フォークナーの名前は知っていても、読むタイミングを逃している人もいるでしょう。テーマは暗く重厚、構成は非常に複雑です。しかしその分、奥深さ極まりなく、心に響き、忘れられない読書体験になると思います。おすすめ5作品のご紹介です。
作家ウィリアム・フォークナーは、1897年に4人兄弟の長男としてミシシッピ州ラファイエット郡で生まれ、その地をモデルにした作品を多く書きました。架空の都市「ヨクナパトーファ郡」を舞台にした作品群は、ヨクナパトーファ・サーガと呼ばれ、今回ご紹介する5冊もそれに含まれます。このヨクナパトーファ郡のジェファーソンは、南部の典型的な、保守的で人種差別がまかり通っている町です。同じ町を舞台にしていますが、時代や語り手が何度も入れ替わり、何冊か読むと更にこの町の人びとや事実が立体的に交錯していきます。
フォークナーは10歳の頃から詩を書き始めましたが、学校の勉強には興味が薄く、高校を一年で中退します。様々な職を経て、1919年頃から詩や小品を発表しはじめ、1924には初めての詩集を刊行しました。1925年頃から長編を執筆するようになり、ヨクナパトーファ・サーガと呼ばれる作品群を続々と発表しますが、時代や語り手が幾層にも重なり合う複雑な構成であり、当初売れ行きは思うようには伸びませんでした。しかしそれを時間軸通りに整理してみせた批評家が現れたことで一気に認知され、更にフォークナーは1950年にノーベル文学賞を受賞しており、アメリカ文学における彼の存在はあまりに偉大です。
貧しい家に生まれたトマス・サトペンは、身を立てることを夢見て、ヨクナパトーファで大農園の建設に着手します。結婚もし、息子ヘンリーと娘ジュディスを設けました。
大学生になったヘンリーの友達チャールズは、ジュディスと結婚も見据える交際を始めますが、実はチャールズは、トマスが以前の結婚で設けた子でした。トマスがヘンリーに、チャールズが異腹兄弟であることを明かすと、ヘンリーはチャールズとともに、父からの相続権を放棄して家を出ていってしまいます。
跡取りを無くしたトマスとその一家、そして出て行ったヘンリーとチャールズを、更に愛憎入り乱れる悲劇的な展開が待ち受けます。
- 著者
- フォークナー
- 出版日
- 2011-10-15
時間が前後し、語り手が何度も入れ替わり、読み進めるとともに徐々に真相が浮かび上がってきます。一文の中に、引用や、意識下の思考が入る複雑な構造です。読み手の理解は進んだり戻ったりし、また全てが明らかになるとは限らず、謎のまま残る場合もあります。フォークナー作品は、まずはあまり立ち止まらずに読了して、2、3回読んでみるのが良いかも知れません。
トマス・サトペンの、自分の王国、自分の法律、自分の正義を成立させるという歪んだ野望は、上手くいくかと思ったのも束の間、無残な運命を辿ります。大作ですが読む価値のある傑作です。様々な視点から語られることで、事実は幾通りにも捉え方があることが分かります。
結婚して家庭を持てば幸せになれると思っていたアディ。死期が近付くと、夫のアンスに、自分の遺体を父の眠るヨクナパトーファ郡のジェファーソンまで運んで埋めるように遺言を残し、一家はアディの棺と旅に出ます。
夫アンスは、妻がどうなろうと本当は思い入れが殆どありません。いかにして後妻を手に入れるかばかりを気にして、実際に数日後に迎えてしまいます。長男のキャッシュは母が瀕死のその傍で棺桶作りに精を出し、次男は発狂、三男は乗馬に夢中、娘は妊娠と、アディの思い描いた理想とは程遠い家庭です。
彼らは無事旅の目的を達せられるでしょうか。
- 著者
- ウィリアム フォークナー
- 出版日
フォークナーのこの作品も時代が進んだり戻ったりと、幾層にも重なる構成ですが、ヨクナパトーファ・サーガの中では比較的短く作品です。登場人物が限られているという意味でも、迷子になりづらいと思います。暗い話ですが、登場人物が変わり者ばかりでまともな人がほとんどおらず、滑稽さすらあります。
一つの事実(アディの死)をこれほど多角的に描いた作品も珍しいのではないでしょうか。それぞれが勝手な死の受け止め方をしますが、それを作品として一つにまとめるフォークナーの技術は流石です。代表作としては名前が挙がりづらいですが、ヨクナパトーファ・サーガとして見劣りしない名作の一つです。
ヨクナパトーファ郡ジェファーソンに、身重の若い女性リーナが、消えた恋人ルーカスを探して4週間も歩き続けて到着しました。工場で働いていたバイロンは、リーナを一目見て恋に落ちます。
3年前この町にやってきたジョーは、黒人の血が流れていると噂され、孤立していました。関係のあった女性が殺された時、その容疑者として目撃されたのはリーナが探していたルーカスでした。しかしルーカスの証言でジョーは捕まり、殺されます。
妻が不倫の末自殺したことなどから、ゲイルという元牧師もまた孤立していました。別々に生きていた彼らですが、やがてその運命が絡み合います。
- 著者
- フォークナー
- 出版日
- 2016-10-19
リーナがジェファーソンに来てから出産するまでの現在の数日間とは別に、それぞれが、抱えている過去を語ります。過去がどのように現在の行動に影響しているかを表すための、フォークナー独自の手法が花開いています。
一方で、生い立ちから、性的関係のあったジョアナを殺害するまでをジョーが語る場面の緊迫感は、フォークナー作品の魅力の本質が凝縮されているようです。過去と現在の複雑な関係性を描きつつ、鋭く直接的で迫力ある筆致を成功させていることは、この作品が名作と呼ばれる所以です。
逆境に屈しない純朴で勇気あるリーナと、自分の正体が自分でも分からず葛藤するジョーが対比して描かれており、誰を主体にみるかでこのフォークナーの作品は印象が大きく変わります。
ヨクナパトーファ郡ジェファーソンに住む、特権階級のコンプソン家。父コンプソンは厭世的で冷めた考え方の持ち主で、妻は病気がちで4人いる子供のうち殆どジェイソン1人にしか愛情を持っていません。
そんな一家の中にあって、知的だった長男クウェンティンは徐々に精神を病んでいきました。妹のキャディに偏執的な愛情を抱いており、やがて考えは倒錯、キャディと許されぬ関係を持ったと妄想し、その罪悪感に苛まれます。
末子で知的障害のあるベンジーは、家族から疎まれる存在で、唯一誠実に世話をしてくれる姉キャディをとても慕っていました。しかしキャディは、兄クウェンティンの愛情や弟ベンジーの世話を徐々に負担を感じ出し、一家を繋ぐ絆はいよいよ薄くなっていきます。
- 著者
- フォークナー
- 出版日
- 2007-01-16
4つの部と1つの付録から成り、それぞれ異なる視点で語られます。あくまで、その視点から見た場合の話なので、実際のところはどうなのかは、読み進めて総合的に判断する必要があります。第一章は特に複雑ですが、巻末に、訳注や場面転換表、出来事年表などがあるので、必要な時は理解を助けてくれます。
時間や語り手、現実、意識下などが様々に入れ替わる構成の一連の作品の中で、この作品はとりわけ複雑なレベルにあります。句読点すらも独自の使用法で、現実なのか妄想なのかも混沌として明確には分かち難く、内容もさることながらこの手法自体を味わうことが重要です。
且つ、技巧倒れにならずに、登場人物の一人ひとりがいきいきとに描かれるストーリーは魅力です。一読して簡単に筋が辿れるような作品とは言えませんが、フォークナーの醍醐味を思い切り味わうならこの一冊です。
禁酒法時代のヨクナパトーファ郡ジェファーソンの町はずれで、ギャングの男ポパイたちは酒を密造して暮らしていました。ポパイの過去は暗く、梅毒患者である母から生まれ、身体障害があり性的にも不能です。
そこへ、車で事故を起こした、女子大生テンプルとその男友達ガウァンが、助けを求めて訪ねてきます。ガウァンは以前から、ポパイ一味であるグッドウィンから密造酒を買っていたために、その場所を知っていました。そこでテンプルの凌辱事件が起き、その場にいてテンプルを守ろうとした男が殺害されます。
グッドウィンに殺害容疑がかかり、弁護士ホレスは無実を証明するため奔走します。ポパイたちと関わったテンプルや弁護士らは平和を失い、ポパイ自身も身の破滅へと進むのでした。事件の真相が読み進めると少しずつ明らかになっていきます。
- 著者
- フォークナー
- 出版日
- 1955-06-01
刊行当初センセーショナルに受け止められ、売れ行きはそれまでに比べ良く、これによってフォークナーの作家としての地位は確立されました。今回の5冊の中では短めの作品ですので、その意味ではおすすめです。ただしこの作品も暴力性、残酷性は高めです。しかし過激さに走らない抑えた描写で、かえって読み手の想像力を刺激する、深みのある文章になっています。
ギャングのポパイの無節操さや粗暴さと、その被害者テンプルの悲劇が注目を集めますが、一方で弁護士ホレスの正義感と、グッドウィンの内縁の妻ルービーの逞しさは作品の柱の一つと言えるでしょう。単なる残酷物語では終わらない魅力があります。ルービーのような苦境にくじけない人物を、フォークナーは創り続けました。暗い場面にこそ添えられた、美しい自然の描写や、直接心に響く名文はいっそうの輝きを放ちます。
一度読んだら抜け出せなくなる人も少なくないフォークナーの作品。何度か読み返すと新たな事実に気付けたり、その世界は奥深い密林のようです。継続して時間が取れそうな機会があったらぜひ挑戦してみてください。特に今回挙げたヨクナパトーファ・サーガの作品は読んでおいて損はないものばかりです。