20世紀フランスを代表する作家ジャン・コクトーは、文学のみならず様々な芸術ジャンルを手がけ、そのアヴァンギャルドな作風で世間を驚かせ続けました。三島由紀夫、澁澤龍彦ら日本にも信奉者の多い彼の魅力が多面的に味わえる作品を紹介します。
ジャン・コクトーは1889年パリ近郊のブルジョア家庭に生まれ、20歳の時に天才詩人として颯爽とデビューしました。文壇の寵児として一躍注目を集めた彼は、芸術家が集まるサロンに出入りし、作家マルセル・プルースト、作曲家ストラヴィンスキー、ダンサーのニジンスキーら当代随一の芸術家たちと交流を結んでいきます。
なかでも、14歳年少の小説家レイモン・ラディゲとの深い関係と彼の死は、コクトーに阿片中毒をもたらすほど深甚な影響を及ぼすことになったのです。
一方で彼は、画家ピカソ、作曲家サティ、ディアギレフ率いるロシア・バレエ団とコラボしたバレエ作品『バラード』や、後にディズニーによりアニメ版でリメイクされた映画『美女と野獣』など、あらゆる芸術ジャンルを横断し才能を欲しいままにしました。
その前衛的な作風や芸術活動は常に毀誉褒貶にさらされ、軽佻浮薄と揶揄されることもありましたが、彼自身は自分が手がけてきた作品はすべて「詩」であり、他ジャンルの作品も「小説の詩」「映画の詩」「絵画の詩」なのだと語っています。
胸の奥でポエジーを燃やし続けながら、華麗に、そして過激に時代を疾走したコクトーの作品世界を、ぜひ堪能してみてください。
1947年、コクトー58歳の時に発表されたエッセー集です。冒頭で彼はこのように語っています。
「ぼくは50歳を過ぎた。つまり、死がぼくに追いつくのにそれほど長い道のりを必要としなくなったということだ。」(『ぼく自身あるいは困難な存在』「会話について」より引用)
- 著者
- ジャン コクトー
- 出版日
忍び寄る死の影を意識しつつあったコクトーは、自分の過去を振り返りながら、レイモン・ラディゲ、エリック・サティ、マルセル・プルースト、イーゴリ・ストラヴィンスキー、ジャン・ジュネら綺羅星のごとき友人たちとの思い出と、自らの芸術論を真摯に綴ってゆきます。
他ならぬ彼自身が「自分がこの本と化すことを願う」とまで語ったこのエッセー集は、いかなる解説書よりもジャン・コクトーという人物を知る上で最適な書物と言えるでしょう。
「あなたはポケットからこの本を出す。読む。(中略)あなたは、内部に少しずつぼくが宿り、あなたがぼくを生き返らせているのを感じ取るようになるだろう。」(『ぼく自身あるいは困難な存在』「責任について」より引用)
何度も日本語に翻訳され、マンガ化もされた、コクトーの最もポピュラーな小説作品です。
冬のパリの一角で、日ごと中学生男子らによって繰り広げられる壮絶な雪合戦。主人公の一人ポールは、愛する級友ダルジュロスの投げた雪球が胸に直撃し、口から血を流して倒れ込んでしまいます。
- 著者
- コクトー
- 出版日
- 2007-02-08
気を失ってしまったポールは、密かに彼を愛するジェラールにタクシーで自宅に運ばれました。そこで二人を迎えたのが、もう一人の主人公、ポールの姉エリザベートです。
父を亡くし、寝たきりの母と暮らす姉弟は、他人から見ればガラクタだらけに見える子供部屋で、二人で寝起きしていました。そして翌日から、自宅で療養を続けるポール、彼を看病するエリザベート、見舞いに訪れるジェラール3人の、その子供部屋を舞台とした奇妙な生活がはじまったのです。
「世間知らずで、罪を犯すほど純粋で、善と悪を見分けることができない子供たち」。(『恐るべき子供たち』より引用)
このように形容される姉弟は、ことあるごとにお互いを罵りながらも、プラトニックでありながら、近親という間柄も超えた愛情により結びつけられていました。そして二人の「罪を犯すほどの純粋」さは、子供部屋という閉じられた空間で、ますます純度を高めていくのです。
やがて3人の前に、アガートという少女が現れます。驚くべきことに、彼女の顔はポールが憧れていたダンジュロスに瓜二つでした。この一人の少女の登場により、ポールとエリザベートの愛憎劇は、驚愕のラストに向けて急展開を迎えます。
子供部屋、という限られた空間の中で繰り広げられる、子供同士であるはずの人間ドラマは、ジャン・コクトーの詩的な言葉が織り交ぜられることによって、より一層上質な文学作品となったのです。
「私の耳は貝の殻 海の響きをなつかしむ」(『コクトー詩集』「耳-カンヌ第五-」より引用)
今までコクトーの詩集を手にとったことのない方でも、この少ない言葉で様々なイメージが喚起される詩を、小中学校の教科書で目にした経験があるかもしれません。
この『コクトー詩集』には、その「耳」をはじめ、1920年以降に発表された『詩集』『寄港地』『用語集』『平調曲』『オペラ』から代表作が収められています。
- 著者
- ジャン コクトー
- 出版日
- 1954-10-22
「ヴィナスよ、まだ僕を愛してくれてありがとう。万一君を語らなかったら、 万一僕の家が自分の詩で出来ていなかったら、僕は足場を失って屋根から墜落するはずだ」(『コクトー詩集』「三十になった詩人」より引用)
多芸多才を謳われたコクトーですが、その活動の根源には常に「詩」がありました。彼自身も、なにより「詩人」と呼ばれることを望んでいたと言われています。
しかしながら、この詩集の「序」で本人も語っているように、一作ごとに作風を変え、つねに読者に新しい認識を要求するその詩は、同時代の読者を戸惑わせ、必ずしも思うような称賛を受けられませんでした。
自分の詩人としての評価を未来の若い読者に託すように、彼は綴っています。
「やがてして後世が僕の詩集を見る場合、美しい僕のスプリングに、その揺れ方に、通った道の高貴さに、驚きの目を見張るはず。」(『コクトー詩集』「平調曲」より引用)
作家としては師弟関係、人間としては愛人関係にもあったといわるレイモン・ラディゲの突然の死。コクトーはその深く長い悲しみから逃れるため、阿片を耽溺するようになりました。
この本には、その阿片中毒から抜け出すために入院したサン=クルー療養院で、禁断症状と闘いながら綴られた断片のような手記とデッサンが収められています。
- 著者
- ジャン コクトー
- 出版日
「阿片は、気弱な愛好者や、不心得な人間は寄せつけない。阿片はこの種の人間は除けて通る。そして彼等の為に、モルヒネや、ヘロインや、自殺や、死を残して置く。」(『阿片-或る解毒治療の日記』より引用)
まるで阿片中毒から生還した自分を誇るような文章ではじまるこの本には、自らを破滅寸前にまで追い込んだドラッグへの呪詛や、周囲の人間への反省文めいた記述は一切ありません。
ここで語られているのは、あくまで一人の詩人に芸術的霊感を与えてくれた阿片の効用、そしてそこから導き出された新たな芸術論なのです。
「禁断状態の八日目にある患者に僕はおすすめする。片腕で頭を抱えて、その腕に耳を押しあてて、さあ待って見給えと。そうしたら、その耳は聴くはずだ。瓦解だの、爆破される騒動だの、遁走する軍隊だの、洪水だのという人体の星月夜の下に行われる全ての啓示を。」(『阿片-或る解毒治療の日記』より引用)
阿片によるイメージを具現化したような、奇妙でグロテスクなデッサンも必見です。
1913年、ストラヴィンスキーとロシア・バレエ団による『春の祭典』初演に衝撃を受けた24歳のコクトーは、それまでの自分の作風と決別し、まったく新しい作品に取りかかることを決意しました。
それが、ストラヴィンスキーに捧げられたこの奇妙な小説『ポトマック』です。
- 著者
- ジャン コクトー
- 出版日
目次からして「面白く終るようなお話は却っていっそうつまらなく終るもの」「道草食い」といったナンセンスなタイトルが並ぶこの作品。
ある新婚夫婦の夢に侵入し夫婦を食い殺すウージェーヌ、パリのマドレーヌ広場の地下にある水族館でいつも寝そべっているポトマックといった謎の怪物たちのエピソードを中心としながらも、明確なストーリーは存在しません。
飛躍の多い文章と、突如挿入される詩やマンガ風のデッサンは、普段一般的な小説に馴染んでいる読者には、頭の中で「?」が続くような、今まで味わったことない印象を残すでしょう。
コクトーはこの小説を書き上げると、それまでの自分の3冊の詩集をすべて絶版にし、この作品を自身の処女作にしました。
「あり得たかもしれないもの、省略されたものの、神秘な美しい重みを君は知っているか? 余白と行間、アルジェモーヌ、そこには犠牲の蜜が流れている。」(『ポトマック』より引用)
そう、ここには終生にわたって詩を手放さなかった詩人の、まったく新しいポエジーが躍動しています。余白と行間を軽やかに飛び跳ねる、詩人のアクロバティックな精神の運動を、ぜひ一度感じてみてください。
作品以外にも、ジュール・ヴェルヌの小説『80日間世界一周』を真似て世界旅行に旅立ち日本を訪れたり、阿片解毒治療の入院費を全面的に工面したのがあのココ・シャネルだったりと、ここには書ききれないほど魅力的なエピソードにあふれた作家です。一人でも多くの、柔軟な精神をもつ若い人たちに手にとってもらえるとうれしいです。