「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」 さまざまなドラマや漫画で1度は聞いたことがあると思います。これは、シェイクスピアの『ハムレット』が原典です。4大悲劇として有名な本作ですが、内容は意外と知らない方が多いのではないでしょうか。 今回の記事ではそんな本作のあらすじや登場人物、名言をご紹介します。これをきっかけに、シェイクスピアの世界を楽しんでください!
シェイクスピアの代表作である本作は映画や舞台にもなっており、世界中で愛されている作品です。日本では藤原竜也が出演、蜷川幸雄が演出を務めた舞台があり、話題となりました。内野聖陽や貫地谷しほりなどが出演した作品もあり、他にも市民劇団などが本作を上演しています。また、ミュージカル作品にもなっています。
イギリスの俳優ケネス・ブラナーはシェイクスピア俳優として有名で、彼が監督した映画も有名です。
文庫本は新潮社や岩波文庫から出版されており、福田恒存や河合祥一郎などが翻訳しています。
筋の面白さはもちろん、シェイクスピアの人生哲学もうかがえる『ハムレット』。そんな本作のあらすじを見てみましょう。
- 著者
- ウィリアム シェイクスピア
- 出版日
- 1967-09-27
舞台はデンマーク。先代の王であるハムレット王が死に、弟のクローディアスが王位を継ぎました。
王子(ハムレット王の息子)であるハムレットは、母のガードルート(ハムレット王の妻)が夫の死後すぐにクローディアスと再婚したことに絶望しています。彼の私生活は荒れ、そんな彼を周囲の人々は心配していました。
そんなとき、彼が住んでいる城に亡霊が現れるという噂が立ちました。彼が確認してみると、それは亡き父の霊だったのです。話を聞いてみると、彼を殺したのはクローディアスであると言います。
復讐を誓ったハムレットは、狂人のふりをしてクローディアスを暗殺する機会を待つのでした。
- 著者
- W. シェイクスピア
- 出版日
- 1996-04-01
イングランドに生まれたシェイクスピアは、ロンドンの座付き役者として活躍し、のちに創作を始めます。生涯に40を超える作品をのこし、『リア王』『マクベス』『オセロー』『ハムレット』の4作品は「4大悲劇」と呼ばれています。またそのほか『ロミオとジュリエット』も悲劇として有名な作品ですね。
悲劇だけでなく喜劇も執筆しており、『じゃじゃ馬ならし』『テンペスト(あらし)』『お気に召すまま』などが知られています。世界文学史に残る名作を数多く執筆し、さまざまな小説家や脚本家に影響を与えました。
名言、名セリフも数多く残しており、含蓄のある言葉は文学作品だけでなく、漫画や映画でも引用されているのです。
シェイクスピアの悲劇作品は、<シェイクスピアの悲劇おすすめ5選!あらすじで読む代表作品>で紹介しています。気になる方はあわせてご覧ください。
ここでは、本作の登場人物をご紹介します。
主人公である、先代のハムレット王の息子。母・ガートルードの早すぎる再婚に絶望し、父親を殺したクローディアスに復讐を誓います。
彼は美青年かつ頭脳明晰で、国民からの人気も高い王子として描かれています。ホレイショーなどの友人も多く、人望の厚い人物です。
ハムレットの恋人で、従臣のポローニアスの娘。
狂人のふりをするハムレットに心を痛め、苦悩する姿が描かれます。物語の後半で死亡しますが、その理由は明らかになっていません。
ハムレット王の弟で、ガードルードの2番目の夫。ハムレットにとっては叔父にあたる人物です。最初は彼に好意的な態度を示していましたが、その素行に手を焼き、暗殺を企てるまでになります。ずる賢い性格で、彼の友人を使って、ハムレットの監視をさせることも。
ちなみにクローディアスがハムレット王を殺したことになってはいますが、その証拠はハムレット王の亡霊の独白しかありません。客観的な証拠が存在しないために、「クローディアスはハムレット王を殺していない」と考える人もいます。
志賀直哉は「クローディアスの日記」という短編でこの題材を扱い、クローディアスが無実であるという前提で物語を読み解いています。もし興味があるならこちらもおすすめです。
オフィーリアの兄で、ハムレットの友人。当初はハムレットと友好的な関係にありましたが、オフィーリアの死後はクローディアスと協力して、彼を殺そうとします。
ハムレットの幼なじみ。クローディアスの命令で、ハムレットの狂気の原因を探ろうとします。
本作の登場人物のなかでも知名度が高く、『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』という作品が作られるほどです。
ハムレット王の亡霊が現れたとき、ホレイショーとともに夜警をしていた男です。ハムレットの知人であり、臣下でもあります。
本作のセリフで有名なものに、「尼寺へ行け」があります。ハムレットがオフィーリアに言ったのですが、どういう意味なのでしょうか。ここでは2つの解釈を紹介します。
「尼寺」と日本的に訳されていますが、正確には「女子修道院」です。
当時の女子修道院は売春宿も兼ねていたので、ハムレットはオフィーリアに「売春婦になれ」といっているわけです。
このセリフは、彼女が彼への愛情をあきらめる場面。そんな彼女を、遠まわしに侮辱しているという解釈もあります。
もう1つの解釈は、言葉そのままの意味で、出家しろという意味。
「この世の関節は外れてしまった」というセリフからもわかるように、ハムレットは厭世的な気分になっています。せめてオフィーリアだけはそんな世の中から逃れてほしいと、俗世を捨てることを勧めたのです。
ハムレットは狂気のふりをして復讐の機会を待っていますが、優柔不断になって、なかなか実行しません。さらにオフィーリアの父親であるポローニアスを「ねずみかな」といって殺すなど、散々な仕打ちをします。それもふまえて読むと、「尼寺へ行け」というセリフの意味はわかるかもしれません。
他にもさまざまな解釈ができるので、本作を読むときはぜひ考えてみましょう。
本作の後半でオフィーリアは死亡しますが、その理由は描かれていません。彼女がなぜ命を絶ったのか、考察してみましょう。
彼女は父を殺され、恋人であるハムレットに罵倒されています。そのために狂ってしまい、川に落ちて死んだという説です。もっとも説得力があり、現実的な解釈ですね。
狂気のためではなく、偶然川に落ちてしまったという解釈です。彼女の死はガードルードのセリフで知らされますが、原因までは明らかになりません。客観的な証拠がないので、こういった解釈もあります。
彼女が死んだ場面はさまざま画家が絵にしており、フランスはバルビゾン派の画家ミレーの作品がもっとも有名。「怖い絵」として取り上げられることもあるようです。
本作はさまざまな読み方ができますが、シェイクスピアが伝えたかったことは何なのか、ここで考察してみましょう。
本作では、登場人物が過酷な運命に立ち向かう様子が描かれます。主人公のハムレットはもちろん、レイアーティーズやオフィーリアも、それぞれの運命に翻弄されるのです。そのため作中の名セリフも、自分で道を切り開こうとするものが多くなっています。「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」のあとには、
どちらが男らしい生き方か、
じっと身を伏せ、不法な運命の矢弾を堪え忍ぶのと、
それとも剣をとって、押し寄せる苦難に立ち向い、
とどめを刺すまであとには引かぬのと、
一体どちらが。
(『ハムレット』より引用)
と、続きます。本作は悲劇ですが、登場人物の描き方は力強く、生き生きとしています。シェイクスピアは本作をとおして、困難に負けないように生きることを説いているのです。
本作には、数々の名言と名ゼリフがあります。その一部を紹介し、意味を考察してみましょう。
弱き者よ、汝の名は女なり
(『ハムレット』より引用)
ハムレット王が死んだのちにすぐ再婚したガードルードに対する、ハムレットの言葉です。語呂がよいので、さまざまな作品で引用されています。
このセリフは、作品が作られた当時の男性中心社会や、貞操観念を表す言葉として資料的な役割もあります(当時のキリスト教社会では、義理の血縁との再婚は近親相姦としてタブーでした)。また、「弱き者」とは「保護するもの」というニュアンスになるので、「脆き者」という訳が正確であるともいわれます。
生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ
(『ハムレット』より引用)
本作ではもっとも有名な台詞です。英語では「to be or not to be, that is the question.」となり、日本語にするのがとても難しいといわれています。この訳も、意味がわかりやすいので有名になっただけで、正確ではないのです。
ですので、他に「進むべきか退くべきか、それが問題だ」「(復讐を)するべきかしないべきか、それが問題だ」などの訳があります。
この世の関節は外れてしまった
(『ハムレット』より引用)
ハムレットが、自分が王になるはずだった運命が変わってしまったことを嘆く台詞です。漫画や映画でもしばしば引用され、英語の勉強のために教材として利用されることもあります。
人間の命、いざ消えるとなれば、「ひとつ」と数えるひまも要りはせぬ
(『ハムレット』より引用)
シェイクスピアは、無常観にも似た台詞を数多くのこしています。この言葉も、ハムレットが人間の命の儚さを表現したものです。
さまざまな見どころのある本作ですが、結末はどうなるのでしょうか。
- 著者
- ウィリアム シェイクスピア
- 出版日
- 1967-09-27
妹を失ったレイアーティーズは、クローディアスと協力してハムレットを殺そうとします。そして、剣での決闘を申し込むのです。その場にはクローディアスとガードルードもいました。
本作の結末は、数ある文学作品のなかでも衝撃的な内容です。登場人物はそれぞれの背景を持っていますが、それがこのような結果になるのかと、驚くはずです。
悲劇作品を書いている時期のシェイクスピアは、凡人には想像のつかないところから人間を観察しています。本作のクライマックスにはそれが現れており、人間の業や運命というものをかいま見ることができるでしょう。