岡倉天心にまつわる逸話6つ!『茶の本』で知られる思想家に関する本も紹介

更新:2017.9.7

明治の文明開化のなかで、日本の伝統芸術を守った岡倉天心。あまり馴染みのない人物かもしれませんが、彼の人生や気骨は、我々が生きるうえでも参考になる面が多いです。彼の人生や著書などをご紹介していきます。

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日本芸術の守り人、岡倉天心とは 

岡倉天心は1863年、江戸時代末期に生まれ、明治時代に活躍した人物です。彼の人生における最大の偉業は、日本の伝統的な芸術、とりわけ日本画の分野を守ったことにあります。

明治時代は文明開化の影響により、西洋のものは進歩的なものとしてもてはやされる一方、それ以前の日本のものは古臭いものとして嫌われる傾向にありました。絵画をはじめとした芸術の分野もこの例に漏れず、洋画がもてはやされるなかで伝統的な日本の絵画は否定されていました。

この流れに歯止めをかけたのが岡倉天心です。彼は、伝統的な日本芸術の価値を多くの人に再認識してもらうための活動を進めていきます。

今の東京芸術大学の前身となる「東京美術学校」を設立したり、公募による日本画展覧会である「日本美術院」を設立したりするなど、現代にも続く活動をはじめ、海外へ日本芸術のすばらしさをアピールする活動も積極的に行いました。

もしも岡倉天心という人物がいなかったとしたら、日本画や茶の湯など伝統芸能の多くは明治時代に廃れてしまっていたかもしれません。彼の人生は50年という短いものでしたが、その人生は「日本芸術の守り人」だったといえるでしょう。

岡倉天心と日本の芸術に関する逸話3つ

1:アーネスト・フェノロサとの出会い

岡倉は1875年、官立東京開成学校(現在の東京大学)に入学します。彼の学生生活は、勉強ひと筋というよりも、さまざまなものに興味を示してあれこれと試してみるという自由なものでした。そのため、成績はあまり良くはなかったようです。

しかし岡倉の自由な活動は人間関係を広めて、翻訳のアルバイトを通してアメリカの東洋美術史家、アーネスト・フェノロサと知遇を得ます。

フェノロサは、明治政府が西洋文化を学ぶために高額を支払って日本に招聘した、いわゆる「お雇い外国人」でした。しかし彼は日本文化に極めて強い興味を持っており、日本文化を擁護していくこととなるのです。

フェノロサは後に、岡倉が東京美術学校を立ちあげる際にも関わってきます。2人の出会いは日本芸術を守るための運命の出会いであったといえるでしょう。

2:27歳の若さで東京美術学校の校長になる

岡倉の活動や調査により、明治政府内には日本古来の芸術の価値を重んじる空気ができあがります。そして彼はその活動を認められ、1890年、東京美術学校の初代校長に就任します。

このとき若干27歳。彼の人生の絶頂期でした。

3:37歳での挫折と、新たな挑戦

岡倉の人生の転機は、37歳の時に訪れます。東京美術学校の教授に、福地復一という人物を採用したのがその始まりでした。

福地は当初、岡倉に厚遇されていたことから「勘違い」をしてしまい、旧来の教授陣に傲慢な態度をとるようになっていました。そして次第に岡倉からも疎んじられると、数名で派閥を作り、彼を学校から追い出そうと画策します。この騒動は、岡倉が書いたとされる罵詈雑言の怪文書が新聞社などに送りつけられる、という事態にまで発生しました。

このような状況で、岡倉は東京美術学校の校長を辞任します。

文部大臣であり、後に最後の元老となる大政治家の西園寺公望は「辞める必要はまったくない」と言って慰留を求めました。

しかし岡倉は、このようなつまらぬ争いに関わるよりも、ネクストステージを選びます。彼は東京美術学校を辞して、芸術の大学院を作るという構想のもと、「日本美術院」を創設。これは支持者から3万円という大金が出資され、現在へと続く院展の基礎となりました。

彼のひたすらに芸術を求めるまっすぐな心は、権力争いなどの枠で折れるものではなかったのです。37歳での校長辞任という挫折は、実は岡倉を胸躍る新たな挑戦へと送り出した事件ということもできるでしょう。その後50歳で没するまで、岡倉天心は芸術の発展と紹介に打ち込み続けます。

 

岡倉天心の日本人としての誇りがわかる逸話3つ

 

1:江戸時代なのに英語のなかで育つ
 

岡倉天心が生まれたのは1863年ですが、この年はペリーの来航からおよそ10年という時期です。彼の父は横浜で商店経営をしており、そのため彼は江戸時代にも関わらず、幼いときから欧米人と英語に親しむ環境にありました。

その一方で、漢字で記載されていた「東京府・神奈川県」という県境の杭の字が読めず、恥じて国語を必死に学んだという逸話もあります。

2:非礼には欧米人とて容赦せず。英語で見事な切り返し

東京美術学校と日本美術院を創設した点が、岡倉の国内での貢献であるとすれば、アジア文化を調査したり欧米で日本文化を伝えたりしたのが、国外での貢献です。

岡倉は欧米で講演や著作などを行い、アジアや日本の思想を見事な英語で伝えます。彼が英語で書いた書籍は、日本語に翻訳されて逆輸入されました。

日露戦争中の1904年、ニューヨークにいた岡倉の有名な逸話に、次のものがあります。
 

羽織袴と雪駄で堂々と道を歩いていると、数名のアメリカ人が「Which nese are you, Chinese or Japanese? (お前はどっちのニーズだい、チャイニーズかい、それともジャパニーズかい?)」とからかってきたのです。

これに対して彼はまったく動ずることなく静かな声で「Which keys are you, monkeys, donkeys, or yankees? (君たちはどっちのキーだね、モンキーかね、ドンキーかね、それともヤンキーかね?」と返しました。ドンキーには「愚鈍な馬鹿者」という意味があります。アメリカ人たちは彼のとっさの切り返しに再反論できず、岡倉は再び堂々と道を闊歩していったといいます。

数人のアメリカ人に囲まれても物怖じせず、英語で韻を踏んだ切り返しと堂々とした歩みは、彼自身の人生を示しているともいえるでしょう。

3:岡倉天心の日本人としての名言

岡倉天心は芸術を研究するとともに、教育者でもありました。そんな彼には数多くの名言があります。そのひとつに、

「画家たる前に、美術家たる前に、まず日本人たれ、東洋人たれ、己れの持つものに、他に超えたる優秀のものあるを知れ……(中略)……偏狭に堕すな、後れるな、成型を追うなかれ……」

というものがあります。まず、アジア人として、日本人である自分を持ち、そのうえで優秀なものを学べという意味です。彼のこの心持ちは、芸術の世界のみならず、どのような分野でも重要なものではないでしょうか。

 

岡倉天心の東洋の精神世界の真髄がここにある

岡倉天心は、ニューヨークのボストン美術館に在勤中に、英語で『The Book of Tea』という本を発表しました。本書はそれを和訳したものです。

 

 

日本の芸術を海外に紹介するという趣旨で書かれています。

 

 

著者
岡倉 覚三
出版日
1961-06-05

茶道を通して、彼が東洋の芸術感覚や美術感覚に関し、極めて高度な思索を述べている本となっています。ページ数は100ページ足らずですが、とても奥深い内容です。

本書の内容を真に把握するためには、「禅」や「道教」などの東洋思想について一定以上の理解が必要なため、じっくりと時間をかけて読まれることをおすすめします。

日本文化の由来がわかる本

本書も、岡倉がもともと英語で書いた本を和訳したもの。日本とインドの文化の関連性が詳しく考察されている名著です。

著者
岡倉 天心
出版日
1986-02-05

本書は、インド・中国の文化と、日本の文化の関係を岡倉が分析し、紹介したものです。

インドの文化が中国を経由し、日本に流入してきたことは周知の事実ですが、単にそのルーツだけではなく、インド文化の真髄まで考察しています。そのため、東洋の芸術や美術だけでなく、思想や哲学を学ぶうえでも役立つでしょう。

岡倉天心の講義がここにある

本書は、岡倉の東京美術学校時代の講義をまとめたものです。そのため、彼自身の思想を体系化しているほかの書籍とは、少し趣が異なる作品となります。

著者
岡倉 天心
出版日
2001-01-01

日本の美術の歴史などが主な内容として述べられているのですが、史実だけが淡々と述べられているものではなく、歴史を学ぶうえで、当時の美術や芸術を考察することがいかに有用かが書かれています。

 

授業録ということでやや偏向的な部分もあるものの、彼自身の思いが語られた貴重な一冊でもあります。本書を読むことで、岡倉天心の授業を間接的に受けてみませんか?

 

岡倉天心のスキャンダル!

松本清張によって書かれた、岡倉の人間的な面に着眼した作品です。

スキャンダラスな部分が多く取りあげられています。

著者
松本 清張
出版日
2012-11-03

本書は、「芸術新潮」連載の評伝をまとめたものです。

岡倉が「間男」であり、無責任な人間であり、それでいてカリスマだけはある、という視点で書かれており、ひとつの小説・人物伝として読むこともできるでしょう。

 

 

岡倉天心は、日本の芸術史に欠くことができない人物のひとりです。また彼の思想は、日本芸術のみならず、日本人について、日本の歴史について、考える時などにもとても参考になります。本記事をきっかけに興味を持っていただければ幸いです。

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