大切な「何か」に気付かせてくれます。そんなこうちゃんの無邪気さが、「わたし」をはじめ、多くの人々の気持ちにぬくもりを与えます。
サン=テグジュペリの『星の王子さま』に出てくる王子さまに少し似ていますが、こうちゃんはよりミステリアスで不思議な存在です。大人のむずかしい言葉では表現できない繊細な気持ちが、物語の描写からひしひしとつたわってきます。『こうちゃん』が読者に何を伝えたかったのか、私たちが失った「何か」とは何なのか――20分ほどで読めてしまうほどの童謡ですが、大人でも何度も読み返したくなるような味わい深い須賀敦子の作品です。
『ユルスナールの靴』は、須賀敦子が20世紀のフランスを代表する作家、マルグリット・ユルスナールに魅了され、ユルスナールの人生や、彼女の作品、その作品に出てくる人物と須賀自身の人生を何重にも重ね合わせ、ヨーロッパへの思いを語る作品です。時代や場所を超えた多くの人々の人生が交錯しながら、流れるように進んでいくこのエッセイ。どの人の人生も違和感なく、心地よくしみわたるように入ってくるのは、須賀敦子の高い文章力だからこそ生まれた名作だと感じます。
「きっちりと足に合った靴さえあれば、自分はどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、自分は生きてきたような気がする」(『ユルスナールの靴』より引用)
- 著者
- 須賀 敦子
- 出版日
- 2007-11-02
冒頭は、幼いころどうせ成長するからといって、1つ大きいサイズの靴を履かされていた須賀敦子の違和感を表した言葉からはじまります。そして、どこかちぐはぐな印象の靴を履いているユルスナールの写真を見たことで、少しずつユルスナールの波乱万丈な人生に迫っていきます。
須賀敦子もユルスナールも、女性が職業をもって社会で生きることが難しい時代に生まれ、「女らしい」生き方にとらわれずに自分の信じた道を歩む決意をしています。そのため格調高く上品な文章の中にも、あふれ出る情熱や力強さを感じられます。時代を超えた世界旅行気分を味わいながら、須賀敦子やユルスナールの熱い思いにふれてみてはいかがでしょうか。
第1位の『ヴェネツィアの宿』は、イタリア文学者としての道を選ぶ前の須賀敦子の人生が描かれています。他の4作品では、外国語が堪能で、海外の文化や人々になじみ、充実した海外生活を送る須賀が描かれていますが、この作品ではまだイタリア語が全く分からない、未熟な須賀が主人公です。イタリア文学者である須賀敦子がいかにして生まれたのか、この作品を通じて知ることが出来ます。
この作品では須賀の家族のエピソードと、留学生生活が主なテーマです。冒頭の短編「ヴェネツィアの宿」では、ヴェネツィアに訪れた須賀敦子が、少女時代の父との思い出を回想していきます。父は妻と幼い子供を置いて、視察という名目でヨーロッパに遊びに行くような自分勝手な性格。さらに贅沢好きでしつけに厳しい父ですが、須賀が友人の話や留学生活の貧しい話を楽しそうに聞いてくれました。そんな父を尊敬していた須賀ですが、父が家族には言えない重大な秘密を抱えていることを知ってしまいます……。
- 著者
- 須賀 敦子
- 出版日
須賀敦子自身や父、母それぞれの家族対する複雑な思いが、品のある文章を通じてひしひしと伝わってきます。大学進学時も留学へ行く際も反対した両親ですが、それでも須賀自身の選択を尊重し、応援する様子には胸が熱くなります。最終編の「オリエント・エクスプレス」は、不器用な父の愛が伝わるラストの場面に、思わず目頭が熱くなってしまうでしょう。
また須賀敦子の留学生時代では、自分が何をしたいのか、なぜヨーロッパへ来たのかはっきり分からず、「何者でもない」自分に大きな不安を感じていました。そんな将来への心配を抱えた須賀に、シスターは以下のように勇気づけます。
「ヨーロッパにいることで、きっとあなたのなかの日本は育ちつづけると思う。あなたが自分のカードをごまかしさえしなければ」(『ヴェネツィアの宿』より引用)
須賀敦子は挫折や苦労を経験しながら、少しずつ自分のやりたいことを見つけていきます。そして後に須賀は、自分の背景にある日本を知ってもらうため、日本文学の翻訳活動を始めるようになります。このように試行錯誤しながら自分の道を見つけていくのは、須賀敦子も私たち読者も同じなのだと思え、どこかワクワクします。女性が働くことが珍しかった時代、須賀はどう自分の道を決めていったのか――須賀のルーツが生き生きと感じ取れる傑作です。
須賀敦子は特別知名度が高い作家ではありませんが、格調高く美しい文章で描かれる須賀の力強い生き方に、刺激を受けること間違いなしです。一度立ち止まってみて、須賀の美しい文章に触れて自分の生き方について考え直してみてはいかがでしょうか。