文芸

パール・バックのおすすめ作品4選!ノーベル賞作家、代表作は『大地』

更新:2020.12.2 作成:2017.8.6

中国で育ちアメリカで暮らした小説家、パール・バックは、自身の経験を元にした鋭く重い主題を書き、ピューリッツァー賞やノーベル賞をも受賞しています。テーマこそ独自の視点による重厚なものですが、その文章は大変読みやすく、若い世代にもおすすめです。

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中国とアメリカ両国で暮らした稀有な小説家パール・バック

パール・バックは1892年生まれの小説家です。両親は宣教師で、中国で活動していましたが、出産のためアメリカへ帰国。彼女はバージニアで生まれました。その後はすぐ中国へと渡り、両親と暮らします。

中国名も持ち、乳母も中国人、英語よりも先に中国語を話したパールは、幼い頃は自らを中国人だと思っていたそう。大学入学の際にアメリカへ帰国、卒業後は中国へ戻り教鞭を取り、再びアメリカで修士号を取得、また中国へ行き、本格的に執筆活動をはじめます。

1930年に最初の小説『東の風、西の風』を発表、1931年の『大地』が大ヒットし、翌年にはピューリッツァー賞、数年後にはノーベル文学賞が送られました。

1934年からは中国を離れてアメリカで執筆を続け、多くの作品を残しました。晩年は、児童施設や財団設立など、愛と平和のために尽力、1973年に没しました。

アメリカにも中国にも、そして日本にも親近感を持ち、多彩な視点から物事を書いた貴重な作家です。独自のバックグラウンドを持つ彼女にしか書けない作品は、ほかの作品にはない価値観や気付きを与えてくれます。

パール・バックの代表作

小作農の王龍は、老いた父と2人で貧しく暮らしていましたが、ある春、大地主の黄家から一番いらない奴隷だという若い阿藍を嫁に迎えました。阿藍は毎日よく働き、秋には男の子を産みます。家には幸福が訪れ、その年は豊作、暮らしも豊かになりました。

一方で黄家は、金を湯水のように使い火の車となっていました。王龍は決心し、黄家から土地を買うことにします。小さな土地でしたが、王龍にとってかけがえのない財産を得ました。

しかしその翌年、大干ばつが起こり、王龍一家も、地主の黄家も村人もみな、生死を彷徨う事態に陥ります……。

著者
パール・バック
出版日
1953-12-30

ピューリッツァー賞受賞の作品です。長くて難解なのでは……という心配もいりません。文章は読みやすく、スピード感があります。最初は財産が何もなく、家の穴を紙でふさぐような荒んだ暮らしをしていた王龍が、阿藍が来たことによって暮らしが上向きになっていく様子にどんどん引き込まれていくでしょう。

しかし干ばつが訪れ、運命は真っ逆さま、やむなく一家は命がけで南方へ食糧を求める旅へ出ます。大変な旅ですが、王龍一家には戻る土地があるからこそ出発もでき、現地での困難にも耐えようとしました。彼の会話には何度も「土地」というワードが出てきて、それほど彼らにとってよりどころとなっていたのです。

土地を売れば目先の金は手に入るのに、彼らは何としても手放そうとしません。ついには愛する娘を奴隷として売る話まで出る始末です。

1巻の主役は王龍ですが、物語はその後息子、孫へと続いていきます。環境によってその運命や人格までも翻弄されていく彼らの波瀾万丈な人生の展開が気になり、次巻を読まずにいられなくなります。果たしてこの大事な土地を、息子たちは守っていってくれるのでしょうか。

子の尊厳と親の人生、他者との共生を見つめたパール・バックの手記

パール・バックは1人目の夫とのあいだに、娘をひとり授かりました。金色の髪と桃色の頬をもち、とても賢そうで、誰もがその少女のことを褒めました。

3歳になったころ、パールは娘がなかなか話さないことを心配しはじめます。友人たちは、成長には個人差があるといって彼女を安心させようとするのですが、4歳になるころ、パールは娘の発育が進んでいないことをついに認識します。その夜は一睡もできませんでした……。

著者
パール・バック
出版日
2013-06-24

時代や場所の違いはありますが、障害を持つ子どもを持った母親に通ずる苦悩と絶望が、てらいなく正直に綴られています。彼女は障害のある娘がいることを、ずっと公にしておらず、本書を書くにあたって相当の覚悟が必要だったと語りました。

直接的ないじめや排除、軽蔑、偏見、思い込みはいつの時代も蔓延しています。パールは娘のために一生懸命、字を書かせ、本を読ませようとするのですが、娘は理解することができません。しかしただ母親を喜ばせようと、何かに必死になる様子はあまりに悲しく、大事なことは何なのか考えさせられてしまいます。

パールが本当に感謝しているのは、「お嬢さんは決して治りません」と伝えてくれ、自分の人生も大切にする「準備」をするよう言ってくれたある医師だといいます。

無限の愛と、それゆえに生じる絶望と付き合い、どういう決断をし、またこのような子供たちはどういう生き方をすべきなのかを考え抜いたパール。彼女が全身全霊で向き合ってきた回顧録からは、多くの学ぶことがあるでしょう。

噴火や津波とともに暮らしてきた、ある日本の村の物語

キノの家は、山の斜面の段々畑を登り切った先にありました。友達のジヤは、海に面した漁師の一家です。キノの家は登るのが大変だし畑仕事も大変で、魚を取るだけでよい漁師の家を羨んでいました。

2人はよく沖まで泳いで遊びましたが、ジヤはいつも海が怒っていないか様子を気にしていました。彼は、海は敵だ、おれたち漁師はみんな知ってることだ、と語ります。

ある時、長老の屋敷に高く旗が上がりました。数十年に一度しか上がらない、緊急事態を知らせるしるしです。キノたち一家はみな丘の上の屋敷に避難をし、途中でジヤも1人、やってきました。

その時、海のへりが紫色になって持ち上がり、空にそびえ立つようにして現れたのです……。

著者
パール・S・バック
出版日
2005-02-25

パール・バックは中国の内戦が激しくなった時代、長崎の雲仙に疎開していたことがあります。そこで日本人の暮らしと国民性を見て、1947年に刊行された作品です。アメリカに向けて書いたものなので、日本の風習が丁寧に説明されていて、日本人の読者にとっても彼らの生活が鮮やかに目に浮かぶでしょう。

前半で噴火や津波が起きる描写があり、児童書のジャンルですが、大人が読んでも十分読みごたえがある生の本質が描かれています。

後半では、一度はばらばらになってしまった家族や村人が、粥を一口ずつすすり、眠り、泣き、そして1歩ずつ生きる道を模索していく様子が描かれています。大きな傷を受けた人々が着実に復興していく姿は、感動という言葉だけでは言い表せないものがあるでしょう。

キノはどうしてこんなことが起こるのか、どうして自分たちはこんな暮らしをするのかなど、父親に次々と問いかけます。彼の父親の優しく力強い言葉は、読者の心にも名言として残ります。

最後には希望を感じさせてくれるでき事も起き、いくつもの優しくもたくましい言葉と、挿絵も印象的な作品です。

原爆はどのようにして開発されたのか。パール・バックからみた葛藤の物語

1940年、戦火は拡大しつつあり、アメリカの参戦もいよいよ免れないというころ、物理学者のバートンがシカゴ大学からカリフォルニア大学へとやってきました。この前年にはイギリスがドイツに宣戦布告、ナチスは既に原爆開発に着手していて、第1級の科学者たちが集められていたのです。

条件は、若くて優秀で、大胆であること。政府の命令で行われている最大級のプロジェクト、ということしか公開されていませんでした。

後に核兵器を製造することについて意見が分かれますが、時代の流れは早く、とても止められるものではありませんでした。

著者
パール・バック
出版日
2014-01-14
1959年に刊行され欧米ではベストセラーとなりましたが、日本では2007年に邦訳され刊行となりました。史実をベースにしつつ、個性的な人物たちが様々な会話を通してストーリーを展開していきます。

集まればいつでも化学談義を始める研究者たち。目の前に大きなプロジェクトの話があれば興味を持つことも理解できます。しかし、戦況が進んでいき、原爆開発がいよいよ進んでくると、その効力を最も知る開発者たちから躊躇する者が出てくるのです。

そして起こった真珠湾攻撃……。

パール・バックはそれに至る経緯や、後日家を訪れた在米日本人の友人の様子なども丁寧に書き、まさに彼女ならではの物語を読むことができます。原爆に関して様々な視点を知るという意味では欠かせない一冊と言えるでしょう。

2カ国での生活を通し、国や人種に偏見のなかったパール・バック。女性に対する偏見や差別に抗いつつ、障害を持つ娘を守り、愛と平和についてその生涯を費やして作品を発表してきました。様々な気付きがあり、手に取ってほしいものばかりです。