幼い頃から統合失調症を患い、元AV女優で現在は漫画家として活躍する卯月妙子のノンフィクション漫画『人間仮免中』。波乱万丈な展開の中にある、恋人との絆の強さに泣ける漫画です。今回は本作の魅力をご紹介!ネタバレを含みますのでご注意ください。
- 著者
- 卯月 妙子
- 出版日
- 2012-05-18
作者の卯月妙子は幼い頃から統合失調症を患っており、成人してからは夫の借金を返すためにAV女優として働き始めたという、波乱万丈なバックグラウンドを持つ人物です。
しかも彼女の出演作品はいわゆる「ゲテモノ」が多く、排泄物や嘔吐物、ミミズを食べるなどの過激なものばかり。なかなかこの経歴だけでも興味を持たずにはいられない女性です。
本作はコミックエッセイに分類される作品なのですが、このなかでも卯月はすごい。統合失調症のせいで分別がつかない状態になり、ノリで自殺しちゃいます。
そんなノンフィクションとは思えないような衝撃的な内容が目白押しの本作。無軌道だけど強い生命力を感じさせられる卯月の人生に圧倒されます。
内容的には暗くなってもいいはずなのですが、この作品は重すぎるということがありません。どんな時でも変わらない彼女の前向きさと、周囲の人の優しさ、ラフな絵柄のおかげで、かまえることなく読むことができるのです。
しかし本作の魅力は卯月自身のパワフルさだけではなく、ボビーとの恋がまた泣かせられるものなのです。
お互いを思いやる様子は枠にはまっていないので理解しづらいところもあるものの、まさに純愛。めちゃめちゃな生活の中に見えてくるふたりのピュアな気持ちが胸に迫ってきます。
人生の辛さや自分自身の弱さと向き合うこと、愛する人とそれを分かち合い、いっしょに進むこと。まったく共感できるようなバックグラウンドのふたりではないはずなのに、そんな普遍的で大事なものを再確認できる、多くの人におすすめしたい作品です。
この記事では本作のあらすじと見所をご紹介!ネタバレを含みますのでご注意ください。
ハチャメチャな経歴を持つ卯月ですが、夫と別れ、ボビーというあだ名の還暦を過ぎた年上男性と恋に落ちます。良い人と巡り会えてよかったよかった、というところから始まる物語なのですが、実は彼も卯月に負けず劣らずパワフルな人物。本作は序盤から息つく間もなくストーリーに引き込んできます。
ボビーは過去にやんちゃという言葉では片付けられなさそうなことをしているのを匂わせたり、現在も酔うと喧嘩っ早くて口が悪くなったりと、一筋縄ではいきません。ふたりのやりとりを見ているとこっちの方がハラハラすることばかり。
しかしふたりは何だかんだいってもラブラブです。数々の修羅場をくぐり抜けてきたであろう人間ならではの深さや優しさが、ふたりからは感じられます。
しかし卯月の統合失調症が重くなるにつれ、徐々に平和な毎日の雲行きがあやしくなっていきます……。
卯月妙子の波乱万丈な実体験を描いた衝撃作です。
行きつけの飲み屋での公開告白をきっかけに付き合うようになったボビーと卯月。『人間仮免中』の序盤はふたりの蜜月から始まります。
もともと弟も卯月と同じ病気を持っているということから統合失調症に理解のあるボビー。幻覚を見ている彼女を病院に連れていき、優しい言葉をかける様子に優しさが滲み出ています。
しかし順風満帆というわけではなく、25歳という年の差ゆえに、ボビーはまだまだ女盛りの卯月と付き合うことにいつも不安を感じているのです。
ある日彼は自室で酒を飲みまくり、「所詮老いらくの恋だ あと10年若ければな…」とつぶやきます。そして様子を見にきた卯月を黙って抱きしめると声をあげて泣き始めるのです。
自分の命のが短いことで彼女をひとりにさせたり、自分が老いていることで彼女の花盛りの時期を無駄にさせているのではないかと終始心配するボビー。卯月でなくとも彼を愛おしく感じてしまいます。
そんな事件などを乗り越えながら、ふたりはさらに仲を深めていきます。公園で昼間から飲んだり、行きつけの飲み屋でおしゃべりしたり……。気性の荒いふたりですので、時には激しい喧嘩をすることもありますが、平和な毎日を過ごすのです。
しかしあるきっかけからその平穏は崩れていきます……。
久々に女優として舞台の誘いを受けたことで社会復帰をしていきたいとさらに強く思うようになった卯月。統合失調症の薬を減らしたいと考えるようになり、彼女はヨガを始めてから薬が無くても精神的に安定するようになったと感じます。
しかし医師の助言も聞かずに万能感に囚われた卯月は、急激に減薬。異様な万能感や妄想にとりつかれるようになり、ヤキモチをきっかけにボビーに刃物を向け、顔と首を切りつけます。
傷が浅かったとはいえ、かなり危険な場面でした。それにしても今日は会議だから帰ってきてから話そうと驚きながらも落ち着いて対処する彼もすごいです……。
そんな修羅場がありましたが、ひと眠りして気持ちが落ち着いた卯月はボビーが帰ってきてもヘラヘラと軽く謝るだけ。まるでことの重要さを理解していません。
それに怒った彼はしばらく口をきかなくなり、その間にふたりはすれ違ってしまいます。そして卯月はさらに薬不足でラリっていき、ボビーもそのことに気づかず、症状がどんどん進行していってしまうのです。
そしてついにその日はやってきました。
卯月は「運試し」と称して車が何台も行き交う道路の歩道橋から飛び降りるのです。
ボビーと喧嘩して悲嘆に暮れての自殺じゃないというのが逆に恐ろしいところです。ちょっと飛んでみようという雰囲気の言動が、逆に異常な精神状態を物語っています。
運良く一命をとりとめた彼女ですが、顔のパーツはめちゃくちゃ。まさに顔面崩壊です。しかもそこから体の回復が優先になり精神安定剤が飲めなくなった卯月は、恐ろしい幻覚だらけの日常を過ごすようになります……。
ノリで飛び降り自殺をしてしまった卯月は口から着地し、顔面が粉砕骨折。顔面が数十カ所複雑骨折し、鼻の奥の骨が砕けて血が止まらないという状況でした。しかも本人いわく「片目ワンブロックずれた」ほど顔のパーツもバラバラに……。
しかし幸い頚椎と脳には損傷がなく、体はどう言うわけだか無傷でした。強運です……。
しかし急いで処置をしないと亡くなってしまう恐れがあり、救命処置に様々な投薬を行うので副作用で命を落としたり、半身不随になったりする可能性がありました。
彼女の家族は即座に数枚の誓約書にサインし、手術開始。卯月は自分の体の刺青やリスカを見られながら手術を受けるという妄想のなかをうつらうつらとし、やっと目を覚ましました。
しかし目を覚ましての第一声(筆談)が「煙草と薬」。
家族とボビーが修羅場になっているところに、何ともいえない空気が流れます。読者としてもあぜんです。
無事一命をとりとめたものの、そのあと卯月はまず激しい意識混濁状態に陥ります。彼女いわくそこは「『ベルセルク』の魑魅魍魎の渦」。大変な状況ですが、例えが面白くてついクスリとしてしまいます。
そしてそこからは現実と妄想の境のつかない日々が描かれていきます。飛び降り自殺をしてから入院、退院までの生活は、全体の3分の1ほどの分量です。
しかし読んでいる方も頭がぐらぐらしてきて延々と続いているかのような錯覚に陥るまでに、身動きのとれない不自由さが伝染してきます。意識が朦朧としている人のリアルがとてもよくわかる記録です。
そしてその妄想がおかしいような、恐ろしいような何ともいえないもの。架空の終花看護師という人物のイジワルや、死んでいないのにテキトーに葬式をセッティングされるなど、支離滅裂でシュールな世界観があります。
読めば読むほど終わりのないような統合失調症ならではの妄想の日々。卯月はそこをどう乗り越えていくのでしょうか。
また、そこを乗り越えたからといって、辛い日々が終わる訳ではないのです。今度は現実が把握できるようになったからこその大変な日々が待っているのです……。
- 著者
- 卯月 妙子
- 出版日
- 2016-12-12
この後ストーリーは恐ろしい幻覚だらけになっていき、読んでいる方も夢かうつつかが分からなくなるような不思議な展開を見せていきます。そんな中必死に頑張る卯月や彼女を支えるボビーや家族の様子は泣けてくるもの。ハチャメチャなのに心にじんわり沁みてくる、泣ける衝撃作をのぞいてみませんか?
また、こちらは別作品ですが、続編『人間仮免中つづき』では卯月とボビーの結婚生活も見られるのでそちらもよければご覧になってみてください。