今回は日本の美意識を確立させたといわれる古今和歌集の世界をご紹介します。万葉集の後、漢詩が全盛期となったために下火になっていた和歌の文化でしたが、天皇の命により4人の歌人が選ばれ後世に残るような和歌の名歌集をつくることになります。
平安時代前期に、醍醐天皇(だいごてんのう)が、紀友則(きのとものり)、紀貫之(きのつらゆき)、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、壬生忠岑(みぶのただみね)の4人に編纂を命じた勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)です。
10年の時をかけて、全20巻に約1100首が収録され、後世に残る名歌集となりました。
勅撰和歌集とは、天皇の命令によって編集してつくられた歌集のこと。日本最古の歌集は万葉集ですが、勅令かどうかは不明のため、古今和歌集が最古の勅撰和歌集だと推測されています。
奏上されたのは905年。しかしこれ以降の和歌も含まれているため、たびたび手が加えられていると考えられており、完成したのは912年ごろだといわれています。
撰者は以下の4人ですが、いずれも歌人の藤原公任(ふじわらのきんとう)が平安時代の和歌の名人を選んだ「三十六歌仙」に名を残しました。
巻第十六に「紀友則が身まかりにける時によめる」と書かれているので、紀友則は途中で亡くなったとみられており、編纂を中心で進めたのは紀貫之だといわれています。
紀友則(きのとものり)
君主の住む宮中の秋の歌合(うたあわせ)で「初雁」というお題で右列と左列で歌を競い、左列の紀友則は「春霞かすみて往にし雁がねは今ぞ鳴くなる秋霧の上に」と詠みました。
いきなり「春霞」という言葉が出たので、お題の季節を間違えたと思い、右列の人たちはクスクスと笑いますが、二句の「秋霧の上に」の見事な展開に圧倒されます。巧みな歌の腕前を見せつけたエピソードでした。
紀貫之(きのつらゆき)
「紀貫之の詠んだ歌には幸運をもたらす力がある」と伝えられるほどの腕前を持つ歌人で、紀友則とは従兄弟同士です。古今和歌集では仮名序を執筆しています。
勅撰和歌集で435首もの作品を登場させた実力をもつ、歌人のなかでも最高権威者であったといわれています。
凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)
あまり知名度は高くありませんが、歌合では紀貫之の次に名前が出てくるほどの腕前といわれていました。
壬生忠岑(みぶのただみね)
身分の高くない下級武官でしたが、歌人としての才能が優れていたため、撰者に抜擢されました。
特徴として、仮名序と真名序という序文が2つあり、これは和歌集とすると珍しい構成です。仮名序とは、仮名で書かれた序文のことで、真名序とは漢文で書かれた序文を指します。
なぜ、序文が2つあるかは詳しくわかっておりませんが、漢文による漢詩の全盛期の時代から仮名による和歌の時代への移り変わりを象徴しているとの見方もあります。
基本的には仮名序が巻頭に書かれてから、本文が入り、巻末に真名序が書かれるスタイルですが、伝本によって巻頭に真名序があるものや、真名序自体がないものまであるために、仮名序と真名序の存在の意味が諸説あり、ちょっとしたミステリーになっているのです。
日本最古の和歌集である『万葉集』に選ばれなかった奈良時代から平安時代前期までの歌を対象にしており、春夏秋冬の季節の歌から恋歌まで幅広く選ばれています。
全20巻に合計1111首が載っていて、そのうち長歌が5首、旋頭歌(せどうか)と呼ばれる五七七を2回くり返したものが4首あるものの、それ以外はすべて短歌です。
撰者4人の歌が2割を占めていて、なかでも多いのが紀貫之の102首。また全体の4割が読み人知らずになっています。
編纂し天皇に奏上して以降の歌も含まれていることから、後に誰かしらによって手が加えられたと考えられています。
各巻の内容は以下のとおりです。
巻第十九の「雑体」に、上述した長歌や旋頭歌が載っています。また、藤原定家が書写した定家本には巻末に「墨滅歌(すみけちうた)」が載っており、本来はないものと前置きを入れて11首の和歌が追記されていました。
平安時代の上流貴族の女性にとっては古今和歌集の暗記が必須で、教養の一部だったといわれています。
六歌仙とは序文に出てくる6人の歌人を指します。
在原業平(ありわらのなりひら)
文徳天皇の時代にはまったく出世できずに不遇な時期を過ごしますが、清和天皇からは出世街道を順調に進んでいき、文徳天皇の息子である惟喬親王(これたかしんのう)に仕えました。「伊勢物語」の主役といわれています。
小野小町
絶世の美女と謳われた女流歌人ですが、詳しい系譜は分かっておらず、当時のものとされる肖像画や彫刻物も残っていないため、謎に満ちた人物です。
喜撰法師(きせんほうし)
人物について詳しいことはあまり書かれておらず、山城国に生まれて出家して醍醐山に入り、後に宇治山に住んだ、真言宗の僧であり歌人とされています。
僧正遍昭(そうじょうへんじょう)
光孝天皇の和歌の師といわれる僧であり、歌人です。花山の元慶寺を建立したことから花山僧正とも呼ばれています。
大伴黒主(おおとものくろぬし)
弘文天皇の末裔とも伝えられる官人であり歌人。主だった功績はあまり伝わっていない人物です。
文屋康秀(ふんやのやすひで)
小野小町と親密な関係だったとされ、三河国への赴任が決まった時には一緒に行かないかと誘ったといわれています。
天皇や上皇の勅命によって編纂された「勅撰和歌集」。古今和歌集が成立した905年から500年あまりの間に、全部で21のものがつくられました。総称して「二十一代集」といいます。
なかでも、最初の勅撰和歌集である古今和歌集から、1205年に成立した8つめの新古今和歌集までを「八代集」と呼びます。
ちなみに新古今和歌集は、後鳥羽上皇の命で6人の撰者によって編纂されました。上皇自身も積極的に和歌選びに関わったそうで、全部で2000近い和歌が集められています。
古今和歌集と新古今和歌集は、時代も違えば歌風も異なるので、読む比べてみるのも面白いかもしれませんね。
漢詩文の全盛期だった905年、紀貫之ら4人に勅撰和歌集作成の命が下り、その後、10年の時をかけて古今和歌集は完成します。
万葉集以降に公の和歌集の編纂は珍しく、しかも天皇の命によるものであったため、撰者たちの喜びも大きく、後世に絶大な影響力を持った歌集として仕上げられていきます。
- 著者
- 佐伯 梅友
- 出版日
- 1981-01-16
必要最低限の訳注で書かれているため、本来の雰囲気を守っており、その歌の意味を自分で理解していく楽しみがあります。
初めて古今和歌集に挑戦する方には少し厳しいかもしれませんが、現代訳がふんだんに収録されている書籍は苦手という方には適しています。
日本人の美意識を四季の歌や恋の歌で表現していく古今和歌集。本作では紀友則、紀貫之はもちろん、小野小町や花山僧正も登場し、平安朝初期から100年の名歌の世界をご紹介していきます。
文庫ですが全文が掲載され、現代語訳も充実しているので初心者でも楽しめる作品です。
- 著者
- 出版日
- 2009-06-25
古今和歌集の基本をしっかりと学べるうえに、それぞれの歌の持つ作風や読み手の心情が存分に伝わってくることでしょう。
わかりやすい現代訳と詳細な脚注で全文を読むことができますので、比較的に古今和歌集の世界を手頃に楽しめる作品になっています。
日本人の心の故郷ともいえる古今和歌集。その言葉のなかにこそ、和歌の魅力があますところなく詰まっています。
千年の時を経て、日本の伝統文化が季節や恋の歌を通じて伝わってきます。和歌ならではの言葉の世界をわかりやすく解説している作品です。
- 著者
- 佐々木 隆
- 出版日
- 2006-04-01
ひとつひとつの言葉に意味を求め、平安時代の背景を考慮しながら分析がされており、言葉のもつ奥深い世界を実感できるでしょう。
歌の読む手の心の葛藤が細かいところに隠されており、学校では教えてくれないような踏み込んだ和歌の解釈を楽しめる一冊です。
平安時代の和歌の世界を残した古今和歌集。ぜひこの機会に手にとってみてくださいね。