ヘンリー・ジェイムズはアメリカ生まれですが、イギリスを中心にヨーロッパ各地を移住・旅行しながら執筆活動を続けました。心理主義の先駆と呼ばれ、絶妙で精緻な心理描写に秀でた作品が特徴で、彼独特の、驚くようなストーリー展開も魅力的です。
1843年、ヘンリー・ジェイムズはニューヨークで、父も兄も哲学者の家庭に生まれました。アイルランド系移民の祖父は1代で事業に成功し、彼自身も非常に裕福な家庭で育ちます。父は見聞のために、兄弟をよくヨーロッパ各地に旅行に連れて行く人でした。
ハーバード大学に入学するも1年で辞め、ボストンに住みながら文学に専念します。雑誌への寄稿、書評の執筆をしながら、28歳のときに長篇の連載も開始します。この間も彼は、1人で、あるいは親戚とヨーロッパを各地を旅行して周りました。パリに移住をした際は、ツルゲーネフや、モーパッサンなどとサロンで交流をしています。
国際的視野を生かしながら順調に作品を世に出していき、アメリカに帰国したりイギリスに住んだり、イタリアやパリにも滞在したりしながら執筆をつづけ、エッセイや旅行記なども大変人気となりました。晩年は病を患い、72歳で没します。
貧しい牧師の家に育った20歳の女性は、求人広告を見て、ロンドンへやってきます。
雇い主は、萎縮してしまうほどの大邸宅に住み、親切で朗らか、そしてハンサムな独身紳士でした。彼の依頼は、田舎の屋敷に住み込み、亡くなった彼の弟夫婦の、幼い兄妹の家庭教師をすることです。ただひとつ条件があり、彼との交渉は今回限りで、今後の連絡は一切不可であるとのことで、彼女はそれを奇妙に思います。
翌々日、不安を抱えつつ現地へ向かいますが、そこにいたのは大変愛らしくて無邪気な2人の子どもたちでした。
しかし彼女が屋敷で暮らしはじめると、いるはずのない人影を見かけるようになるのです。そして唯一の話し相手である女中のグロースは、質問をしても何やら口ごもっています……。
- 著者
- ヘンリー ジェイムズ
- 出版日
- 2012-09-12
純粋で勇敢な主人公の女性は、執拗に命を狙う亡霊から、子どもたちを守ろうと必死に抵抗します。ただ、実際に亡霊が見えると言っているのは彼女のみ。つまり彼女の証言を信用して味方してくれる人が、他に誰もいないのです。
孤軍奮闘しますが、子どもたちからさえも徐々に距離を置かれるようになってしまい、信頼を失って、孤独な戦いの状況はどんどん悪化していきました。
こうなると読者である我々も、何が真実なのか段々分からなくなってきます。物語は彼女の視点で語られているので、彼女の言っていることのほうがおかしいという可能性すらあります。
古くから屋敷にいる女中のグロースは、唯一過去のことを証言できる人物ですが、彼女の言うことだって、どこまで真実なのか分かりません。子どもたちも、雇い主も、読者にとってはもはや登場人物全員が信頼できないのです。
一体何が真実なのか。分かるのは、何かただならぬことが起きようとしている、ということだけです。物語のなかに読者自身も巻き込まれ、事実も思考も混沌としていき、亡霊の怖さとはまた別の、得体の知れない恐怖を味わうことになります。
謎が謎を呼び、最初から最後まで謎だらけです。「ねじ」というキーワードは、冒頭と終盤に登場しますが、想像もできないようなラストに、まさに頭に大きなねじが埋め込まれてしまったかのような読後感が残ります。
27歳のアメリカ人青年ウィンターボーンは、叔母に付き添ってスイスのホテルに滞在していました。彼はお堅いヨーロッパの社交界に育ち、そのしきたりが身に着いています。
そんな彼は、ホテルで素晴らしい美貌を持ったアメリカ人のデイジーと出会います。ウィンターボーンは彼女に対して失礼のないよう、丁寧に2人で遠出をする約束を取り付けました。一方で、無邪気で奔放なアメリカ娘であるデイジーは、人目をはばからず、男性ともフランクに会話をするのです。
あけすけで品がないようでいながら、なぜか魅力的。これまで出会ったことのない女性に、ウィンターボーンは完全に翻弄されてしまいます。しかし2人の価値観はあまりに異なり、彼はデイジーのことを理解できません。彼女には節度を求めますが、なぜそんなことを言われるのかデイジーも理解できないのです。
- 著者
- ヘンリー・ジェイムズ
- 出版日
- 1957-11-22
ヘンリー・ジェイムズの比較的初期の作品で、本作の成功が彼に国際的な名声をもたらしました。
ヨーロッパ的な常識と新大陸の新しい文化との差が、徐々に不幸を招いていく展開で、両方の土地になじみのあった著者ならではの視点が発揮されています。
デイジーは驚くほど綺麗ですが、さらに自らの行動によって人の注目を集めようとするきらいがあり、それを愛や人気とも捉えている節があります。後半、舞台がイタリアに移ると、ウィンターボーンもますます周囲の悪評に引きずられて、本当は彼女はただの品のないだけの女なのではないかと悩み出してしまうのです。
描写は淡々としており会話文が多く、全体的に静かな雰囲気をたたえた、深みのある作品です。
舞台は1800年代前半。主人公のキャサリンは、亡くなった母の莫大な遺産を受け継いだ令嬢です。しかしその性格は非常に大人しく、容姿も才能も平凡で、ただどこまでも純粋な女性でした。
彼女の父は、町一番の医者で、娘に対してはとにかく賢くあってほしいと、強く要望していました。しかし希望通りには成長せず、失望の言葉を発することさえあります。それでもキャサリンは父を尊敬し、同時に恐れてもいました。
キャサリンが21歳の時、いとこの婚約パーティーで出会った20歳のモリスという美青年にダンスに誘われ、恋をするのですが……。
- 著者
- ヘンリー・ジェイムズ
- 出版日
- 2011-08-19
彼女の父は、キャサリンのことを大事には思っているものの、賢く美しかった亡き妻と比較し、彼女が気が弱く秀でた魅力がないことに落胆しています。娘の人格をあまり尊重していないようで、それゆえに、こんな娘に言い寄ってくる男など金目当てに決まっている、と決めつけ疑うのです。
実際にモリスは、華美な服装と振る舞いで女性からはモテますが、実は職もなく、頭は金のことでいっぱいでした。医者として何年も人間観察をしている父にはお見通しです。
キャサリンは良くも悪くも、これまで何事もなく成長してきましたが、初めての恋と、初めて崇拝していた父と決定的に意見を違えるという経験を通して、人として成長をはじめます。父との亀裂は徐々に深まり、その結果皮肉にも、彼女自身の意見を持つようになっていきます。
途中まではやきもきする恋愛小説の様相ですが、子どもが大人へ成長する際の親との決別、そして精神的自立が描かれた物語です。前半ではヒロインとは思えないほどぼんやりとしていたキャサリンも、後半では吹っ切れたように毅然とし、人が変わったように振る舞いがきっぱりとしています。
父の癖である皮肉の効いた物言いがユニークで、また物語を終始引っ掻き回す、叔母のペニマン夫人も愉快です。著者のユーモアとゆとりが垣間見える作品でもあります。
ニューヨーク育ちの若くて純粋なミリーは、身寄りがいませんが、莫大な相続権を有しています。しかし彼女は病身で、余命も長くはありません。彼女はイギリスからやってきた薄給の新聞記者マートンと出会い好意を持ちますが、彼には母国にケイトという美しく利発な婚約者がいました。
そのケイトは、かつては上流階級の家庭で育ったものの父親のせいで没落しており、彼女を庇護している叔母からは、有力な人物と結婚をして欲しいとプレッシャーをかけられていました。
ある日ミリーは、叔母と共に彼女の旧友のイギリスの家を訪ねます。そこでケイトと出会い、2人は知り合いになりました。ミリ―とマートンもそこで再会しましたが、ケイトは婚約していることをミリ―に隠したままです。
なんと彼女は、ミリーとマートンを結婚させ、マートンに財産を相続させようと企てたのです……。
- 著者
- ヘンリー・ジェイムズ
- 出版日
- 1997-09-10
ミリーは余命に向き合うという大きな不安と悩みを背負っており、老後の生活を考えるような悩みは持ち合わせていません。
ケイトはその逆です。叔母からは何とか独立したいし、マートンのことは好きだけど、貧しい結婚をするほどの決心はつかない……そこに現れたのが、いけにえの小鳩のごときミリーでした。
ミリー、ケイト、マートンの3人の関係が語られていくのですが、その心理描写は非常に鋭く細緻で、彼らの揺れる心情が少しずつ仄めかされていきます。しかし実は最後まで明確には示されてはいないという、何とも翻弄させされる作品です。
イギリス社交界のどろどろしたメロドラマかと思いきや、実は命を見据えて恋愛と人間関係が綿密に織りなされる大作で、語り手が入れ替わり、意識の流れは激しく、それぞれに人間らしい彼らは醜くもあり、憎めなくもあります。ヘンリー・ジェイムズの晩年を代表する作品です。
「私」たちはスイスのホテルのバルコニーでテーブルを囲んでいました。そのうちの1人、有名作家のヴォードレーは、社交界の名士です。誰とでも同じ態度であらゆる会話をしますが、彼が話すと全員かしこまって口を閉じることを、売れない作家である「私」は内心気に喰わないでいました。
その夜「私」が、用事を頼まれてヴォードレーの部屋に物を取りに入ると、真っ暗の部屋の中で、いないはずのヴォードレーが机に向かっています。驚いて叫びを上げ、戸惑いつつ声を掛けますが、彼は振り向きもせず返事もしません。失礼を詫びて退室しますが、部屋からは静寂が聞こえるのみです。
あれは本人だったのか、本人であれば何をしていたのか、「私」は眠れぬ夜を過ごします……。(収録作品「私的生活」)
- 著者
- ヘンリー・ジェイムズ
- 出版日
- 1985-12-16
読みはじめると著者の世界に迷い込み、読者は判断力があやふやになってしまいます。細やかにさり気なく、読者を誘導するような仕掛けがしてあって、何が真実なのか迷子になってしまうのです。
「私」は、あんな恐ろしい状況を経験したものだから、何か得体の知れない状態か魔物に巻き込まれたのでは、と思ってしまいそうですが、話はそんなに単純でしょうか。読み終わったあと、もう1度考え直してみないと最終判断はできません。
そのほかに収録されてい作品も、読後になかなか現実に帰って来られなくなるような、珠玉の短篇集です。
ヘンリー・ジェイムズの墓碑には「大西洋両岸の同世代人の解説者」とあり、その功績は名高いですが、純粋にストーリーテラーとして古びない作品を多く発表しています。ありがちな話かと思いきや、おもわぬ可能性が出てきて、くるりと展開を変えてしまう彼の物語にぜひ誘われてみてください。