オスカー・ワイルドには数々の有名作品がありますが、童話から耽美的作品まで、その作風は多岐にわたります。短くも波乱万丈の人生を送ったワイルドの作品は、その境遇を踏まえて読むと、更にまた別の奥行きが感じられます。おすすめ5作品のご紹介です。
オスカー・ワイルドは、1854年のアイルランドに生まれます。クリスチャンの良家で、幼い頃から成績抜群、最初の詩集を出した年に、オックスフォード大学を首席で卒業しました。特に文学や語学には長け、会話も得意でした。
その後は、文壇の寵児として執筆を続け、結婚しパリに居を構え息子をもうけましたが、作品の訳者である美貌の少年ダグラスを連れ、各地を回ります。しかしそのダグラスの父親から、当時有罪だった同性愛の告発を受け敗訴、投獄されます。世間からは忘れられ、出獄後は渡仏し、寒村のホテルで孤独のうちに46歳で没しました。
9作の童話集です。表題作「幸福な王子」は、町に立つ美しい像のお話です。その王子の像は、目にはサファイアが、剣の柄にはルビーが輝き、全身に金箔がきせてあります。その姿は町中で褒め讃えられていました。
寒い夜、小さなつばめが、一足先に南へ渡ってしまった仲間の群れを追いかけて、やってきました。王子の足元にとまったつばめは、王子が目から涙を流していることに気づいて驚きます。
わけを尋ねると、王子は、向こうの家の男の子が熱を出しているが、オレンジひとつを買うお金もなく苦しんでいるのだ、と話します。そして王子はつばめに、柄にはめ込まれたルビーを外して、あの家に届けておくれ、と頼むのでした。早く南へ渡らないといけないから、と一旦は断りますが、悲しそうな王子が気の毒になり、一晩だけ出発を後らせ、引き受けることにするのです。
- 著者
- オスカー ワイルド
- 出版日
- 1968-01-17
表題作「幸福な王子」は、ワイルドの童話の中でも最も有名で、文章は知的で上質、ウィットもふんだんです。
見た目の美しさや、物を所有することに本当の価値はなく、善行と博愛こそが天国への鍵だと説かれ、全世界で読まれているだけあって、どんな子供にも安心して読ませられる作品ではないでしょうか。
最後はみすぼらしくなり、称賛していた人びとに捨てられてしまう王子ですが、神様だけは本当の価値だけを知ってくれており、やはり思わず感動させられます。童話から遠ざかっている大人の読者にこそ、思わぬ発見があるかもしれません。
次に収録されている「ナイチンゲールとばらの花」も、雰囲気こそ似ていますが、こちらは恋心と、自己犠牲の精神にフィーチャーしており、それらが全く報われないシュールな短編です。悲劇的で感動もありますが、何とも言えないやるせなさが印象的な作品です。
ユダヤの王エロドが宴会を開いています。妃エロディアスが、エロドの弟と結婚していたときにもうけた子サロメは、それは美しい容姿の持ち主でした。エロドは、今や娘であるサロメをいやらしい目で見ています。
我慢できず宴会を抜け出したサロメは、投獄されている預言者ヨカナーンの声が耳に入り、見に行きました。するとサロメは、ヨカナーンの神秘的な美しさにすっかり虜となり、近寄るなと諫めるヨカナーンの声も全く耳に入らず、お前に口づけするよ、と一方的に誓うのでした。
宴会に戻ったサロメに、王は、踊ってくれたら何でも好きなものをやろうと言います。サロメは見事な踊りを披露し、その褒美に所望したのは、ヨカナーンの首だったのです。
- 著者
- ワイルド
- 出版日
- 2000-05-16
新約聖書をベースにした戯曲で、背徳的な内容のため、当初は上演の禁止令が出るほどでした。パリ滞在中にフランス語で書かれ、これを英訳したのがワイルドの若い恋人ダグラスです。ドイツ語版を原作にした、シュトラウスのオペラが有名ですが、母国イギリスで上演禁止が解かれたのはワイルドの死後でした。
エロドもエロディアスもサロメも悪者で、三者の傲慢が悲劇を招く、救いのないストーリーです。しかし、それぞれの台詞がひたすらに美しく、格調があり、細部まで作り込まれ、削ぎ落とされていることが想像できます。インモラルな内容であっても、その高い芸術性が多くの人に認められたのでしょう。短いというのもありますが、戯曲が苦手だという方もきっとスムーズに読めると思います。
作品の世界観を高めている、有名なビアズレーの18枚の挿絵も見どころです。
モデルのドリアン・グレイは若くて美しく、噂の的でした。画家のバジルは、ドリアンの肖像画を描きながら、夢中になってその美しさを褒めたたえました。ドリアンはできあがった見事な絵を見て、自分ではなく絵のほうが歳を取ったらいいのに、絵を譲り受けます。
ドリアンは若く有望な女優と婚約をしました。しかし恋愛に夢中になり演技への情熱を失った彼女を見て、一気に気持ちが冷めたドリアンはにべもなく婚約を破棄します。翌朝、バジルから譲り受けた肖像画を見ると、微笑の口元に残酷な感じを帯びているのでした。
絵と自分との間に起こる身代わり現象を知ったドリアンは恐怖を感じますが、若さを留めるという願いを叶えるため、その魔術的運命を受け入れる決意をします。
- 著者
- オスカー ワイルド
- 出版日
- 1962-05-02
度々映像化、舞台化される、ワイルド唯一の長編小説です。薔薇、百合、ペルシャ絨毯、蜂蜜、桜桃、ヴェネチアングラス……、作品に充満する耽美でゴシックな雰囲気は、まるで音楽や香りさえ感じられるようです。
永遠の若さを手に入れれば、人は幸せになれるのかを問うていますが、ワイルドは序文で「象徴を読み取ろうとするものは、危険を覚悟すべきである。」と既に警告をしています。時間を制したつもりのドリアンですが、ストーリーのラストは無残で、時間、美、快楽の奴隷になったのはドリアンのほうでした。
初めは純粋で、自分の美を意識していなかったドリアンが、そそのかされ、絵の美しさに魅了され、やがて自惚れて、暗い道へどんどん転落していく様子は読みごたえがあります。
短編4作と長詩1作、更に親友の女性作家エイダ・レヴァーソンの短編4作を収録しています。
表題作の短編「カンタヴィルの幽霊」は、アメリカ公使オーティスの一家が、カンタヴィル家にやって来るところから物語が始まります。持ち主のカンタヴィル卿はオーティス氏に、屋敷には幽霊が出るのだと警告をしますが、オーティス氏は全く意に介さず、購入したのでした。
引っ越した夜、老人の幽霊が現れ、オーティス氏の寝室の廊下を、歩き回ります。しかしオーティス氏は落ち着き払ったまま、静かにしていただかねば、とだけ幽霊に忠告して、寝床に戻ってしまいます。
カンタヴィルの幽霊は、その幽霊としての沽券を傷つけられ、怒り心頭です。
- 著者
- ワイルド
- 出版日
- 2015-11-11
「カンタヴィルの幽霊」は、ワイルドの短編の中でも有名な作品で、とても愉快な喜劇です。
「幽霊」は、色々と恐ろしげな演出を工夫するのですが、物質主義的なオーティス家の人びとに、ことごとく台無しにされてしまいます。その様子を描くユーモアは、筆に勢いが乗っていくワイルドならではで、今読んでも思わず噴き出してしまう面白さで、全く古さを感じさせません。
また、伝統を重んじるイギリスと、逆に新しさを笠に着るアメリカの、両方を皮肉った物言いはまさに一級で痛快です。当初それほど評価を受けなかったようですが、オスカー・ワイルドの価値観やセンスは新しすぎたのでしょうか。
本書の後半では、ワイルドの親友が、社交界での出来事などの思い出を語っており、ワイルドの人となりを垣間見ることができます。
オスカー・ワイルドは、当時有罪だった同性愛の罪で、投獄されてしまいます。本書は獄中から若い恋人ダグラスに宛てて書かれました。
「……苦悩はいとも永い一つの瞬間である。」(『獄中記』冒頭より引用)
派手な生活を送り、快楽の限りを尽くしていたオスカー・ワイルドですが、あまりにもたくさんのものを失いました。もてはやしていた取り巻きはほとんどが姿を消し、破産して邸宅さえも失くします。そしてワイルドは、最後の砦である自分自身について、折れる心を奮い立たせるかのように、取り乱したくなる精神を自制するように、何度も見つめ直すのです。
美について、芸術について、生命が掛かってでもいるかのように必死に思索する様子が鬼気迫ります。発表するための作品と異なり、ワイルドの本音と建前の激しい攻防が綴られた書簡集です。
- 著者
- オスカー・ワイルド
- 出版日
唯美・頽廃を牽引してきたワイルドですが、投獄されて全てを失い、改めて自分の半生を見つめることになりました。
信仰厚い家庭に生まれながらも、それにあてつけるかのようにひたすら快楽を追い求めてきたワイルド。「宗教、道徳、理性、いずれも何ら私を助けてはくれない。」(『獄中記』より引用)とわざわざ書いていながら、本書内ではそれらのことについて終始考えを巡らせています。
「こうしたもののすべてが、私の表した書物に前もって暗示され、予想されていた。(『獄中記』より引用)」
最後は人びとに手のひらを返された「幸福な王子」も、快楽を求め背徳に落ちた「ドリアン・グレイ」も、今となっては、ワイルドには自分自身の予言だったかのように感じられるのでした。それを思いながらオスカー・ワイルドの作品を読んでみると、それぞれの作品に違った味わいを感じられます。
ご紹介したのはどれもとても有名な作品ですが、改めて読み返してみると、きっとまた新しい発見があると思います。美しい童話から背徳的作品まで、オスカー・ワイルドの濃厚な世界観に浸ってみてはいかがでしょう。