大ヒットを記録した映画『ナルニア国物語』の原作者C.S.ルイスは、ファンタジー作家だけでなく、キリスト教弁証家、中世文学研究家の顔をもち、たくさんの魅力的な著作を残しています。そんな中から、初めての読者には「まずはこれから!」という作品を厳選しました。
C.S.ルイスは1898年、アイルランドのベルファストで生まれました。小さい頃から本を読むことが大好きで、自分でも空想の国の物語を書いていたそうです。
後にキリスト教の色合いの濃い作品を発表しているルイスですが、意外なことに、10代で一度キリスト教を捨て、神を信じなくなります。その後、紆余曲折を経て、彼が再びキリスト教を信仰するようになったのは、33歳の時でした。
大学卒業後は教師として英文学の研究を続け、1926年には同じ大学の研究会で『指輪物語』の作者J. R. R. トルキーンとの邂逅も果たします。
やがてキリスト教や中世文学に関する数々の書物を発表し、イギリス国内で名を上げたルイスでしたが、彼自身は、自分のことを研究者ではなく、何よりも「想像力の人間」であると規定していました。
そして1950年、その想像力を駆使したファンタジー作品「ナルニア国ものがたり」の発表を開始します。
第二次世界大戦中、ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシィの4人兄妹は、ロンドンから片田舎の古い屋敷に疎開することになりました。学者の先生がひとりぼっちで住むその屋敷の大きさに興奮した子供たちは、さっそくみんなで探検を開始します。
途中、空き部屋に一人取り残されたルーシィは、なにげなく古い衣装箪笥の扉を開け、何着もぶらさがっている外套をかきわけて奥へ奥へと進んでいきました。すると、いつの間にか彼女は、雪の降り積もる森、ナルニア国の中に足を踏み入れていたのです。
- 著者
- C.S.ルイス
- 出版日
- 2000-06-16
フォーン(ヤギ足の人間)のタムナスに出会ったルーシィは、ナルニア国が白い魔女に支配されており、住人は終わりのない冬に閉じ込められてしまった、という事を知ります。
その後、4人揃ってナルニア国を訪れた兄妹でしたが、ルーシィが初めて来た時に出会ったタムナスは、魔女に連れ去られてしまっていたのです。4人の兄弟は、攫われたタムナスの行方を追って旅に出ます。そして旅の中で、ナルニア国真の王アスランと出会い、魔女との闘いへ、国の危機に挑む大冒険へと繋がっていくのでした。
お子様はもちろん、初めてC.S.ルイスの作品を手に取る大人の方も、まずはこの作品で作者の豊穣な作品世界を体験してみることをおすすめします。
物語は、「わたし」がある町のバス停でバスを待っている場面から始まります。……というと、何のことはない日常のワンシーンに過ぎませんが、しかし一緒に並んで待っている人々は、言い争いをしたり列に横入りしたりと、なんだか穏やかではありません。
やがて読者は、「わたし」と乗客の会話から、その町が「地獄」であり、乗客は全員「死んだ人間」であり、バスの行き先が「天国」であると知ります。
- 著者
- C.S. ルイス
- 出版日
この作品は、もともとウィリアム・ブレイクの『天国と地獄の結婚』に対抗して執筆されたものでした。天国と地獄が拮抗するように存在するブレイクとは異なり、ルイスの天国は絶対的な存在であり、一方の地獄は存在しないほどちっぽけなものとされています。
「地獄にいる者はすべて、地獄を選んだのだ。この主体的選択なしには、地獄など存在するはずがない。」(『天国と地獄の離婚―ひとつの夢』より引用)
つまり天国へ行くのもその人の主体的選択であり、言いかえると、すべての人に天国は開かれているのだ、というのがルイスの考え方です。
さて、バスで無事天国の縁に着いた乗客たちは、そのまま天国に向かうか、地獄に戻るかの選択を迫られます。選べると言うのなら、平和で安穏といったイメージのある天国行きを選びたいところでしょう。しかしこの小説では、ほとんどの乗客が地獄に戻る道を選んでしまうのです。
なぜ彼らは自らすすんで地獄を選んだのでしょうか?そこに反映されている、ルイスの「善」に対するユニークな考え方を、ぜひご覧ください。
グローム国にはオリュアル、レディヴァル、プシュケーという三人の王女がいました。一番年長のオリュアルは、醜い自分とは正反対の容貌をもつ美しい末娘プシュケーを溺愛し育てます。しかしプシュケーのその美貌ゆえに、悲劇は起こりました。
グローム国を飢饉の災いから救うため、彼女は灰色の山の神、山の獣の花嫁に供されてしまったのです。
- 著者
- C.S. ルイス
- 出版日
しばらく後、離れ離れになった不幸な妹を探しに灰色の山へ入ったオリュアルは、再会したプシュケーが夫に全幅の信頼を寄せ、花嫁として幸福な生活を送る姿を目の当たりにし、惑乱状態に陥ってしまいます。
やがてグロームの女王となったオリュアルでしたが、彼女を待っていたのは、愛を求めるだけで満たされない孤独な日々でした。年老いた彼女は、すべての元凶である愛する妹を奪い去った神の非情を告発するために、一巻の巻物を記すことを決意します。
プシュケー〈心〉とアモール〈愛〉の有名な神話をベースにした、神と人間の関係性、そして真実の愛を問う壮大な物語です。
ルイスが無神論者だった幼年時代からキリスト教を信仰するようになるまでの半生を語った作品ですが、家族のこと、ものを書くようになった理由など他にもたくさんのエピソードが盛り込まれており、キリスト教について深く追求した内容ではありません。一冊のエッセイとして、誰もが楽しめることでしょう。
なかでもいきいきと描かれているのが、ルイスが「わたしの幸福のひとつ」とまで語る、3つ年の離れた兄とのエピソードです。人生で初めて「美」を知った体験も、その兄がもたらしてくれたものでした。
- 著者
- C.S. ルイス
- 出版日
「ある日兄は、ビスケットの缶のふたを苔で覆い、小枝と花で飾り、それを箱庭かおもちゃの森のつもりで子ども部屋にもってきた。それがわたしの知った最初の美というものだった。ほんものの庭園が果せなかったことを、この箱庭が実現したのである。」(『喜びのおとずれ』より引用)
この時ルイスを襲った「法外な祝福」のような興奮は、その後の人生でも折にふれて蘇ってきたと言います。
「わたしはそれを『喜び』(ジョイ)と呼びたい。このことばはここでは特殊な意味に使っているのであり、幸福やただの楽しみとははっきり区別しなければならない。たしかにわたしが言う『喜び』は、そうしたものと共通する特徴をそなえている。つまり『喜び』を経験した人間は、だれでもふたたびそれを求めてやまないという事実である。」(『喜びのおとずれ』より引用)
やがてキリスト教への信仰につながるこの「喜び」への渇望が、「ナルニア国ものがたり」をはじめとする C.S. ルイスの作品世界を形づくっていると言ってもいいかもしれません。
キリスト教の神と敵対し、人間を誘惑する任務に就いた悪魔のワームウッドへ、叔父の悪魔スクルーテイプがアドバイスを書き綴った31通の手紙からなる小説です。
スクルーテイプの手紙は、それまで先輩の悪魔たちがいかにして人間を堕落させ、洗脳させてきたかを教えてくれています。
- 著者
- ["C.S. ルイス", "森安 綾", "蜂谷 昭雄"]
- 出版日
- 1979-05-01
スクルーテイプの手紙によると、「人間が、生活の中での出来事を「当たり前」と満足し、それ以上の真実を追求しない」ということも、「変わらない、という状態を「停滞している」と認識し、現在よりも未来に価値があると思い込んでいる」ということも、すべて悪魔の仕業だったというのです。
なかでも強烈な印象を残すのが、付録として収められた「乾杯の辞」のこの言葉でしょう。
「最近、ある少女がささげた祈りに、こうしたすべては要約されています。彼女はこう祈ったのです。『神さま、どうかわたしをノーマルな、現代風の女の子にしてください。』われわれ悪魔の苦労の甲斐あって、こうした祈りはやがては、『神さま、どうかわたしを騒々しい、ばかな、他人の意見に左右される人間にしてください』といった意味になることでしょう。」(『悪魔の手紙』「乾杯の辞」より引用)
ルイスが悪魔の目を通して描き出した人間の性質や弱点に、たとえキリスト教徒でなくても、自分の生活や生き方を見つめ直すきっかけを与えてくれる一冊です。
どんなに難しいテーマでも、読者にわかりやすい形で伝えてくれるのがC.S.ルイスの作品です。少しでも興味をもったら、ぜひ手にとってみてくださいね。